今さっきもリールの手入れをしていた。
水で洗い、干しておいたリールの古いグリスを拭き取り、新しいグリスをふきかけ、余分なグリスを取り除き、リールの回転具合などをみていた。
別に高いリールを使っている訳ではない。
安いリールである。
だが、安いリールほど、しっかりと手入れをしないとすぐに動きが悪くなり、それはきっと釣果の悪さに繋がっていくだろう。
それと何よりもしおらしくリールや釣り具の手入れをしていることが楽しいのである。
言うなれば、それは釣り場に行かなくとも釣りをしていることなのである。
先週の金曜日も金沢八景に釣りに行っていた。
夏休み真っ盛りだと思い、竿はサビキ仕掛けの二本だけにして、あとは竿を使わないカッタクリで大物を狙っていた。
その場所でカッタクリを使うのは初めてだったが、アサリを付けて、二三メートル先に放り投げておいた。
大物を狙ってはいたが、釣れると言う確信はまったくなかった。
サビキの方は夕まずめまでは何も釣れないだろうとは思ってはいたが、釣りに絶対はない、餌を付けておけば、何かが釣れるかもしれないのも事実である。
釣り人はこの釣れるウキウキ、釣れない落ち込みの両極端を釣れるまで行き来する。
釣れないかも知れないと思いながら、サビキのエサを付け直そうとあげてみると、何やら強い引きを感じた。
良く見るとサビキの仕掛けがカッタクリの仕掛けと絡んでいた。
これはもしかしてカッタクリの方に何かが掛かっていると思った。
そこでいったんサビキの竿を置き、カッタクリの糸を持った。
その時、いつの間にか私の網を満面の笑みで持ち、すぐ傍に立っていたお年寄りがいた。
このお年寄りは初めて私がその場所に来た時にいろいろとお話をしてくれたお年寄りで、エイを釣り上げた時も手伝ってくれた。
他にいつも松の木の下のベンチで大谷翔平選手のことを熱く語っているお年寄りやその友達などもギャラリーとなっていた。
私はカッタクリの糸をたぐい寄せた。
水面を覗き込んでいた一同は魚影が見えた瞬間にいっせいに言った。
「クロダイだ!」
私はお年寄りより網を受け取り、すぐにクロダイを網の中に入れた。
釣り上げるとギャラリーはもっと増えていた。
私は未だ興奮冷めやらず、ドキドキのしっぱなしだった。
まさかクロダイがこの仕掛けで真昼間に釣れるのか、と思ったが釣りはいつも私の想像を超える。
まったく釣れない時はしょんぼりと一緒に、釣れる時は喜びと一緒に、私の想像を超えるのである。
そこがやはり堪らなく面白いのである。
この釣り上げた喜びはフランクルの体験価値となり、私のなかで生き続けるのである。
いつでも私を微笑みにさせる45センチのクロダイだった。