先週の土曜日は夏休み明けの久しぶりの山谷だった。
泪橋ちかくのバス停に降りたおじさんから「今日はありますよね、久しぶりに食べに行きますよ」とペコペコと頭を下げ、ニコニコと挨拶してから、彼は白髭橋の方に向かって歩いていった。
そこからほんの200メートルぐらい歩けば、MCの施設に着くその短い間に同じような挨拶と質問を4,5人のおじさんと交わした。
私は夏休み明けの学校の始まりのようにまた友達に会える楽しみを噛みしめながら向かった。
流石にまだ夏休みが続いているのか、ボランティアは25人くらいでいつもよりもかなり少なかったが新しい韓国人のブラザーが着ていた。
彼は祈りのあとの自己紹介の時、事前に書いたメモを読みながら、まだまだ不慣れな日本語で照れながら読み上げると、皆から一声に拍手を受けると顔を赤らめた。
白髭橋でも久しぶりに再会と言うか、私は彼らに会うことが嬉しいことを再確認しながら、出来るだけ一人ひとりの顔を見ながら挨拶をした。
もちろん、会うことが叶わなかった人たちもいた。
いつもカレーを配る時に手伝ってくれていたおじさんは入院していた。
彼は大きなお腹をしていたが、休みに入る前には7.8キロ痩せ、食欲がないと話し、大きかったお腹はぺちゃんこになっていた。
彼は公園のトイレのなかで一人倒れ、出ることが出来ず、仲間の一人が不信に気付き、トイレのドアの上から登り、鍵を開け、彼を救出し、そのまま救急車を呼び、病院に運ばれたとのことだった。
私たちは彼のことを心配した、病状はどうなのだろうか、また逢えるのだろうか。
炊き出しが終わり、帰ろうと白髭橋の袂に来ると、あの「固まった黒い血」に書いた右目に傷のあった彼に会った。
彼の姿を見た途端、この休みの間に流れたいた彼の哀しみが闇のオーラとなり、彼を包みあげていた。
埃にまみれ汚れきった肌着とスエットを身にまとい、顔も伸ばしたままになった不精髭をはやし、背を丸め、うろうろと歩いていた。
まだ新しかったオレンジ色の自転車はぼろぼろになり棄てたと言う・・・、何があったのだろうか・・・。
山谷の中でも珍しいほどの汚れた衣服を身にまとう、その貧しさを顕わにせざるを得ない人、それに気を使えない人、気を使わなくなってしまった人、山谷の闇に慣れきってしまった人になってしまっていた。
その姿にも関わらず、彼は家に帰ったりもしていると言ったが、それは一週間以上はゆうに前のことであろうことが分かった。
何があったのだろうか・・・。
それでも、彼は口にした「気が楽ですよ・・・」
諦めや哀しみがいく様にも絡み合った歪んだ笑みでそう言った・・・。