カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

クロダイのあら汁。

2022-08-23 12:10:22 | Weblog

 

 クロダイのあら汁を作るのは二回目であるが、一回目は、人生初の海釣りの日に釣れたクロダイのあら汁だった。

 この時はクロダイのさばき方もあら汁の作り方もまだ何も知らない等しかったので、せっかくのクロダイももったいないことをした。

 このクロダイはギャラリーとなったお年寄りたちに、この時期のクロダイは、すぐに血抜きして、はらわたも取っておいた方が良いと言われ、言われた通り、釣り上げて記念撮影を終えてから、すぐ下処理をした。

 これが良かったのだろう、美味しいクロダイだった。

 写真には刺身とあら汁である。

 あとの刺身はアジとウルメイワシである。

 やはり自分で釣り上げた魚は最高である。

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メバルの煮付け。

2022-08-23 11:59:50 | Weblog

 

 釣りの翌日の酒の肴である。

 メバルの煮付けとクロダイの塩こうじ付けである。

 自分が釣った魚は美味しいものであるが、メバルはほんとうに美味しかった。

 また釣りたいと思い、翌週も期待したが、そうは簡単ではなかった。

 その日はクロダイ、メバルは釣れなかった。

 だが、アジ7匹、ウルメイワシ30匹ぐらい釣れて、心底釣りを楽しんだ。

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クロダイの他に。

2022-08-23 11:47:04 | Weblog

 

 クロダイの他に、カッタクリの仕掛けで26センチのメバルも釣れた。

 これを煮つけにしたが、私が私に言った。

 「お世辞なしに美味しい」と。

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網係り。

2022-08-17 13:02:45 | Weblog

 

 今さっきもリールの手入れをしていた。

 水で洗い、干しておいたリールの古いグリスを拭き取り、新しいグリスをふきかけ、余分なグリスを取り除き、リールの回転具合などをみていた。

 別に高いリールを使っている訳ではない。

 安いリールである。

 だが、安いリールほど、しっかりと手入れをしないとすぐに動きが悪くなり、それはきっと釣果の悪さに繋がっていくだろう。

 それと何よりもしおらしくリールや釣り具の手入れをしていることが楽しいのである。

 言うなれば、それは釣り場に行かなくとも釣りをしていることなのである。

 

 先週の金曜日も金沢八景に釣りに行っていた。

 夏休み真っ盛りだと思い、竿はサビキ仕掛けの二本だけにして、あとは竿を使わないカッタクリで大物を狙っていた。

 その場所でカッタクリを使うのは初めてだったが、アサリを付けて、二三メートル先に放り投げておいた。

 大物を狙ってはいたが、釣れると言う確信はまったくなかった。

 サビキの方は夕まずめまでは何も釣れないだろうとは思ってはいたが、釣りに絶対はない、餌を付けておけば、何かが釣れるかもしれないのも事実である。

 釣り人はこの釣れるウキウキ、釣れない落ち込みの両極端を釣れるまで行き来する。

 釣れないかも知れないと思いながら、サビキのエサを付け直そうとあげてみると、何やら強い引きを感じた。

 良く見るとサビキの仕掛けがカッタクリの仕掛けと絡んでいた。

 これはもしかしてカッタクリの方に何かが掛かっていると思った。

 そこでいったんサビキの竿を置き、カッタクリの糸を持った。

 その時、いつの間にか私の網を満面の笑みで持ち、すぐ傍に立っていたお年寄りがいた。

 このお年寄りは初めて私がその場所に来た時にいろいろとお話をしてくれたお年寄りで、エイを釣り上げた時も手伝ってくれた。

 他にいつも松の木の下のベンチで大谷翔平選手のことを熱く語っているお年寄りやその友達などもギャラリーとなっていた。

 私はカッタクリの糸をたぐい寄せた。

 水面を覗き込んでいた一同は魚影が見えた瞬間にいっせいに言った。

 「クロダイだ!」

 私はお年寄りより網を受け取り、すぐにクロダイを網の中に入れた。

 釣り上げるとギャラリーはもっと増えていた。

 私は未だ興奮冷めやらず、ドキドキのしっぱなしだった。

 まさかクロダイがこの仕掛けで真昼間に釣れるのか、と思ったが釣りはいつも私の想像を超える。

 まったく釣れない時はしょんぼりと一緒に、釣れる時は喜びと一緒に、私の想像を超えるのである。

 そこがやはり堪らなく面白いのである。

 この釣り上げた喜びはフランクルの体験価値となり、私のなかで生き続けるのである。

 いつでも私を微笑みにさせる45センチのクロダイだった。

 

 

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20周年のアサダの飲み会。その3。

2022-08-11 12:11:53 | Weblog

 

 すれ違う人は皆、マスクを付けてはいるが、待ちに待ったであろう、祭りの楽し気な様相はマスクから、あからさまに透けていた。

 それは一年ぶりに会う私たちも同じであった。

 再会の喜びに満ちた笑顔がそこに集まっていた。

 最初は一年ぶりに会う、少し照れもあるように感じるが、言葉を交わし、時間とともに、それはすぐに薄まり、喜びに馴染んでいった。

 数年前から、このアサダの飲み会の写真を撮り、それを翌年アルバムにして、毎年アサダ家に贈呈していた。

 このアルバムにはここに来れない友達やその子供の写真も加わっている。

 私たちの毎年の変わりようをアサダに伝えるためである。

 今年は仕事でYouTubeの撮影・編集をし始めたコウキチが動画でもアサダの飲み会を残そうと撮影していた。

 どんなものになるのか、楽しみである。

 

 いつものようにアサダの眠る霊園まではタクシーで行った。

 車で霊園まで行く家族は今年三組だった。

 子供たちを含めると結構な人数が霊園に集まった。

 私はそれを密かに喜び、ビールを飲みながら、ぼんやりと眺めた。

 これも毎年のことであった。

 「アサダ、これを20回も、オレは見ているんだな」と心のなかで呟いた。

 「アサダ、みんなのことを見守っていてくれよ」と続けた。

 この墓参りが終わると、霊園の隣にある牧場のある農園でジェラートを食べるのが流れである。

 私たちはぞろぞろとジェラートの店に向かった。

 

 空が曇り始めたと思ったら、雨が急に降りだした。

 牧場には数個、木のベンチがあり、そこには大きなパラソルがあって、雨宿りには最適であった。

 私たちはそこで軽い酒盛りが始めた。

 その間もコウキチはいろんなところでアサダの想い出をみんなに聞き、それを撮影していた。

 そのみんなのアサダの思い出話から、ひょんなことが生まれた。

 何とアサダが映画の脚本を書いていて、それをワタナベ君が持っている事実が知らされた。

 それはかっこうの酒の良いつまみになっていった。

 {つづく}

 

 

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20周年のアサダの飲み会。その2。

2022-08-01 11:58:12 | Weblog

 久しぶりに会ったサワキはスマホを見るのに老眼鏡を使っていた。

 「急に来たんだよね。急にさ、見え辛くなってさ。まいっちゃうね」

 私はクスクスと笑った。

 なんか面白かった。

 文化学院の時の友達に会うといつも学生時代に戻るのだが、当たり前のことであるが、私たちはしっかり歳を取っていた。

 「オレも夜の車の運転が怖くなったから眼鏡を作ったよ。それと夜釣りの竿先やうきを見たくてさ。良かったよ。眼鏡、作ってさ。こんなにも見えるのかと思うほど見えるからさ」

 「だよね、ほんとに良く見えるよね」

 新宿から、アサダの飲み会の集合場所の上尾まで間、いつも決まってサワキの娘「ひぃーちゃん」のことを聞く。

 ひぃーちゃんが三歳の頃だったと思う、私は一度だけ会ったことがあった。

 サワキとひぃーちゃんの三人で西荻の居酒屋に行った。

 その時のひぃーちゃんはとっても可愛くて、近くにいたお客さんもひぃーちゃんを見ては「可愛い」を連呼するくらいだった。

 それから、ひぃーちゃんは大きくなるにつれて、サワキを成長期の女の子特有の父親をぞんざいに扱うようになっていった、その愚痴をいつも聞いてきた。

 そのひぃーちゃんも気が付けば、今はもうJKでもなく、専門学校生になっているとのこと。

 またいつか会えたら良いなとサワキには伝えた。

 そんな話しをしていると、あっと言う間に上尾に到着した。

 改札を出る前にトイレに行った。

 そこで肥った男の子とすれ違った。

 あれっと思い、振り返ると、向こうも振り返り、「テツ兄ィ?」と肥った男の子が言った。

 「ショウタ?」

 肥った男の子は頷いた。

 タマの息子、ショウタであった。

 一年ぶりに会ったら、まるまる肥っていた。

 なんか面白かった。

 改札口の出て、少し離れたいつもの場所で満面の笑みのツヨシとミエコが待っていた。

 午後二時の待ち合わせだったが、三十分遅れてくる者たちが続出した。

 相変わらず、文化学院の何人かはいくつになっても時間にルーズである。

 そこは変わらないところの一つでもある。

 だが、その間にコンビニに行き、ビールをとりあえず、二本ぐらいは飲む時間が生まれるのであった。

 二年ぶりに上尾の駅は祭りでにぎわっていた。

 {つづく}

 

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