(猛烈な暑さ、左膝の損傷、そしてツレアイ不在ということもあり、自宅でTVを見ながらゆっくり過ごした今年のお盆でしたが、今日は大阪でも朝から雨が降ったり、雷鳴が聞こえたりしていて一日中自宅に籠って、パソコンに向き合っていました。)
毎日新聞の16日と17日に掲載された「戦争トラウマ」というコラムを非常に興味を持って読みました。
従軍して戦地を経験した人の多くが、トラウマを抱えていてPTSD(心的外傷後ストレス障害)/アルコール・薬物依存/自傷行為/家族への暴力など様々な形で現れるが、「無口で笑わない」とか「当時のことは一切話さない」などの症状にも表れるのではないかという記事でした。
我が家のことを思い出すと、父母共に小学校の教師をしていて直接的には従軍はしていないのですが、共に戦争当時のことは殆ど話そうとはしませんでしたし、当時教わった先生方にも積極的に戦争時の体験を話して下さる人はおられなかったと思います
辛かった時のことは思い出したくないのだと思って、私も積極的には聞こうともしませんでしたが、この記事を見て、不意に気づいたことがあります。
それは、従軍していなくても、同じように戦争に対するトラウマを抱えていたのでは? と言うことです。
即ち、母親の方は終戦と共に神戸市での教師生活を止めて、宍粟市の実家近くに家族共々疎開して、近くの小学校の教師として働いていました。
一方父親の方は、神戸での教師をしていましたが終戦前には児童を引き連れて兵庫県作用町のお寺に集団疎開の生活を送ったようですが、戦後は引き続いて同じ小学校で教師の道を続けました。
想像するに、二人ともに教師として戦争開始前後は、国策としての戦争賛美の教育を余儀なくされると共に、教え子たちを戦争に駆り出すような教育方針に従わざるを得なかったことでしょう。
そして、戦後は共に小学校の教師として、一転して民主主義を説かねばならない立場になったことも事実でしょう。
如何に家族を養うためとはいえ、同じ人間が180度異なった教育をせざるを得なくなった立場や、まして教え子たちを戦場に駆り立てるのに協力したという事実はぬぐえないものであり、両親というか当時の教師たちの苦悩と後悔の心境を察するに余りあります。
また、この気持ちは例え教育ではなく、家業や家事に従事していた人も、子供や周囲への言動体験を通じて同じように持っておられるのでしょう。
そんなことを考えると、例え戦場に行かなくても戦争というものは、多くの人に深いトラウマを負わせる残忍で非道なことなのだと改めて感じざるを得ません。(まさ)
深刻なことを書き込みながらも、豊かな食材を享受している今日の夕食です。 運動量が少なかったので、控えめメニューで酢豚・カツオのタタキ、冷奴
酢豚 たっぷりの野菜と量も二人前です
カツオのタタキ これもタマネギや香味野菜がたっぷりです