病院の三階の廊下にずっと置かれていた若いメンタルな患者の母親が見つかった。
彼はずっとダンボールを敷いた上に上半身だけTシャツを着て病院の廊下で生活をしていた。顔には二箇所かなりの縫い傷があり、抜糸はしてなく、右足は太ももは折れたままでずっといた。
一週間ほど前からちゃんとベット上で排尿排便をしなくなるようになった。それまでは何度言っても、いつも朝に行くとしっかりとした便を自分のお尻にところにしていた。
彼にはいつもビスケットをあげていた。その袋をあげることも出来なかったが、ちゃんと教えると出来るようになってきた。彼の仕草や言葉はとても愛らしく病院の最後の挨拶をする患者であることから、いつも自分をリラックスさせてくれる患者だった。
その彼に三日前、彼の母親が現れた。警察が彼の母親を見つけ出したらしい。そして、家族の方も行方不明の届けを出していたのかもしれない。
病院で働くワーカー達も驚いていたくらいだ。自分もほんとうに驚いた。彼はマザーの施設のどこかに収容しようと何度もみんなで話し合っていたからだ。でも、それをしなくて良かった。彼の母親はほんとうに小柄で背中はすでに少し丸くなっている可愛いおばぁーちゃんだった。
彼の家は病院から二時間ぐらいバスでいったところにあり、三人の姉がいて、二人の姉はすでに結婚もしている。彼の姉も病院に見舞いにくるということだった。
彼は生まれたときからメンタルな症状を持って生まれていた。もし、彼が事故によってメンタルな状態になったならば、その後、家族がしっかりと彼の面倒を見れるかどうかを確かめなければならなかったが、その必要はまったくなかった。母親はとても子供思いであることが分かる愛情ある仕草で彼のケアをしていた。母親の前で彼にビスケットをあげると彼はまず母親にあげる仕草もみせた。そして、全部一度に食べないように後であげるからと母親はちゃんとビスケットしまったりしていた。その関係がとっても暖かいものだった。
彼は今すでに一つのオペを終えている。そして、母親に甘えている。それがほんとうに嬉しい。自分達の施設に運んでいなくてほんとうに良かった。相手が急を要さない患者の場合、じっくりと見ていかないと新たな問題を自分達が作り出してしまうこともある。そのことをまた感じた。
ちなみに彼の母親はマザーテレサのことは知らなかった。自分がキリスト教のところから来ていることは彼女は理解している。
病院の患者のなかでは、自分がラーマクリシュナのところから来ているの?と聞く者もいる。今日は病院で2Rsをもらった。彼の前で手を合わし笑顔でお辞儀をしただけだ。お布施のような感覚で彼は自分にお金を渡したのだと思う。
このインドでは神に仕えるものへの尊敬の念がほんとうにある。それを触れるたびに胸が熱くなる。素敵な感覚に包み込まれる。
それはほんとうに「We do nothing He does everthing」だ。明日、黙想から帰ってくるバーニーにとってもいいニュースが出来た。いろいろと話そう。
そして、母親にはマザーのことを教えてみよう。そんなことを考えている。