東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

上関町 城山桜まつりを楽しみ、長島をあちこち散策(2/2)

2016年03月02日 | ふるさと

 上関の中ノ浦海水浴場を出ると、山深い道を通って、白井田に行きました。白井田はこれまで何度か行ったことがあります。直近は6年前に来ました。それより10年位前も、まだ東京に住んでいた頃にバイクで来たことがあります。その頃、中ノ浦の山の西側斜面にはたくさんの棚田がありました。そして、その棚田を歩いたことがあります。しかし今、棚田があった場所は雑木林になっています。とても棚田があったとは思えません。

   白井田の細い道      旧白井田小学校の校門   校門から白井田街を見て
  

 なつかしい白井田に着きました。多くの海辺の街と同じように、生活道路がとても狭く入り組んでいます。昔はせいぜい牛や馬が通れる道で十分な道幅でした。そのため、今のようなモータリゼーションには合いません。白井田の細い道をどんどん上がると、旧白井田小学校の校門に着きます。その校門から見下ろすと、白井田の街全体を見下ろすことができます。校門の南側には広々とした校庭が広がり、その上には旧校舎が建っています。ですが、前回私が来たときよりも、校舎は傷んでいました。10年以内に全壊するのではないでしょうか。昭和20年代には300人もいた生徒、20年位前に統合される時には7人まで減っていたそうです。

         広々とした校庭を見下ろすようにある、旧白井田小学校校舎


 懐かしの旧白井田小学校を出ると、ふたたび白井田の港に戻りました。街から突き出るようにある山上にある新宮大明神に行ってみました。急な坂道を登ると、すぐに頂上の広場に着きました。どの町にもあるように忠魂碑が建っていました。
 ところで戦時中、この周辺の海で訓練中の回天が沈没したそうです。そして、戦後この白井田地区の海岸にその沈没した回天が台風で漂着したとの事です。2011年、白井田に慰霊碑か建立されました。

    新宮大明神への急な坂道          真下に海がよく見渡せる新宮大明神
 

 白井田を出ると、峠を越えていったん蒲井に出ました。10年以上前、この峠で畑仕事をしているお婆さんに出会いました。この峠周辺にはサツマイモを中心とした広大な畑があったとのお話しを聞きました。その畑近くを今回通ってみましたが、畑はすべて藪に覆われていました。そのお婆さんの畑も藪に覆われていました。
 蒲井を通過すると四代に行きました。私は何度もこの四代に来たことがあるので、周辺の海は見慣れていました。初めて四代に来た仲間は、周辺の見事な海の景色を楽しんでいました。四代に着くと、車を降りて休憩しました。しばらく休憩すると、室津に戻りました。そして、四階楼のUさんに逢いました。そして、5月のウォーキングなどについて談笑しました。四階楼を出ると、道の駅に行きました。道の駅でいろいろお話を伺うと、上関町には史談会と呼ばれる会と朝鮮通信使に関わる会の二つのグルーブがあることに気が付きました。今後いろいろ交流できればと思います。道の駅を出ると、田布施に戻りました。

              今回散策した上関町のルート


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