教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

師範学校卒教員と検定教員

2010年08月19日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 夏休みに入ったのに、公務に研究に、毎日忙しくしております。ご無沙汰しております。
 本日、ようやく学会発表の準備ができました。何やかんやでなかなか取り掛かれなくて、間に合うんだろうかとひやひやしておりましたが、間に合ってよかったです。

 今週土日、日本教育学会第69回大会が広島大学で開催されます。22日(日)の午前の部で発表します。題目は「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員集団の組織化過程-師範卒教員と検定教員との衝突・分離・合流」としました。明治30年代といえば、小学校教員をめぐるさまざまな状況がそれまでと大きく変わってくる時代です。教員のサラリーマン化や「師範タイプ」の問題化、社会主義・自然主義・個人主義の流行など、あまりいい評価のない時代ですが、小学校教員の集団のあり方についてはそれほど研究がされていないと思われます。
 副題にある師範卒教員というのは、師範学校卒業の小学校教員、という意味です。今では教員養成は大学で行われていますが、戦前では基本的に師範学校というところで行われていました。師範学校卒業生は、制度上、教員集団の指導的立場を期待された人々です。ただ、当時の小学校教員は待遇が悪く、ほかに転職する道もあったので、師範学校卒業生は服務義務期間を終えるとやめてしまうのでそれほど多くいなかったのが実情でした。服務義務とは、公費で師範学校を卒業した者は、卒業後に一定期間(時期や対象者によって違いますが、5年~10年ほどです)教職に就く義務があったことをさします。
 検定教員とは、師範学校卒業生以外で小学校教員検定を受けて教員免許状を取得して教職に就いた人を指します。当時、小学校教員になるには、小学校教員検定を受けて免許状を取得する必要があったのですが、検定には無試験検定(甲種)と試験検定(乙種)とがありました。無試験検定は、試験をしないで、学歴や人物・品行などの検定のみを行うものです。師範学校卒業生も無試験検定を受けて免許状を取得するのですが、彼ら以外にも無試験検定を受けられる人々(中等教員免許状を持つ人や、時期によっては中学校・高等女学校卒業生など)やがいたので、そういう人たちが免許状を取得して小学校教員になりました。同時代の統計などでは、そういう人たちと師範学校卒業生とは区別されることが多かったようです。試験検定は、学力試験などを行って検定するものです。かなり合格するのは難しい試験だったようです。
 発表は、これら師範卒教員と検定教員とのかかわりを視野に入れて、激しく変動する明治30年代初頭において小学校教員集団がどのように変容したのか、を明らかにするものです。たぶんこういうテーマをしている人はあまりいないんじゃないかな、と思います。教員史研究の分野では、教員養成や教員検定、現職講習の制度を研究されている方が今のところ多いですし、教員社会に興味があっても量的研究や生活史のアプローチが多いところです。

 内容は思っていた以上にかなり面白くなりました。というより、かなり重要なことがわかった、と自分では思っています。倉吉という特殊な地域を事例にしてはいますが、「師範卒教員対検定教員」という対立図式の歴史的意味や、小学校教員集団の変容実態について、予想していた以上に明確に出てきたので、自分でも驚きました。郡教育会解散・再編問題が内容の肝ですので、私お得意の教育会の話も聞けます(笑)。
コメント
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