ロ.「宗門は御書軽視」というこじつけを破す
.問題の発端と悪意による学会のすり替え
平成三(1991)年九月十四日、大阪市の浄妙寺において、法華講大阪大会が開催された。この折、高野法雄師は、「法華講の信心とは」と題して、御書の真意は、あくまでも血脈付法の御法主上人の御指南によって、はじめて理解できることと述べたのである。
その中で、学会が問題にしているのは、
「大聖人の御法門の『部分』と言えましょう。」
と述べた部分である。
一見、確かにこの部分だけを取れば、おかしいと思うであろう。しかし、物事は、部分ではなく、全体で捉えなければならない。すなわち、高野法雄師は、はじめに、
「御書があれば、六巻抄があれば、大聖人の御法門の総てが了解出来るのでしょうか。断じてそうではありません。」
と述べ、さらに、
「要するに現今の御書は、本尊抄・開目抄を始めとする深甚の御指南が集録され、私達が信心する上には、重要この上もない大聖人の御指南であります。が、御書を軽視されては困りますが、大聖人の御法門・御指南の一切が、網羅されたものではありません。言葉をかえれば、大聖人の御法門の『部分』と言えましょう。では大聖人の御法門の一切は消滅してしまったのでしょうか。そうではありません。
『この経は相伝に有らざれば知り難し』と。
末法万年尽未来際まで、この仏法が正しく、清らかに誤りなく伝わるように、と大聖人御自らが唯授一人法水瀉瓶の規範を定め置かれたのであります。」(下線筆者)
と、相伝の大事なる所以を示し、結論として、
「たとえ、何百編の御書がすべて揃っていた処で、又私達がどんなに努力した処で、血脈付法・御法主上人の御指南がなければ、大聖人の御真意を拝することは断じて不可能ということであります。」
と、本宗伝統の正しい御書の拝し方を示したのである。
このように、講演全体の流れから見れば、高野法雄師の発言には、何らおかしいところはない。
ところが、邪教の会長・秋谷は、高野法雄師が「御書を軽視されては困りますが」と、誤解を招かないように断っているにもかかわらず、早速、『聖教新聞』において、
「一、日興上人の遺誡置文には『当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して』と示されている。
日興上人は大聖人の枢要な法門をあやまたず後世に伝えるために、五大部、十大部を定められ、この置文を残されたのであり、御書に大聖人の法門の根幹が網羅されているのは明らかである。それを、“御書は大聖人の御法門の部分”などというのは、御書軽視も甚だしい暴論である。
(中略)また、日淳上人は『聖人(日蓮大聖人)の教義はあくまで聖人の御書に依て判断せられねばならない』『聖人の教義は徹頭徹尾聖人の御書によつて決定されねばならない』と仰せである。
高野住職のいう通りとすれば、これから、宗門は、御書を見下し、猊下の御指南をすべての根本とし、猊下は大聖人を超え、御本仏より偉いことになる。代々の猊下でだれがそんなことを言われたことがあるか。大聖人軽視も甚だしい大謗法であり、邪義であることは明白である。断じて許されるべきではない。」(九月二十九日付『聖教新聞』)
と歪曲し、改竄し、都合のよい御書の一節や日淳上人のお言葉を、切り文にして引用した上で、宗門が「御書部分論」「御書軽視」の大謗法を犯していると断定したのである。
かつて創価学会が、昭和五十二年路線で、「人間革命は現代の御書である」と指導し、御書を蔑ろにしたことは、記憶に新しい。このような体質だからこそ、高野法雄師の述べた御書拝読の基本すら理解できないのであろう。
.学会お得意の切り文引用とその真意の歪曲
秋谷の引用した日淳上人のお言葉は、御登座九年前の昭和二十二年十月、『宗報』に掲載された「日蓮聖人と法華経」という論文の中にある。しかし、これがまた切り文引用で、日淳上人の真意を歪曲したものなのである。
まず、「聖人の教義はあくまで聖人の御書に依て判断せられねばならない」との御発言の原典を挙げれば、
「聖人の教義を正しく領解し奉るには先ず此の立場が批判されねばならない。法華経は仏教の経典中最勝第一であるとし、此れを鉄則として、聖人の教義を此の眼で見て、御一代の弘教を会通し法華経の要約と敷衍とにあると考えることは、聖人の教学に於て正しい立場とはいえない。聖人の教義はあくまで聖人の御書に依て判断せられねばならない。」(下線筆者・日淳上人全集八八四)である。また、「聖人の教義は徹頭徹尾聖人の御書によつて決定されねばならない」との御発言は、
「二祖日興上人が『聖人の御抄を心肝に染め、極理を師伝して若し間あらば台家を聞くべきこと』と、御遺誡置文に仰せられたが、学者は先ずその態度をはつきり決定して、法門を学ぶべきと教えられたもので、当時門下に於て天台を学び、その教学を中心として、聖人の教学に臨むという風があつたのに対する御誡めである。聖人の教義は徹頭徹尾聖人の御書によつて決定されねばならない。」(下線筆者・同八八五)
である。
日淳上人は、御書と法華経との対比、大聖人の教義と天台の注釈との対比の上から、大聖人の御書に臨む心構えを示し、他門徒のあり方を批判されたのである。すなわち、日興上人の、
「当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞く可き事」(全集一六一八)
との仰せを引かれて、大聖人の門下であるならば、釈尊の法華経を敷衍するために御書を拝したり、台家の教義を基礎として御書を拝してはならない。ただちに御書に徹して大聖人の教義を拝し、さらに極理を師伝すべきであるという趣旨なのである。
そのため、日淳上人は、昭和十二年五月、「物には序あり」との論文の中で、
「ただしかし世人は妙法蓮華経と日蓮大聖人の尊きをいふも漫然妙法蓮華経を読み大聖人の御書を拝読しをるがためにその御真意に正しく到達することができない様である。
既に大聖人は此経は相伝によらずんば知りがたしと仰せられて相伝の鍵をもたずに此経の扉を開くことはできないとせられてをる。その鍵こそ日蓮大聖人の御教である。しかして又日蓮大聖人の御教に於てはその御教の扉を開くべき鍵がある。大聖人の御書四百数十篇此れ等の御書はそれぞれの機根に応じて御教示なされた法門であるが故に一律一様に拝することはできない。(中略)ここに於て大聖人は御入滅に際し御弟子中日興上人を抜んでられて付弟となし給ひ御入滅の大導師たるべしと定めさせられ、若し此れに背くものは非法の衆たるべしと掟てせられたのである。」(日淳上人全集一五九)
と、まさに相伝に依らなければ、到底、御書の真意に到達できないとも仰せられているのである。邪教学会にとっては、非常に煙たい御指南であろう。
したがって、秋谷の引用した日淳上人の御指南も、決して秋谷の指向するような、血脈を無視して、単に現存する御書によってのみ大聖人の教義のすべてが判断される、などという意味のものではないのである。大聖人の教義は、高野法雄師の述べるごとく、ただ御書を広く濫読すればよいというものではない。
必ず血脈によって「師伝」しなければ、その真意に達することはできないのである。邪教学会の幹部らによって、ことあるたびにその意を曲げて引用される日淳上人も、さぞお嘆きであろう。
.秋谷栄之助のカラクリを暴く
天魔に魅入られた秋谷は、高野法雄師が「御書部分論」を主張しているとこじつけるため、日興上人の、
「当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して」(全集一六一八)
との御遺誡を引用している。しかし、秋谷は、この御文を挙げた上で、「日興上人は大聖人の枢要な法門をあやまたず後世に伝えるために、五大部、十大部を定められ、この置文を残されたのであり、御書に大聖人の法門の根幹が網羅されているのは明らかである」と、ただ「御書を心肝に染め」の部分を強調するのみで、「極理を師伝して」の部分については、一切、触れていない。
そもそも、この「御書を心肝に染め極理を師伝して」との御遺誡について、日淳上人は「教義研鑽の態度」と題して、
「日興上人の御遺誡に曰く、『御書を心肝に染め極理を師伝し、若し暇あらば台家を学ぶべきこと』と、此れ実に聖祖の教義研鑽の羅針盤たるなり。求道者にして若し此大途を踏みはづさば遂に祖教に体逹するを得ざるなり。御書を心肝に染めざれば聖祖の御霊格に親炙(しんしゃ)し奉るを得ず。而して極理を師伝せざれば我見に堕するを免れず。
此二途を完うして智見初めて具はるを得る然るに古来聖祖門下に於て御書を手にすることを知つて、極理の師伝を知らずこれを怱(ゆる)がせにするもののみを見る、此れが為に我見に堕して救ふべからざるに至る誠に嘆ずべきである。」(日淳上人全集四五)
と、相伝によって御書を拝すべきことを強調されている。また、御先師日達上人は、
「大石寺門流は大聖人からの相伝の宗旨であるから、御書を十分に心に留め、その文底の法門は、歴代の法主が相承している法門の至極の理は師から教わり、かりにも己義をかまえてはならない。」(略解日興遺誡置文一〇)
と御指南されている。
すなわち、大聖人の仏法を信仰する者は、御書を心肝に染めることはもとより、さらに大聖人の御内証をお受けあそばされた御法主上人を仏法の師匠とする師弟相対の道を尊重して、文底の法門を信をもって拝してこそ、真に大聖人の御教えに到達できるのである。
しかるに、秋谷は、「極理を師伝して」との御文を引用していながら、この重要なことには全く触れていない。それどころか、「極理を師伝して」との御文の重要性を述べた高野法雄師の発言を、反対に歪曲して誹謗しているのである。何と愚かしい行為であろうか。
とかく大聖人の門下には、古来、御書を通読・濫読して、大聖人の教えに到達したとか悟りを得たなどと、「未得謂得未証謂証」の大慢心を起こす輩が多くいるものである。遠くは大聖人に敵対した五老僧とその門下がおり、近くは妙信講や正信会の徒輩がいた。これらの者どもも御書を読んでいたはずであるが、今は全く邪教の徒と化している。そして、今、池田創価学会とともに、工藤玄英ら学会僧も同じ轍を踏んで邪教の徒と化したのである。
ハ.「時の貫首為りと雖も」云々について
さらに一点、彼ら学会僧は、
「宗祖の云く『彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」と。仏法の道理に外れた指南には従わないという姿勢こそ、『時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事』と仰せられた日興上人の御心にも適う道であると信ずるものであります。」
と、いかにも御法主上人が「一凶」であると述べていることについて、その誤りを指摘しておくものである。
先々に述べたとおり、本宗の命脈は唯授一人の血脈に存する。この法体血脈によらなければ、いくら戒壇の大御本尊を拝し、ひたすらなる唱題行を尽くそうとも、決して仏果を成ずることはできないのである。池田創価学会は、この唯授一人の血脈によらないばかりか、かえって背反し、しかも悪口・中傷の限りを尽くしているのである。これを「一凶」と呼ばずして、何を「一凶」というのであろうか。
ところが、彼ら学会僧は、池田創価学会に同じて、血脈付法の御法主上人に対して「一凶」と称し、邪悪の限りを尽くしているのである。
彼ら学会僧の、このような誤謬の原因の一つは、日興上人の、
「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」
との御遺誡に対する解釈に存する。彼らは、妙信講や正信会、池田創価学会等の受け売りをして、この条目を、御法主上人が仏法上の間違いを犯す証文であるとしているのである。
しかし、日亨上人は、この条目を釈する中で、
「時代はいかように進展しても、無信・無行・無学の者が、にわかに無上位に昇るべき時代はおそらくあるまい。一分の信あり、一分の行あり、一分の学ある者が、なんで仏法の大義を犯して勝手な言動をなそうや。」(日興上人詳伝四三六)
と、御法主上人が仏法の大義を犯すことなど、決してありえないと釈されている。近年においても、日淳上人、日達上人、日顕上人と、一器より一器への法水の上の御指南は、その時々の状況に対し、常に正しく宗開両祖の正義の御教示であられる。
このことは、我々宗門の僧俗一同の等しく拝するところである。
大聖人の仏法を信仰する者であるならば、本宗の血脈の大事を、伏して拝するべきである。
お わ り に
以上、彼ら学会僧による「諌暁の書」を破折してきたが、要するに彼らの本宗の信仰に対する基本的態度、体質が問題なのである。つまり、もともと日蓮正宗の僧侶というのは名ばかりで、池田創価学会教の出家僧でしかなかったのである。
一方、創価学会では、三宝破壊をはじめとする本宗法義の著しい改悪を犯している。観念文とて、すでに本宗本来の姿ではない。このような法義の改悪は、おのずと化儀の改悪につながっていく。そのため、現在では、葬儀、法事、御授戒をはじめとして、一切の化儀・法要において、僧侶は不要となったのである。つまり、創価学会は、すでに日蓮正宗の信仰と全く異なる、別個の信仰(新興宗教)を構えているのである。だからこそ、破門されたのではないか。
しかるに、僧侶不要の創価学会は、宗門から離脱した工藤玄英ら学会僧の輩に対して、果たしてどのように対応していくのであろうか。世智に長じた創価学会のことであるから、工藤玄英ら七・八名の離脱行為を、宗門攻撃のために、大げさにクローズアップして報道し、都合よく活用するであろう。しかし、彼ら学会僧が、池田創価学会から捨て去られるのも、さほど遠い未来ではなかろう。彼らの末路を考えると、全く哀れさしか感ずるものはない。
以 上