カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

一番好きな場所。

2011-05-31 12:58:56 | Weblog

 今日は晴れた空があった。

 バナナ一本と豆乳一杯を飲んで、ベランダで寝そべっていたあんを呼んで多摩川に向かった。

 多摩川に行くと、あいちゃんとあいちゃんのお母さんが見えた。

 「あん、あいちゃん、居るよ!行こう!」

 そう言ってから、一緒にダッシュで沿線道路を渡った。

 グランドに降りると、あいちゃんたちの姿は見れなかった。

 たぶん、あいちゃん、沐浴しているかなと思い、川辺まで行くと、あいちゃんとあいちゃんのお母さんは座って多摩川を見ていた。

 「おはようございます。あいちゃん、沐浴していたんですか?」

 「いえ、いつも帰る時にここに座って多摩川を見るんですよ。ここが一番好きな場所なんです」。

 「そうですか、ここは良いですね」。

 遠くに行っていたあんもあいちゃんとあいちゃんのお母さんの姿を見ると飛んで近寄ってきた。

 それから、あいちゃんと追いかけっこしてしばらく遊んでた。

 あいちゃんに追い詰められるとあんは耳を平行し、尻尾をたらんとして、あいちゃんのお母さんの近くに逃げ込み、また走り出し、その繰り返しをして、楽しそうに遊んでいた。

 あんは毎日ボール投げで鍛えているあいちゃんにはまだ適わないらしい。

 あいちゃんはもう十分遊んでいたので、そこでお別れして、あんとまた少しボール投げをして遊んだ。

 心地良い風がほんとうに気持ちが良かった。

 あいちゃんのお母さんが一番好きな場所と言うのも、ほんとうに良く分かる。

 天国に行ったとしても、自分はまたここにあんと一緒に来たい場所である。

 ならば、そこは天国も同じであるようにも思える。

 優しい愛に満ちた場所である。

 一番好きな場所に座り、日々あるいろいろなことをまた省み、新たに新しいものを育むことが出来る場所である。

 川が流れ、風を受け、鳥が飛んでいく先を見る。

 地にはタンポポや小さな可愛い花たちが咲いている。

 てんとう虫もいた。

 あんも自分も微笑む。

 あんも自分もここが大好きな場所である。

 今日は太陽も微笑んでいた。

 「あん、今日も楽しかったね」そう言って、多摩川から帰ってきた。

奇跡の今日。

2011-05-30 11:58:03 | Weblog

 奇跡の今日が今も流れている。

 かけがえのない今日に呼吸している。

 先のことなどは分からない。

 だから、常に今が問われている。

 先のことを不安がり、今日を生きるより、この奇跡の今日を思う存分慈しみ生きる方がいい。

 無くなってから大切なものに気付くより、今あるものを思う存分大切にし有り難く思えばいい。

 命はそれを喜び、魂は待っている。

 分かっていることさえ出来ないのであれば、ただそれを優しく認めてあげよう。

 そこに愛は宿る。

 そこで愛は育つ。

 そして、あなたは癒される。

 愛し愛される。

 
 振り返ると、みんなが微笑んでいる。

 前を向くと人生が微笑んでいる。


 あなたはずっと見守られていた。

 愛し愛されていた。

  

飛び出せ!科学くん。

2011-05-29 11:35:48 | Weblog

 昨日はサイんちで「飛び出せ!科学くん」を見ていた。

 昨日は多摩川の特集だった。

 はなもいたが、はなはずっと寝ていた。

 自分は子供の頃からほんとうによく釣りをしていた場所が映ると嬉しいものである。

 コイの産卵場所を作っていた場所は大きなナマズやウナギ、スッポンなど釣っていた場所である。

 そこであの山ちゃんにも良く会い、いつも多摩川の話をしたのを思い出す。

 その時彼は投網で鮎を捕まえていて、小学校の子供たちに多摩川の鮎を食べてもらうとのことだった。

 そういえば、石坂もマオ{小学生の娘}と一緒に山ちゃんが開いた多摩川の魚を食べる会で鮎を食べたらしい。

 今も釣りに行きたいが、あんとの楽しい散歩があるのでなかなか行けないがまた行きたいと思った。

 あのコイの産卵場所を作っていた場所は、三沢川が多摩川に合流する中野島のダムのところである。

 あそこから穴澤天神の下の三沢川までコイやマルタウグイは上がってくる。

 それをあんと一緒にいつも眺めている。

 自分は魚を見るのがとても好き。

 泳いでいるのも売っているのも、見るのが楽しい。

 カルカッタでも魚を売っている場所では足を止め、どんな魚がいるのかを良く観察したのものだった。

 
 一時期はうちに水槽が4個もあり、小さな多摩川を水槽で作っていた。

 28種類の多摩川の魚を入れては、それを眺めながら一杯やるのが楽しみだった。

 いま水槽は一つ、メダカが七匹いる。

 このメダカもなかなか可愛い。

 いつも手を叩いてから餌をあげるようにしていたので、今では手を叩けば、上の方に上がってくるようになった。

 これが可愛い。

 
 そういえば、あのお魚ポストも山ちゃん発案である。

 いつかはお魚ポストを覗いてみたいものである。


 今日は少し肌寒くも感じる雨の日。

 こうした日はあんは丸くなって座布団の上で寝ている。

 雨の日はあんと多摩川に行くのはお休みである。

 そして、あんはすやすやおやすみしている。


Big question.

2011-05-27 13:10:01 | Weblog

 かほちゃんがこの前インドのことをまとめ、レポートを出すときに自分にこう聞いてきてくれた。

 「Tetsuさんの目に映るカルカッタの町はどんなふうですか・・・?」。


 そのあと少しして自分はケイタイから返信した。

 その文章を頼まれていたライブハウス「アピア40」のフライヤーの用に少し足して書き上げてみた。

 
 「あなたの瞳に映るカルカッタは・・・」

 12回目になるカルカッタから帰って来ると、友達からあなたの瞳にはカルカッタはどう映るのですか?と聞かれ、自分はこう答えた。

 カルカッタは自分が愛してやまないマザーテレサが愛した街として感じ見るとき、それは彼女の思いを通して、深く自身の心と全身に彼女の痛みを感じるとともにまた愛をも感じさせてくれる。

 それを自分はこの上ない喜びとして受け取り、また歩む勇気となり、それらは常に与えられていた。

 マザーは、なぜ、カルカッタを選んだかについてもよく考えた。

 だが、それには確信たる答えなどないと言うことに行き着き、神さまの配慮としか言いようがない。

 にもかかわらず、そこにはその意味が漂っているように思えてならない空気に満ちている。

 カルカッタは世界一、人がひしめき合う街と言うだけあり、人びとの活きる力のエネルギーが埃とともに肌にまとわりつくほどに感られる。

 そこには生と死が当たり前のようにあり、また当たり前のようにあることを忘れていたことを思い出させてくれる。

 不条理もあれば、不条理を乗り越えていく、人のかけがえのない健気さ、直向きさに触れることも出来る。

 すべては神さまの配慮として、用意されたものに答えていく喜びを見出だし、そうしてきたマザーの思いに自身の心を近付けられる場所でもある。

 それは終わりなく、永遠に彼女が姿を変えて、自分たちを見守り続けている証がこのうちにあることを証明してくれる。

 自分はそれを喜んだ。

 祈りのなかに。

 ならば、カルカッタは祈りの地としてあり続けている。

 マザーはいつか聖者になるだろう。

 そうすれば、今まで以上に世界中からカルカッタに人々は足を向けるだろう。

 多くのものは癒しを得るためにあの地に立つことになるだろう。

 ならば、カルカッタは癒しの地としてあり続けるだろう。

 マザーの魂とともにある街である。 

 マザーと語り合い続けられるかけがえのない街である。

 「愛し愛されるために私たちはいる」。

 彼女の言霊が響く街であり、自分の故郷である。


 
 あなたにはあの街がどんなふうに映るのだろうか?

 この瞬間もあの街を想えば、このうちににじみだすようにあたたかなものが生まれてくる。

 それに感謝せずにはいられない。

 愛しくてたまらない街である。

 マザーと出会ったかけがえのない街である。
 

沐浴。

2011-05-26 13:18:17 | Weblog

 今日もトコトコ多摩川にあんと散歩に行った。

 途中通る公園ではおじぃちゃんあばぁちゃんたちがお年寄りゴルフに熱中していた。

 あれもかなり面白いんだろうと思いながら、その横をトコトコ歩き、多摩川に向かった。

 今日はラクロスをしている学生もマロンも見当たらなかった。

 あんはしばらくの放牧状態の後、ボール遊びに入り、おやつがもらえるから何度か一生懸命にボールを追っていた。

 グランドにはタンポポや小さな花たちがとってもきれいだった。

 それをのんびりと眺めて、あんが遠くから戻ってくるのを待ったりしていた。

 ある程度遊んだから、あんにリードをして、もう帰ろうとしていると、この前遊んだハナちゃん{パピオン4歳}が遠くの方から来たので、あんをまた放してあげると喜んで近くに行って追いかけっこしていた。

 するとあいちゃん{雑種犬}が来た。

 今日はあいちゃんはお母さんと一緒に来た。

 あんは小さいときからあいちゃんが大好きだったので、すぐにハナちゃんと離れ、あいちゃんの方へダッシュしていった。

 あいちゃんのお母さんも大好きなので、あんはあいちゃんのお母さんの周りもグルグル回って、出会えたことを喜んでいた。

 あいちゃんにはいつも相手にされないが、あいちゃんがボール追いかけるその周りをくっ付いているのがあんは楽しいらしい。

 それから、しばらくあいちゃんのボール遊びにあんは参加した。

 その間、ハナちゃんは多摩川で沐浴中。

 小さいパピオンが多摩川で沐浴するのを始めてみた。

 続いて、ボール遊びで身体が温まったあいちゃんも多摩川で気持ち良さそうに沐浴していた。

 あいちゃんのお母さんはあんに向かって「あんちゃんは真似してないでね」と笑っていっていた。

 今のところ、小心者のあんは多摩川には入らないような気がする。

 それで良いと思っている。

 それで助かっている。

 多摩川に入ったら、またシャンプーしなくてはいけなくなるし、いろいろとあんにとっても自分にとってもたいへんなことになりそうなので、あんは沐浴なしで良い。

 今日はあんは十分に遊んだ。

 久しぶりに多摩川を離れるときにまだ帰りたくないと腰を下ろしたりもしたが、それでも帰り道はくたくたになってトコトコ歩いていた。

 良く遊んだ今、あんは良く昼寝している。

 「あん、今日も楽しかったね」と語りかけ、あんの頭を撫でる。

 

マロンはワンワン!

2011-05-25 12:33:12 | Weblog

 今日は多摩川のいつものグランドに散歩に行った。

 ここ何日か、雨などで多摩川のグランドへは行かなかったので、あんは思いっきりグランドを駆け回っていた。

 気温もまだそれほど高くなく、クロのあんの身体も熱くならず、気持ち良い風の吹くなか、何度も深呼吸したくなった。

 あんはピョンピョン跳ねるように喜びながら走り回った。

 そこで久しぶりにマロン{パピオン}に会った。

 もう半年ぶりぐらいにはなるかもしれない。

 マロンはいつもおじぃちゃんと散歩している。

 相変わらず、良く吠えるがあんと楽しそうに追いかけっこして遊んでくれた。

 マロンのおじぃちゃんはあんのことが大好きで良く可愛がってくれていた。

 今朝もあんを良く撫で、「可愛いね~」と言ってくれた。

 あんも良くおじぃちゃんのことの傍にずっと行き、おじぃちゃんが投げるボールをマロンよりも早く取ってきては、またピョンピョン走りながらボールをくわえ、じゃれ遊んでいた。

 マロンは奪われた自分のボールを取り返したい一心で「ワン!ワン!」あんに向かって吠えていたが、そんなに怒っている感じでもなく、「もうボール返して~」って言っているように見えた。

 その光景も可愛かった。

 あんはマロンとおじぃちゃんが帰ろうとしてもついていき、まだ遊ぼうとせがんだ。

 おじぃちゃんのズボンの右のポッケに入っているボールを狙い、そこに何度も前足をあててせがんでいた。

 その度、おじぃちゃんもあんが可愛いと見えて、また何度かボールを投げてくれた。

 そこでマロンとおじぃちゃんとは別れ、少しグランド周りの歩いて、彼らが遠く見えなくなってから、またあんを放すと、最初は良かった。

 自分のすぐ傍を歩いていたが、今度はラクロスをしている学生の方まで200メートルぐらいダッシュして行った。

 彼らもあんのことを良く知っているので遊んでくれた。

 ゆっくりと歩いて近くまで行くとあんもとても疲れたらしく、トコトコと自分の方へ歩いてきた。

 十分走り回り、みんなと遊んでもらい、楽しかったのだろう。

 あんは満たされた気持ちでいた。

 その気持ちは自分も同じだった。

 またマロンとおじぃちゃんに会えてほんとうに良かった。

 心地良い風が吹くなか、気持ちの良い散歩だった。

 有り難く有り難く、それを味わい喜びながら、多摩川から帰ってきた。

歌う心の祈りのなかに。

2011-05-24 11:36:03 | Weblog

 パソコンの前にはマザーハウスの二階にボランティア用に用意された祈りのものと同じものをいつも置いている。

 ふと今日はこの歌を歌った。


Oh most pure and loving heart
Of my mother and my Queen.
Grand that I may love thee,
Love thee daily more and more.
Grand that I may love thee.
Love thee daily more and more.

 この歌はマザーハウスの朝のミサの最後に歌われる。

 この歌はマザーハウスからシスターたちが移動になり、カルカッタ離れる時に送られる歌でもある。

 何度この歌を歌っただろうか。

 この先も何度この歌を歌うのだろうか。

 その度、何を想い、何を感じるのだろうか。

 その度、あなたは何を想い、何を感じるのだろうか。

 歌う心の祈りのなかに。

くじら公園のお魚ポスト。

2011-05-23 17:18:55 | Weblog

 今日はあんをくじら公園に連れて行った。

 途中工事現場があり、そこだけ抱っこしてあげた。

 まだ工事現場の音などは怖いみたいだった。

 そこを通りぬけ、あんを下ろすと二人で工事現場から逃げるように走った。

 すぐにくじら公園に着いた。

 くじら公園は大きなくじらが砂場にあるので、子供の時から、そこはくじら公園と呼ばれていた。

 そこにはお魚ポストなるなるものがあって、飼育していて飼えなくなった魚を引き取っていた。

 そこを見に行くのを楽しみにしていたが、カギが掛かって中まで入って見れなかった。

 残念だったが仕方がない。

 郵便局も休みがあるから、お魚ポストも休みがあるだろうと思った。

 石坂の話しに寄ると、熱帯魚などの場合は前もって電話が必要になるらしい。

 そうするとその係の人がちゃんと受け入れてくれるみたいである。

 まぁ、そうしないと熱帯魚の場合、すぐに死んでしまうからである。

 お魚ポストの前に新聞の切り抜きが貼ってあった。

 多摩川の鮎の天ぷらを出す店が紹介されていた。

 だが、自分はやはり食べれないだろうと思った。

 子供の頃からよく多摩川で遊んでいたが、友達の誰も食べてはいなかったし、あまりにきれいとは言えない。

 今は下水もほとんど整い、水が自分が子供だった頃よりもきれいだと言うものの、なかなか食べる気にはならない。

 しかし、鮎はたくさんいる。

 いつもあんを放牧させるグランドの方の多摩川を覗けば、いま稚鮎がたくさんいる。

 この前はラクロスをしている学生がその練習を終えると、多摩川に入ってしまったボールをパンツ一枚になって川の中に入り、取りに行く。

 それと同時にビニール袋を持って、何かをしていた。

 それはきっとたくさんいる稚鮎を捕ろうしたに違いない。

 ビニールで捕れそうなくらいたくさんはいるのであるが、しかし、食べる気にはならない。

 その一線を越えてしまえば、自分もアミでも持って、あんを木に繋いで置いて、鮎を捕まえるのだろう。

 それも面白そうだけど、そうした気持ちは、今はまだ眠らせて置こう。

 生まれてはじめて来るくじら公園をあんは喜んで歩いた。

 人工的に作られた川があり、それを渡るために石がある。

 あんはそれを上手に渡ることが出来たことに喜んだりした。

 くじら公園の近くにニカウの家がある。

 ニカウは小学一年からの友達である。

 病気療養中なので家にいると思い、あんと家に行ってみた。

 あんは初めてニカウに会うがとても喜んでいた。

 だけど、知らない場所でゆっくりとすることがまだ出来ず、どこかへ行こうとするので、ニカウと一緒に少し多摩川に行くことにした。

 毎日道を変え、知らないところを歩いたりするのはあんの脳に対して良いらしいので、なるべくそうさせている。

 きっとあんの脳は凄い勢いでいろんなことを感じ取っているのだろう。

 また初めての人とゆっくりと歩くこともあんには良いのだろう。

 きっとだんだんと大人になり、小心者のあんから育っていくことを楽しみに今日も一緒にいる。

 少しニカウと話しが出来たのも嬉しいことである。

 ニカウもきっと良くなる。

 そう願わずにはいられない。

 ニカウは優しくてとても良い奴である。

 しばらくニカウと散歩してから別れた。

 帰りは京王線の高架橋の下を通った時に、電車が通ると、またあんは戻って逃げるのか、先に急いで逃げるのかに一瞬迷いながら、それでも前へ逃げようとしていたあんが面白かった。

 その先を行くと歩きなれた道をあんはトコトコ安心して歩いていた。

 その小さな一歩一歩であれ、あんは間違えなく成長している。

 その目には見えぬものまでも愛おしくてたまらないのである。

 

今週もカレーは足りなかった。

2011-05-22 12:02:52 | Weblog

 やはりだんだんとカレーを食べに来るおじさんたちもこの時期になると増えてきた。

 540個用意したが25人ほどの人がカレーをもらえず、ビスケットをもらって帰った。

 来週は600以上カレーを用意しなくてはならないだろう。

 今週もあの中国残留孤児のリーさんはカレーを食べに来てくれた。

 先週よりも少し清潔感のある服装をしていて、少し安心したが、またカレーを食べているときに少しむせ、嘔吐していた。

 うまく嚥下が出来なくなってきているのかもしれない。

 自分でも身体の体調が良くないことが分かっているようでタバコもやめているようだ。

 「ニイハァオ」。と自分が笑顔で声を掛けると、「ニイハァオ」。と少しどもりながらも少し微笑んで答えてくれた。

 いつものように彼の差し出された手を両手を受ける。

 日本語で申し訳ないが、少し語り掛け、最後に「サイチェン」。と言って分かれた。

 この機会に少し中国語を覚えて、リーさんに会いに行こうと思った。

 
 その後、ここ一ヶ月ほど良く話をしているおじさんのところに行った。

 彼は先週割り箸をカッターできれいな箸のように丸くしていた。

 そうすると暇つぶしになると言って笑っていた。

 なかなかうまく丸くならず、いつも最後は折ってしまうと言ってまた笑っていた。

 今週はプラスティックの箱のなかに何を入れ干していた。

 良く見ると、それはノビルだった。

 荒川の土手まで行って採って来るらしい、少し干してからしょう油漬けにして食べている。

 彼がいつも座っている大きな木の下近くに大きくなったキノコをあった。

 「オレ、これ狙っているんだけど・・・」と言って笑っていた。

 「このキノコはダメだよ。食べれないんじゃない。辞めた方が良いよ」。

 「そうだね、やっぱりダメだよね」。と言ってまた笑っていた。

 笑顔がほんとうに柔らかく優しいおじいさんである。

 歳は72と言っていたが見た目には80以上にも見える。

 それだけ苦労してきたことが顔に出ているようにも思えた。

 「また来週ね」。

 「いつもありがとう」。

 言葉にはしなかったっが、どうか元気で居てくださいと心のなかで呟き、祈りにした。

デジカメ。

2011-05-20 17:28:55 | Weblog

 カルカッタには生まれて初めて買ったデジカメを持っていった。

 少しは写真を撮ろうと思っていたが、やはり撮らなかった。

 カルカッタから帰ってきて、初めてデジカメを触った。

 ぜんぜん使い方も何も分かっていない。

 矢印を押したら、そのなかにはジョンの写真が一枚だけあった。

 彼を空港まで見送る前に撮った写真だった。

 ジョンは良い顔をしていた。

 14・5年ぐらい前にも同じようなジョンの写真を一枚だけ撮った。

 その時と同じような良い顔をしていた。

 どちらの写真を自分をあたたかくしてくれるものである。

 ほんとうはもう少し写真を撮りたかったと向こうで思っていたが、そうもせずにいた。

 もう十分は自分のこの内では何度もシャッターを押している。

 この内にはたくさんのアルバムもある。

 そうした理由からなのか、照れからなのか、自分は自分のそれを分かりきらない。

 だが、向こうでの写真を見るのはやはり好きである。

 お蔭様でフェイスブックにはみんなが写真を残してくれている。

 それを見るのが嬉しい。

 自分の意識していないところからの写真などは見るといっそう嬉しくなる。

 そこには自分の知らない自分がいて、何をしているかを教えてくれている。

 その時の心が今の心のなかで蘇える。

 みんな元気にしているかなって思う。

 気が付けば祈っている。

 気が付けば愛のなかにいる。

 
 今日はあんのシャンプーをした。

 ノミ・ダニ予防のフロントラインもして、これでまた安心して多摩川で遊べる。

 今朝も多摩川ではあんを呼んでもぜんぜん来ない。

 また放牧である。

 専修大学のラクロスをしている学生に遊んでもらったりした。

 三歳ぐらいの可愛い女の子にも頭を撫でてもらった。

 あんは静かにしていた。

 相手が小さい子だとちゃんとわきまえている。

 あんの素晴らしいところである。

 また夜に散歩に行こう。