ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

実は座右の書を持つことは、仕事をするうえでも直接的に役に立つ。

2009年10月15日 | Weblog
「凡人が一流になるルール」齋藤孝著より。

齋藤氏はこの項目(=ルールとしては「座右の書を持つ」)の最初のセンテンスで「みなさんは、普段から何度も読み返すお気に入りの本を持っているだろうか?」と投げかけている。

もちろんこの場合、本なら何でもいいというわけでもないだろう。繰り返し読むに耐えられるものである必要がありそうだ。でも、一生つきあえる本はどのようにして出合えるのだろうか・・・

個人的に今すぐに思いつくものとしては、「道は開ける」(デール・カーネギー著)だろうか。もう30年以上前から書棚にあって、部分的に何度か読み返していた一冊だった。これは世界的なロングセラーの本でもあった。

渋沢栄一にとって、座右の書は「論語」だった。彼は「論語を」自分の血肉になるレベルまで読みこんでいたから、いろいろな判断をする際に大いに役立ったようだ。

しっかりとした判断基準ができていればこそ、自信をもって仕事を進めることができ、またスピーディーに遂行することもできそうだ。いざという時に役立ちそうな、心のよりどころになる一冊は持ちたいものだな。

自分の能力を発揮しやすい場所に身を置こうとする・・・

2009年10月14日 | Weblog
「凡人が一流になるルール」齋藤孝著より。

これは渋沢栄一ルールの部分にあったフレーズだった。日本資本主義の父と言われる渋沢栄一(1840~1931)は、生涯で500社余りの企業と、600余りの社会福祉関係事業の設立にかかわっていた。

一例として、第一国立銀行(現・みずほ銀行)、東京海上火災保険、東京ガス、東洋紡績、サッポロビール、キリンビール、帝国ホテル、東京証券取引所、東京商工会議所・・・。

そんなところから、齋藤氏はお札の図柄にもっとも相応しい人物だと思っているようだ。そう言われれば、いままで文学者などが何度かお札の図柄になっているが、渋沢は忘れられていたようだ。

渋沢は大蔵省で目覚ましい活躍をしたが、自身はむしろ実業界が向いていると考えていたのだ。そこで、ここでのルールは「自分の得意な分野で勝負する」となっていた。

仕事でもっとも自分が力を発揮できるのは、自分が得意なやり方で仕事をしている時だろう。だから、必ずしも人が作ったマニュアル通りのやり方がベストとは限らない。まずは自分の長所、短所を見極めることかな。

マニュアルにはむしろ一般的なやり方、無難なやり方しか書かれていないものだ。マニュアルをはるかに超えて、独自のやり方ができたときに、本来の仕事の能力が発揮できるのではないだろうか。

自宅でしこしこ練習しているだけではおもしろくない・・・

2009年10月13日 | Weblog
ホームページ「どらく」10.9より。

「ピアニストとしての原動力は?」という質問に対して中村(紘子)さんは“「好き」ということ”と答えている。演奏家は舞台という非日常の場でふだん味わえない音楽体験ができ、お客さんからの反応を感じ取ることができることが素晴らしいと感じている。

それは演奏家しか味わえないことだろう。お客さんの反応がわかるからこそそれが嬉しいと語る。譜面どおりにきちんと弾けていれば、一定のレベルまではいけるが、それだけでは人の心に響く演奏家にはなれないという。

そういえば、芸術関連のことはすべてに通じそうだ。絵画も作品を発表する場(展覧会)などがあればこそ、いろいろなテーマに挑戦していくこともできるのだろう。文芸作品も読者に大きな感動を与えられる作品となれば限られるのかもしれない。

中村さんは一つの曲をモノにするのには、場合によっては2年では足りないこともあるらしい。これほどのプロであってもそうなのかと思わせられる。それには日々の努力が必要で、自分の血肉になるまで弾き抜くことだという。実にプロの世界の厳しさを感じさせる。

人に感動を与えるっていうことは、そうそう簡単ではなさそうだ。ホテルやレストランのサービスでも当たり前のことだけでは、何も感じない。やはりなにか素晴らしい、マニュアルを超えたサービスがあってこそ印象に残るのかもしれないな。

そう考えれば、仕事はすべて発表の場だという考え方もできそうだ。そこで、いかに相手に満足をしてもらえるか、リピーターになってもらえるか、記憶に残してもらえるか・・・。結果が出なければ、創意工夫はまだまだ無限にあるのかもしれないな。

今なお受験生のように日々練習。

2009年10月12日 | Weblog
ホームページ「どらく」10.9より。

今年の秋で演奏生活50周年を迎えるというピアニスト中村紘子さんのインタビュー記事があった。3歳のとき幼稚園の代わりに「子どものための音楽教室」に入ったのがピアノを始めたきっかけだったと語っている。

しかもその頃には子どもとはいえあまりに厳しく指導されたためか、当時を思い出さないようにしていると笑いながら話している。明治生まれの指導者の言葉は、まだ6、7歳の子どもには理解できないようなことばかりだったようだ。

子どもの頃は、大人になったら絵描きかロマンス小説家になりたいと思っていたと述懐する。しかし、ピアノの素晴らしい演奏を聴いてからは、一気にピアノにのめり込んでいったようだ。

そして留学先のジュリアード音楽院でのリジーナ・レヴィン先生との運命的な出会いがあったからこそ、その後の中村さんのすごい実績につながったのだろう。一流になる人の人生にはその後を左右する出会いがあるものだな。

余談だと語るが、ニューヨークに留学中にマッシュルームカットの4人組の若者を見てもそれがビートルズであることもその時にはわからなかったという。それほど、ピアノだけに集中していた一時期を過ごしたということだろうな。

すでに超一流のピアニストになったにも関わらず、“受験生のように日々練習”を繰り返していた。また超一流と言われるからこそ、それだけの練習が必要なのかもしれない。決して妥協しない気持ちを持ち続ける・・・凡人には簡単にはできないことだな。

ある香りを嗅ぐと、その香りに関係した記憶や感情が鮮やかに蘇る現象・・・

2009年10月11日 | Weblog
「メトロポリターナ」2009.10月号より。

この号の特集は「匂いおこせよ記憶の花」となっていた。匂いといえば、今窓を開けると庭のキンモクセイの甘ったるい香りが流れ込んでくる。また住宅街を歩いていてもあちこちにこの匂いが漂っている。実に秋を感じさせる匂いだ。この花のピークはこの一週間だろう。

いきなり話が横道にそれてしまったが、香りである記憶が蘇る現象は「プルースト効果」と呼ばれているらしい。これはマルセル・プルーストの大作小説「失われた時を求めて」からきていたのだ。これは主人公が紅茶に浸したマドレーヌを口にしたとたん、幼い頃の思い出が一気に蘇ったというものだった。

先ほどのキンモクセイでいえば、私の場合は小中学校時代に通った道を思い出してしまう。学校の近くにあった家に大きなキンモクセイの木があって秋になると、その木がオレンジ色のつぶつぶの花でおおわれて強烈な甘ったるい匂いを放っていたからだった。

当時は自宅にもあんないい匂いのする木が欲しいと漠然と思っていたものだった。そして、いつしかマイホームを持つようになって、今庭から流れ込んでくる匂いがキンモクセイだったのだ。この匂いもあと数日のピークを終えると、さらに秋の深まりを感じるだろうなぁ。

本来、情報と知識は区別すべきもの。

2009年10月10日 | Weblog
「凡人が一流になるルール」斎藤孝著より。

(前日のつづき)
成功してからのカーネギーは、巨万の富を溜めこむことはせず、慈善活動に精を出していた。その一つとして図書館の建設には積極的だった。ニューヨークには68の公共図書館の分館をつくっていた。

彼は「自分の人生は書物を読むことで開けた」と感じていたから、読書のチャンスを若い人たちに与えるために図書館を建てたのだった。アメリカに移住したときは家計を助けるために働き、学校に通えず、本も買えなかった。しかしある時から図書館に通うことができ、その読書から未来が開けたのだろう。

普段私は情報と知識をとくに区別して考えたことはなかった。齋藤氏によると、情報は数日、数週間で鮮度が落ちて価値がなくなってしまうという。確かに新聞記事やテレビのニュースなどはつぎつぎに新しい情報が入ってくると前の情報は無用になってしまう。単に人よりちょっとだけ早く知っている情報なんて大した価値はないのだろうな。

ところが、知識は時が経っても簡単には古びたりはしないものだった。一度身に付けた知識はその後も再利用できる。情報も知識もどちらも大事なものだが、人間力をより高めてくれるのは知識の方だったのだ。

ここでのカーネギー・ルールは「読書から得た知識を重視する」というものだった。振り返ってみれば、最近はインタネットで情報をチェックする時間のほうが長くて、じっくりと本を読む時間は少なかったかも。

最後のドルをつぎ込む対象はなんだろうか。

2009年10月09日 | Weblog
「凡人が一流になるルール」斎藤孝著より。

カーネギーのルールでは「時間、労力、財力を、一点に集中させる」とあった。つまりこの3つを分散させてしまうと、事業をなす時にはうまくいかないということだった。つまり本業に集中することが大事だと言いたかったようだ。

ここに面白い比喩がある。「レンズで太陽光線を集めると、一気に熱を帯びて燃え上がる。これと同じように、自分の資本のすべてを一点に注げば、焦点化作用によって質的変化が起きて、資本投入の効果が何倍にもなって膨らむ」とあった。質的変化が起きるほど集中することが必要なようだ。

“最後のドル”までつぎ込むとは、ギリギリのところまで資金を投入せよということらしい。斎藤氏は自身を振り返って、学生時代の資本投入は主に本だったという。エンゲル係数ではなくブック係数が高くて苦労したようだ。いまでは十分それを回収できただろう。

普段なかなか、時間、労働、お金の3つを意識して考えたことなどなかった。もう遅いだろうが、若いころからの心掛けが大事と思わせられるな・・・。(たいていは後の祭りであることの方が多いかも)

喜んでタダ働きする。

2009年10月08日 | Weblog
「凡人が一流になるルール」斎藤孝著より。

これもカーネギー・ルールの一つだった。誰でも、タダ働きとわかっていたら躊躇してしまうものではないだろうか。心の中で、それが何のためになるのか、損をしてしまうのではないか、という疑問が湧いてきていまう。

カーネギーは出世には貪欲でも、けっして金の亡者ではなかったようだ。ワンランク上の仕事ができることのほうが名誉と感じていた。「カーネギー自伝」では「俸給がなんだといわれるんですか。そんなものはいりません。私はその地位が欲しいんです」とある。

そして、実際お金にならないことを積極的に買って出たという。結果的にそのほうが収入に結びついたといえそうだ。もしこれが、営業マンだったら、仕事をスムーズに運ぶためには休日も気にせず、また自腹を切ってでも顧客に満足感を与えるということだろうか。

サラリーマンだったら頼まれもしない雑用をどれだけやれるだろうか。自分の仕事の範囲をこえて企画提案などできるだろうか。よほど仕事が好きでなければそんな気にならないだろうなぁ。損得抜きで前向きに、率先してやるっていうところがポイントだろうか・・・。

代理を糸口にして、自分の仕事をステップアップ・・・

2009年10月07日 | Weblog
「凡人が一流になるルール」斎藤孝著より。

ここではアンドリュー・カーネギーを取り上げていた。彼は1881年46歳でアメリカ最大の鉄鋼会社を設立して、「世界の鉄鋼王」となっていた。

ニューヨーク市にあるカーネギー・ホールは世界で最も有名なコンサートホールの一つでもある。しかし彼はスコットランドの貧困家庭の出身だった。そのためアメリカに移っても学校に通えないほどだった。

工場での下働きなどで苦労を重ねていた。その後電信局に電報配達夫として雇われているうちに、ある時通信技手の代役をこなすことができたのだ。それまで練習を重ねていたからこそ、できた代理の仕事だった。筆者はこれを「代理力」と呼んでいる。

そんなチャンスをつかめるかどうかは普段からの準備に左右される。代理をこなせるだけの力をつけておくことは、その後の仕事を発展させるチャンスだったのだ。専門的なことまで代理でできるのは大変なことだろう。

つまりここでのカーネギー・ルールは「代理のチャンスを活かす」だった。世界的に大きい仕事をなす人は普段からの心掛けが違うなと思わせられる。

“俺ならこうはしない、違うやり方をする”ってことを考え続けることで次のステップにつながる。

2009年10月06日 | Weblog
「R25」2009.10.1号より。

これはJリーグの生みの親として知られる、川渕三郎氏の言葉だった。氏は会社生活をしている時には、上司をけっこう反面教師的に見ていたという。つまり、自分がその上司の立場だったらこうする、ということを考えていたのだ。

今いるのがやりたいことができる場所じゃなかったなら、それをベストにする方法を考えればいいという。常に問題意識をもって行動することが大事だということだろう。問題意識があればこそ、同じものを見ても価値が見出せる。川渕氏によれば、つまりそれは感性だということになる。

とくに組織の中ではそれまでの前例に流されやすいもの。しかし、そんな状態からは何事も新しいものは生み出せない。また、個人的にも仕事に面白さは感じられないだろう。

むしろ、さらに発展するためにはそれまでのやり方を見直してみる必要があるかもしれないな。氏の言葉ではそれが、“違うやり方を考え続けることで次のステップにつながる”となっている。これはむしろ単なる思いつきとは対極にあるものだろう・・・な。

安いからうれしいどころか、安いから未来がなくなる・・・

2009年10月05日 | Weblog
「R25」2009.10.1号より。

最後のページにある石田衣良の連載エッセイのなかのワンフレーズが気になった。一消費者からみれば、モノが安くなれば嬉しいと思うもの。しかし、そればかりだとやがて経済は少数の勝者と無数の瀕死の企業を生んでしまうことになる。

今の世の中、なかなか消費経済は上向いてこない。さまざまなものが安い方向へ向かっている。まずは従業員の給料はかつてよりかなり下がっている。さらに最も高い経費である人件費を削減するために早期退職によるリストラも頻繁に行われている。

格安の商品を提供できる一部の企業(ユニクロ、ニトリなど)は売上を伸ばしているものの、その他ほとんどは厳しい現状のままだ。安くて品質さえ良ければ、消費者は喜ぶだろう。

でも、いつも同じように安いものでは飽きがくるのではないだろうか。デパートでも高級品やブランド商品が売れなくなると売上は低迷してしまう。たまには自分へのごほうびとして楽しいムダづかいをしてみると元気がでる・・・かな。(でもムダづかいするほど余裕もないかぁ、う~む)

打たれ強くなるためには、物事は一面ではないと肝に銘じること。

2009年10月04日 | Weblog
「朝日新聞」2009.9.27付けより。

全面広告「朝日求人」の中にあった「仕事力」というコラムで田原総一郎氏が語っていたこと。氏はもともと底の底から這い上がってきた人間だという。打たれ強くなったのはそのおかげだと語る。

そして、今でも田原氏を批判する人は多いというが、その人たちを嫌いになることは決してないらしい。というのも、そんな人たちは田原氏に関心があるからこそ書いたものを読んでくれるのだと解釈している。

すると田原氏は、“こんな視点があったのか”と気づかされることもあるよだ。そう考えれば、むしろ批判に対して感謝の気持ちがわいてくるという。こんな考え方を持てる余裕というのもすごいもの。

氏にとって、もっとつらいのは放っておかれることだったのだ。つまりそれは無視をされるということだろう。誰でも自分のほうが正しいと思いこんでしまいがちだが、反対意見も取り込んでしまうくらい心を開くことも大事なようだな。

道具はいつも手元に置いておく。

2009年10月03日 | Weblog
「凡人が一流になるルール」齋藤孝著より。

これもまたエジソンルールの一つだったが、実に共感できたことだ。エジソンは仕事は一気に片付けるために、このルールを実践していたのだ。だから研究所には古今東西から集められた道具や材料が取り揃えられていた。

エジソンの研究所には多数の鉱石が収蔵されていたという。というのも、実験ではどの鉱石を使うのかその時になってみないとわからないからだった。必要になったときに、手元になければ、それを手に入れるまでにムダな時間がかかってしまう。

そんな時間を費やしている間にアイデアは冷めてしまうかもしれない。材料だけでなく機械などの部品も揃えられていた。ものごとにはスピード、タイミングが大事だということだろう。

何かを調べたいと思うとき、その都度図書館に行って調べたり、書店で購入したりしていてはタイミングを失ってしまう。個人的には時どき身近な植物について知りたいと思うことがある。しかし、図書館で借りた本には千も引けないし、書き込みもできない。

だから、少しづつ植物関連の本を買っているうちに、数十冊になってしまった。べつに年に1回観るかどうかわからないが、それが身近にあるだけでも気が楽になる。“思い立ったが吉日”、は常に念頭に置きたいもの。

仕事場でも自宅でも引き出しには、ペンや鉛筆のほかに「定規、カッター、マット」などが常備してある。それがあるだけで、仕事が実にスピーディーにできることが多い。無駄な時間がなく効率がいいと実にストレスも感じなくて済むものだな。

成功に運も不運も関係ない。

2009年10月02日 | Weblog
「凡人が一流になるルール」齋藤孝著より。

(前日のつづき)
前日のフレーズはまえがきの部分で目についたフレーズだったが、これはエジソンルールからのものだった。齋藤氏がリストアップした、エジソンルールは全部で9つあった。

1、時空を超えて偉人に私淑する。2、思いつきは、その場でメモに残す。3、運を信じない。4、目標を豪語する。5、形になるまで作業の手を止めない。6、血管を圧迫しない衣服を着る。7、道具はいつも手元に置いておく。8、複数の仕事を同時に並行させる。9、常識を打ち破るために常識を知る。

エジソンの名言には「天才は1パーセントの霊感と99パーセントの汗」というのがある。これは1パーセントのひらめきがなければ、99パーセントの努力が無駄になる、という意味らしい。かなり自分のひらめきに自信があったということだ。だからこそ膨大なエネルギーを注ぐことができたようだ。

一つの成功のために気の遠くなるような失敗を繰り返している。失敗しても運が悪いからだとも考えなかった。成功するまであきらめないという執念がすごかったのだろう。

白熱電球を作った時には植物の材料、6000種をリストアップしていたという。その中に日本の竹が含まれていたことはよく知られている。

とことんやり尽くしてみると何か打開策が見つかってくるということだろう。たいていは、そこそこの試行錯誤の後に、何らかの理由をつけて諦めてしまうものだな。

偉人たちから学ぶのに適しているのは、三〇歳からではないかと思っている。

2009年10月01日 | Weblog
「凡人が一流になるルール」齋藤孝著より。

たいてい偉人たちの伝記を読むのは、小学生の頃だけで、あとは少し知っただけで知ったかぶりをしてきてしまった。でも、学生のころはまだ実際の仕事での苦労をまったく知らないので、まるで別世界に生きた人物だという印象が強かった。

しかし、社会人になって仕事をして初めて偉人たちの生き様が理解できるのかもしれない。この一冊は、あるビジネス雑誌に掲載されたものを元にして書かれていた。その時のコンセプトは「三〇歳からの偉人伝」だっとという。

この本ではビジネスを成功させた次の6人の偉人たちが選ばれ書かれている。エジソン、カーネギー、渋沢栄一、豊田佐吉、小林一三、フォード。実際に彼らがどのような心がけで仕事に向かってきたかがコンパクトにまとめられている。

それぞれの人物には成功に至るための習慣や心掛けがあった。それらを筆者はルールと名付けている。そのうちのいくつかはすでに実行しているか、誰にでもすぐに応用できそうなものばかりだった。

やや関係ないが、経済や企業や組織を題材にした小説もやはり学生時代に読んだのでは、その本当の面白さは理解できないもの。実際に責任をもって働いてこそ実感を伴って物語の面白さは迫ってくる。この一冊もやはり社会人経験があるからこそもう一度読み返したくなってくる。