東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町 大野~日向平棚田~神護寺を散策

2013年01月24日 | 歴史探訪他ウォーキング

 今年の9月に柳井市伊保庄から歩いて大星山に登り、平生の神護寺方面に下るウォーキングを計画しています。だいぶ先の話ですが、神護寺の場所をよく知りません。今回、その神護寺付近を散策してみることにしました。最初、平生大野から大星山方面に出かけてみました。

    楼門が立派な常春寺(大野南)           大野郵便局から大星山を見て
 

 神護寺に行く前に、大野南にある常春寺に寄ってみました。この寺の楼門は二階になっており、なかなか立派です。次に、常春寺すぐ近くの大野郵便局に行き、そこからまっすぐ神護寺に向かいました。地図を見ながら進みましたが、道を間違えてしまいました。案内版があったのに見落としてしまいました。

      神護寺への案内板                 日向平の棚田に寄る
 

 曲がりくねった急斜面の山道をどんどん進むと、神護寺入口の案内板がありました。しかし、すぐに神護寺に行かないで日向平の棚田を見ることにしました。ここの棚田は、山口県の棚田20選に入っています。神護寺と同様に一度見たいと思っていたので寄り道してみました。神護寺入口から500m位離れた所に棚田がありました。

             神護寺入口から500m位離れた所にある日向平の棚田

 日向平の棚田は、冬でしたので稲が栽培されていませんでした。夏にもう一度来てみたいと思います。さらに、上の方にも棚田が続いているようでしたが、今回は場所を確認しただけです。棚田をざっと見終わると、神護寺に向かいました。

     神護寺と箕山への入口               神護寺手前にある棚田
 

 神護寺に向かうと、その手前にこれまた立派な棚田がありました。その棚田を横に見つつ進むと、神護寺がありました。この神護寺には、いわれのある銅鐘があります。その鐘の近くに、いわれが書かれた衝立がありました。それを読むと、明治初期の廃仏毀釈で石城山にあったものがここに移転したきたと書かれていました。そう言えば、この正月に石城山に行った時に、神護寺跡があり、平生大野に移転したとの記述がありました。

       明治4年に石城山から移転した銅鐘、第二奇兵隊員も鳴らしたのでは


 幕末、第二奇兵隊は石城山の神護寺に駐屯していました。この銅鐘も石城山にあったはずです。おそらく、当時の奇兵隊員もこの鐘を鳴らしたのではないかと思います。石城山にあった神護寺はいくつかの宿坊もありました。規模の大きいお寺ではなかったかと思います。廃仏希釈で廃寺となった石城山の神護寺、ここで修行していたお坊さんたちは残念でたまらなかったのではないかと思います。

     人が一人、潜り抜けられる大岩             箕山,大星山へ続く道
 

 神護寺横には、箕山や大星山に続く山道があります。少し登ってみました。以前は車が通ることができたようです。幅広い急坂の道が上へ上へと続いていました。急坂を休まず歩くと、息があがります。大星山への道を確認できたので、今回はその山道の途中まで行くだけにしました。神護寺から降りていると、平生や田布施方面を見渡すことができました。平生街の野島や玖珂島,そして田布施川がよく見えました。

  下見と本番ウォーキングで、伊保庄福井畑から登りこの神護寺に下る予定

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