天満宮を出てしばらく歩くと、渡船場へ向かう十字路に着きました。その十字路傍に屋根付きのお地蔵様一体と大小四体のお地蔵様が安置されていました。どんな由来があるのか付近を調べてみましたが、ありませんでした。これらのお地蔵様を安置した時、何らかの理由があったはずです。後世のため由来を残して欲しかったです。続いて海商通りを歩いて普賢寺に向かっていると、早長八幡宮が見えてきました。参道に茅の輪がありました。その輪をくぐって本殿を参拝しました。この八幡宮のお祭りはよくテレビで放送されます。参道が綺麗に掃かれていました。そのため、今でも地元の方々が大切に守っている神社であることが分かります。
茅の輪をくぐって早長八幡宮を参拝
早長八幡宮を出ると、向かい側にあるお饅頭屋さんに行ってみました。ここでよくお饅頭を買いました。残念ながらお店は閉じていました。しばらく歩くと、高札場跡に付きました。ここは三字路になっており、昔はたくさんの人々が行きかっていたのでしょう。そのため、目につくこの場所に高札が建てられていたのだと思います。さらに海商通りを歩いていると、対面の松とその由来を示す石碑がありました。
渡船場近くのお地蔵様 対面の松と石碑 海商通りの石の列
その後、防陽八十八箇所霊場の一つである専光寺に着きました。このお寺は、のちに石城山で第二奇兵隊となった南奇兵隊が創設された場所です。明治維新にゆかりのあるお寺です。さらに歩いていると、光ふるさと郷土館に着きました。しかし、訪れたのが月曜日でしたので、他の博物館と同様に休館中でした。本番ウォーキングでは中を見学できるかも知れません。以前来た時、主に船に関わる資料が充実していたように記憶しています。
明治維新ゆかりの専光寺 休館中だった光ふるさと郷土館
海商通りを歩いていて気が付いたのですが、道の両脇に小さな四角の石が列をなして埋め込まれていました。五つ並んだり、七つ並んだりと海商通りの両脇に並んでいるのです。昔商家があった入口に埋められたのか、商家の区別をするために置かれたのでしょうか。石は海商通りだけに埋められているようでした。海商通りに面している家の方に聞いてみましたが、分からないとのことでした。本番ウォーキング時に光ふるさと郷土館で聞いてみようと思います。今回下見ウォーキングに参加された方々お疲れ様でした。
今回下見をした峨眉山~室積街の史跡巡りコース