カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月でしたがお休みします。

まったく違う世界。その4。

2023-05-31 13:15:29 | Weblog

 彼には毎週必ず声を掛けるようにした。

 彼は決まった場所でいつもカレーを食べるようになった。

 公園の木の下である。

 そこは誰も配られたカレーを食べる者はなく、何本かの木があり、雨が降っていても、少しは雨が防げるところである。

 そこで彼は両腕に持ったビニール袋数個とビニール傘二本を置き、三つのカバンは背負ったまま、立ったまま、カレーを食べるのである。

 私はそこに行くようにした。

 ある時は、カレーのカレーの容器の中に草が入っていた。

 たぶん、タンポポの葉だった。

 次の週、彼はカレーを食べながら、手にはフキの葉を持っていた。

 私はそれに目をやり、「それは?」とだけ聞いた。

 「野菜に食べないといけないから、食べています。他にも」と言ってポケットに手入れ、くしゃくしゃになったドクダミの葉っぱを見せてくれた。

 私は少し驚いたが、「うん、そうだね。野菜も食べないとね」と言い、彼はいつもそうやって彼なりに健康に気を付けて食事をしてきたんだろうと思い、その日々を思い、胸が痛んだ。

 誰が彼に健康に気を付けることを教えたのだろうか。

 彼は誰かから大切にされたことがあるのだろう。

 その人からの言い付けを守り続けているのだろう。

 彼の両親はどんな人だったのだろうか。

 彼はどのようにして路上で暮らすようになったのか。

 どんなに辛い思いをして来たのだろうか。

 どうやって、その辛い思いを乗り越えてきたのだろうか。

 彼の喜びはどんな時のあるのだろうか。

 彼の楽しみは何だろうか。

 死のうとしたことはあるのだろうか。

 彼の世界はどんな世界なのだろうか。

 私は私の内で、彼の生きてきたドラマを見ようと何度も試み、胸を痛めた。

 その胸の痛みは祈りとなった。

 {つづく}
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まったく違う世界。その3。

2023-05-25 12:27:20 | Weblog

 Eさんは約束通り、100円ショップの時計を買って来てくれた。

 時間を合わせてから、彼に渡しくれた。

 私はそれを少し離れたところで見ていた。

 後で、彼に「時計良かったね」と言うと、彼は小さくうなずいた。

 これで彼もEさんもお互いにお互いのことを気にすることだろう。

 それが二人にとって、良いものになることを祈り、期待した。

 次の週、私は彼に話しかけた。

 「時計はちゃんと動いているかな?」

 「はい、ありがとうございます。正確に動いています」

 「それは良かった」

 「はい、どこの炊き出しも遅れたりしていません。まったく違う世界です」

 「そうか、それは良かった」

 まったく違う世界か、私はその言葉に囚われた。

 彼の世界はどの世界からどの世界に変わったのだろうか。

 まったくとは、その意味はどう言ったものなのか。

 常に炊き出しに遅れるかも知れない不安からの解放があるのか。

 落ち着いた足取りで自分のペースで炊き出しに行けるゆとりなのか。

 現在、時計を持たない大人は居ないだろう。

 しかし、彼は時計を長い間、持っていなかった世界で過ごしてきた。

 時計があると言うことは、それだけでまったく違う世界に、彼の場合、なり得るのだろう。

 たかが100円ショップの時計ではあるが、彼にとってはかけがえのないものになっているのだろう。
 
 彼が少しでもより良い世界で生きれるように、私は私の心と身体を使いたい、その資格があれるように祈り続ける。
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まったく違う世界。その2。

2023-05-18 12:18:49 | Weblog

 私は彼に何が出来るのだろうか、私は何をすべきなのか、私が出来る最良のことは何か。

 私は私に問い続けた。

 簡単な答えが出た。

 彼に時計をあげよう。

 だが、時計をあげて、彼が嫌な思いをするのではないだろうか、いかにも「これ必要だろ」と言う上からの目線にならないだろうか、また彼にそう取られはしないだろうか、次から次へと問題が生まれてくる。

 しかし、それは最良のことへの階段でもある。

 結局、私は彼の重荷にならないように100円ショップの腕時計を買うことにした。

 そこでまた最良のことへの階段が生まれた。

 私があげるよりも、他の誰かがあげた方が良いのではないか、彼にもっと私以外の人のとの関わりを持ってもらう方が良いのでないか、うつむき加減の姿勢からの景色をもっともっと新鮮にするにはどうしたら良いのだろうか、彼にどうしたら喜んでもらえるのだろうか、問い続けた。

 私はボランティアのEさん{女性}にこう話しかけた。

 「彼に時計を買ってあげてくれませんか?100円ので良いですから。もう公園の時計をわざわざ見に行くことも必要なくなるように」

 Eさんも彼が公園の時計を見て、炊き出しに来ることを知っていた。

 Eさんはおじさんたちとの会話を大切するボランティアなので、私はEさんにお願いした。

 Eさんは快く承諾してくれた。

 これで彼は週に一度女性とお話をする機会が持てるだろう。

 時計を見ては、Eさんの優しさを思い出すことが出来るだろう。

 「私は愛されている」とまでは言わないまでも、誰かから思われている、心配されていると思ってくれるのではないだろうかと、私は願った。

 マザー・テレサが何を一番に大切にしていたかと言えば、それは目の前の人に「あなたは愛されている」と言うことを伝えることである。

 それが私たちが行う最良のことである。

 {つづく}
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まったく違う世界。

2023-05-15 11:51:33 | Weblog

 これから、炊き出しに来る一人の男性のことを少し書いていきたいと思っている。
 
 彼は炊き出しに来る人たちのなかでも、もっとも貧しい人の一人である。

 彼はマザー・テレサの言う、イエス・キリスト、神さまである。

 彼はボロボロのサンダルを履き、汚れきったジャンパーのフードをいつもかぶっている。

 他人と目を合わせないように、いつもうつむき加減に歩き、背中の三つの薄汚れたカバンを背負い、それは炊き出しのカレーの食べている時ですら、背負い続けている。

 腕には5個ぐらいビニール袋を持ち、ビニール傘は2本持ち、常に移動している。

 彼が持ち合わせている物は、彼のすべてである。

 昨年12月、カレーを配る白髭橋の方に私とボランティアが向かっていた、その前を彼が歩いていた。

 彼が急に炊き出しの配る場所の反対側の方に道を曲がるのでついていくと、彼はまた戻ってきた。

 「こんにちわ、どうして、そっちに行ったの?」

 「いつもあの公園の時計を見て、炊き出しに行っているんです」

 「そうなんだ。分かった。今日はまだ間に合うから、ゆっくりと行くと良いよ」

 「ありがとうございます」

 彼は少しだけ頭を下げて言った。

 彼は時計を持っていなかった。

 実は今まで何度か炊き出しに遅れてくる彼にカレーをあげたことがあった。

 それは炊き出しがとうに終わり、車に乗っての帰り道で、偶然、彼の姿を見て、追いかけて行って、カレーを渡した。

 彼は時計が無くて、時間を正しく知ることが出来なかった。

 だから、何度も炊き出しに遅れてきたことを、私は初めて知った。

 {つづく}
 
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生きてます。

2023-05-09 16:33:57 | Weblog

 転職し、その忙しさに言い訳にブログをぜんぜん書いていませんでした。

 ご心配をしてくれた方、ありがとうございます。

 どうにか生きてます。

 そして、釣りしてます。

 コノシロの酢漬けを初めて作りました。

 とても美味しく出来ました。
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