昨日ふと仕事をしている時に気が付いた。
少し問題のある家に伺い、サービスをしている時、自分のうちに逆転移があるように思われた。
転移・逆転移は普通カウンセリングなどの時に起こる現象ではあるが、これは恋愛関係にある二人にもよく起こる現象でもある。
しかし、それはやはりあらゆる人間関係のなかに多かれ少なかれ生まれるものでもあろう。
自分のうちに逆転移があると気が付くと、私はもっとそれを知りたいと思い、興味が湧いた。
不快な感情のなかに何があるのか、信仰すら拭い去るそれらには何があるのか、またそのうちで信仰がどう働くのか、私は知りたい。
信仰が無理やりに私の衝動を抑圧するようなことであれば、それは心理的には不健康を生む、だが、その信仰がより深いものであれば、それは乗り越えられるものになるのだろう。
私はほんとうに注意深く、それを見る必要がある。
その狭間、胸のうちには声になる前の言葉たちはざわめき立っているのだ。
それを何かに決め付けたり、何かだと思い込んだりせずに、そのまま大事に卵を温めるように抱いてみよう。
曖昧なものであれ、認められることにより、それは変容をきたすだろう。
私が私のそれに愛を注ぐ。
そこに私以外にあの方も愛を注いでおられることを深く強く感じ入ることが信仰の深みへと導いてくれる。
その導きはあなたのなかにもあるだろう。