カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

みんな元気にしているかな?その2。

2011-04-29 12:21:27 | Weblog

 不思議である。

 みんな元気にしているか、どうか、心のなかにずっとあり、それをブログに書くと、それを読むはずがない、ポルトガルのドゥッワからフェイスブックで13人の友達に向けてメッセージが昨日届いた。

 その内容は自分が心配していたようなことが書かれていた。

 カルカッタを離れてから、あまり元気ではないこと、もとの生活への適応が難しいこと、それらを恐れていること、どうしたら良いか迷っていることなどだった・・・。

 思い返せば、向こうで本国に帰ってから気をつけなくてならないことなどを彼には話していなかった。

 オリエンテーションでは、ここのボランティアの時だけではなく、その人の人生に問いかけるように話をしようと心掛けていた。

 だが、身近で一緒に働いたものたちには、仕事の仕方や考え方、捉え方、その姿勢などについては話したが、やはりそうした心配りが足らなかったのではないかと思ってしまった。

 日本人だけではなく、多くのボランティアがこうした問題に出くわす。

 もとの生活になかなか適応出来ないのはある意味普通のことである。

 カルカッタでは日々当たり前のように、足や手のうじ虫の湧いている患者、ゴミのなかから食べ物をあさるもの、シンナーを吸う子供、ドラッグをするもの、ドブネズミを食べているメンタンな女性、作業中の四階から落ち、病院を出され、駅で寝ているもの、瀕死の状態で運び、五分後に息を引き取るもの・・・など、どこをどう探しても本国ではなかなか居ない、居たらたいへんである。

 こうした貧しい人たちに毎日関わった日々から、何不自由ない生活のなかに戻れば、何かがそぎとられた空白感を感じたりするのは当然である。

 だが、その違いのなかに何があるのかに気付き、それを認めていくことが大切である。

 Come and seeを終えたクレアでさえ、もとのボランティアに戻ったときには、何かしっくり来ないものを感じたらしい。

 祈りのなかにあるがままにそれを受け容れられるものは必ずより良く適応し、成長して行く。

 その真逆もあるのも言わざるを得ない事実であろう。

 時間が必ず癒す。

 感謝する心が必ずそれを乗り越えて行く。

 些細な感情であれ、大切にする必要があり、それをあたため続けることが何よりである。

 まずは自分自身が弱いそれを無条件に認めてあげることが良い。

 それは自分の一部として大切に扱ってあげることが良い。

 自分たちの心はきっと繋がっている。

 なぜなら、素晴らしい過去は誰が何をしようとも変わることは決してないからである。

 愛はあなたのなかに必ずある。

 自分はそれを信じて疑わない。

 自分はあなたのために祈る。

 愛で祈る。

 愛を祈る。

神父になった片柳君。

2011-04-28 10:55:40 | Weblog

 カルカッタにいるときに、ブログには書かなかったが片柳君と会った。

 彼と会うのはもう13,4年ぶりだった。

 もう天国にいるアサダが生きているときに、アサダの当時付き合っていたピーの実家の広島に遊びに行った。

 せっかく広島まで来たので、市内にあるイエスズ会の施設に、アサダとピーも連れて、95年にカルカッタで会った柳田神父に会いに行った。

 その柳田神父が片柳君の先生だった。

 彼と会うのは、それぶりだった。

 元々彼とは自分が山谷に行き始めた95年から知り合いであった。

 シスタークリスティーやシスターメルシーマリアから、彼が三月に来ると知らされていたので会うのを楽しみにしていた。

 さて、神父になった片柳君はどうなっているのだろう・・・と思っていたが、会ってみれば、やはり片柳君は片柳君だった。

 カメラ好きで、マザーのマニアだった。

 一度だけ、彼とちよちゃんと食事をした。

 そのときにいろいろとマザーのことやシスターたち、マザーの修道会のこと、カルカッタのことなど話した。

 ちよちゃんは、自分と片柳君の話はなかなか面白かったとあとになって言っていた。

 自分が彼女に「彼はマザーのマニアでしょ?」と聞くと、「Tetsuさんもそうでしょ?」と言われ、「そうだね。自分もマザー好きに違いないね」。と言って笑った。

 どんな神父であれ、完璧なものなどいない、完璧なものは神さましかいないと言うのが真実であろう。

 マザーハウスで神父になった彼の姿を見て、彼の夢が叶って良かったと思った。

 五週間滞在が一緒になり、彼はかなり前から知っている自分がいることでなにかとやりづらいことがあったかもしれない、それは申し訳ないと今でも思っている。

 ただやはり彼の元気な姿を見れて良かったと思っている。

 彼は山谷にはまったく顔を出さなくなってしまったが、また何かの機会で東京に来ることがあれば、来てほしいものである。
 

「捕まらないもん!」

2011-04-27 12:23:40 | Weblog

 晴れた日は毎日午前中にあんと多摩川に行く。

 今朝もいま行って帰ってきたところ。

 だけど、今日はあんはぜんぜん呼んでも来ないし、おまけに風が強くて、グランド近くは土ホコリが凄かった。

 土ホコリが舞うとあんは両前足で顔をかきながら走ったりもしていた。

 ようやく近くにあんは来たと思うと、「捕まらないもん!」とでも言う感じで、すぐに逃げていく。

 仕方がないので遠くのベンチの方にいたあいちゃんのところまで誘うと、もうあいちゃんのところまで300メートルぐらいダッシュして行った。

 その前に今日はかなり走り回ったのに、それでも、あんは大好きなあいちゃんのところまで走っていった。

 そして、ボール投げをしているあいちゃんのそばをクルクル回って遊んでた。

 あいちゃんは最近おじさんが散歩している。

 病気療養中のためにおじさんがあいちゃんを多摩川に連れてきている。

 そこでやっとあんも疲れ果て、自分に捕まった。

 あん、確保!って感じでホッとした。

 まったくあんは元気でおてんばで仕方がない。

 だが、こうしたあんだが、以前のように歩いている人のところに行ってじゃれたりしなくなった。

 少し成長していることは確かである。

 そして、きっといつかこのおてんばぶりも見せなくなるときが来るだろうと思う。

 今日は今日でそれで良かったと思える。

 あんは幸せで居てくれるのかな。

 自分の不甲斐なさをどう思っているかな。

 あんは一歳半になり、身体は大人になってきた。

 ウエストもきりっとしまり、お尻も小さくなり、背中の筋肉もしっかりとついてきて、とてもカッコが良くなった。

 自分の言うことは何も聞かないし、食いしん坊に変わりはないがとても愛らしい。

 毎朝自分の部屋の前で自分が起きるのを待っている。

 そして、自分の顔を見ると、尻尾をフリフリして喜ぶ。

 あんは今日をしっかりと喜んでいる。

 今日在ることをしっかりと喜んでいる。

 自分たちは今日目が覚めることに何も感じないことが多いかもしれないが、実は自分たちの力だけで今日目が覚めるわけではないと自分は感じている。

 何気なく目が覚める日々も、それ自体が奇跡のように思え、感謝に値している。

 あんはそんなことを毎朝自分に教えてくれている。

 あんの喜びのなかに。

 自分の喜びも映し出される。

 いまはまだ「捕まらないもん!」かもしれない。

 でも、それでも良い。

 いまは今のままのありのままで十分に自分にとっては素晴らしい存在である。

みんな元気にしているかな?

2011-04-26 15:15:17 | Weblog

 この前、久しぶりに文化学院の友達ガペとエリコと飲んだ。

 エリコとはアサダの葬式依頼だった。

 そこでいろいろとカルカッタの話をした。

 エリコは言った。

 「カルカッタから日本の生活に慣れるのはたいへんでしょう・・・」

 ほんとうにそうである。

 なかなか簡単にはいかない。

 日本の毎日にはミサもアドレーションもない。

 心を整え、日々感じることに否定的にならずに、肯定的に受け取り日々を送ることの難しさをやはり感じてしまうのも事実である。

 もう12回目だが、自分は自分なりに日本の生活に合わせていくには、帰ってきたばかりはあまり人に会わずにいたりもする。

 もちろん、これはもし自分が病気を持って帰ってきた場合、他人にそれをうつさないためでもあるが、それだけではなく、心が落ち着くのを自然に任せ、待っている作業でもある。

 その時間は大切であり、その過程を良く知る必要がある。

 無理やりに向こうでのことを封じ込めたりするのは危険であり、時がそれを癒すのを祈りを持って待つことである。

 今回は日本の被災と言うこともあり、これがまた少し形を変えて、自分に何かしらの影響を与えている。

 誰かにそのまま、ありのままをその人の価値観や評価なしに聞いてもらえると良いだろう。

 みんなのそばにそうした人があることを願う。

 だが、なかなかそうした人は居ないかもしれない。

 また自らも、何かしなくてはならない、このままではいけない、もっと人の役に立つことしなくてはならない、もっと認められたい・・・、こうした渇愛を生んでしまうかもしれない。

 それはすべて自分を苦しめるものであるにも関わらず、自らを苦しめてしまうことを無意識に近いところでしてしまうのでないだろうか。

 どうかそうしたことは辞めてほしい。

 もっと自分に優しくあってほしい。

 もちろん、そうした弱さをまずは認めることが良い。

 そして、自らを苦しめているものがあるならば、それを捨てる。

 その向こうへ歩き出す。

 その弱さにまた自らが惜しみない愛を注ぎ込み、そこを労わることをした方が良い。

 忙しさを言い訳に、自分の弱さを直隠しにした場合、それは決して癒えることなく、またいつか破壊となり、現れてしまう。

 もしくは身近なものや他人にその影を投影し、発散しようとしてしまう。

 そこに愛は決してない。

 愛について、何度も何度も考えていくことにより、それは祈りに変わり、行いとして現れるであろう。

 いつかありのままの自分を認められるようになってほしい。

 愛に満たされて、そうあってほしい。


 みんな元気にしているかな?

 もちろん、ずっと元気でいることなど不可能であると思える。

 そして、元気がない時にこそ、何かを見出せるのかもしれない。

 無理をせずに、無理をし過ぎずに、今日をあることを大切にし、慈しんでほしい。

 食べるものが何であれ、落ち着いた心で、美味しくご飯を食べてほしい。

 きっとあなたの美しさに気付くはず。

 小さな喜びが大きくなるはず。

 あなたはあなたで良い。

マルタウグイ。

2011-04-25 12:15:47 | Weblog

 昨日の日中は少し暑かったので、天神山の方にあんと散歩に行った。

 天神山に近くに行くと、すぐそばでウグイスが鳴いていた。

 その心地良さと雨上がりの緑の美しさに自分の心は喜んでいた。

 あんは少し涼しい木々の下に入ると嬉しそうに両足を揃え、飛び上がるように坂道を上がって行く。

 その姿も自分の心を喜ばした。

 まだウグイスはそばで鳴いていた。

 きっとウグイスもこの春の陽射しを喜んでいると思うと、またなおさら心は喜びを増して行った。

 天神山の穴澤天神にお参りをしてから、三沢川に行くと、はなに会った。

 あんははなが大好きで尻尾ふりふりして喜んでいた。

 はなもクルクル回り、あんと遊んでいた。

 しばらく、遊ばせてから、また歩き出し、三沢川を覗き込むと、コイがたくさんにいるなかにマルタウグイの群れが居た。

 50センチくらいのマルタウグイをこの三沢川で見るのは初めてだったので、とても嬉しくなった。

 マルタウグイは海から上って、長い旅を経て、はるばるここまで来たと思うと、とても感心した。

 勢い良く川の浅瀬を上がる姿などは、とてもカッコがいい。

 「凄いね!あんはマルタウグイが上がってきているよ!」とあんに話しかけても、何のことだが分かっていないあんは地面をクンクンしているだけだった。

 だが、それは独り言ではなく、緑芽吹く春の瞬間とあんが居てくれた。

 何気ない一時、何気ない日曜日のようだが、満たされた一時のなかにいることを感じ感謝した。

 今朝はあんと多摩川を行ってきた。

 あんは春風のなかを飛ぶように走り回った。

 多摩川を覗いても、なかなかマルタウグイは見つからなかった。

 たんぽぽがきれいに咲くグランドはとても心地良い風が吹いていた。

 この心地良い風があなたにも吹きますように。

 あなたが満たされた春の風に包まれますように。

HAPPY EASTER!

2011-04-24 10:48:27 | Weblog

 青空がとても気持ち良い。

 布団を干して、シーツなども洗ってみた。

 観葉植物も4つ全部ベランダに出して水をあげ、光合成をしている。

 あんもベランダで寝そべっている。

 あとで多摩川に連れて行ってあげよう。


 昨日は山谷で久しぶりにあの喋れない中国人のおじさんに逢えた。

 雨のなか、400人くらいおじさんが来てくれた。

 その全員に挨拶してから、また彼の前に行くと、ゆっくりと彼は自分に近づいて来てくれ、手を差し延べた。

 自分は彼の手を両手で受け止め、二人笑顔になった。

 嬉しかった。

 元気で居てくれた。

 彼は足を五センチぐらいずつ、すり出しながら歩いている。

 公園のトイレの前で雨で濡れたダンボール敷いて座っていた。

 相変わらず、彼は一人だった。

 孤独なのか。

 孤独であろう。

 喋れないため、一人でいる方が楽なのか。

 愛する人はいるのか。

 どうなのか。

 毎朝どのように起きるのか。

 起きて何を思うのか。

 何から始めるのか。

 彼のことを何も知らぬ自分はどうあれば良いのか。

 彼はあと誰に微笑を見せるのか。

 いつ彼は人の手の温もりを感じたのか。

 自分は何も知らない。

 知りえない。

 彼の手の温もりと微笑み以外は・・・。

 この青空を彼も見ているだろうか。

 太陽のあたたかさにほっとしているだろうか。

 言葉はすべて祈りに変わっていく気がする。

 復活の青空と太陽の優しさが誰かの何かを満たしてくれることを祈ります。

 

マザーが愛したカルカッタ。

2011-04-22 12:28:56 | Weblog

 マザーはどうしてカルカッタだったのだろうか。

 なぜ、デリーやボンベイ、カトリックの多いゴアなどではなかったのか。

 そうしたことはいくら考えても答えの出る問いではないだろうが、良くそのことを考えたりもした。

 だが、間違えなく彼女はカルカッタを愛していたのだろう。

 カルカッタを故郷のように思っていたのだろう。

 自分もカルカッタを故郷のように思っている。

 間違えなくカルカッタは自分の故郷である。


 今回カルカッタで自分が意識したのなかの一つには、マザーが愛した街にいると言うことだった。

 それもシアルダーは彼女がカルカッタに着いたばかり頃から良く歩いた場所であろう。

 そのことも良く感じながら歩いた。

 駅のサウスステーションを回るときには、マザーがいたロレットの学校の近くまで回った。

 ロレットの前では、たぶん、シュシュババンのディスペンサリーであろうと思われる救急車が来て、炊き出しや治療などをしていたので、あまりその近くまで行かず、そこに行けない人たちに食事を配ったりしていた。

 マザーは高い塀で囲まれた美しい庭がある学校を出て、シアルダーの周辺を歩き続けた。

 そこには東パキスタン{現バングラディシュ}からの難民が当時かなり居たと思われる。

 ガンディーが最後の断食をし、宗教戦争を止めたときなどはほんとうに酷い状況だったに違いない。

 人と人が傷付け、殺しあう姿や、その遺体もたくさん目にしなくてはならなかっただろう。

 マザーは激しく胸を痛めただろう。

 そこで何を考えたのだろうか。

 そこで何を感じたのだろうか。

 そこで何を祈ったのだろうか。

 そこで神さまとはどんな会話をしたのだろうか。

 自分はそんなマザーの思いを胸に置いた。

 天を仰ぎたくなるような絶望を目の前にしたとき、よりいっそう彼女の思いを自分の思いに重ねた。

 すると、不思議と自分は自分に立ち戻れた。

 彼女の激しい痛みが自分の痛みを優しく包み込んでくれるような感覚を味わった。

 カルカッタとは一言、二言、また一日、二日、一年、二年、十年、二十年、では言い尽くせない場所であるだろう。

 だが、そこに行ったものはその一生を掛け、カルカッタを思い続け、見出し続けていくものであろう。

 マザーが良く言っていたあなたの国のカルカッタを探しなさいと言うことは生涯を掛けての話である。

 自分のなかにカルカッタがある。

 天を仰ぎたくなるような貧しさがあってしまう。

 マザーはこうした自己の貧しさを愛したのだろうか。

 愛したと言う表現は合わないにしても、そこから学び続け、見詰め続け、離れることなく、祈り続けたものであるだろう。

 ならば、マザーが愛したカルカッタは間違えなくこのうちにあり、そこに彼女も居てくれるような気になってしょうがない。

 それはマザーからの愛の贈り物であり、自分たちは、それをどう受け取るか、どう答えていくか、と言うことを常に問われている。

 マザーはとても厳しい人だったが、恐ろしいほど思いやり深い人だった。

 そうした彼女の心に自分たちの心を寄り添えていきたいものである。

 マザーはカルカッタの何を愛しただろうか。

 その問いには答えがないように思えるが、その答えのない曖昧なままであれ、自分にはまた何かの答えであるように思えてならない。

 過去から、また今日この瞬間から、この生涯を終えるまで。

 マザーの心を。

 行いのなかに。

 真新しい毎日のなかに。 

トレーナーさん。

2011-04-21 12:16:42 | Weblog

 昨日は午前中の仕事だけだったので、あんと深大寺のドッグランに行った。

 仕事から帰ってきて玄関を開けても、あんはお迎えにも出てこないで、カリカリ{犬用ガムのうちでの呼び方}を食べていた。

 「食べているときはダメか・・・」と少ししょんぼりしながらも、深大寺に行く用意をしていても何かあんは元気がなさそうだった。

 ミニのエンジンも掛けるとあんはひょこひょこ玄関にやってきて、ドッグランに行くことを気にし始めた。

 「良かった!」。あんはやっぱり深大寺に行きたいんだと思い、安心した。

 深大寺に着くと、いつものようにドッグランに一目散で歩き始める。

 そして、我慢していたおしっことうんちをして、また一段と早足になってドッグランに向かった。

 大型犬、中型犬、小型犬に別れている深大寺のドッグランである。

 大型犬のところでは、あんはうまく遊べない、中型犬のところには誰も居ず、小型犬のホメラニアン一匹、おじさんと一緒にいたので、あんを連れて行った。

 あんは変な言い方だが、やんちゃだけど大人しい性格なので小型犬とうまく遊ぶ。

 ホメラニアンとも、ケンカなどはまったくせず、少し遊んだ。

 だが、すぐに向こうが飽きてしまい、あんはぷらぷら歩き回った。

 隣の大型犬のところにはシェパードが訓練士さんによって、調教されていた。

 それは凄かった。

 ホメラニアンのおじさんと二人で見ながら、凄い関心をしていた。

 バッグをしたり、ボールを投げてもとりに行っても、待ての一言で足を止め、また呼ぶ声によって戻ってきたり、ターンをしたり、他の犬がいても目もくれず、ずっと訓練士さんの方をみていた。

 おやつをあげるわけでもなく、だが、スパルタと言うか、やはり手や足を出しながら、調教していた。

 まったく凄いと見惚れながら言い、おじさんといろいろと話していた。

 「きっと接し方が小型犬とは違うのでしょう。どちらが良いとかではありませんが・・・」とおじさんは言っていた。

 自分もそれに納得した。

 しばらくすると、黒柴を連れてきたおじさんが来た。

 そうすると、あんはもうずっとその黒柴を走り回って遊んでいた。

 そのおじさんと話し始めると、おじさんはトレーナーらしく、お客さんの黒柴こまを遊ばせに来たらしかった。

 ずっと犬のトレーナーさんと話がしたかったので、よくしつけやどう接すれば良いかなどを伺ってみた。

 知っていることも多かったが、なるほどと思うことが結構あって良かった。

 伺った話のなかに、必要以上にアイコンタクトを取らない方がいいという話だったが、これはどうも自分には無理のように思えた。

 あんが可愛くて、よく見ていることが多いし・・・。

 それでも、話を聞けて良かった。

 あんも可愛いと褒められたし。

 やはり誰が見ても、大人しい性格の持ち主のあんに見えるようだ。

 それに良く多摩川を走り回っているので、足は太くなり、小さいながらもがっちりとした体格になってカッコがいい。

 いつもよりもたくさんドッグランで遊んだ。

 「おいで!」をしてもまったく来ないあんだったが捕まえると、もっと遊びたいとくねくねした。

 トレーナーさんちの犬も来て、遊んでいたが、「どうも自分のいえの犬になるとしつけが難しくて・・・」と言っていた。

 呼んでもなかなか来なかったし、たまに吠えたりもしていた。

 それって・・・?

 あんのしつけは難しいと言うことなのか、プロに頼んだ方が良いと言うことなのか、どうなのか。

 ?マークが残りながらも、その完璧さの無さが自分には良いように思えた。

 ほんとうにたくさん遊んで帰ってきた。

 木々の木漏れ日もとてもきれいだった。

 家に着き、母親にドッグランに行ったことを言うとあんは午前中も多摩川を競馬馬のようにグルグル走り回ったと言う。

 だから、自分が帰ってきても、どこか元気がないように見えたのは疲れていたからだった。

 夕飯を食べると、あんももうコテッと寝ていた。

 十分に遊んで嬉しかっただろうと、その寝顔を見て微笑んだ。

 いつか「おいで!」が出来るようになれば嬉しいと思ったりしながら・・・。

あんはゴロゴロ。

2011-04-19 12:33:49 | Weblog

 今日はとても寒い。

 あんは半分つけたあたたかなホットカーペットのうえでゴロゴロしている。

 いまだんだんと空が明るくなり、雲の切れ間から陽射しが差してきた。

 雨上がりの空気はやっぱり好きだ。

 花や木々、草たちもきっと好きだろう。

 それが表によく出ている。

 自分もゆっくりと深呼吸をする。

 一つの呼吸で何かが新しくなり、何かが始まっているに違いない。

 それは自分であって、自分のなかに起こっていることにも関わらず、自分はそれを知りえない。

 誰が何を知っているのかなど分かりえない、自分はそれを知りえない。

 瞳に映った世界だけが世界ではない、自分はそれを知りえない。

 そこで自分がどこまでも小さいものであることを知りえる。

 それを喜びをもって、あたためる。

 あんはまだゴロゴロしている。

 陽射しが差してきたので、観葉植物に水をあげると新しい葉が出てきたのに気が付いた。

 それを喜びをもって、眺める。

 この喜びは果たして誰が与えてくれたのだろうか、自分はそれを知ろうとする。

 それを感じようとする。

 すると、世界は輝きを増してきたように感じられる。

 今日も愛ある一日である。

 この世界からの微笑みに気付くようにあってほしい。

 愛しい人たちよ。

仕事納め。その5。

2011-04-18 17:37:26 | Weblog

 ハビィとまたジュリアン・スクエアに戻り、タバコに火をつけた。

 ハビィと一緒にタバコを吸いながら、彼に、自分は彼らにほんとうに申し訳ないことをした、この自分のどこに死を告知する資格があるのか、自分は良くなかったと言った。

 だが、彼は落ち着いた表情で、今日のことは一生忘れない、これで良かったと言ってくれた。

 ほんとうにそうなのか、答えは一つではない、自分が選んだ答えがほんとうに良かったのか、どうか問い続けた。

 告知は自分たちの国では常識であるが、それをこのインド、この家族にあてても良かったのか、どうなのか・・・。

 自分たちは容易に自分が正しいと思い込んだものを相手にしてしまうが、それが相手を激しく苦しめるときがあり、また傷付けた方はその正しいの思い込みから、傷付けたことすら気付かないでいる場合があってしまう。

 そんな自分ではなかったのだろうか・・・。

 自分は間違えなく、母親を傷付けた。

 その罪は消えないことは確かだった。


 そして、ハビィにはもう一つ伝えた。

「もうプレムダンとカーリーガートは無理だけど、もし彼女が体調が悪くなったら、シャンティダンに運んで欲しい。そして、毎日の食べ物などは渡し続けて欲しい。
 そして、どうか彼らのために何かをすることを諦めないでほしい。
 どうかよろしく頼む」。

 彼はそれを快く受け容れてくれた。

 もう日本に帰らなくてはならない最終日の仕事で、こうした問題を残して去ることは、ほんとうに胸の痛むことだった。

 駅で働くみんなに申し訳ない思いで一杯になった。

 しかし、やはり自分たちが何かをするのではない、神さまがしていくれていることに違いはない、きっと良くなるだろうと切に祈り願った。

 
 それから、男性病棟の患者とワーカーに最後の別れを告げ、次に女性病棟のワーカーと別れを告げた。

 食事を配るところの掃除をしていた彼女らに「ありがとう。自分は明日日本に帰る。患者たちを受け容れてくれてありがとう。そして、これからも患者たちには優しくするように。優しい心と愛ある心を持つように。持ち続けるように」。そう言うと、彼女たちも真剣になって聞いてくれ、彼女たちも「ありがとう」と言ってくれた。

 プレムダンから出た坂道を歩く、最後の坂道を下るこの思いは寂しさと感謝の思いが激しく交差しているのを感じながら、それを味わいながら歩いた。

 何度もこの道を歩いたが、別れの日の坂道は感慨深いものである。

 すでに自分の心と身体は疲れ切っていた。

 少し横になりたかった。

 ハウラーでボランティアをしていたマックスとの最後の昼食があったが、それは辞めようとしていたが、ハビィに捕まった。

 それでは冷たいものだけ飲んで帰ろうとしてが、またハビィに捕まり、彼は自分が払うからと食べ物を注文してくれた。

 彼の思いが嬉しかった。

 嬉しかったが、そのときに自分にはもうそれを受ける力がなかった。

 すぐに注文したものを食べ、マックスとハグをして、その場には15人くらい居たが一人帰った。

 
 これは最終日の仕事だった。

 こうして書いている今であれ、自分には分からない、正しかったのか、どうなのか、問い続けるものがある。

 だが、ハビィから、何日か前にメールが来た。

 「とても良いニュースがある。あの母親はシャンティダンに入ることが出来た・・・」

 それを読んだら、涙が出てきた。

 その愛ある知らせに涙が出てきた。

 彼はどれだけ自分があの家族のことを心配していたかを気に掛けていてくれたその思いがほんとうに良く分かった。

 そして、彼らも自分と同じようにその家族のことをずっと心配していた。

 すでに遠く離れた場所であれ、心は同じだった。

 嬉しくて涙は出た。

 だが、これで終わりではない、きっとこれからも辛いことはあるだろう。

 それでも、路上で苦しみながら、亡くなることは決してないだろうと思うと気が少し休まった。

 最後のその時まで、力の限り生き抜いて欲しい、きっと彼女がそうあれるように神さまはそうしてくださったに違いない。

 完璧などないが、出来ることのなかで最良のことは祈りとともに行われ続ける。

 愛ととも行われ続ける。

 祈りと愛なくして行われない。

 それを自分たちは学び続け、感謝し続けることであろう。


 ―欲望と恐れからの救い― マザーテレサ。

 神よ、わたしをお救いください

 愛されたいという欲望から

 ほめられたいという欲望から

 名誉を得たいという欲望から

 称賛されたいという欲望から

 人よりも好かれたいという欲望から

 相談されたいという欲望から

 よく思われたいという欲望から

 人気を得たいという欲望から

 屈辱を受けるという恐れから

 軽蔑されるという恐れから

 非難されるという恐れから

 中傷されるという恐れから

 忘れ去られるという恐れから

 ひどい扱いを受けるという恐れから

 嘲笑されるという恐れから

 疑われるという恐れから