カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

きっと。

2020-03-30 11:51:11 | Weblog

 人間は期限がない努力をする力が弱い。

 いつまで我慢すれば良いのか分からなくなり、途方に暮れ、不安に操られ、自暴自棄にもなってしまう。

 その不安を操っている、作り出しているのが自分自身であることにも気が付かないうちに。

 この今、不安があって、当たり前である。

 だが、出来ることをしっかりとして不安をもう一度見詰め直せば、自暴自棄にはならないだろう。

 また出来ることを一つひとつ見つけ出すことにより、それを有り難く思えるようになるのではないか。

 当たり前にあったことが当たり前ではなかったことを今、私たちは痛みともに学んでいる。

 今こそ、大切なものを大切にし、それに惜しみなく感謝しようではないか。

 私たちは知っている、永遠に続くものがないことを。

 先はまだまだ見えないが、きっとこの痛み苦しみには終わりが来る。

 それを願い、祈り、一日耐えた今日を喜び、感謝しようではないか。

 「そんなこと言っても・・・」と言う人もいるだろう。

 ならば、自分を自分でマインドコントロールするのである。

 「私は今日を健康に生きれて良かった」

 「私は笑顔を見れて良かった」

 「私は花を美しく思えて良かった」

 「私は大切な人と会えて良かった」

 「今日、私の大切な人は元気で良かった」

 思いつくことを次々と自らに呟くと良い。

 それはすでに祈りとなり、また何かに変容していく。

 何かより良いものへと。

 きっと。
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We pray。

2020-03-28 16:59:03 | Weblog

 先週の週末から、私は自分のビデオメッセージを海外の友達に送った。

 何も出来ないけど、何もせずにはいられなかった。

 そして、お互いにビデオメッセージを送り合った。

 イタリア、スペイン、アメリカはとても深刻な状態が続いている。

 しかし、私たちは励まし合うことが出来る。

 私たちは相手を大切に思うことが出来る。

 それは誰にも邪魔することは出来ない。

 それはウィルスにも侵されない。

 遠く離れていても、私たちは祈り合い、私たちは愛する、その魂を疑わない。
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窓を開けて。その3。

2020-03-25 13:27:27 | Weblog

 ほんとうに静かにやってきたコロナウィルスは瞬く間にロンバルディア州に広がった。

 ダニエルの母親はガンの末期であったが病院ではもう看ることが出来なくなった。

 母親の免疫力が低いこともあったが、病院の廊下までがすぐにコロナウィルス患者で一杯になったからであった。

 緊急の時は病院に連絡するようになっているが、それはもう何も出来ないのと同じ状態である。

 現在イタリアでは死者をしっかりと看取り、見送ることさえ不可能な状況である。

 死が常に背後にある。

 ミサ、告解もない。

 だが、誰もが祈らずにはいられない。

 ダニエルは窓を開けて、一人でミサを捧げている。

 私はダニエルがどんなに辛い思いでミサを捧げているのかを思うと、涙が止まらなくなった。

 私はダニエルがどんなに辛い状況下にあるにも関わらず、私への祝福を願い、祈っていることを疑う余地はない。

 ダニエルのメールの最後にはこうあった。

 日本語変換がないためにダニエルからの返信はローマ字である。

 「Itsumo itsumo itaumademo My brother no ueni Shu no yutakana shukufuku ya megumi ya Seirei no odayakana kaze ga furisosogaremasuyouni」

 「いつも、いつも、いつまでも、私のブラザーの上に、主の豊かな祝福や恵みや聖霊の穏やかな風が降り注がれますように」

 「Thank you for being my brother, now and forever trusting in the Lord our strentgh」

 私は穏やかな風を浴びる度に、ダニエルのミサに授かっている。

 私の兄弟であるダニエルからの祝福を受けている。

 この今も受けている。

 この繋がりは有り難くてしょうがない。

 この繋がりに私は微笑まずにはいられない。

 この繋がりは一生消えない。

 この繋がりはウイルスよりも強く広がり繋がっていく。

 この繋がりは意識を超えて、無意識まで広く広く広がっていく。

 そして、この繋がりは私を超えていく。

 また誰かと繋がっていく。

 
 
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窓を開けて。その2。

2020-03-23 11:38:31 | Weblog

 ダニエルは山谷で召命を受けた。

 私が彼からカテキズムを受けている時にすでに彼はあることを決意していた。

 彼は聖ザベリオ宣教会を辞めて、MC{マザーテレサの修道会の略・日本語では網の愛の宣教者会}のブラザー{修道士}の会に入会することを決めていた。

 MCには司祭の会もあるが、彼はブラザーの会を選んだのだった。

 私はそのことを知った時、驚きと喜びを同時に味わった。

 彼は比類なる謙遜の男だった。

 それだけではない、いつも穏やかで明るく、誰にでも隔たりなく、愛ある態度でいつも接していた彼はまた誰からも愛される男だった。

 私はそんなダニエルにカテキズムを教えてもらったことを生涯誇りに思うことだろう。

 そして私は彼を兄と慕っている。

 この絆は消えようがない。

 ダニエルは無事にMCブラザーの会に入り、終生誓願を終え、新たな名前を受け、ブラザーフランチェスコとなった。

 一度司祭になった者は生涯司祭としての仕事が出来る。

 それゆえ、ブラザーフランチェスコとなった後もミサを行っている。

 私は三年前、彼が終生誓願のためにコルカタに滞在中、マザーハウスの朝のミサを彼から一度だけ授かった。

 その時の喜びときたら、今思い出しても涙が出てくるほどに感動した。

 私とダニエルの関係を知っていたMCの総長シスタープリマはミサの後に私たちにこう言ってくれた。

 「あなたたちがとても嬉しそうに微笑んでいるを私は見ました。一緒に朝食をどうぞ」と言い、私とダニエルが一緒に食事が出来るように司祭室に手配してくれた。

 それはほんとうに祝福された幸せな時だった。

 ダニエルはそれからフィリピンに移動になった。

 フィリピンでの活動中、イタリアの両親の様態が悪くなり、長い休暇を取り、両親のケアをしていた。

 彼の故郷はいち早くレットゾーンとなったイタリア北部ロンバルディア州である。

 {つづく}
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窓を開けて。

2020-03-18 13:16:24 | Weblog

 私たちは何で繋がっているのだろうか。

 その繋がりはどのように生まれるのだろうか。

 その繋がりはなぜ繋がっているのだろうか。

 その繋がりが意味するものは何なんだろうか。

 その繋がりにより、私の何に影響を与えているのだろうか。

 その繋がりにより、誰かの何に影響を与えているのだろうか。

 その繋がりはどこまで続いているのだろうか。

 その繋がりは私の心、身体、魂への関わりはどうなのだろうか。

 私はその繋がりをどう捉え、どう受け容れ、どこまで感じられ、今日を生きて行くのだろうか。

 
 私にカトリック信者となるためのカテキズムを教えてくれたのは聖ザベリオ宣教会のイタリア人神父ダニエルだった。

 私が彼と会ったのは3・11のあった翌月だった。

 私が三ヶ月間のインド・コルカタのボランティア滞在を終えて、帰って来た最初の土曜日の山谷のMC{マザーテレサの修道会の略}だった。

 彼は黙想する場所を探している間に山谷のMCにたどり着いたとのことだった。

 私の彼の第一印象は背は高いが謙虚で、物静かで、いつもニコニコしているが声が小さいと言うことだった。

 彼がイタリア人と言うことで、私は彼にイタリア語の子供のために歌う歌を歌ったことがあった。

 「チャワーミーコ、チャウ、チャウ、チャウ~」

 すると、彼は驚き、微笑みをいっそう花咲かせるように微笑んだことを思い出す。

 今思えば、なぜ、彼にカテキズムを教えてほしいと頼んだのかは思い出せない、そのきっかけが何だったのかも思い出せない。

 ただ私の内なる信仰がその咲く時期が来た花の如く、自然とそうなったとしか思えない。

 ただ彼を深く信頼してことは間違えなかったことと思う。

 そして、彼のなかにイエスの愛を感じていたと言っても過言ではないだろう。

 {つづく}
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「さよなら、シックスパック」

2020-03-16 12:36:20 | Weblog
 「えぇ、何で、何で、急にそんなことを言うの?」

 「男にはしなくてはならない時があるんだよ」

 「でも、私たちはせっかく会えたのに・・・。あなたは長い間の努力のすえ、私をやっと迎え入れてくれたのに」

 「分かっている。私もほんとうは別れたくはない。でも、今、やらなければいけないことがあるんだ」

 「そうなの、またいつか会えるの?」

 「きっと会える。約束する!」

 「分かったわ、私は我慢する」

 「ありがとう!きっとまた迎えに行くから・・・」

 こんな茶番劇が何を意味するのか、これだけを読んだだけでは分からないだろう。

 私はコロナウィルスと闘うためにしばらく筋トレを休むことにした。

 別にジムに行けないという訳ではない、私は元々、ジムには行ったことがなく、いつも自宅で筋トレをしていた。

 ただ筋トレのし過ぎで脂肪が無くなり、身体の免疫力が下がってしまうのを避けるためである。

 だから、今は筋トレはほとんど休み、リンパストレッチとヨガに時間を割き、免疫力をアップさせようとしている。

 この厳しい時期にただ恐怖に身を委ね、疑心暗鬼になり、時を過ごすよりも、出来ることを喜んで精一杯しようと思っている。

 祈ることも大切であるが、それと同様、まだ私たちには出来ることがある。

 自らの免疫力をアップさせ、健康になると言うことである。

 これは目に見えないウィルスと闘うと同時に自らの体調も良くなり、アンチエイジングにもなるである。

 食べる物も免疫力をアップさせるものを選び、正しく丁寧に有り難く食べるようにすれば、必ず、身体はそれに反応してくれるだろう。

 あなたも今からやると良いでしょう。

 それともう一つ大切なこと、それは良く微笑むことである。

 これも免疫力をアップさせるために大切なことである。

 あなたが元気でいることを私は切に祈る。

 

 
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ぼたん雪。

2020-03-14 17:32:00 | Weblog

 ボランティアも休みなので朝から録画しておいた「知らなくていいコト」を見ていた。

 最終話も見終わり「あら、ハッピーエンドにならないのね・・・」と思いつつも、自らの人生を眺めれば、それもリアリティーだとも思えたし、誰の人生にも描かれていない、これから先、未来があることに期待を寄せることも出来、しかし、大切なのは今である、そんなメッセージもあったように思え、それで良かったような気がした。

 気が付けば、暖房の効いた部屋の外はぼたん雪が降っていた。

 昨夜からイタリアの友達に連絡していた。

 私のイタリア人の友達や家族は皆大丈夫のようで安心した。

 だが、皆一緒に祈ろうと言う言葉でメールの最後を閉じた。

 その一人、マッセンシアから先ほど、また連絡があり、ゆっくりとやり取りした。

 彼女はコロナウイルスのために赤十字で働いていたが発熱のために今は休んでいるとのことだった。

 彼女が送ってくれた写真を載せた。

 この写真は今カルカッタにいるファビオが彼女に送ってくれたとのことだった。

 シアルダー駅のサウスステーションの先にある、私たちがビリッジと呼んでいた場所の子供たちである。

 ここには出稼ぎに来た家族がビニールを貼り、粗末なテントを作り住み、そこから物乞いなどをしに出かけて行く。

 私たちはこの子供たちにゆで卵やビスケットを毎日配っていた。

 写真を見ると、思い出さずにはいられない数々の想い出が溢れて来た。

 貧しくとも健気に生きる姿は、今の私に勇気を与えてくれた。

 テレビばかり見ていても、気が晴れる訳でもないので、トイレ掃除をした。

 私のトイレの神さまはマザーとガンディーである。

 二人ともほんとうにトイレ掃除を大切にしていた二人である、その二人に祈りながら、私はトイレ掃除に精を出した。

 すると、愛犬あんが私の部屋にやって来た。

 「てっちゃん!ウンチだよー!」と言っていた。

 あんは決まって、ウンチの時はそれを知らせに私の所へ来るのである。

 トイレ掃除も終わったことだし、次はあんのトイレと言うことで、ぼたん雪が降るなか、あんを連れ出すと、すぐにウンチをした。

 有り難い、有り難い、この今がやはり有り難い、私は私に言わざるを得ない。

 「有り難い、有り難い、この今がやはり有り難い」と。

 書き終ったら、ぼたん雪は「さよなら」も言わずに居なかった。

 
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ケンからの写真。

2020-03-10 11:38:51 | Weblog

 この写真を見て、クスッと笑う人はあの映画を見た人しかいない。

 この写真がどこから送られて来たかと言えば、それも面白い、なんとスコットランドである。

 アメリカ人の親友ケンがポルトガルのカミーノの巡礼を終え、スコットランドに行き、ショーウインドーのなかにこのTシャツを発見したようだ。

 映画を見ていない人はなんとも反応がしがたいだろう、この写真に反応する人はソフィア・コッポラが監督をした日本が舞台の映画「ロスト・イン・トランスレーション」を見た人である。

 三年前コルカタでケンはこの映画がとてもお気に入りの映画だと教えてくれた。

 私は帰国後にこの映画を見て、私のお気に入りの映画にもなった。

 私は未だサントリーの山崎は買ったことがないが、この映画を見て以来、いつもいつか飲みたいと思っている.

 それゆえ、映画のなかのようなRelaxing timesを味わえていない。

 しかし、何故にスコットランドにこのTシャツがあるのだろうか。

 やはりこの世の中は面白い、誰かをクスッと笑わせようとする人は想像以上にいるのだろうから。

 外出があまり出来ないこの時期に見てみるのも良い映画だと思うである。

 「ロスト・イン・トランスレーション」は。

 ちなみにケンに「Tシャツは買ったのか?」と聞くと。

 「はっはっ、買ってない」とのことだった。

 
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与えられている。

2020-03-03 11:22:46 | Weblog

 「初雪の山谷」
 
 南千住の駅を降りるとあちらこちらに白いものが宙を舞っていた、初雪であった。
 
 私は両肩で身震いし、寒さから逃げようと試みたが無駄な抵抗であった。

 この寒さのなか、変わらずおじさんたちはカレーを食べに来るのだろうと思うと、私は雪を見るのは好きなのだが、あまり降らないでほしいと祈らずにはいられなかった。

 白髭橋のカレーを配るところではその雪も私の祈りが天に通じたのかどうかは分からないが止んでいた。

 この日、私はカレーの列に並ぶおじさんたちに「おはよう」と言った次に口を開けば、「今日は寒いね、寒いね」と、真夏の「暑いね、暑いね」の正反対の言葉が挨拶のようになっていた。

 私はなるべくいつも彼らに触れるようにしている、マザーテレサが言うように、彼らが神さまであるからである、貧しい人に姿を変えたイエスであるからである。

 おじさんが下を向きながら寡黙に空腹を満たそうとカレーを口に忙しく運んでいるところに私は彼らの肩に触れ、「美味しいかな」と聞くと、寡黙の穴からひょっこり顔を出すようにし、私と目を合わせ、笑みを見せ「美味しいよ」と答えてくれた。

 そうしたおじさんの一人が炊き出しも終わり、カレーを食べ終わったおじさんたちの人影もまばらになってきた時に私に声を掛けてきた。

 「先生{おじさんたちから良くそう呼ばれることがある}、ちょっと相談があるんだけど」

 何かと思い、私は心の腰を据えたようにして彼と向き合った。

 もう口まで覆うように伸びっぱなしの無精髭が真っ白な彼であった、使い古したマスクは話している間に下がり、歯が数本しか残っていない口が見えた。

 「今度、仕事に行くんだけど、朝6時に行かなくてはならなくて。バスでは行けないから電車で行きたいんだけど、お金が無くて、どこかで貸してくれるところはないかな?」

 そうか、と言い、私は最初お金を貸してくれるようなところはない、と告げたが、やはり困りきっている彼を見捨てることは出来なかった。

 辺りに他のおじさんたちがいないのを確認し、私は「それじゃ、自分が貸してあげるよ」と言った。

「400円で良いんだ。それで電車に乗れるから」彼はほっとした顔を見せた。

私は右手をジーンズのポケットに入れてみたが400円が無かったのでお尻のポケットに入れていた財布を取り出し、「じゃ、1000円貸してあげるね」と、1000円札を私の右手のなかに丸め納め、握手をするようにして彼の右手に目立たないようにして渡した。

 誰もがお金を必要するので、滅多にお金をおじさんに渡すことなどないが、その時、私はそうせざるを得なかった。

 「先生、必ず返すからね。先生、いつもここにいるからね。ありがとう。仕事を行ったら返すからね」と安堵の笑みを浮かべながら何度も彼は頭を下げた。

 私の脳裏はこれで良かったのかどうかやいろいろな思いが錯綜した。

 1000円は帰ってこなくても良い、お年玉をあげたと思えば良い、でも、帰って着たら、それはそれで嬉しい、お金が帰って着たことが嬉しいよりは約束を守ってくれたことが嬉しくなるだろう、その喜びが昔話の六地蔵の話しのようなことが起こるのではないかと初雪を見たから思ったのか、そんな他愛もないありもしない利己的な想像している自分にクスッとしたり、それ以上何も考えないようにしようとする自分がいたり、そしてまたやはり信じたいと思う自分がいたり、そう考えているうちに私は一人なぜか喜んでいた。

 有り難い、私は与えられている、と不思議とそう思えたのであった。




 「私は与えられている」


 「先生、どっちから来るか、分からないから、オレ、ここで待っていたよ」

 満面の笑顔でこう言ったのは二週間前の1月5日の土曜日のカレーの炊き出しの後に私が千円を貸したおじさんであった。

 彼はカレーが配られる場所で私のことを待っていた。

 「先生、ほんとうに助かったよ。ちゃんと仕事に行けた」

 「そう、ほんとうに良かったね」

 「これ、ありがとう」そう言って彼は私が彼に千円札を渡した時のように、右手のなかに千円札を小さくして、周りの人に分らないように握手をしながら返してくれた。

 私はその時、彼に千円を貸したことはもう忘れかけていた。

 誰もが知っている通りと言うか、そう思っている人が多いと思うが、人にお金を貸すと言うことはあげたも同然、帰ってこなくても仕方がないと思い、お金を貸した方が良い、たぶん後腐れもないので、そう思うのが普通だろう。

 それと当然、お金の借り貸しはしない方がやはり良いのである、そうした常識はもちろん私も知っている。

 千円を貸すことは私にとって痛くもない、犠牲を払うものでもなかった。

 マザーテレサは言う、「有り余ったものからあげないでください」と。

 しかし、私はお金の借り貸しなど普段しない、その常識を超えることに私の犠牲はあったように思う。

 カレーの炊き出しに来たおじさんにお金を貸し、戻ってくるなど、信じられなかった。

 信じて傷付くのが怖かったのではない、お金はあげたと思っていたからである。

 何よりも彼に必要だったものをあげただけであった。

 だが、それ以上のものを私は彼から与えられた。

 彼はなんとお金を喜びながら返してくれた、信じられないことを目の当たりにした。

 彼はきっと私にお金を返せる喜びを仕事をしながら感じていたのだろう。

 その喜びは私にしっかりと分け与えられ、その日、私は白髭橋にいる間、何度も彼の笑顔を見ることが出来たのであった。

 やはり私は私の想像を超えていつも何かを与えられているのだと思わずにいられなかった。

 
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