東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

京都市 幕末・明治維新に思いをはせる旅(2/8) 三十三間堂,南禅寺

2015年10月09日 | 歴史探訪他ウォーキング

訪れた京都市内の幕末・明治維新に関わる史跡などです。それぞれをクリックしてください。
 1.寺田屋,伏見    2.三十三間堂,南禅寺  3.水路閣,吉田松陰詩碑
 4.池田屋,近江屋  5.壬生屯所跡,蛤御門  6.京都霊山護国神社
 7.霊山歴史館     8.佐久間象山遭難碑

 二日目最初、約50年ぶりでしょうか、三十三間堂に京都駅から歩いて行きました。この日は、雲がほとんど無い秋晴れでした。京都駅を東へ歩いて、鴨川を渡りました。都会にも関わらずとても綺麗な流れでした。魚や野鳥がいそうでしたが見えませんでした。橋を渡っていると南側に新幹線が走っているのが見えました。
 三十三間堂近くに来ましたが、入口が分かりませんでした。どうも反対側に来てしまったようです。近くの方から、東側を回り込んで歩いていくと良いと教えていただきました。東側を回り込むと、三十三間堂を囲む朱色に塗られた建物がとても綺麗でした。教えていただいて良かったです。

 秋晴れの京都駅をスタート    綺麗な鴨川を渡る       三十三間堂を囲む建物
  

 しばらく、三十三間堂の東側を回り込みながら歩いていると、時間があれば訪れてみたいお寺がいくつかありました。三十三間堂の入口は北側にありました。入口には観光バスが駐車できるような広場がありました。拝観料を払い中に入りました。さすがに、修学旅行生や外国の方々が多く来ていました。150年前、幕末の志士達もここを訪れていたのでしょうか。弓の使い手はここで通し矢をしたのでしょうか。

            三十三間堂の西側軒下、ここで北から南側に向かって通し矢


 三十三間堂内は撮影禁止でした。そのためか、数多く安置された仏像をじっくり見ることができました。創建されたのは平安時代後期平清盛の頃で、その約30年後に鎌倉時代となります。平安時代最後にふさわしい建物だと思います。創建当時はこれらの仏像は金色に輝いていたでしょう。戦国時代や幕末動乱期を含む900年間、この建物が残ったのは代々のお寺の方々が大切に守ってきたからだと思います。

   三十三間堂東側       東京板橋の修学旅行生達     三十三間堂入口側
  

 三十三間堂の東側を歩いていると、修学旅行中の仲良しグループがいました。声をかけて家族写真を撮ってもらいました。そして、お返しに彼らを撮ってあげました。東京板橋区から来た生徒さん達でした。

    南禅寺の勅使門        南禅寺の巨大な三門        苔がいっぱいの庭
  

  約50年前、私も修学旅行でここを訪れたことを思い出しました。当時、お寺や仏像にまったく興味がありませんでした。こうして私が三十三間堂のような伝統ある建物を深く鑑賞できるようになるには、数十年の月日が必要でした。他の方々はどうなのでしょうか。
 今から150年前、維新の志士達もここを訪れたのでしょうか。勤王,討幕,佐幕などに忙しくて、拝観する余裕は無かったのでしょうか。それとも、密かに願かけにでも来たのでしょうか。次に南禅寺に行きました。

                 三門に続いて現れた巨大な法堂


 南禅寺の勅使門を入って、すぐに巨大な三門が出迎えてくれました。東大寺ほどではありませんが、圧倒的な大きさです。この三門はいったん通り過ぎて、法堂に行きました。これまた巨大な伽藍です。
 ふと足元の庭を見ると地表は苔で覆われていました。梅雨の時期に訪れると、その美しさが分かるのではないでしょうか。次に南禅寺内の南禅院に向かいました。

                 今回訪れた京都の町並みとコース


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