カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月でしたがお休みします。

奇跡。

2008-02-29 20:26:24 | Weblog

 病院の三階の廊下にずっと置かれていた若いメンタルな患者の母親が見つかった。

 彼はずっとダンボールを敷いた上に上半身だけTシャツを着て病院の廊下で生活をしていた。顔には二箇所かなりの縫い傷があり、抜糸はしてなく、右足は太ももは折れたままでずっといた。

 一週間ほど前からちゃんとベット上で排尿排便をしなくなるようになった。それまでは何度言っても、いつも朝に行くとしっかりとした便を自分のお尻にところにしていた。

 彼にはいつもビスケットをあげていた。その袋をあげることも出来なかったが、ちゃんと教えると出来るようになってきた。彼の仕草や言葉はとても愛らしく病院の最後の挨拶をする患者であることから、いつも自分をリラックスさせてくれる患者だった。

 その彼に三日前、彼の母親が現れた。警察が彼の母親を見つけ出したらしい。そして、家族の方も行方不明の届けを出していたのかもしれない。

 病院で働くワーカー達も驚いていたくらいだ。自分もほんとうに驚いた。彼はマザーの施設のどこかに収容しようと何度もみんなで話し合っていたからだ。でも、それをしなくて良かった。彼の母親はほんとうに小柄で背中はすでに少し丸くなっている可愛いおばぁーちゃんだった。

 彼の家は病院から二時間ぐらいバスでいったところにあり、三人の姉がいて、二人の姉はすでに結婚もしている。彼の姉も病院に見舞いにくるということだった。
 彼は生まれたときからメンタルな症状を持って生まれていた。もし、彼が事故によってメンタルな状態になったならば、その後、家族がしっかりと彼の面倒を見れるかどうかを確かめなければならなかったが、その必要はまったくなかった。母親はとても子供思いであることが分かる愛情ある仕草で彼のケアをしていた。母親の前で彼にビスケットをあげると彼はまず母親にあげる仕草もみせた。そして、全部一度に食べないように後であげるからと母親はちゃんとビスケットしまったりしていた。その関係がとっても暖かいものだった。

 彼は今すでに一つのオペを終えている。そして、母親に甘えている。それがほんとうに嬉しい。自分達の施設に運んでいなくてほんとうに良かった。相手が急を要さない患者の場合、じっくりと見ていかないと新たな問題を自分達が作り出してしまうこともある。そのことをまた感じた。

 ちなみに彼の母親はマザーテレサのことは知らなかった。自分がキリスト教のところから来ていることは彼女は理解している。

 病院の患者のなかでは、自分がラーマクリシュナのところから来ているの?と聞く者もいる。今日は病院で2Rsをもらった。彼の前で手を合わし笑顔でお辞儀をしただけだ。お布施のような感覚で彼は自分にお金を渡したのだと思う。

 このインドでは神に仕えるものへの尊敬の念がほんとうにある。それを触れるたびに胸が熱くなる。素敵な感覚に包み込まれる。

 それはほんとうに「We do nothing He does everthing」だ。明日、黙想から帰ってくるバーニーにとってもいいニュースが出来た。いろいろと話そう。

 そして、母親にはマザーのことを教えてみよう。そんなことを考えている。
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自由のために。

2008-02-28 19:25:13 | Weblog

 黄疸の出た彼をドクターでイギリス人のSrマイケルに診てもらった。

 A型肝炎で可能性が高いとのことだった。A型肝炎の検査はほとんどここではせず、ただB型である可能性のある者はそれを受けた方がいいとのことだった。そして、肝機能の状態を調べる血液検査を受け、そのデータを今、取っといた方がいいということで血液検査を受けた。

 シアルダーにある検査をする病院ではマザーのボランティアやマザーのボランティアが連れて来る患者は費用が半額になる。440Rsが220Rsになり、彼もほんとうに助かった。今日、結果を取りに行き、今夜、シスターにそのデータを診てもらい、ビタミン剤などの処方をしてもらうことになっている。

 自分はほっとしている。ここで他人に薬をあげるということやケアをすることにはほんとうに慎重にならなければならない。あらゆる可能性がありえるからだ。そして、近くの病院に行ったとしても、検査をしっかりしないと誤診をされてしまう可能性もありえるし、病気の原因がはっきりしないものまであるからだ。
 Srマイケルはもう何年もこのカルカッタで働いているドクターであり、シュシュババンのディスペンサリーでも何人もの患者達の症状を見てきている信頼できるドクターであり、すばらしいシスターだ。

 検査の結果が良いことをいろんなボランティアが望んでいてくれる。そう願っていてくれることが自分にとってほんとうに嬉しいことだ。今、彼の症状はとても安定している。食欲も出てきているし、このまま無理をせずにいてくれたら、もう心配はいらないだろう。

 昨日、しばらく会わなくなるボランティアを一緒に呑む予定でBarに入った。たばこを買うのを忘れていたので、買いに外へ出た。そこに一緒に駅をまわっているアイルランド人のミッキーと会った。一緒に呑もうと誘った。

 ミッキーはジプシーの家に生まれた。いつもバカみたいなことばかり言ったりやったりしては周りを笑わせたりしているとても明るくて良い奴だ。

 二時間ほど呑んで帰ろうとすると、もう一軒行こうと彼が誘った。アイルランド人はほんとうによく呑む。彼がよく言うのは二日酔いで会社を休むのはアイルランドでは普通のことらしい。そのくらい呑むことが好きらしい。ちなみに彼はそのとき、すでに登録のボランティアをすっぽかしていた。

 次の場所で一本ビールを飲んで、そして、その次は彼のホテルの屋上でまたビールを一本飲んだ。夕焼けがきれいだった。今回インドに来て、始めてそんなビールを飲んだ。

 屋上では心地よい風が吹き、空には鳥が大空を羽ばたいていた。それを眺めているだけ幸せな気分にもなった。

 そんな時、真面目な顔でミッキーが言った。
 「Tetsu、今日はありがとう。実は今日、メールでとても悲しいニュースを知ったんだ。親友が死んだ。彼はIRAのボランティアをしていて、その戦いのなかで撃たれて死んだ。そのニュースがあったから、今日は呑みたいと思っていたんだ」

 言葉が無くなった。嘘かホントかも疑ったが、彼の顔から、それは事実であることがありありと伝わった。
 亡くなった彼とは小さい頃からの親友であり、一緒に戦ったこともあったと言う。ミッキーはもう戦うことに疲れ、今はそこから放れたと言った。

 「自由のために戦う」それがゆえに命を無くして行く。その意味はどこから来て、どこで終えるのか?勝利の意味は。敗北の意味は。憎しみ、悲しみは無くなることが出来るのだろうか?許すその意味は生まれてくるのだろうか?

 愛の意味を自分は何度も問い直す。

 彼らは「自由のために戦っている」ミッキーは悲しそうに言う。大空を見上げながら、羽ばたく鳥たちを見上げながら、飛ぶ鳥を自由と照らし合わせながら。

 彼と一緒に呑めて良かったと思った。タバコを買いに外に出たことも偶然ではない。彼の言葉を聞くためだった。そう疑わない。

 今朝のミサで亡くなった彼の親友のことを思い祈った。そのことをミッキーに伝えた。とても喜んでくれた。

 亡くなったものはこの場には帰って来ない。しかし、形を変えて、自分達のそばにいてくれる。あり続けれてくれる。一緒に生き続けてくれる。

 自分はそう感じ、そう信じている。

 今日は駅で足のすねから蛆虫がかなり湧き出ている麻薬中毒者の患者がいた。とってもやせ細っていた。彼が治療の必要性を分かり、また明日、治療を受けに来てくれることを望んでいる。
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初めてのマザーのボランティア。

2008-02-26 20:41:27 | Weblog

 ここで初めてボランティアをする者は、その毎日が目まぐるしく変わっていくことを感じるように思う。そのすべてはきっと言葉では表しきれないものであるだろう。
 
 それはその一日、その瞬間に起こる出来事や出会う人、目に映るもののすべてから、否応なしに考えざるをえないテーマを投げかけられるからだ。

 患者たちやボランティアたち、子供たちからとの関係も今までに感じたことのないようなものを感じる。そして、それはかなりのスピードで何かが変わっていくことを感じていくだろう。

 その人自身が生まれて初めて感じる感覚がその人を覆う。

 赤ちゃんの一日の成長のように、あらゆるものを吸収し、感じ、思い、何かに反応し、何かに反発し、何かに影響を受ける。見え隠れするものまでも、意識しきれないものまで多様にして有りえるだろう。

 今の自分にはそうしたものの感覚が鈍くなりつつあることを感じる。そうした真新しい感覚を思い出すためにも出会うボランティアと時間があるときには話しをするようにしている。彼らから、いろいろと教えてもらうことを望んでいる。

 愚かな自分は自分がどのように今まで来たかをすぐに忘れ、驕りにまみれる。今までどのような過程を経て、こうした今あるかを何度でも感じなおすことの必要性を感じている。

 謙虚さ、柔軟さ、大切なことは充分に知っているが、そうした判っていることすら出来ない自分がいることも事実である。そのこともしっかりと判っていたい。

 今日は二人病院で亡くなっていた。駅はとても静かだった。
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登録ボランティア。

2008-02-25 22:53:46 | Weblog

 ずっと登録のボランティアはやらなかった。断り続け、逃げ続けていた。

 理由は簡単だった。面倒だと思っていたからだ。

 それでも、今回はその自分が面倒だと思い込んでいた登録のボランティアを二回だけしてみることを決めた。自分が嫌がっていたもののなかに自分を入れてみることにしてみる。そこに何かがあるか、良く見てみたいし、よく感じてみたい、そして、そうした思いがあった今まで見詰めなおしてみたい思いになっている。

 今は嫌がる思いが無くなっている。楽しくしてみたい思いになっている。その過程も見詰めて行きたい。もちろん、無理があるようにしない。はっきりと出来る日だけをするつもりだ。
 それでも、未来は誰にも判らない。

 今日はセンターポイントでデジカメ、財布、I Potを盗まれた子がいた。マネジャーに何も話しても、結局、自己責任ということで謝りもない。センターポイントはこうしたことが多すぎる。昨日もあり、三日前もあり、何回もこうした話を聞く。I Potは充電器までしっかりと持っていかれているし、財布はバックの中から盗まれていた。

 もちろん、ここでは自己責任だろう。

 しかし、目の前の人がショックで苦しんでいるのに、思い出の写真もすべて無くして悲しんでいるのに「お前が悪いんだ」と、どうして言えよう。

 他人に起こることは自分には絶対に起こらないという勘違いを誰もがしてしまいがちだ。絶対に自分には起こらないと言い切れるだろうか、形を変えて何かが起こり、自分達を苦しめることが起こることがあるかもしれないの事実だと思う。

 苦しむ人の思いを受け容れること、そして、その人がどう言った思いを判って欲しいかを判ってあげるかが何よりだ。そこに自分自身の考えはいらない、無い方がいいだろう。

 今日から病院の訪問は一人。バーニーはダイナアシュラムに五日間祈りに行った。病院では一人亡くなっていた。

 駅では患者を一人プレムダンに運んだ。

 今日はとても暑い。夏が始まった感じがした。
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記憶。

2008-02-24 22:58:45 | Weblog

 ある女性のボランティアがマイダーンで酷いことを若いインド人たちにされた。

 彼女を少しの時間をつぶしにマイダーン{公園}で一人で休んでいた。すると、数人の若いインド人が来て、何度も声をかけてきた。彼女はとても疲れていて相手にする力がなく無視をしていた。

 彼らは一度は去って行ったが、また彼女のところに来て何度も声をかけてきた。そして、それだけでは収まらず、彼らは彼女に石を投げつけ始めた。

 頭を必死にかばいながら丸くなっていたがかなりぶつけられたらしい。彼らは投げるだけ石を投げ、その場を去った。

 彼女はインドを嫌いになった。マザーのところのでのボランティアの記憶すら薄くなり、その数分の出来事がすべてになってしまった。

 このインドでは女性がレイプにもあう確立はかなりあると思う。ただ、それは表にでないだけだと思う。

 いつも、ここに来て出会う女性に言う。何かあったら、とりあえず、大きな声をだすように。しかし、なかなかそうしたことはできない。思っていても、判ってていても、人にはできないことが多いのかも知れない。そして、ほんとうに怖いときには声が出ないというのもほんとうだろう。

 しかし、その話を聞いたとき、ほんとうに残念で重苦しくかった。許せない思いになった。

 彼女はPTSDのような症状が出るかもしれない。そして、マザーに対する考えや思うも、以前とは少し変わった感じになるかもしれない。ケアをしていた子供のことを思い出せば、石を投げつけられたことも思い出してしまうだろう。痛み苦しむだろう。ほんとうに残念で堪らない思いになる。

 このカルカッタでこうしたことからも普通に毎日健康にボランティアすることが難しいのが判ってもらえると思う。

 今日も午後からとても暑かった。それでも、風が心地よくあった。
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黄疸。

2008-02-23 20:38:40 | Weblog

 今、一人の若いボランティアの男の子に今日、黄疸が出ているがはっきりと判った。彼は保険には入っておらず、今までなかなか自分の言うことを聞いてくれない患者さんだった。

 他人を変えることは出来ない。そのことをまた強く感じた。

 恐怖心を煽り、その人を対人操作するようなことは避けたかった。そこには常に上から目線があり、「私の言うことを聞かないと愛さない」そうした脅しが含まれている。病人である相手を意識せずに見下している。そうしていて、自分がその人に愛を与えていると、どうして言えよう。しかし、人はそうした過ちを気付かずにしてしまうことも多いだろう。

 病状が長引くにつれて、彼の中の恐怖心が生まれ、どうにかなると思う幼稚さが失せ、どうにもならないことと思うことから生まれる不安がだんだんと彼を素直に真剣にさせてきた。

 人は傷付きながら学ぶ。

 彼が彼自身のために、彼の中から生まれる力を待ちたい。そうしたものを信頼していきたい。彼が今まで見詰められなかった彼のなかの成長を待ち続けている一部、そこをほんの少し支えてあげたい。

 ほんとうに他人にしてあげられることの少なさに学び直す。

 しかし、もう黄疸が出てしまっているので、マザーハウスのDrのシスターに診てもらおうと思う。日本へ帰ることを進めるつもりだ。そして、彼の話をゆっくりと聞きたい。

 今日はとても暑い。

 
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サンダル。

2008-02-21 21:43:33 | Weblog

 新しいサンダルに履き替えた。
 ここに来てから、一ヵ月半で履き潰した。

 いつも同じサンダルを買う。最初のサンダルを履き終える前に新しい同じサンダルを仕事以外で履き始める。
 短い距離を少しずつ歩き、その感じを確かめていく。そして、長い距離を歩けるようになるように、そのときを合わせ、新しいサンダルに履き替える。

 このサンダルが自分の足を守ってくれていることを何度も思いながら、サンダルを履き替える。ほんとうに自分の足にぴったりと合うこのサンダルに感謝している。

 新しいこのサンダルが履き潰れる頃、自分は日本に帰ることになる。その意味、そのとき、その感じを思い描きながら、サンダルを眺める。もう十年以上前から同じサンダルを履いている。その思い出も思い出す。暖かな思い出が溢れてくる。こうした思いを今味わえることが嬉しい。

 今日はプレムダンに患者を一人。

 雨上がりの心地良い風が吹いている。誰かが言っていた。今日は満月と。

 その満月を楽しもう。

 
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救いの場所。

2008-02-20 22:43:53 | Weblog
 今朝も激しく雨が降った。雷も鳴り響いた。午前中は晴れていたが、午後になってまた雨が強く少し降った。それでも、雨上がりの夕闇がとてもキレイにあった。

 夕方、マザーハウスでSrクリスティーと少し話しをした。

 彼女からKさんの死を知らされた。ガンで2006年に亡くなったとのことだった。

 Kさんとはマザーが福者になった時の東京の教会でのミサのときに初めてあった。それ以前にメールでのやり取りを何回かしていて、彼女から、そのときに声をかけてくれた。

 彼女は自分のとのメールをしている時期に自殺を考えていたらしく、自分とのメールで自殺をすることをしなかったと話し、ほんとうにありがとうございましたと感謝の言葉を続けた。

 そのとき、彼女は幻覚、幻聴に悩まされていた。もちろん、彼女はそれがほんとうのこととして受け止めていた。

 前回のカルカッタで彼女とここで会った。
 人間不信から来る対人関係に悩み苦しんでいた。そのとき、自分には彼女の話しを聞く勇気と力が無かった。面倒だとも思っていた。逃げていたと言わざるを得ない。彼女にしっかりとした別れも言わず、自分は前回カルカッタを離れた。

 それから、彼女はよくカルカッタに来ていた。何か悩みがあると、ここに来て、ボランティアをしていた。

 そして、彼女はガンになった。もう、手のつけようもないほどガンだったらしい。彼女は亡くなる2006年にも来ていた。

 最期は彼女が日本でボランティアしていたホスピスの病院で亡くなった。

 シスターは彼女が自殺を考えていたことは知らなかった。自分は彼女がガンに侵され亡くなったことを知らなかった。

 彼女が激しく痛み苦しみぬき亡くなったことに二人で胸を痛めた。ほんとうに痛めた。

 彼女は前回このカルカッタに居たとき、いや、その前にすでに統合失調症を発病していたことは、自分は感じていた。それがゆえに逃げた自分がいたことも知っていた。

 自己の愚かさ、他人に出来ることの少なさ、人の命、人の心、自分に出来ることと出来ないことを判る知恵と勇気、、何度も何度も御堂で祈り思い返してきた。マザーにも彼女のことを話した。

 統合失調症は祈りでは治らない。しかし、彼女はマザーに救いを求めた。きっと、患者たちにも救いを求めただろう。自分を必要とする他者があることが、彼女にとっての何よりも救いとなったのだろう。そして、自己を確認できる唯一のものであったのだろう。

 ずっと自分は考えるだろう。目の前に人に対して、どうあるかを、どうありえるかを、どのような影響を与え、それはどうなるかを、その人がその人の中から生み出す生きる勇気と苦しみを乗り越えていく力を待ち、それを支えられるかどうかを、そして、自分はどんな影響を受けているかを、自分は何者かを、自分はどういうものかを、きっと会う目の前に人から教えてもらい続けていく。そのことを望む。ひたすら望む。

 バーニーとも少し前に話した。
 何か問題があると、すぐここに来てボランティアをして、その問題から逃避行するように逃げる。しかし、またもとに帰ってみると、その問題はまたそれ以上に大きくなる。そうしてしまう人が少なくは無い。

 何かよって、悩みや問題を忘れようとする。記憶まで変えてしまうときすらある。そうしてことを大いに人はする。「嫌なこと忘れてしまいなさい」もちろん、それも嘘ではないだろう。しかし、また同じ問題に出会えば、同じ反応を繰り返すのも事実だろう。いくら祈っても、いくら瞑想しても、その問題から目をそらすよりも、そこを見詰めていった方がいい、その問題を抱きしめるようにしていった方がいい、そこから学んでいった方がいい、そうしたことが心の成長に繋がるだろう。ただ、決して簡単ではない。

 もちろん、到底手に負えない問題がある場合もある。そこに居つづければ、自分が壊されてしまうようなときもあるだろう。そうしたときは、そうしたことをちゃんと判って逃げて欲しい。
 判って逃げるのと、無いものとして思い込んで逃げるとではかなり違うだろう。

 どうか、痛み苦しみと向け合える勇気を持って欲しい。そして、信じれる友を持って欲しい。助けてと言える勇気も必要だと思う。

 こうしたことを思い祈る。もっと丁寧に書きたいことだが、今は時間がない。また日本に帰ってからゆっくりと書こう。

 今日、病院では一人亡くなっていた。駅では雨にぬれた人が震えていた。

 Kさんのことを思い祈って欲しい。


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雨が降っている。

2008-02-19 22:08:01 | Weblog

 また今、外では雨が降っている。今日は雲の流れがとても速かった。夕方になって夕闇の間を黒い雲が行き来している。この雨はすぐに止む感じだ。

 今日、病院では火傷の患者が一人亡くなっていた。彼は二十歳ぐらいだった。全身が丸こげ、肌は剥けはがれていた。

 何を思う?自分にそう問う。何を感じる?自分にそう問う。

 答えはないまま、その場で祈る。ただ安らかなところへ彼が行くように。そうあれるように祈る。

 答えも問いも感じきれるだけ感じていたい。この胸のなかに留めていたい。深いところに留めておきたい。そう願う。その瞬間にそう願う。そして、次に会う患者の前では今まで以上に心を落ち着かせて笑顔で向かう。痛み悲しみは引きずらないように、次の人に与えないように、常に新しいドアを開け続けながら、また患者に会い、話しをしていく。彼らに触れていく。

 彼らの前から離れると足が震えるようなときもある。涙が溢れてくるときもある。

 それはそれでいいと思っている。空を見上げたり、風を感じたり、少し座ったりして、息と呼吸を整えるように心も整え、駅に向かう。

 今日、駅からカーリーガートに若い男の患者を運んだ。たぶん、十代だろう。運ぶ前に彼は「カーリーガートに運ぶの?」そう聞いた。自分は彼に「カーリーガートに行ったことはあるか?」そう聞くと、彼は「ない」そう答えた。

 彼はブラウンシュガーをしている。しかし、かなりやせ細り、そのままだと、あと、一日か二日で死んでしまうほど弱っていた。両手両足にはかなり浮腫があった。結核も持っている感じだった。

 タクシーのなかでは何度も吐いた。その度、新聞紙でそれを取り続けた。終いには新聞がなくなり、ビニール袋でその嘔吐を取っていた。シラミが自分の腕に付いていた。とりあえず、取り、外に捨てた。

 カーリーガートではシスターもそのやせ細った体に少し驚いていた。

 イタリア人のボランティアのテレサが来た。彼女は笑いながら彼を見つけた。彼は以前カーリーガートに居たことがあったからだ。ハウラーから患者を運んできたマーティンも彼を知っていた。

 彼は自分に嘘を付いていた。そのことはちゃんと叱った。なぜ、彼がカーリーガートを知っているかが可笑しいとは思ったが、何よりも話しをたくさん出来る状態ではなかったので、そのまま運んだ。

 彼はカーリーガートに以前居たことを自分が知る前にこう言った。

 「体が良くなったら、ここを出て行きたい。出て行ける?」そう聞いた。自分は「元気になったらいいよ」そう言った。そう言いながら、そうなることはかなり難しいことを思っていた。

 結核患者はこうして最期には死を迎えることが多い。それは団体行動が取れなかったり、またドラックをしたくなったり、酒を飲みたくなったりする。ほんとうに体が弱りきることへの恐れもきっとドラックによって消えさせるのだろう。

 しかし、彼は常に今を生きている。未来を生きるのでなく、その時、その瞬間を生きているから、そうするのであろうし、そうしてしまうのだろう。死する未来よりも生きる今を何よりも思うのであろう。

 そんなことも考えた。

 雨が止めば、自分の好きな雨上がりが待っている。それを楽しもう。

 
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結核患者。

2008-02-18 19:57:40 | Weblog

 一昨日、プレムダンで一人の結核患者が話しかけてきた。

 彼は自分の子どもに会いたいから、一日外に出たいとのことだった。その彼からはかなり前から、そのことを聞かされていた。

 その日、シスターにその話をした。しかし、外出することは断られた。

 結核患者は病状が良くなると時間をもてあますのだろう。すぐにもう自分の体は治ったと思い込んでしまう。

 以前、こうしたことがあった。
 一人の結核患者が「自分は外に出て、もっと良いものを食べる。こんなところから出る」そう言って自らプレムダンを出てしまった。
 そして、彼はまた路上で病状が悪化して、名前を変えて、またプレムダンに入った。そのときもまた同じように「こんなところに居られない。外に出て、もっと良いものを食べる」そう言って出て行った。

 三回目は自分が彼を運んだ。彼は墨のように汚れきった顔をして、彼が座り込んだ目の前にはあからさまに判る結核患者のタンが無数にあった。
 自分は彼に「プレムダンに行くか?」そう聞くと、彼はうなずいた。

 しかし、彼はプレムダンに運ばれて30分後に息を引き取った。

 どうしようもない憤りを感じた。空しさを味わった。助ける手立てが無くなった。そのとき、そこにいたシスターも同じような感覚を味わっていた。祈るだけしか出来なかった。

 今朝もプレムダンを自ら出て、マザーハウスの近く寝起きをしている結核患者が様態が悪化し、ボランティアは病院に彼を検査に連れていった。
 もうプレムダンには帰ることは出来ないのでバライプールにある{カーリーガート}マザーの施設に運ぶ予定だ。

 結核患者が普通に生活できるようになるのは、この街ではほんとうに難しい。

 「子どもに会いたい」と自分に話をしてきた患者と少し離れた静かな場所で話をした。子ども8歳で物乞いをしてカーリーガートの近くに居るとのことだった。

 シスターの許可が下りないことを何度も丁寧に話し、もっと病状が良くなってから行くことを言い聞かせた。そして、彼の気持ちをちゃんと聞いてあげた。

 彼は納得してくれた。彼には話しを聞いてくれること、自分のために時間を割いてくれること、そうしたことを欲していたようだった。ただ、そのことに時間を置かないと気が付かない愚かな自分がいたことが判った。

 今朝、病院に行く前に以前旦那をプレムダンに運び、その後数日で亡くなった彼の奥さんに、運んで以来初めて会った。歩道橋の上で会った。

 これは自分の仕事だと、ずっと思っていた。

 自分が彼の死を告げた。
 それでも、彼女はヒンディー語で「彼は良くなっているんでしょ?そうなんでしょ?」何度も自分に言った。「彼に会いに行く。会える?」何度も自分に言った。

 自分は間を置いてゆっくり空を指差して「彼は亡くなった」そう話した。

 彼女は聞き入れてはくれなかった。彼女の言うすべては自分には理解できなかった。しかし、その雰囲気で思いは痛いほど伝わってきた。

 自分とバーニーは病院の訪問に行かなくてはならないことを彼女に伝え、すぐに戻ってくるから、ここで待つようにと、いつもゆで卵を買う店で彼女を待たせた。

 病院の訪問を終えて帰ってくると彼女はいなかった。

 心が激しく騒いでいた。また明日会えることを思い描くしかなかった。そして、今度は何よりも彼女の心を第一にして、もっとゆっくりと話す必要があること、何度も自分に言い聞かせた。
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