昨日も杖を付いたあの二人のお父さんはカレーを食べに来てくれた。
81歳のお父さんはカレーの並ぶ列に挨拶を終えて戻ってきた自分に「あの人のカレーを持ってきてもらった」と笑顔でボランティアの一人を指差し、「いつも面倒を見てもらっています」と感謝の言葉を伝えてきた。
「また来週元気な姿を見せてください」と言うと自分の肩に手を置いて笑っていた。
あのなんみょうほうれんそうのお父さんは階段半ばで上がることが出来ずに腰を下ろしていた。
彼の手を取り、階段の下まで降りる手助けをした。
「前、足はぜんぜん悪くなかったんだ。悪いのは頭だけで。最近は足も悪くて」
「頭は悪かったの?」
そう聞くと照れ笑いを見せた。
先週よりも少し元気そうに見えた。
「いつもお世話になっています」そう言って帰っていった。
昨日はカレーと一緒に寄付されたサバ缶も渡していた。おじさんたちは喜んでもらっていた。
しかし、手で開けられるものではなかったため、カレーの容器を集めているとある一人のおじさんは爪きりで缶を開けようとしていた。
それが物語るものは自分の知りえぬ世界かもしれない。しかし、その目の当たりにすれば、その物語のなかで自分は呼吸を始める。そして、それは記憶される。
食べ物は喜ばれるが、それはこうした現実を与える側も考える必要があるだろう。
そこには相手への深い思いやりと愛が必要だろう。