昼食後、ロザリオの祈りを終えてから、自転車に乗ってカレーを浅草まで配りに向かった。
いろは商店街で寝ているだろう、恩返しの彼のことを思い、カレーを一つ持って、龍太君と向かった。
すると彼はほぼ商店街の中央に倒れるようにして寝転んでいた。
そこは以前彼がニラ一束20円で売っていた場所だった。
すぐに自転車を降りて、彼の近くにしゃがみ込み、声を掛けた。
彼は悪臭を漂わせ、頭も首をぼりぼり掻いていた。
相変わらず、汚れきった洋服を身にまとい、生きていた。
「ちゃんとカレーを食べるんだよ」そう言うと身を起こし、カレーに触れた。
どうにかしてお風呂に入れてやりたいが、彼は極力拒否し続ける。
汚れきった服にはしらみがかなりいる様子だった。
これほどまで山谷のなかで汚れた姿でいる人は最近は見ない。
知的障害があるがゆえの姿であろう、がしかし、彼が神の子であることに変りはない。
カルカッタではこうした死にかけ汚れきった患者を何人も運び、そして、丁寧に洗った。
綺麗になった患者はベッドで落ち着く、すると、それまでの死ぬような苦しみを受けていた影など見えなくなってしまうことがある。
そこをボランティアが訪れると、「みんな綺麗ですね、大した患者はあまりいませんね」など言う者もいる。
それを聞く度、胸が苦しくなった。
この悪臭、ゴミのように生きなくてはならない苦しみ、他人から忌み嫌われてきた苦しみとその恨み、そのもろもろのものが見えていない。
想像力の深いものであれば、見えるかも知れぬ、しかし、見えぬものにも思いを馳せ、その痛みを癒やし和らげようと一人ひとりと丁寧に向き合うことがマザーの仕事である。
だが、こうして実際に悪臭の前に立つまで、それは分からないのであろうか。
そうではないだろう、心で見ていないから見えないのであろう、そう問いたくなってしまう。
真心で見れば良いのに。
自分と恩返しの彼とのやりとりを見ていた龍太君に、その場所を離れてから詳しく彼のことを説明した。
龍太君は沈黙したままだった。