カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

愛しきシアルダー。

2009-04-30 14:04:28 | Weblog
 2日目の午後、シアルダーに行った。
 まず、Stジョンの教会に行き、アグネスたちのお墓参りをし、そのあと、ディスペンサリーや駅周辺を歩いて回る予定だった。

 シアルダーでバスを降りると雲行きが怪しくなった。
 とりあえず、みんなには教会のなかで少し間、祈ってもらうことにし、自分は一人で墓に手向ける花を買いに行った。

 このStジョンには良く行った。身体的にも精神的にも疲れたときに街の騒音から逃げるように静かに祈る場所を求めてきた。

 ここで眠っているアグネスやプレムダンでお世話になったディミアンたちに花を買って暫く祈り、呼吸と心を整えた癒しの場だった。

 シアルダーは時間帯により、その様相を変える。気が付けば、花の市は午前しかなかったことを思い出した。花の変わりにお香を買って教会に戻った。

 自分も暫く祈った。
 Stジョンはとても落ち着く教会である。緑も多く鳥の声が聞こえ、チャペルのなかへ陽の光りは良く入り、風も静かに祈るものたちの間を通り抜ける。

 時間の流れもそのなかとそとでは違うようにすら感じられる。そこで心と身体で感じているものを丁寧に感じ、その具合を観て行く。穏やかに落ち着くものをまた少し時間を掛けて、ゆっくりと観て行く。

 目で合図をし、お墓に向かった。
 空は今にも雨が降り出しそうな気配、風が強く吹いてきた。

 お墓に眠っている人たちの紹介をしながら、お香を立てて行った。
 ゆっくりと祈る時間もなく、その強い風に運ばれ雨がついて来た。

 みんなに教会に戻るように言い、自分は手を合わせ祈った。
 皆が無事に旅を終えられるように。

 そのまま駅の構内に向かった。
 雨が止むまで何か冷たいものを飲むことにした。

 そこはいつも駅の仕事が終わったあと話し合いをするために使っていたチケット売り場の二階にあるレストラン。
 あまりきれいな場所ではないが、隔離された室内にいると、そこだけが守られているような感覚になり、落ち着いたものだった。仕事と離れられる場所としてあり、心を緩めることが出来た場所だった。

 禁煙の波はここカルカッタにも来ていて、構内でタバコを吸う場所はない。皆、駅の入る入り口あたり吸っている。
 自分はよく駅のホームの端の誰もいないベンチに座り、風を受けながらタバコをふかした。その煙が消えるまで追いながら、それは何に交わり、どこへ行くのか、それは無くなったのか、あり続けているのか、命の儚さと命のあり方、それを取り巻き包み込んでいるものを重ねて思い描くように眺めていた。

 もちろん、そのレストランも禁煙だった。
 雨が止むまでの暫くの間、冷たいものを飲んで待った。

 体調の変化はないか、みんなに聞いた。
 まだまだ初めてきたカルカッタ、目に映るもののいろいろに皆高揚していた。

 それは自分とは違ったもの、いや、忘れてしまったものなのかどうか、彼らが感じていることを自分もまた感じ直そうと試みていた。

 ただ目に映るものすべてに愛しき思い出のあるシアルダーのなかにいて、自分の心のなかの高揚があり過ぎるがために、彼らのそれを丁寧に感じれないことのないように心を落ち着かせようとし、雨の止むのを待っていた。

 {つづく}
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あの人に会いたい「マザーテレサ」

2009-04-29 12:59:08 | Weblog
 
 昨夜NHKで10分間の短い時間だったがマザーの映像が流された。
 ネット調べてみると、81年の初来日のインタビューの映像が流されるとのことだった。

 これは二度ほど以前見たことがあるが、かなり硬いインタビューになっていて、あまり良いものではない印象を得ていた。

 がしかし、昨日の映像はなかなか良かった。いい編集をしていた。インタビュアーの声が一度はあったがほとんどなく、マザーの声がほとんどだった。それ以外にもマザーの講演の言葉などは、ほんとうに力強く、その目が鋭く、そして、深く優しかった。

 胸が熱くなった。

 マザーの葬式の映像が流れた。
 泣き崩れうなだれ倒れこむ女性がベンガル語で「Oh- Ma-」と言うシーンや悲しみにくれる貧しい人たちの映像はほんとうに胸を打つ。
 どれだけマザーが小さく貧しい人たちに愛されていたかを物語っている。

 マザーの葬式を山谷のMCでブラザーたちと言葉少なく見ていたことを思い出した。

 映像のなかでマザーは真剣に思いを限りなく込めながら、ゆっくりと力強く言う。
 「母が子を忘れるようなことがありうるとしても、私は忘れない。」

 息苦しくなるような現実の非情を彼女は自分たちの想像以上に数限りなく目の前にし、味わってきたことだろう。それを受け流すことなく、受け容れ、立ち向かっていった彼女の言葉だと感じた。

 怒りではない、深い愛の言葉でだった。

 それに心は奮え、その姿に畏敬の念を抱く。

 見終わった後も暫くあたたかいものがこの内側にあり続けた。それを大切に感じながら祈った。

 
 再放送があります。
 5月5日2時半から、NHK教育でやりますので、どうぞ時間のある方は見ると良いでしょう。
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観葉植物と少年野球。

2009-04-28 15:00:14 | Weblog

 日曜の朝、ニカウ{小学一年の時からニカウと呼んでいる}に電話で起こされた。約束時間は9時だったので、自分は八時半に目覚ましを掛けていた。その前に電話は来た。郵便局で働くニカウは時間に正確、前もって自分を起こしたらしい。

 ニカウと一緒に約束していたニカウの仕事場の女性の話を聞きに行った。天気はとても良く、助手席から見る風景はいつも違い心地良い、陽の光りや緑、花もゆっくりと眺めていられた。

 昼からニカウの次男のリクが少年野球の試合に出ると言うことで、見に行ってみた。久しぶりに会ったリクは背も高くなっていた。小さなユニホーム姿がとても似合っていて可愛い。

 空は青く、白い雲が一つ、グランドの上にあった。それを暫く眺めていた。
 その白い雲が一つだけでいたが、孤独には見えなかった。青空がただありのままを包み込んでいたからだ。
 優しい春の陽射し、心地良い風、野球をする子供たちの声、その姿、すべて見守られている優しさのなかにあった。

 それから、観葉植物のために土を買いに行った。
 ガジュマルの土を換え、せんていして台所に飾った。
 部屋に一つ大きめの観葉植物がある。
 それは前回の滞在時にカルカッタの部屋のお風呂場に置いてあったものと同じもの。これはゲストハウスのテラスにあった一番気に入ったものをオーナーに断って、部屋に持ってきたものだった。

 カルカッタも夏になると水のシャワーが熱湯に近くなるので、自分がシャワーを浴びた後に、その木にもシャワーを浴びさせたりしていた。だから、いつもホコリはなくきれいだった。思い出す、枯れた葉をせんていしていた。不思議と呼ばれるように目を惹いたので、うちに連れてきた。

 その観葉植物に栄養ある土を加えたり、夜香木にも加えたりしているとあっと言う間に日が暮れていった。

 4年前に買ったシーカーサーも大きくなった。今年こそ花が咲き、実がなり、焼酎のなかに入れることを願い、声を掛け続ける。
 それに答えてくれるかどうかは秋まで待たねばならぬ。今年がダメなら来年、自分は夢を見る。夢を見続ける。

 こうしたものはほんとうに人の心とよく似ている。
 ゆっくりと良くなり育っていく。声を掛け励まし、ただ待ち続ける。そのものを信じて、ただ待ち続ける。極端には変らず、すぐにはもちろん変らない、ただ彼らはゆっくりとその根を広げていく、目に映る場所だけは変らずとも、目に見えない場所では必ず育ち続けていくものがある。そのすべてをあたたかく見守る。

 最近は時間があれば、ホームセンターに行き、何か植物を買おうとしている。

 昨日、美味しいカリーを作りたい。それにはコリアンダーだと思い付き、今日、ホームセンター二件に行ったが種は見つからず、少ししょんぼりして帰ってきた。

 ルッコラでも育ててみようかとも思う。また少し考えよう。

 いま、感じる。

 この季節、大好きなことを。
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山谷に子ライオン。その2。

2009-04-27 12:49:43 | Weblog
 食事を終え、残ったご飯でカレーを作り終えてから、ゆっくりと彼女らと話した。

 アヤちゃんに帰ってから、どんな日々を送ったか、どんな気持ちでいたかを聞いた。

 彼女は言葉に詰まりながらも語りだす。それは心の深いところから感じたものを言葉にしていく作業だった。

 それをそのまま受け容れながら聞いた。

 今日の山谷におじさんたちについても、みんなに感じたことを聞いた。

 アヤちゃんは自分の話している言葉があまりにもぎこちないのを感じたと言葉にした。

 どのように、どんな言葉で話しかけたらいいか分からない。丁寧な言葉を使えば、それは自分の言葉でないようで、しっくり来ないし、親しいように言葉を使えば、それはまた違うように感じたと話した。

 自分は伝える。
 失敗や間違えを恐れないことだよ。その奥には傷付くことを避けている自己がいるんだよ。しかし、何ごとも初めからすべてうまく行くことなどない。うまくやらなければいけないと思う思考も何かを邪魔し、何かを避けている。
 傷付くことなしに物事はうまく成り立っていかない。ただ丁寧に接して行くことに他ならない。

 マザーは「傷付くことほど愛す」と言う。
 彼女は傷付くことをそのままに受け容れようと試みた人である。その想いに自分たちは心を寄せ、またマザーの方から物事を見てみたりすることの大切さを伝えた。

 それから、場所を上野に変え飲みながら、またいろいろと深く話しをした。

 もちろん、たくさん笑った。
 今回のライオンの旅と前回の出来事も話し合うことによって、その輪を広げていくことは何よりだと思う。

 心ある医師になるまでの旅は終わることはないだろう。素晴らしい旅になることを祈り続ける。
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山谷に子ライオン。

2009-04-26 18:42:41 | Weblog

 昨日の山谷には「風に立つライオン」の旅に参加していた医大生を三人連れて行った。

 今年参加のアヤちゃん、昨年の参加のケイコちゃん、アイちゃんを連れて行った。

 久しぶりにライオンの旅についての話に花が咲く。
 アヤちゃん、アイちゃんは同じ大学で席も隣の友達なので三人ともすぐに仲良くなった。

 アヤちゃんには帰ってきてからの話を聞く。
 やはり、旅が終わり、一人ひとりが元の生活に戻るにはいろいろなものを向こうにいた以上に考えたりもする。

 非現実から現実に戻るには、それなりのその個人特有の壁が用意される。すぐそばに同じ体験をしたものがいれば、またそれをそれなりに感じ直し、うちにゆっくりと収め易くもなるが、そうではない。

 誰もが必然として、その個人特有の混沌とした時間を過ごす。

 自分はそこから新しい芽が生まれてくることを切に願い祈る。

 そのためには会って話し合うことはとてもいい機会だった。

 カレーを作り終え、祈りが終わり、白髭橋まで行く前に話をした。
 「おじさんたちにカレーを配るのは、あっという間で終わってしまうから、他のボランティアとは話さなくてもいい、ボランティアとは帰ってきてからも話せる。おじさんたちとはその瞬間だけだからね。おじさんたちと話すように、そして、よく見るように。どうやって食べているか、どのような服を着ているか、どのような人がいるか、感じながらよく見るんだよ。そして、そのときに生まれてくる感情もしっかりと見ていくんだよ。」

 素直で優秀な彼女たちは自分が何を言おうとするかを瞬時に理解する。

 昨日は雨だったので、おじさんたちはいつもの川岸ではなく、高速の高架下に並んでいた。

 自分が着き、一番最初の方に並んでいたおじさんたちに挨拶をした。
 そこにちょうどアヤちゃんがいたので、一緒に挨拶をしようと声を掛けた。

 雨で来ているおじさんたちは少なかったが、500人くらいは居ただろう。
 ゆっくりと自分はいつものように挨拶をしていく、後ろでは彼女が「おはようございます」と元気良く声を出している。

 それが列の終わりに行くにつれ、だんだんとぎこちなくなるのを感じていた。
 当たり前である生まれて初めて、それだけの数のおじさんたちを目の前にして、穏やかな心境で居られるものはそうはいない。緊張していて当たり前である。

 それからも必死に笑顔を作っていたように感じた。その意識と行動が大切のように思う。諦めから何も始まらない。それ以上になるにはその意識と行動を共にし続けることによって、いつかまたそれは穏やかなものになっていける可能性を生み出していく。

 すべてその姿は自分と向き合っていることに他ならない。他者と向き合う前、その寸前に自分自身と向き合っている。そこには大切な意味がある。

 彼女たちは積極的におじさんたちに声を掛けていた。

 自分はその姿をあたたかな思いで見ていた。

 {つづく}
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雨の山谷。

2009-04-25 08:00:04 | Weblog

 そとは雨、今日は肌寒い。
 下駄を履いていこうかどうか少しそとを見て考えている。

 先週の土曜、今回の旅でカーリーガートで会った看護学生のユウスケ君が2週続けて山谷に来ていた。

 先週は天気も良かった。午後自転車に乗り残ったカレーを配りにも行った。そこでこんなことを彼に言った。

 「いま、おじさんたちを見て感じるものと、これが夜におじさんたちを見て感じるものとは違うんだよ。いまは天気がいいから気分もいい、そして、こうした外観を見ているから感じるものも穏やかに見えたりもするけど、これが夜であれば、また違った感じ方をする。そのことも感じ考えるんだよ」

 「はい・・」彼は深く感じ直した。

 これは当たり前のことであるが、なかなかそうした感覚を感じることをその瞬間は出来ないでいたりするもの、しかし、そうしたことを想像することによって、自分たちの内側には、それまでになかったものが生まれて来る。

 それは今まで以上の深い思いやりを生む。

 今日は肌寒い雨が降っている。
 そのなか、傘も差さずに来る人もいるだろう。空腹に耐えながら、そして、震えながら歩いてくるだろう。

 その命でその身体を支え、生きるために。

 
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自由時間。その3。

2009-04-24 10:37:22 | Weblog

 2時半過ぎにジョアンの家に着いた。
 ベルを鳴らすと、ジョアンが笑顔で迎えてくれた。

 ジョアンも帰ってくるのが遅れたらしく、ちょうど、パスタを作っていた。ビールも買いに行く時間がなかったと笑いながら話した。

 「それじゃ、5分でビールを買ってくるよ。ちょっと待ってて」
 この暑さ、このジョアンとの最後の食事になるかもしれない場にビールがないことは寂しい。ちょうど、彼女の家から300メートル離れたところには酒屋があるので、急いで買いに行った。

 もちろん、そんなに飲むことはしない予定だった。身体の疲れや夕食をみんなと食べる予定であったし、とりあえず、ビールを二本だけ買って帰ってきた。

 カルカッタではなかなか時間通りに予定は進まない。何かのアクシデントがあれば、想像以上に遅れる。約束した場に相手がいないことなど良くあった。

 だから、会えてよかったとほっとした。彼女にはTシャツをプレゼントした。二つの同じ柄で色違いIndiaのロゴの入ったものを見せた。

 「どっちがいい?」
 少し考えていた。
 「一つだけだよ」笑いながら言うと、彼女も笑った。
 「初めてのIndiaのロゴ入りのTシャツ」そう言って嬉しそうにしてくれた。

 ビールをまず飲んだ。お腹が空いていた自分はパスタを勢い良く食べていた。ジョアンは自分に多くよそったはずだが、それをほんとうに自分に出したかどうか、分からなくなるほどだった。ジョアンのパスタはとても美味しかった。彼女の愛情も惜しみなく感じるがゆえ、なおさらだった。

 かけがえのない時が流れていった。

 {つづく}
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自由時間。その2。

2009-04-23 14:48:55 | Weblog
 ジョアンとの待ち合わせは2時半だった。
 学生たちは自費でランチを食べに行く、それには参加しなかった。

 マザーハウスの前でバスを降りた。すでに一時近かった。気温は35度くらいだっただろう、騒音とホコリのなかを歩くのにかなり疲れるだろうことは予想した。

 ジョアンとの待ち合わせ時間までに買い物を済ませておきたかった。

 まず、学生たちに何か、カルカッタに来た記念になるものを用意したかった。パウロ会の本屋に行けば、1時からの休憩に入っていて閉まっていた。開くのは2時、それまでに買い物を済ませなくてはならなかった。

 かなり早足で街を歩いた。
 顔馴染みの店に寄り、挨拶もしたかったが諦めた。

 サダルに行くと、タクシー運転手、物乞い、レストラン、ホテルで働いている知人たちに顔が会えば、挨拶だけはした。

 両替は三軒ほど見たうちで一番高い率の店でした。
 一万円が5100ルピー、93年からカルカッタには良く来ているが、これほど円が強いのは初めてだった。信じられない思いにもなった。

 これが去年だったら、どんなに楽に生活出来たであろうことなど、過去にしがみ付きそうになったが、すぐにそれはそれ、いまに立ち戻り、とにかく街を歩いた。

 買い物だけで5件ほどの店をまわった。思っていた通り済ませることができ、安心した。

 オートリクシャーに乗って、またパウロ会の本屋へ行った。
 学生たち、参加した人、全員分のちょっとしたものを買うことができた。

 パウロ会のシスターとそこで働いている人に挨拶をした。

 知人に会うたびに短い滞在であることを告げることがやはり少し切なくなる。久しぶりに会うことが別れでもあることだった。これも受け容れるべく自分に用意されたものとして、うちに収めて行った。

 早足で歩き、早回しのように町並みを見ているが、心のうちは過去を見ていた。それはあまりにも多くの場面を映し出していた。時間の流れのなかを自由に行き来し、胸を熱くさせた。

 {つづく}
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自由時間。

2009-04-22 14:56:14 | Weblog
 26日の午後。唯一の自由時間があった。
 午前中はチタガールの見学だった。委員長のBrプレンアナンダが丁寧にらい病のことを説明してくれた。
 チタガールにいる患者を前にして、病気が実際どのように出るか、皮膚が感じる場所、感じない場所があることなど、自分が今まで知らなかったことを専門的に教えてくれた。

 医大生たちは真剣にそれを聞いていた。大学では日々こうした風景があるのだろう。しかし、自分は慣れていない。そのモデルになった患者の思いになってしまう。その患者の緊張を感じてしまう。

 モデルになった子供の肩にそっと手を置いて、ありがとうの思いを伝えた。

 らい病患者たちは家族からも社会からも見捨てられ、自身を人間であって人間でない毒のように思い、また思われ扱われながら生きてきた。

 その孤独はどのようなものなのか。身勝手に想像すらしてはいけないほどのものではないか。

 眩しいほどに輝く彼らの笑顔には、その居た堪れない孤独を乗り越えて、いま、命の輝きを有り余るほど輝かし、自分の心を捉える。彼らへの畏敬の念を抱く。

 マザーのしてきたことの素晴らしさを身体中に流れる血液までも深く感じていた。
 
 山谷のMCブラザーたちのことを話した。
 Brプレンアナンダは84年に日本に来たことがあるそうだ。
 
 山谷にいるBrアニマのことをよく知っていた。「よろしく伝えてください」と言われた。

 日本に帰ってきてから、アニマにそのことを伝えると嬉しそうな顔をしていた。
 アニマとプレンアナンダはもう30年以上前一緒にらい病のことを勉強していたとのことだった。

 その後、アニマのMCブラザーの初期のメンバーだったので海外に出なくてはならなくなり、インドを離れたため、らい病の勉強をそこまでだったらしい。

 専門的な知識を必要とするためにプレンアナンダはそのままチタガールに残り、勉強し続けたそうである。

 柔和であり、穏やかに話しをするプレンアナンダの素晴らしさを感じた。

 チタガールへは初めてのカルカッタ、93年に一度見学に行き、それからは駅の仕事で何度か患者を運んだだけであったが、また新しいものを感じ学ばせてもらった。

 行く前に少し雨が振ったので空気が澄んでいた。
 緑があり、畑が広がっている。列車が通る以外は静かな場所である。

 何度も深く深呼吸をした。

 新しいものと穏やかなものをうちに入れるために。

 {つづく}
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特別なもの。

2009-04-20 12:06:01 | Weblog
 マザーは言う。
 「神さまは、私たちを一人ひとりを個人的に愛している。」

 それは一人ひとりが他と比べようのないかけがえのない存在として、常に在り続けているということ。

 例え、如何なる痛みや苦しみ、孤独のなかにあったとしても、愛されているということ。

 それは自分自身が気付くことである。心と身体にゆっくりと沁み込み、馴染むようにして受け容れていくことである。誰からの押し付けでもなければ、誰かに押し付けるものでは決してない。

 自分を含めた多くのものは知らず知らずのうちに自分がしていることを特別なものとして、他者から与えられた評価のなかに自分を作り上げてしまうことがある。そして、そこで酔い、そこに縛られ、自己の心を見失い、身動きの自由さえも奪われてしまうことがある。

 それを自分自身に自分がしてしまう。他人が自分を苦しめているのではなく、自分が自分を苦しめていってしまう。その思考を作り上げているのも、他の誰でもない紛れもない自分自身であることを認めることすら、すでに出来なくなっている状態になり、いくら新たにより良い情報を得たとしても、その思考は残り続けていく。そして、激しく自己を苦しめていくか、その拒否行動を何度も繰り返していき、自己と周りのものを破壊していくことになる危険性のなかで不安定に生き続けてしまう。

 自分と向き合わずして誰と向き合えるというのか。

 マザーも激しく苦しんだ。
 自己からの解放を祈りに祈った。

 他者との関係ではない、姿も形もないあの方との関係のなかにある。

 どこで何をしていようとも、そうあり続けている。それに一つひとつ気付いていくことが大切である。

 そして、人間は完璧ではない弱いものでもあるからこそ、祈りが必要となる。

 正しいことから学ぶことよりも、良くないことから学ぶことの方がいい。矛盾するようだが、その二つを同じように大切にしていくことがいい。

 誰にも言えないような醜い影ですら、誰かひとりの人が受け容れてくれるだけは、人は生きていける。
 ありのままを認めるという深い愛を持ったものに、あなたが出会うか、あなたがなるかは、問われ続けている。あなたのうちで。

 マザーの「あなたのなかの最良のものを」の最後の言葉。
 「最後に振り返ると、あなたにもわかるはず、結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。あなたと他の人の間であったことは一度もなかったのです。」

 この言葉を身体に確かめるようにしては何度も読み直している。
 
 冬を耐え、春を待ち、咲き乱れる花たち、芽吹く緑はあまりにも健気であり、謙虚であるその姿に憧れながら。
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