sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

7月のつぶやき:前半

2018-08-21 | つぶやき
毎日5時間くらいはひとりを楽しむ時間が必要。家事とか移動とか仕事とは別に、
ひとりの余暇の時間。


たとえば駅前でレンタル自転車を借りるのに名前を書いてくださいと言われて書く時や、
初めての美容院で名前を書く時など、ずっとわたしは本名できたけど、
この頃はそういう時に気持ちが疲れる。
本名しかないのでそれ書くけど、あーこの人が差別主義者だったらやだなーと毎回思う。


脂肪と二日酔いと夏は、わたしの三大いらないものだっ!


料理しながら飲み始め、出来た料理で飲んで、
冷めた料理でもういっぱい、としてるうちにワインのボトルは1本くらい空くけど、
そんなにひどく酔っ払わない気がするのは気のせいかな?
というわけで、泡1本おいしかったです。


倫理的なことは、自分と考えが違っても、へぇ〜、と思うくらいで済むことが多いけど、
論理的におかしいと、中々納得できない。


お一人様プランのある旅館でも、それあんまり前面に出してなくて、
ネットでは取り扱ってなかったり、すごく探しにくくなってたり、
条件がいろいろで取りにくかったりするんだよねぇ。


嫌な気分でもやもやするときに
その件からすっと離れて忘れるという方法が一番実際的で有効なのに、
ついそのもやもやの正体を突き止めようと必要以上に向き合って考えてしまい、
結局解答は見つからないままもやもやだけ増す。
とことん考えるべきか、とっとと目を閉じるべきか。

もやもやしたまま、何年も考え続けてあるときはっと意味がわかるときもあるけど、
よく考えたら何年もつまらないもやもやに関わり続けるのって、無駄だよねぇ。
今日見た映画も、なんだかもやもやしたけど、
あまりしつこく考えないようにしようかなー。


そろそろ甘いカクテルを飲めるようになっていいお年頃なのかもしれん。


無知な善意というのが暴力になる自覚は必要だけど、
あまり叩きすぎて、善意自体を恐れるようになるのがいやなのよね。
善意で何かをしようとした人が、これも叩かれたらやだからやめとこ、と
手を出さない世の中、ってのもなんだかなぁと。。。


海の水がへってしょっぱくなるくらい、よく降ってる。


息子から、この大雨に関係ない呑気なLINEが来たので、
「きっと昨夜は母が心配で眠れなかったことでしょうが無事に働いております」、
と返信しておいたが、皮肉は通じてない模様。。。


JRも阪急も動いてないとどこにも行けない。どこにも行けないって感じが、やだなぁ。
もっと大変な方もいらっしゃるでしょうし、早く雨止んでほしい。。。


女性だけど女性差別なんかうけたことない、在日だけど在日差別なんかないよ、
という人も案外多いけど、それはその人が幸運だったか鈍感だったかで、
さらに自分の外側にある差別に気づかない鈍さと、
差別に傷ついている人を認めない傲慢さまであるということなんだろうかね。
自分が差別を受けたことがないと言うのは、自分でそう思うならそれでいいのですが、
だからこの社会に差別なんてない、差別を騒ぐ人は大袈裟でおかしい、
などというようなことを言う人はなんて傲慢だろうと思う。
差別は、する側にいたら気づかないものなんだよ。


うちにはテレビがなくて、それは特になんということなくごく普通にないだけなんだけど、
テレビがないということが想像できないような人は、テレビを通して死刑執行というような
「情報」も「消費」してしまうのかもしれない。
テレビはいいものも流すけど醜悪なものも流すし、それを楽しむ人を増やす。


「単純化を嫌い、複雑なまま世界を提示する。これを徹底的に実践するのが是枝映画だ」


知らん間に、ダイニングテーブルやサイドテーブルやソファの上に
いくつもの山になってる本を分類して読みかけや読み終わった本は本棚に。
ダイニングテーブルの上には基本的にものを置かないという習慣をつけるのが、
絵を描き始める第一歩かなと。
でも、老眼でもう細かいデッサンができない。
老眼だけならいいけど、近眼もあるから、目がもたないなぁ。
手元とモチーフの距離感の変わらない小さなものなら描けるのかな。


友達の家族の自衛隊員の方が災害出動されて頑張ってるけど、
確かに一番よくある可能性の高い国防って、こういう災害時の対応だよね。
地震も台風も雨も多い国だもん。
武器やら戦闘機やら人殺しの道具買ってる場合じゃない。
国防は、人殺しじゃなく人助けからだねぇ。


あまりに長くふってたので、止んでるのが信じられない気分


駅のホームで踊ってたら気がつかなかった。揺れたのか。
タンゴの復習。


少なくとも誠意だけはあるのに、誠意を信じてもらえず、
常にすぐ疑われ続けるのはもうほんま疲れたし悲しいし腹が立つ。
ひとをすぐ嘘つきやと思う人って、
自分がいつも簡単に嘘ついてるから人もそう思うんかな。
いいかげんだとかだらしないとか言われるのは全然平気だけど、
嘘ついてないのに嘘ついたと決めつけられるのだけは、心底不快。
ごく当たり前の誠意を信じてくれない人と何話しても意味ない。


夏の晴れた、普通の月曜日のような月曜日。


心を入れ替えるのは難しいなぁ。ましてや、生まれ変わるのなど。
でもなんか、一回くらい生まれ変わりそうな気がする。
死ぬまでに、にゅるにゅると。


楽しいことだけ考えて計画に猛進してるときは、わりと、
自分を嫌になってる余裕がない。


いろんな映画を見るけど、本当に好きなのは、サスペンスやホラーやアクションではなく、
普通のドラマだと思う。知らない遠い街が舞台で、切実に生きてる人がいるやつ。
今からそういうのをとりあえず見ます。
その後は、ダメ男映画を一本。また、怒りながら見ると思う。笑


「それから」に次いでこれ、ホン・サンスのこのシリーズはもうほんまに、
めっちゃモヤモヤしてイライラして不愉快なのに微妙に癖になるというか、
手に負えない監督(多分ほめてる)。
そして梅田で映画館移動ありのハシゴは、ものすごく歩くし疲れる。


特に女性に対しての劣化という言い方は嫌だとわたしも思う。嫌な言い方。
でも、わたしの内臓は、半世紀生きてきて確かにかなり劣化はしてる。
記憶力集中力思考力、全体に劣化してると思う。老化による劣化はあちこちにたくさんある。
でも、人としてざっくりと、年取って劣化したなと言われるのは嫌だよね。


自分の気難しさが嫌になることは多いけど、ちょっとした、
趣味のいい美味しいものがあるだけで
とても機嫌が良くなるので、自分で思うほど気難しくはないのではないか?


昨夜は全然飲んでなかったのに、2本目の映画館からの帰り道くらいから
記憶がぼんやりしてるので、自分は酔っ払ってなくてもすぐに疲れすぎるし、
疲れたらもう色々分からなくなるのだということが、よくわかった。


自分を肯定するために、人を否定するタイプの人だなぁ。白か黒しかないのね。


被害にあって余裕のない人たちをさらに翻弄する悪意のデマは、
差別対象だけでなく被災者たちも無駄に混乱・疲弊させる。
天災だけでも疲れ果てるのに、人間の、いらん嘘や悪意で
余計疲れさせんといてくれろ。


某スーパーのお客様の声コーナーに「パン屋の厨房ドアがないせいで
不衛生なのがよく見える。買う気にならないので、ドアをつけて
見えないようにしてくれ」というのがあって、
いや、見えなかったら不衛生のままでいいのか・・・?


ほんと人生で、ひとりの今が一番しあわせかもしれない。
親の家にいた時は最悪。結婚させられて人の奥さんだった時も最悪。
離婚サイコー。(個人の感想です)(個人差があります)


8時くらいまでの時間の流れと、10時すぎてからの時間の流れは、
べつものだなー。電車あるんかな・・・(なかった・・・)

酔っ払った翌日の、この自己嫌悪はなんだろう。
終電逃したけど、別に財布もiPhoneもなくしてないし、お金はちゃんと払ってきたし
(なんかえらいまけてくれたけど)、道端で寝てないし、知らん男子拾ってないし、
クダまいてないし、絡んでないし、特に恥ずかしいことはしてないはずなんだけど。
なんか、漠然と、世界に対して自分が恥ずかしい感じ。


伝統というものの、ちょっといやなところは排他的なところかなと思う。
そうである必要があるんだろうか。
余所者によって美しい伝統が変わってしまうのが嫌だという気持ちは
わからないでもないけど、人類、誰もが最初は余所者なんじゃないのかな。
あるいは誰も余所者じゃない、か。


友達の店や家のパーティが続いて、明日は神戸の新しい寄席に行くし、
明後日は歌舞伎だしこの3連休楽しくて、困る。
今、多分、人生で一番幸せなので、それに慣れなくて、困る。
家に帰るのがつらくないとか、
いつも誰かに怒られたりびくびくしないで毎日過ごせるのが、ありがたすぎる。
たとえば恋愛の盛り上がってる時とか、すごい幸せな瞬間っていうのは、
それはそれで過去にもときどきあったろうけど、
瞬間で消える瞬間じゃなく、普通につらくない毎日というしあわせが、
しみじみうれしい。ビールうまいし。


自覚があればいいんだけど、なにしろ自分の怒りは正しくて
相手が間違ってると思い込む人はやっかい。怒りは目をくらます。
怒ってる時は議論したり何か決めたりしない方がいい。


なんか、お尻と太ももが筋肉痛なんですけど、ペンキ塗りが効いてるのかな?


今年度の健康保険きたけど、去年半分しか働いてないので、今年も大変少ない。
所得が少なくて、納税額も雀の涙だし、
自分の払った血税を無駄遣いするな!という気持ちにあまりなれなくて、
なんか気持ちが、小さくなる。しょぼん。


自分は割とコンサバで端正な古典が好きだけど、権威に興味はないと思う。
それから、モノゴトが変わっていくこと(流行が流れる様)は肯定するけど、
変わっていくもの(流行しているもの)には興味がない。
処理できる情報量が少ないのでめんどくさいだけですが。
だから、流行はなんとなく見ているけど、その中には飛び込まないし取り込まないし
まあ、なんとなく見てるだけ。エネルギーが少ないからなぁ。


そう、子供の頃は「よその国」は遠かったなぁ。
気楽に行くようになったのはバブルくらいから。
大学生くらいからで、それまでは本当に遠かった。
洋行という言葉の響きが、まだほんの少しだけど残ってた頃。


ブラウス、というのもなんか、柔らかくてふんわり好きな言葉だなぁ。
これって何語?
英語なのは知ってますけど。
ウィキペディアには、語源が「ゆったりした」という意味、とか、
語源となった服は、ロマネスク時代の衣料であるブリオー(Bliaud)、とか書いてあるね。
もっと中世のエジプトまでさかのばらないといけないか・・・
あと、シャツとブラウスの違いって、起源的なことは書いてあるけど、
現代においての違いって、やっぱり「ふんわり」くらいなの?


自分で選択できること、自己選択の結果だ、といってしまうと、
大体の人の不幸は全部自己責任になってしまう。
弱くて不幸になってしまった人、流された人、レールから飛び降りられなかった人、
勇気がなくて逃げられなかった人…いろんな事情があるはずやのに、
全部切り捨てる論理。


友達に勧められた本で、日本語訳がクレストブックスにあったので
それを買うつもりだったけど2900円もして、
今432円で見つけてしまったこれを安さに負けて英語で読むことに。。。


本を読めなくなったのは鬱の症状としてであるけど、
直接的には集中力の低下と焦燥感の激化かなと思う。
1行の文章にさえ集中できず、同じ行を5回も6回も読む。
そして、焦燥感は行間どころか行の上を急いて走るせいで何も頭に入らなくさせる。
集中力は、以前ほどじゃないけど環境を整えれば(お風呂が最適。邪魔が何もない)
多少はもつようになったけど、焦燥感を和らげるのはまだ難しい。
英語を読むのは、日本語以上にのろのろすぎて、却って焦燥感の付け入る隙がなく、
のろいなりに淡々と読めるのではないかとちょっと思うけど、どうやろか。

筋トレはわたしには結果が全然出なくて(筋肉つかない・・・)
楽しくないし好きじゃないけど、
それに比べたら心を少し鍛えるくらいできそうなものなのになー。
頑張ってもう少し、たりない方向へ鍛えよう。

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