教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

全国地方教育史学会第33回大会雑記

2010年05月27日 21時07分25秒 | 教育研究メモ
 激烈な体調不良のため、ちょっと時間があきましたが、先日の土日について。全国地方教育史学会第33回大会に参加・発表してきました。
 22日(土)、大会第1日目。九州大学大学文書館の主催による資料見学会に参加しました。まず、九州大学大学文書館の職員諸氏から、同館の事業等について説明を受けました。とくに、S氏がおっしゃった「大学史はその大学の存在証明である」という主張には、まさにそうだと首肯させられました。大学の年史を関係者による文集的な内容にしてしまうところも少なくないように思いますが、その大学は自校のためにも、時代ごとにどのような役割を果たしてきたかきちんと押さえなくてはならないのではないか、と改めて思いました。説明後、同館内の施設を案内され、九州大学の各部署から集められた諸書類の保管状況を見て回りました。なお、当日は、九州大学史料室(同館の前身)のパンフレット、『九州大学大学文書館ニュース』第30~34号、および『九州大学大学史料叢書』第18輯(米国人文科学顧問団記録を所収)が配布されました。
 夕方からは、古い酒蔵を改装した店内での懇親会に参加。従来から交流のある方々との再会だけでなく、新しい出会いのある懇親会となり、近年にない充実した会でした。とくに、常々お会いしたいと思っていた沖縄教育史(教育会も研究対象とされている)研究者であるK氏とかなり交流できたのはラッキーでした。K氏からは、学生が以前私が公開していた資料を使っていたとうかがったのは、驚きました。また、K大のTさんから、私の「大日本教育会・帝国教育会の群像」の某記事がご自身の研究に役立ったことを伺い、とてもうれしく思いました。研究成果を公開することの意味の大きさを感じ、やり続けてきてよかったと思うと同時に、その責任の重さを感じさせていただきました。
 23日(日)、大会第2日目。私は、第1会場にて、「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員の問題関心―地方教育雑誌『東伯之教育』を用いて」と題して、発表しました。明治期倉吉の教育・教員の実態について、全国の教育史研究者へ少し情報提供することができたのではないかと思っています。発表後、さまざまな意見やアドバイスをいただき、今後の研究に資するところ大でした。とくに、教員検定を研究されているI氏から直接アドバイスいただけたのは幸運でした。また、H氏から、『東伯之教育』という貴重な史料を発見し研究したことを評価していただいたのも光栄の限りでした。
 そのほか、同じ部会で発表されていた、明治初期における漢学師匠の役割変容をめぐる地域の反応、昭和期奈良の小学校における学力不足児対象の特別学級開設についての発表を聴き、それぞれ資料を収集しました。その他、発表は聴けませんでしたが、いくつかの発表資料を収集しました。また、抜き刷りを下さった先生方、ありがとうございました。
 その後、公開シンポジウム「福岡における地域と大学の歴史」に参加しました。そこでは、九州帝国大学(九州大学)・明治専門学校(九州工業大学)・福岡高等商業学校(福岡大学)の3校を事例に、それぞれの大学の地域における歴史的役割が検討されました。戦前から高等教育機関が多様であった福岡の地域性が見える内容でした。自分のこれまで住んできた愛媛・広島・鳥取における高等教育機関はどうだったのか、というような新しい興味がわく、いい機会でした。
コメント
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