東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 城南 潤田~西山~大田方面史跡巡りウォーキング(3/4)

2016年12月05日 | 歴史探訪他ウォーキング

 後西山を出ると、前西山の隠寮さんに行きました。隠寮さんすぐ近くを歩いていると、妙福寺でお会いした方が家から出てこられました。隠寮さんについて少しお話しを伺いました。それは、隠寮さん横に小さな神社がかつてあったそうです。ところが、道を拡張した時に位置をずらしたそうです。それが、隠寮さんの後にある今にも崩れそうな小さな建物(お社)とのことです。

  西山隠寮さんに向かう   崩れそうな神社建物     西山隠寮さんの内部
  

 西山隠寮さんに限りませんでが、道を拡張するために移動したお堂やお地蔵様の話はよく聞きます。江戸時代はせいぜい牛や猫車が通る幅の道でした。しかし、明治以降、自動車を通すために真っすぐで幅が広い道が作られるようになりました。その過程で、移動せざるを得ないお堂,お地蔵様,そして祠が少なくなかったのです。

          お地蔵様右横の道が古い神社の参道と思われる


 西山隠寮さんを見学すると、道を西へ西へと進みました。しばらく歩くと、大田へ向かう脇道を降りました。下見時、雑草が生え放題でとても歩きずらい道でした。ところが、雑草が刈ってありました。M君が暇をみて刈ったそうです。M君、ありがとうございます。

  大田への脇道を下る   雑草が刈ってあった山道    大田地区に出る
  

 イノシシが出るような道をどんどん進むと、田んぼが見えてきました。刈り取り後のひこばえが実っていました。かつては、ひこばえのお米も収穫していたことがあったそうです。あちこちにイノシシが掘り返した跡がありました。

         ひこばえが実った大田地区の田んぼ


 大田地区の田んぼをどんどん歩くと、川に出ました。川沿いの道をしばらく進み、丘の上にある大田地区集会所でもある虚空堂に向かいました。この頃になると、少し足が疲れてきました。

     今回歩いた、田布施町城南の原,潤田,西山,大田のコース


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