教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

教育を受ける時の心構えについて

2019年11月11日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 教育の成果は、君たちの中で生じる。つまり、誰あろう君たちが、教育の成果を得るのだ。教育の成果とは、知識技能や資質能力、意欲態度、人格形成、いずれにしても自分の生き方を変えることである。
 教育を受けるためには、自分を変える覚悟を!

 教育は教育的関係を通して行われる。教育的関係においては、教育者だけでなく、教育を受ける者もまた主体である。今の自分を変えたくない者は、そのまま自由に生きればいいので、教育を受ける必要はないだろう。
 「なぜ教育を受けるか」という問いは、「今の自分をなぜ変えたいか」という問いであり、「どう教育を受けるか」という問いは、「今の自分をどう変えたいか」という問いである。「○○になりたい」とか、「○○の資格免許を取りたい、卒業したい」では、回答としては不十分である。「○○になる、○○の資格免許を取るために、自分はどう変わらなければならないか」という問いに回答しなければならない。一人の主体者として、この問いに答えようとすることが、本当に教育を受けることにつながる。教育を受ける権利や学習する権利を行使するということは、そういう姿勢をもった上ではじめてできることではないか。
 なお、教育を受ける前に答えを出している必要はないし、もし答えを出すとしても、その答えは流動的な答えであってほしい。教育を受ける中で、答えを出すための支援やヒントを得て、答えの質をより的確に、より深くすることが大事だからだ。教育を受けるには、「問いに答えようとすること」、そういう学問する姿勢があれば十分である。むしろそういう学問する姿勢がなければ、教育を受けようとしても苦痛なだけ、時間のムダである。
 学問する姿勢をもつことは自然にできることではなく、簡単ではない。教師は、教育的関係を結ぶ時に、学習者が学問する姿勢をとれるよう、適切に支援する必要がある。教師として責任をもって、学習者の問いに応答する必要がある。

 教育は、本当の意味で相互行為になる必要がある。話し合う、対話する、という意味だけでなく、問いかけ、応答するという意味において。


キーワード:教育的関係、主体性、他者性、教育を受ける権利、学習権
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする