老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

学生時代のアルバイトの想い出  ~甲子園球場など~ 

2022年08月09日 19時26分47秒 | 思い出すままに

 先日、最低時給が30~31円引き上げられて全国平均では961円位なりそうとの記事を書きながら思い出したのは、私の学生時代のアルバイトのことでした。

 私の学生時代と言えば、60年程も前になる1960~1964年で、丁度日本の経済復興が進行中でした。

 大学生定番の家庭教師は、2件持っていてこちらの方は、1件当たり毎週2時間程度で5,000円/月程度だったと思いますが、当時は国立大学の学費も安くて現在では想像もできないような年間9,000円(1963年に12,000円に増額)だったし、大卒の初任給が15,000円程度だったので、下宿代や食費の要らない自宅通学の身としては十分に余裕があり、良き時代でした。

 というわけで、当時の殆どの学生が覚えた麻雀にはまり込み、昼は学校よりも雀荘にいる時間の方が多かったり、時には自宅や友人宅でのテツマンをしたりしていました。


 また、この当時に良くしていたアルバイトは甲子園球場でのバイト

 偶々同級生がこの仕切り屋をしていたので、頼まれたり頼んだりして、良くバイトをしました。

 殆どが入場口での「切符のモギリ」でしたが、時には5回表終了後のグランド整備にも駆り出されてトンボを手にして内野を整地していました。このバイトの想い出は多いです。

・プロ野球(ナイター)の場合は、5時前から試合終了まで約4時間で500円程度だったと記憶しています。(1時間当たりではなく日給なので、時給にすれば100円チョットです。但し最寄駅から甲子園までの阪神電車の切符付き)

・安い日給でしたが、色々な特権がありました。(現在では無理でしょうし、もう時効でしょうから公開しますと・・・)

☆心安くなった職員さんに頼むと、選手(当時は、長嶋や王選手の人気絶頂の時でした)の色紙を入手してくれて、これを知人などに売却したこともありました。

☆また、「切符モギリ」の特権としては、タイミングを見ながらですが、知人などを素通り入場させることが出来ましたので、時には飲み屋の知り合いを入れて後で飲み代を安くしてもらうということもありました。

・現在開催されている高校野球などの場合は勤務時間が長いので、もう少し給料は高かったと思いますが、何しろ朝が早いので、球場内にある部屋で泊まったりすることもありました。

 勿論大部屋での雑魚寝ですが、その時にはプロの選手なども使用する大きな風呂が使えましたし、夜は浜風が涼しい客席で酒盛りをしたというような記憶もあります。


・更に学生時代のアルバイトと言えば、年末の百貨店でのアルバイトもしたことがあります。

 確か、友人に「百貨店の学生アルバイトは、モテルらしいで・・・」と吹き込まれて、よからぬ希望を抱いてのバイトでした。

 給料はどれくらいだったのか覚えていませんが、金が入るのだからと大きな気持ちになり、帰りには近くにある飲み屋街立ち寄って(※)翌日は二日酔いで勤務という状態続きで、モテルどころか叱られてばかりいたということしか記憶していません。
 ※ スナックのような所で、確かビールの小瓶が150円、おつまみ100円程度で、アルバイト代でも飲めました。(まさ)




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
まさ様 (yoyo)
2022-08-09 21:08:05
懐かしいお話でした。私の頃は学生運動の盛んな時代(1966~70)、授業はほとんどなくて・・・学生援護会?でアルバイトを紹介してもらっておりました。バイト代を貯めてユースホステルを利用して旅行するのが楽しみでした。
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Unknown (まさ)
2022-08-10 10:59:25
yoyoさん。ありがとうございました。
古い話は、体系的でなく、ポツンポツンと継ぎはぎのように思い出すことが多くて、yoyoさんの学生援護会で思い出したことがあります。

私が就職先を探していた1963年は高度経済成長の先駆け期とでも言うべき時代で、東大新聞を基盤として江副氏が「大学新聞広告社」(リクルート㈱の前身です)を立ち上げて、大学生向けの就職案内雑誌を各大学の生協などで無料配布をし始めた年で、時代の変化を感じたものでした。(まさ)
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