カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

あれから20年。その2。

2021-10-27 12:12:17 | Weblog

 湘南新宿ラインが上尾に近づいて行くと、窓の外は明るくなっていった。

 天気予報はあたった。

 雨は止んだようだ。

 手首に掛けたビニール傘が何だか重たく感じ始めた。

 上尾駅のプラットホームを降りると、冷たい風があたってきた。

 料金を精算機で精算していると、隣には2年ぶりに来たコウキチがいた。

 背中からはアサダの妹、トモコの声がした。

 アサダの魂がキュッと集まり始めた感じがした。

 改札を出ると、いつもの場所に少し早く着いた友達がいて、アサダの両親が笑顔でいた。

 しかし、そこは寒かった。

 ビル風が通り抜けるその場所は、あまりにも寒く、2人の友達はインナーを買いに行った。

 アサダの父ツヨシは「てっちゃん、いつもありがとう。それで、後は誰が来る?」と変わらずにせっかちに聞いてきた。

 私は「後はたぶんイナイの家族が30分遅れてきて。ほかの4家族は霊園の方に直接向かうようです」と答えた。

 「じゃ、あと少しだから、待っていようか」

 「良いですよ」

 すでに10数人、そこに集まっていた。

 タマの息子がカメラマンとなり、タマのスマホで写真をたくさん撮っていた。

 来年のアサダの命日にアサダ家に贈るアルバムのカメラマンになっていた。

 すでにもう3回、アサダ家にはこのアサダの飲み会の写真とその場に来れなかった友達の写真なども入れて、毎年、アサダの命日に合わせて、お花と一緒にアサダ家に贈っていた。

 写真は私たちのグループラインにも送られてくる、それらはいつかきっと酒の肴にもなるだろう。

 四台のタクシーに別れて乗り、霊園に向かった。

 私は山形から来たトシと2年ぶりに来たリーコとアチュコと一緒にタクシーに乗った。

 リーコとアチュコとは物忘れが酷くなった母親の話しになった。

 母親と普段一緒に住んでいない2人には、たまに実家に帰った時の母親の変容ぶりにショックを受けるようだ。

 私は2人の話しを聞き、老いていく親を看ることは、ただ悩みを持ちながら、時に失敗と思ったことを後悔し、それを反省しながら、試行錯誤し、自分たちも歳を重ねていくしかないのではないかと話したりした。

 こうした会話が出来ることが私たちの癒しにもなっていることに間違えないだろう。

 {つづく}
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あれから20年。

2021-10-19 12:45:44 | Weblog

 日曜日は毎年恒例のアサダの飲み会だった。

 文化学院の後輩であるアサダのお墓参りのことを私はこの20年、そう呼んでいる。

 コロナの感染者が多かった命日の夏の時期から去年と同じく3ヵ月遅らせ、今年も10月に行った。

 たぶん、10年前にこう書いた。

 10年ひと昔というが、あっと言う間だった。

 それから、また10年経ち、ふた昔経ったと言うことであるが、ふた昔も、いろいろとあったが、あっと言う間だった。

 オレはオマエの居ない世界をもう20年も生きた。


 いつも新宿駅の湘南新宿ラインのプラットホームの端っこにあるキヨスクの前で、サワキと待ち合わせてしてアサダが眠る上尾に向かったが、去年と今年は私一人だった。

 今年は会えると思っていたが、サワキは実家でいろいろとあって来ないとのことだった。

 こうして一人で上尾に向かうのは何だろう、少し寂しいような気もした。

 いつもキヨスクで買ったビールで乾杯し、サワキの近況を聞きながら、上尾に向かうに慣れていた所為だろう。

 それと20年と言う年月に思いを馳せていた。

 アサダが亡くなる前、少し病状が安定し、亡くなる準備として実家に戻った時に、初めてアサダの実家に遊びに行った時や通夜や葬式を含めれば、20回以上、そのキヨスクの前でサワキと待ち合わせて上尾に向かった。

 はっきりと言葉には出さなかったが、私たちは慰め合っていたに違いない。

 そうしたことをしとしとと降る雨を眺めながら、ゆっくりと思い出していた。

 雨模様の空を一人ぼんやり眺め、マスクで覆った口から呟いた。

 「アサダ、兄さんは今年も会いに行くよ」

 {つづく}
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遠藤氏のドキュメンタリー。

2021-10-11 12:15:55 | Weblog
 今、10月9日に録画しておいた「遠藤周作 封印された原稿」を見終えた。

 私としては息子さんや弟子であった加藤氏の話しが聞けて、それなりに楽しめた。

 でも、不思議に思うのは25年もの間、どうして世に出なかったのか。

 原稿はすでに清書してあり、出版寸前のものであるにもかかわらず、遠藤氏死後もやはり完璧な守秘義務があったのだろうか、発見されずのままであった。

 しかし、「深い河の創作日記」は加藤氏の呼びかけによって、遠藤氏の死後に発見されたのである。

 こうした違いはなぜあるのだろうか、などなど、想像を膨らましながら、ドキュメンタリーを見た。

 まず言っておかなければならない、人の一生を一時間などの映像で納まりきることなど有り得ない。

 ゆえにどう描くかは監督次第になる。

 私がどうしても思ってしまったことがある。

 それはもっとキリスト教カトリックの作家として在り方を描いてほしかったのである。

 一つのテーマであった「許す」と言うことは、遠藤氏の宗教観から出た言葉に他ならず、父親を許すと言うことは、母親が信じていたキリスト教徒にほんとうの意味で成り得ると言うこと、それは同じく、誰かに{母親に}着せられた西洋のものではなく、自分の身の丈に合ったキリスト教徒の真の自分になることにも繋がり、また砂浜{人生}とアスパルト{生活}のところでは、どっちが正しいとかではなく、私にはその先にある「柔和」の必要性、より良く人生を生きて行くことの大切さを言いたかったのではないか、もちろん、そこには望み通りならなく、嘆く人の弱さに寄り添うものがあることを伝えたかったようにも思える。

 勝手なことを言ってしまったが、ファンはそういうものである。

 ようは簡単ではないが、愚痴ばかり言っていても何もない、それより希望し続けることに意味がある。

 また矛盾しているが、混沌としたなかにあり、希望し続けることが出来なくとも、新たに、何度でも、希望すれば良いとも言っているような気がしてならない。


 追伸・この加藤氏はマザーテレサの二度目の来日時にマザーにインタビューをしている。

 それから加藤氏はカトリックの洗礼を受けた。

 代父は遠藤周作氏である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋冬バージョン。

2021-10-06 12:50:00 | Weblog

 写真は彼の秋冬バージョンの履き物である。

 私のブログを根気よく読んでくれている数人の方にはこの写真を見て、ピンと来た人もいるだろう。

 以前「サンダル」と言う題名でブログを書いたことがあるおじさんが先週履いていたのがこの靴である。

 この靴はサンダルとまったく同じように靴の底が落ちないように針金で何か所も止めている。

 先週の土曜日、私は炊き出しのカレーの列に並ぶおじさんたちに挨拶をしていくと、地べたにお尻と片手を付き、疲れたと言う感じが惜しげもなくかもし出しているおじさんがいた。

 おじさんと言うよりはもうおじーさんである。

 それゆえ、私は彼を「お父さん」と呼んでいる。

 「久しぶりだね。お父さん、元気にしていた?」

 「うん。元気にしてたよ」

 私はお父さんの履いている靴に釘づけにされた。

 「お父さん、またこの靴は凄いね!もうサンダルじゃないね。これは秋冬バージョンだね」

 「うん、そう。もうサンダルの季節じゃないからね」

 「そうだね、自分ももうそろそろ下駄はお休みしようかな」

 近くにいたおじさんたちも私のその言葉を聞いてニヤニヤして頷いていた。

 春先から秋口まで私は天気が良い日はのめりの下駄を履いて、山谷に行っている。

 これはおじさんたちの間でも有名で、私が冬場ブーツを履いていくと、何人かのおじさんに必ず「あれ?下駄じゃないの?」とツッコまれるのである。

 「お父さん、これも凄いから、また写真撮って良い?」

 「良いよ」とお父さんはニコニコして言ってくれた。

 近くにいたボランティアが「靴のサイズはいくつかな?」と心配して言ってくれた。

 あまりにも使い込んだ靴を見て哀れに思ったようだった。

 「27」

 「26,5の靴なら施設にあるんだけど」と言ってくれた。

 私の個人的な見解は、「お父さんはこの靴が良い」と思っていた。

 この靴にはいくつものお父さんのドラマがあるんだろうし、物を大切にする心がにじみ出ている、それはマザーテレサのそれに似ている。

 マザーは履いていたサンダルは直しながら、また足にちゃんと合わないままのサンダルでも使っていた。

 一説にはだから足の形が酷くなってしまったと言うことである。

 それにマザーのサリーは繕っているところが多かった。

 周りのシスターが新しいものを用意しますと言っても、まだ使えますと言い、破れた箇所を繕いながら、自分のサリーを大事にしていた。

 あなたは今日、何を大切にしますか、何を大切にしていますか?

 そう問うだけでも何かが変わるのではないでしょうか?
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする