sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

鴨川で納涼と文学と

2016-09-14 | 本とか
先月ですが→「ジニのパズル」の読書会の後そのまま鴨川での納涼会に参加してきた。
この日、この夏一番たくさん汗を書いたかもしれない。
5時くらいから買い出しに行き、食べ物や飲み物を調達。
西日の中、日陰のある川辺の芝生の上で、納涼会始まり。
わたしは、知らない人ばかりで、何をするのかも知らずぼーっと行ったのですが
あれこれ企画を考えててくれる方がいて、ただの納涼会ではない面白い時間でした。

飲んだり食べたりしながら、一通り自己紹介などしたあと、
企画者の人が取り出したのは、白い紙にプリントした文字。
それは、参加予定者にあらかじめ、このあとの朗読会で朗読したい、
夏がテーマの文章、小説でも詩でもなんでものテキストを送るようにと言われて、
それでメールで送っておいたものをプリントしたものでした。
河原で石をたくさん拾い、大体の範囲を決めてその中にどんどん、
その紙を置いていくのです。石で押さえながら。
文学ゲリラインスタレーション。
これは、案外面白かったですね。通りすがりの人や近くにいた人たちが
これはなんですか?と声をかけてくれて、事情を言うと面白がって読んでくれたり。
こういうの、とても好き。小さなコミュニケーションが生まれること。

みんなで置いていった紙に書かれてものを、一通り読みながらうろうろしたあとは、
朗読会。順番にそれぞれ持ち寄ったものを朗読します。
詩や俳句や短歌、小説の一節など、いろんなものがあって、大変興味深かった。
わたしは、北村太郎の夏の終わりの詩と、望月通陽の布に関する散文、
それと岸政彦さんの→「断片的なものの社会学」の中から一節を選びました。
ほんとうはみんな、男も女もかぎらず、大阪のおばちゃんたちのように、電車の中でも、路上でも、店先でも、学校でも、気軽に話しかけて、気軽に植木鉢を分け合えばいいのに、と思う。でも、私たちは、なにか目に見えないものにいつも怯えて、不安がって恐怖を感じている。差別や暴力の大きな部分は、そういう不安や恐怖から生まれてくるのだと思う。別に、大阪のおばちゃんが差別しない、と言っているわけではない。まったくそうではなく(や在日に対する差別は大阪でも強い)、ただ私はどこかで、通りすがりの人と植木鉢について話を交わすことが、あるいは植木鉢そのものを交換することが、なにかとても重要なことのように思えるのだ。
(岸政彦『断片的なものの社会学』)

植木鉢を交換する人を見て書かれた文章だけど、
読書会と言うのも、植木鉢を交換する、あるいは植木鉢について話をするのと
同じようなものだよなぁと思ったので。
そしてこの日にした文学ゲリラインスタレーションも、そうですね。
また、朗読というのも、慣れないけど面白いものだなぁと思った。
自分の声は好きじゃないし、どう発声していいのかよくわからないことも多いけど。
いい夜でした。



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