東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 高松八幡宮 夏祭り 御神幸とお迎え提灯 2017(6/9)

2017年07月28日 | ふるさと
 続いて麻郷団地に行きました。麻郷団地は、麻郷において泊団地の次に開発された団地ではないかと思います。私が子供の頃は、細い道と丘しかない寂しい場所でした。また、東側の端には焼場がありました。その名残としてたくさんのお墓があります。麻郷団地の次に、福好氏前に行きました。福好氏はその昔お店でした。学用品などをよく買っていた記憶があります。

 41.麻郷団地に到着     42.お店だった福好氏前    43.蓮輪小林氏前
  

 福好氏前を過ぎると、蓮輪地区に入り小林氏前に行きました。狭い場所にたくさんの方々が待っていました。続いて、塩谷万谷氏後に行きました。今は蓮輪ですが、かつては塩谷地区と言ったようです。江戸の初めか、もっと昔に塩谷氏が開墾した地域ではないかと思います。開墾した一族の名前を拝したと思われる地区名が少なくありません。例えば、塩谷、惣田、下山、広原、川添など数多くあります。この地区の丘の上に、塩谷天王社の祠があります。

            44.塩谷万谷氏後に集まった方々


 塩谷万谷氏後の次は、鳥越地区に入りました。そして、池迫氏前に行きました。この場所は、私が小学生の頃の通学路でした。周辺には二毛作の田んぼが広がっていました。今は工場の塀ばかりで田んぼはありません。続いて、高塔地区の村武氏前に行きました。とは言え、ほとんどは旭地区の方々が待っていました。

  45.鳥越池迫氏前      46.村武氏前       47.櫓氏前
  

 次は、櫓氏前です。今は住宅が多く建っていますが、昔は寂しい場所でした。小学生の頃、ここを下校していたことがあります。続いて庄山地区に入ります。そして、中屋氏横に着きました。この近くに同級生の家があったため、下校時や休日によく来ました。その同級生の家は、茅葺屋根の家で中から上を見上げると茅葺の骨組みがよくみえました。明治時代に作られた民家ではなかったかと思います。

      48.庄山中屋氏横              49.庄山橋
 

 次に庄山橋に向かいました。お神輿は、庄山橋手前で止まりました。その昔、古代のおいて庄山と川添は島でした。そして、尾中と庄山の間は狭く浅い海峡だったようです。海の幸が豊富だったのでしょう、今のスポーツセンター近くに多くの人が住んでいたようです。その証拠として、山崎原遺跡があります。当時は、海や島や湾が入り組む素晴らしい風景が広がっていたのではないかと思います。いわば伊勢志摩のような光景だったのではないかと想像されます。

          高松八幡宮夏祭り御神幸のコース

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