老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

?家風に合わない?

2019年07月03日 20時35分23秒 | 高齢化社会での生活・終括・社会保障など
 最近、我が家では「家風に合わない」と言う言葉を遣うことが多くなりました。

 こんなことを言うと、“そんなエエ家か?”と思われるかも知れませんが、私が遣う「家風(かふう)」は、本来の意味での“個々の特定の「家」において世代を越えて踏襲される固有の慣習・流儀などの行動様式”とは全く違い、ある意味では自分の財布に見合うかどうかという経済的な場面で使う事が多いのです。


 即ちツレアイの病気進行と共に、買い物は殆どの場合一緒に出かけていますが、ツレアイは段々と物の価格や金銭感覚が理解しにくくなっており、つい価格や品質などを考慮せずに買い物カゴに入れようとするのです。

そ んな時に、周囲に人が多い場合には、「これは高すぎる!」とか「それは要らん!」とかの直接的な表現がし難い場合もあり、そんな時にこの「我が家の家風に合わない」という言葉を遣うようにしています。

 最初は何のことか理解できていなかったツレアイも、漸くこの言葉に慣れてきたのか、最近ではこの「家風に合わない」と言う言葉を聞くと、穏やかな表情で同意する様になってくれました。

 所で、現在の“家風に合わないもの”と、“家風に合うもの”の大まかな仕分けは下記の様です。

  <家風に合わないもの>     <家風に合うもの>
 霜降りの国産和牛         輸入牛/豚肉/ラムなど
 イセエビや生きたままの魚介類   アジ/イワシ/サンマや切り身の魚
 一個売りの高級果物        一盛り幾らの果物
 本物のビール           発泡酒か第3のビール
 ブランド品            ユニクロ/しまむら/ダイソーなどの商品
                 (時には無印良品などが飛び入りで入ることもあります)

 という所ですが、老後に取り崩すべき貯蓄が2千万円には縁遠い我が家では、“家風に合わないもの”が更に増えて行く恐れが多分にあります。

 今後は、沢山ある選択肢の中でまるで私が主導権を持って選んでいる様なニュアンスの“家風に合わない”ではなく、もっと正直に、選択肢の無い「これしか手が出せない」を意味するような、別な言葉を準備しておかねばならないかも知れませんね。(まさ)