カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

昨日の二人。

2010-01-31 12:21:48 | Weblog

 昨日も杖を付いたあの二人のお父さんはカレーを食べに来てくれた。

 81歳のお父さんはカレーの並ぶ列に挨拶を終えて戻ってきた自分に「あの人のカレーを持ってきてもらった」と笑顔でボランティアの一人を指差し、「いつも面倒を見てもらっています」と感謝の言葉を伝えてきた。

 「また来週元気な姿を見せてください」と言うと自分の肩に手を置いて笑っていた。

 あのなんみょうほうれんそうのお父さんは階段半ばで上がることが出来ずに腰を下ろしていた。

 彼の手を取り、階段の下まで降りる手助けをした。

 「前、足はぜんぜん悪くなかったんだ。悪いのは頭だけで。最近は足も悪くて」
 
 「頭は悪かったの?」

 そう聞くと照れ笑いを見せた。

 先週よりも少し元気そうに見えた。

 「いつもお世話になっています」そう言って帰っていった。

 昨日はカレーと一緒に寄付されたサバ缶も渡していた。おじさんたちは喜んでもらっていた。

 しかし、手で開けられるものではなかったため、カレーの容器を集めているとある一人のおじさんは爪きりで缶を開けようとしていた。

 それが物語るものは自分の知りえぬ世界かもしれない。しかし、その目の当たりにすれば、その物語のなかで自分は呼吸を始める。そして、それは記憶される。

 食べ物は喜ばれるが、それはこうした現実を与える側も考える必要があるだろう。

 そこには相手への深い思いやりと愛が必要だろう。
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今日は。

2010-01-30 08:05:02 | Weblog

 今日は南千住で十時に二人と待ち合わせてMCに行く。

 だから、電車での読書は気を付けよう。

 カラマーゾフの兄弟を読むのが楽しみだが、電車はちゃんと乗り換えたいものだ。先週はあまりに小説に夢中になって日暮里で降りることが出来なかった。

 二部になって、小説はどんどん面白くなってきている。読んでいると自分がイワンの話しを聞いているアリョーシャになったかのように身体が硬く緊張していく時もあるくらいだ。

 さて、電車での読書が楽しみである。
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あんと散歩。

2010-01-29 13:01:12 | Weblog

 あんは今日初めて散歩中におしっこをした。すでにうんちは何回かしているがやっとおしっこをしてくれた。

 一つ目に見える形であんは成長をした。

 いつも車の多い府中街道は抱っこしていたが、今日の帰りは自分を家まで引っ張って連れてきた。

 一つ目に見える形であんは成長をした。

 あんはまだまだ散歩していると緊張しているのだろう、外観に広がる真新しいものに心奪われ、それを感知、記憶していく作業で一杯になり、おやつにも目もくれない時がある。

 あんの脳のなかには物凄いコンピューターのようなものがあり、そこで絶え間なく五感を通して、この世界を分析、感知、記憶している。

 それは素晴らしいものであると思える。

 自分のうちにあるそれも大切に育て養いたいと思った。

 あんがそれを与え伝えてくれている。

 あんから真新しいものを与えられている。
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あんの友達。

2010-01-28 12:47:25 | Weblog

 先週の金曜日、仕事場の杉田さんが娘さんとミニチュアダックスフンドの女の子、フィズとミュールを連れて、あんに会いに来てくれた。

 杉田さんは獣医から「100人の人と、100匹の犬に会わせてると子犬は良い子に育つ」と言われたようで、わざわざ愛犬を連れてきてくれた。

 だが、あんは二匹に会うなり、フリーズ。まったく動かずにぶるぶる震えっぱなしだった。

 土曜日、石坂がミニチュアダックスフンドのチョコを連れてきてくれた。チョコはとっても静かな子でまったくと言うほど吠えず、あんはチョコの周りではしゃいでばっかりいた。チョコはそれを嫌らしく、石坂の膝の上や自分の膝の上に避難したりしていた。

 だが、しばらくして、チョコは思い立ったように一声「ワン!」と吠えると今度はあんはしら~となり、部屋の壁の方へ逃げていくとそれからもうあんはなかなかチョコの傍には行かなくなってしまった。

 チョコは何も気にせず、少しあんの傍に行こうとしたりもしていた。石坂いわく、チョコが自分から犬に歩み寄るのは珍しいことだと言う。
 チョコは子供の頃からあんまり犬には会わせていないので自分を人間だと思い、犬には近寄らないとのことだ。

 それでも、まだあんとチョコは仲良くなれそうな感じがした。

 昨日水曜日、あんは近くの家に住む柴犬ケンタと会った。ネット越しに会ったのだが、あんは遊んで欲しくて堪らないようだった。
 ケンタは前日まで吠えたりしたのだが、その日は自分が連れて行ったこともあったのだろうか、吠えず、あんに少し興味を持ってくれた。

 今朝、あんはサイの愛犬雑種ハナに会った。ハナは相変わらず、自分がいると嬉しょんをするのでゲージで待っていた。

 ハナはもう17キロもあるので小さなあんはまたフリーズ。ハナをお利巧さんで一度も吠えず、友達になろうと言う行動をしてくれた。

 あんはぶるぶるぶるぶるフリーズだった。

 あんはまだまだ小さい女の子。すぐにみんなと仲良く出来るようになると思う。

 それでも、トラウマになるようなことがないようにあんをしっかりと見守っている。

 多摩川散歩デビューを心待ちにしながら。
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杖を突いたお父さん。

2010-01-26 12:39:16 | Weblog

 白髭橋の川岸から階段を30段ほど上がっておじさんたちはカレーをもらう。

 病気な人、体力のない人や酔っている人、また荷物の多い人などはかなり辛いことになる。

 そのなかでも特に二人の杖を突いたおとうさんはその階段を上がるのがほんとうに辛そうだった。

 一人のお父さんは他のおじさんたちと同じペースで上がることが出来ないことを自身で判断し、ある時、無理をせずにずっと階段の下で待っていた。

 その彼に気付き、自分がカレーを持って行った。それ以来、自分がカレーに並ぶおじさんたちに挨拶していく自分に手振り身振りで階段の下で待っていることを伝えて来るようになった。

 彼はもう81歳でドヤに住んでいる。歯はもうほとんどなく、耳も遠いが心は元気である。その彼との短い会話だが自分は楽しみにしている。

 もう一人のおとうさんはもう70後半の歳であろう。彼はいつも大きな手荷物を持ち、背が小さいが声は妙に高く愛らしい、いつも彼に声を掛けるとその高い声で「いつもお世話になっています」と答えてくれる。

 ベンチで一人食べている彼に声を掛けた時などは、「ここのカレーはお母さんの味がするんだ。とっても美味しい。他のどこの店に行ったって、こんなに美味しいカレーは食べられないよ」そう言ってほっぺた上げ微笑んだ。

 その彼がここ2・3週間どうみても体調が悪いようにみえた。以前はしっかりと上がれていた階段も一歩一歩必死なる必要があるくらいに登っていた。

 その姿に気が付いた近くにいたボランティアが彼の手を取り支える必要になっていた。

 先週の土曜、彼は少し弱々しく見えた。

 「おとうさん、体調はどうかな?」カレーを食べ終え、どこかに帰る途中の彼に声を掛けると、「大丈夫です、大丈夫です」そう答えた。

 その瞳には生き輝くことを失っているように見えた。そして、目ヤニが両目にぎっしりと付いていた。

 「おとうさん、身体を大事にね。また来週」

 「うん、また来週」

 一週間前、彼はもう少し元気だった。カレーを配り終え、自転車で白髭橋を渡ったところの交差点、彼は信号待ちをしている間、大声で祈っていた。

 「なんみょう、ほうれんそう、なんみょう、ほうれんそう~」何度も杖を地面にあてながら、同じ言葉を繰り返し、彼はわき目も振らず、誰に気兼ねすることなく祈っていた。ただひたすら真面目に彼なりの祈りを祈っていた。

 傍目から見れば、可笑しい姿かも知れないとも少し思ったが、しかし、彼は彼の神さまにただ純粋に祈っていたように感じずもいられなかった。

 彼が神さまを心から大切にし、ともに生きている証しを見せてもらった。

 祈る場所はどこでもいい。祈る姿は美しいものである。それが純粋であればあるほどに。

 有り難い光景だった。

 彼は今日この時も神さまとともにあるだろう。そう思えることがまた嬉しい。
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十年ぶりに。

2010-01-25 11:50:47 | Weblog

 山谷にブラザージョジョ{インド人}が10年ぶりに戻ってきた。

 久しぶりの日本なので以前七年間居たにもかかわらず、かなり日本語が出来なかった。

 握手をして話すと最後には韓国語で「ありがとう」と自然に答えていた。そのあとすぐに自分が発して言葉が韓国語だったことに気が付くと笑っていた。

 まだ日本語が楽に出てくるまで時間は掛かりそうな感じもする。

 英語はそのままのインドなまり、それを聞くとカルカッタを思い出す。今山谷にはインド人はノアス、ジョジョがいるので、今までよりもインド色が濃く、カルカッタを身近に感じられることも多くなるだろう。

 ジョジョは実直でよく働く男である。土曜もおじさんたちが並んでいた列に残るゴミを一つ一つ手で拾っていた。

 ジョジョがいた10年前は苦情が出たためにカレーを施設では配れなくなり、そこで作ったカレーを籠に入れ、何組かに分かれて、自転車や徒歩で近くの公園まで運んでいた。

 それも場所を事前に決めてしまうとおじさんたちが集まってしまうので苦情が出るため、そうすることも出来ず、なんとも心苦しい状態で重いカレーを運びながら配っていた。

 いつも施設の前にはすで何十人かのおじさんが待っていて、配りに行く自分たちの姿を見ては、あとからおじさんたちが付いて来ると言う姿だった。

 それはほんとうに申し訳ないと心を痛めたものだった。

 そして、やっと苦情が出ることの可能性が低いであろう白髭橋を見つけ、そこで配るようになった。

 ジョジョの姿を見て、その頃のことを思い出し、列に並ぶおじさんたちの姿を見ては安定して配れるこの状態に安堵していた。
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ブラザーラジット。

2010-01-24 11:37:55 | Weblog

 昨年山谷のMCで総長のブラザージェフが来日した時にブラザーラジットのことを聞いていた。

 彼は4・5年日本にいて自分と同い年で仲が良かった。日本を離れたあと、カルカッタのハウラーにあるナボジュボンで働いていた。その時にも会いに行った。いつものようにくだらない冗談を言い合った。

 ジェフの話によると、ラジットはナボジュボンのあと、メディカルを勉強してから、ハイチでメディカルブラザーとして働いているとのことだった。

 昨日、ハイチで働いているラジットの無事を知った。

 きっと朝から晩まで忙しく働いているのだろう。異臭漂う地獄絵のような風景のなか、また愛を見ていることを信じたい。

 被災地での仕事がどう言ったものかは自分には少し想像が付く、2001年インド・グジャラートで起きた地震の被災地で三週間働いた。

 街は瓦礫の山、異臭漂い、そこら中で死体を焼いていた。その煙が至るところで空に上がっていた。

 朝から晩までくたくたになるまでほんとうに働いた。昼の暑さは激しいもので病気になったものはその場に留まることは許されない場所でもあった。
 食べ物は朝パン、昼キジュリ、夜も同じものだった。ドラム缶に入れられた水で毎晩身体を寒さに震えながら洗ったものだった。そして、焚き火で暖をとった。

 ラジットが彼にその場所その時点で出来る最良のことが出来るように祈る。

 そして、どうか無事でいて欲しい。被災地ではまだ何があるかは分からない。

 どうか無事で働いていて欲しい。
 
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夢中になると。

2010-01-23 23:52:37 | Weblog
 最近、カラマーゾフの兄弟を読み始めた。

 随分前に新訳されたものを一冊買ってみたのだがまったく読む気になれず、ずっと本棚で眠っていたものだった。

 それが先々週山谷に行くのに電車のなかで何か読もうと思い、ある知人から頂いた本を読もうと探していたら、その本は見つからず、これかなと思い、手にした本がちょうどカラマーゾフの兄弟だった。

 五巻あるこの本を読みきれるのかどうか悩んだが、すでに手にした縁を感じ、とりあえずダウンのポケットのなかに入れた。

 読み始めるとこれがほんとうに素晴らしい。すぐに本の世界に吸い込まれ、その映像が脳裏流れ始めた。

 今朝も新宿から山手線を乗っている間、その本の世界に吸い込まれ、夢中なったあげく、日暮里で降りれなかった。

 まだ次の駅鶯谷まで少し時間があるが本を読んだら、また乗り過ごしてしまうそうなくらいだったのでほんの少しだけ読むことに抑えた。
 
 また鶯谷から日暮里まで戻る時間も同じようにちゃんと降りれるよう気を付けながらも小説から目がなかなか離せなかった。

 それは酔いどれて最終電車に乗っているような感じにかなり近かった。

 早くその先が読みたい気持ちになりながらも南千住に着いたので小説を閉じた。

 歩きながら登場人物の顔などやその場所の風景を想像して楽しんでいると、どっからどう見ても自分が想像していたフョードルそのままのおじさんが前から歩いてきた。

 それがやけに面白かった。

 それからまた歩きながら、小説のなかを入っていった。
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ぶるぶるぶるぶる。

2010-01-22 12:16:42 | Weblog

 あんは外に行くことは好きみたいだ。

 それでも、車の音にはまだぜんぜん慣れない。

 今朝もぶるぶるぶるぶる震えている。抱っこしてもぶるぶるぶるぶる震えている。

 少しずつ慣れて行ってくれると嬉しいのだが、どうだろう。

 家のなかではやんちゃなあんだが、まだ生まれて三ヵ月半しか経っていない。

 外に出るだけでこの世のなかの情報を凄まじい勢いで感じているのだろう。この世のなかが安心できるものとして、あんが感じられるまで、ぶるぶるぶるぶるに付き合おうと思う。

 ぶるぶるぶるぶる震えながらも、あんは確実に成長している。

 一日一日一瞬一瞬。

 
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あの部屋とあの詩。

2010-01-21 12:45:27 | Weblog

 昨夜、寝る前に最後のタバコを一本吸った。

 YouTubeでTom WaitsのTom Traubert's Bluesをパソコンで流しながら。

 そうしていると鮮明にいつも自分が泊まっていた部屋のことを思い出した。

 テーブルに足を上げた行儀が良くない姿だけれども、この格好似た姿でカルカッタのあの部屋でこの詩をよく聞いた。

 裸電球だけを点け、最後のラムを飲み干しながら、今日の疲れた心を休ませ労わり、また物思いにふけながら、ただ心の在り処をそっと見守るようにしていた。

 ベッドに行くまでの時間を次の日に逢う誰かに触れるその時までに復活快復していく力を蓄える過程を味わっていた。

 目を閉じれば、溢れるほどの映像が脳裏はっきりと流れた。

 胸のうちはあたたかなもので満ちていくのを感じながら、ベッドに横になった。

 
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