昨日ライブの二週間前にあったのでライブのお知らせをメールで友達数人に送った。
こうして毎回ライブの前にメールを送るのだがいつも返信もない友達もいる。
その中、まちゃこはいつも二三日後であれ、律儀に返信をくれるのである。
がしかし、昨日はなぜかすぐに返信が来た。
母親が先週亡くなり、葬儀を昨日終え、喪主だったらたいへんだった、気が付くと13時間も寝ていたと書いてあった。
ライブのことは何も触れず、そのことだけを書いていた、それは誰かに哀しみを伝えたかった証しであり、そのことだけが今のまちゃこを包んでいるとも切に思えた。
まちゃことはもう20年ぐらいからの友達になる、そんなに長い間連絡を取り合う女性の友達は少ない、ましてや、彼女の場合は母校の文化学院の学生でもなく、知り合ったのはたまたま屋外のレゲエのライブで隣で踊っていたお姉ちゃんの一人だった。
そんな出会いから交際ではなく友達としての付き合いは続いた、まちゃこは私の親友アサダの友達になり、アサダが死んでからも変わらずに連絡を取り合っている。
そのアサダは私のことを「兄さん」と呼ぶようにまちゃこのことを「姉さん」と呼んでいた。
アサダが亡くなる前に良くアサダの見舞いにも一緒に行った。
だから、アサダの命日の毎夏の飲み会には必ずまちゃこにも連絡していることが付き合いが途絶えないことであり、縁があると言うことであろう。
まちゃこは小学生の時に親が離婚して、それから母親と二人で暮らし、数年前から今の彼と一緒に暮らしていた。
まだ結婚式はあげていないが、母親の最後二週間の入院には毎日病院に行き、前倒しでウエディング姿を写真に撮り、母親に見せたらしい。
うまく微笑んだウエディング姿を撮れたのだろうか。
どんな会話したのか、まちゃこは照れただろう、母親は喜んでただろう、そして、表だって話したかどうかは分からないがお互いに永遠の別れを感じながら、かけがえのない尊い時間がそこには流れていたのであろう。
普段はバカなことばかり言うまちゃこが真面目な話も母親とゆっくりとしたのであろう。
そして、死は否応なしにやってきた。
すると、まちゃこは尋常ではない忙しさに見舞われた。
喪主をする者は哀しみを感じでいる時間は与えられない。
それが良いのか悪いのかを考える時間もなかっただろう、だが、気を許した瞬間に感情の堰を切ったように母親の想い出も溢れだしてきたこともあったであろうが、またかなり久しぶりに会う親類に喪主の役に戻らなくてはならなかっただろう。
まちゃこはとにかく頑張ったのだろう。
これから、母親の家の後片付けがあると言う。
私はそれは辛い仕事になるから、一杯やりながらすると良いとメールで答えた。
まちゃこはそうだね、写真とか見たら思い出すもんねと返信があった。
私は瞳を閉じ、今のまちゃこの心を感じようと集中しながらメールの返信をした。
後片付けも親孝行の続きだから、それを丁寧にやると良い、落ち着いたら一杯やろうと。
少し時間を空けてから、やっと絵文字の着いた少し明るい返信が来た。
まちゃこの後片付けは亡くなった母親のものの中に小さいまちゃこを観ることであろう、それを喪主を務めた大人の現在のまちゃこが出会う意味は死によって生を感じみるかけがいのない時に、哀しみに違いないが母親からの愛の贈り物になり得るだろう。
いや、まちゃこには時間が掛かろうがそう受け取ってほしいものである。
命の大切さを身を持って知ることはそうしたことでより強く育まれる。
そうなるように辛い仕事だと思うが、まちゃこにはしっかりとしてほしいと思っている。
窓の外は冷たい雨が降り始めている。
今日はあっこちゃんの命日でもある。
祈ろう。
雨に濡れながら河津桜は一輪だけ咲いていた。