ちょっとは楽になったかな、と思ったらそんなことはなかった。相変わらず記事にできないことばかりで(本務)、一日が終わっていきます。もう明日には12月になってしまう…。
さて、本日は、拙論の紹介を簡単にしておこうと思います。
去る11月25日に、梶山雅史編『続・近代日本教育会史研究』(学術出版会、2010年、定価6,400円)が発行されました。これは梶山雅史編『近代日本教育会史研究』(学術出版会、2007年)の続編です。全体の構成などは、学術出版会HPの広告を参照してください。ただ一言感想を言わせていただくと、今作は(いや、今作も)各論攷の内容が充実しているなぁ、というのが正直な感想です。自分も関わっている本のことをそう言うのは変な感じですが、教育会史研究の発展を願っている一人としてはとてもうれしい内容になっています。私の論文を読め、と言うのはおこがましいですが、明治期の教育会に興味がある人には、ぜひ第2章・第3章・第4章の連関(明治中期の教育会運動の全体像が見えてくる)は読んでほしいと思います。他にも面白い章ごとの連関がありますので(例えば第9章・第10章・第11章の連関)、自分なりの読み方を見つけてみて下さい。私も、読む時間ができたら(…)、全論文をもっとちゃんと読みたいです。
さて、同編著の第3章に所収された拙稿「全国教育者大集会の開催背景―1880年代末における教育輿論形成体制をめぐる摩擦」(109~132頁)の概要について、簡単に説明したいと思います。論文構成は、以下の通り(漢数字は半角数字に、章節の通し番号は自分流に修正しております)。
はじめに
1.1880年代末の教育社会における輿論形成体制の整備
(1) 教育社会における輿論形成論の勃興
(2) 大日本教育会における輿論形成体制の整備
2.大日本教育会の輿論形成体制の問題
(1) 教育会組織の統合をめぐる論争
(2) 地方会員の不満の顕在化
(3) 輿論形成体制に対する不満の構造
3.大日本教育会の方針転換―地方教育会との連携
(1) 関西教育大懇親会の開催
(2) 関西教育協会結成に対する賛否両論
(3) 教育会相互の関係づくり―全国教育者大集会の開催へ
おわりに
拙稿は、上記の構成にもとづいて、明治23(1890)年5月に東京で開催された全国教育者大集会の開催背景(主催:大日本教育会)として、1880年代末における教育輿論形成体制をめぐる論争と動向を明らかにしたものです。明治23年に予定された帝国議会開設を見据えてこの時期におこった、教育関係者間における対立とその克服が、以後の教育会を担い手とした全国運動の展開を準備した、という立場から書きました。なお、副題の「輿論(よろん)」という言葉は、「世論(せろん)」と一応区別しています。「輿論」(公論)は公開討議された合理的意見を指す言葉、「世論」は大衆の感情的雰囲気を指す言葉として使っています。(なお、この使い分けについては、佐藤卓己『輿論と世論―日本的民意の系譜学』新潮選書、新潮社、2008年を参照。とても面白い本です。おすすめ。)
本当はもう少しちゃんと紹介したいのですが、今日はこの辺で。教員を含む教育社会の形成過程や、専門的職業としての教職の確立にも関わる研究だと思っています。もしよろしければ、手に取って読んでみて下さい。
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