カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

「変わるの?変わらないの?」

2014-08-29 13:11:19 | Weblog

 「どうして、インドに行きたいと思ったの?」

 「よく言うじゃないですか。インドに行くと人生観が変わるって」

 「いや、変わらないよ。そんなに簡単に人生観なんて・・・」と私はインドに行けば人生観が変わるということにいつからか何故か否定的だった。

 しかし、インドに行くのと行かないのと、ボランティアするのとしないのとではまったく違いあることも疑いようのない事実だと知っている。

 今まで見たこともない景色や触れたのことのない習慣、文化のなかに入り込めば否応なしに脳は刺激されるのである。

 さて、私はと振り返れば、実は間違えなく人生観が変わったと思わざるを得ないのに気付き苦笑する次第だった。

 私の場合、もう20年以上前になる生まれて初めてのボランティアとカルカッタでの生活を通して、唯一無二の体験にしたのだった。

 今ではよくボランティアのオリエンテーションなどで話したことであるが、私はボランティアを通して、今まで知らなかった自分に出会えた感動がある。

 それは例えば、それまでは介護の必要な老人や障害者などに接することなど、気持ち悪かったり、汚いと勝手に忌み嫌ったりしていたのだったが、カルカッタのマザーの施設で、その日まで何も食べることをしなかった患者がスプーン一杯の食べ物を口にしたことに無性に喜んでいる自分にはっと気が付いた時、それは誰なのかと思うほどの真新しい自分に出会えた感動を味わったのである。

 まさに私のなかの今まで未開発だった場所が発掘された喜びだった。

 それはマザーの愛の魔法に掛かったと言っていいかもしれないと今では思う。

 今でも私の外見は決してボランティアなどやっている人間には見えることないし、ボランティアなど柄でもない人生をそれまで送ってきた。

 私はそれまで好きなると言えば、可愛い女の子だけだったが、スプーン一杯を口にしてくれた老人のことを間違えなく私は心配し続け、思い続け、それがマザーの伝えたかった愛だと言うことを知るようになったのである。

 それだけではない、いつも一緒にいてくれたカナディアンのカップルがいた。

 その時、英語もろくに話せもせずにいた私に関わらず、私たちはほんとうに仲良くなることが出来た。

 カルカッタでの毎日が喜びの日々になり、私はこの世界に生まれてきてほんとうに良かった、私が私でいてほんとうに良かったのだと、私のそれまでの人生を全肯定した素晴らしい体験と経験をしたのである。

 それは私のうちに喜びの泉となり、その水は絶えない。

 ここでもう一度インドに行けば人生観が変わるということに、私は何故否定的になっていたかを考えてみる。

 知らないものを知る前と知った後では何かが変わる、しかし、本をたくさん読めば賢くなれるとは思わない、実際違うと思うのような両極化した方程式が私の中にいつしか成り立っていたのかもしれない。

 そして、私は何度も何度もカルカッタに行ったが、私のうちの私が変わりたいと思う部分が変わらずにあり続けることへの憤りを見つめ続けてきたからかもしれない。

 しかし、今はその弱い部分こそ、私の指針となり、私を教育してくれる師のようにも思えるようになっている。

 それにたぶん安易にそこに行けば人生観が変わるなどと思う他力本願的な渇望の危険性を感じ続けてきたからかもしれない。

 ほんとうはどこにいても変わらぬ者として生きれることが何よりなのだ。

 ただアイデンティティーの定まらぬ時期には藁をもつかむ思いでどうしても彷徨うことになるが、それも人生には必要なことと思える。

 人生観を変えるターニングポイントは必ずあると思うが、それは後になって分かることであり、不意にそれは訪れることの方が多いのではないだろうか、そして、またそこから自身の人生観を育てていく地道な作業を怠ってはならないのである。

 人生はそれを喜ぶと私は思うのである。

 
 
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「祈る心」

2014-08-28 13:25:08 | Weblog

 仕事前にいまライブの練習を少しやってきた。

 9月17日のアピア40のライブでうたう一曲の歌詞を載せよう。

 
 「祈る心」

 手を合わせるだけの優しさ、誰もが持っているのだろう。

 祈る心をあなたは持っているのんだ。

 涙があふれる哀しみの時があなたにある。

 あたたかなぬくもりの記憶があるから。

 あなたを愛するこの大きな空は優しく語る。

 祈る心を誰かにつなげたいと。

 私も愛する優しい風たちはうたをうたい、

 誰かの哀しみ、吹き流してくれる。

 あなたとわたし、あなたとわたし、

 哀しみの季節に涙が流し、喜びの季節に微笑む、

 生まれ変わっても必ず会うと、命に語り、花を咲かせる。

 手を合わせるだけの優しさがあなたを輝かせる。

 祈る心が愛の証しだから。

 愛する人よ、愛する人よ、

 哀しみの季節を耐え忍び、喜びの季節を信じる。

 生まれ変わっても必ず会うと、命に誓い、花は微笑む。

 手を合わせるだけの優しさ、誰もが持っているだろう。

 祈る心をあなたは持っているんだ。

 愛し愛させるために。

 
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Pray for Dodo.

2014-08-27 12:32:04 | Weblog

 アイルランドのイメルダからFBにメールが届いた。

 イメルダはアイルランドからフランスのドドの見舞いに行ったのでドドの様態を教えてくれたである。

 ドドはガンである、そして、その容態は今芳しくはないようである。

 私が今年マザーハウスに行っている時もドドの病状の写真がボランティアが朝食をとる部屋にあるボードに貼ってあった。

 イメルダのメールには彼女のことを思い出し、祈ってほしいとあった。

 ぼんやりと、そうか・・・と呟き、少し時が止まったようにぼうぅっとそのメールを眺めていると、記憶の奥底から何か重い哀しみのようものがアルファベットの上から現れたような気がした。

 「もちろん、祈るよ」と返信をしてから、FBのメインの画面すると、知人たちの喜びの写真があがっているそれをもうあまり見ることを望まない私が出来上がっていた。

 少しゆっくりとドドへの祈りの時間、そして、彼女の姿、声を思い出す方に心はなっていた。

 外の霧雨はまだ静かに降り続いている。
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「バタン!」

2014-08-26 11:48:40 | Weblog

 月曜日の夜は休肝日にしているのであんと夜の散歩から帰ってくると、私はBSフジで11時から放送されているBBC{TopGear}を見ながら柔軟体操と筋トレをする。

 しかし、その前に決まってあんがオモチャを加え、尻尾をフリフリしながら近寄ってきて「遊ぼォ!」と来るのである。

 昨夜はお風呂場で足を洗い、身体を拭き終わったあんはもう遊ぶ気満々だった。

 私はあんのボールを持って、あんを誘う「あん!投げるよ!」と右に左にフェイントを入れる。

 あんはそのボールが投げ出されるであろう方向に身体を小刻みに動かし、尻尾を回しながら反応する。

 私はあんの左側に素早いボールを投げ、あんの足元をボールが通り抜けていくことを想定し、力強くボールを投げた。

 あんはそれに素早く反応した。

 それはサッカーのゴールキーパーがPKのボールを横跳びして取るような形になった。

 しかし、「バタン!」と音をたて、あんは横跳びではなく、勢い余って滑って転ぶ形になってしまった。

 肘とお腹をたぶん打ったのであろう、そして、それに驚き、また少し痛かったのであろう。

 起き上がってボールを取りに行くことをせず、ただシュンとして尻尾を下げて、情けない顔をして寝床にトコトコを行ってしまった。

 「あぁ~あぁ、あんは大丈夫か?」と最初から早いボールを投げたことに後悔し、私はあんの後を追い、あんが寝床で小さく丸くなっているのを抱きあげ、「あん、大丈夫!大丈夫!痛くないよ~」と打ったであろう肘やお腹を優しくさすってあげた。

 しかし、一度シュンとなったあんはもうご機嫌をあげてはくれず、すねたようにふて寝したままだった。

 私もあんのようにシュンとなり、仕方なく、私は一人{TopGear}を見ながら、柔軟体操と筋トレをすることになる夜となった。
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「少年H」

2014-08-25 12:53:11 | Weblog

 録画しておいた「少年H」を今見終わった。

 戦争という凶器の時代を生き抜き、価値・文化がそれまでとまったく一新していく様に取り残されるものと順応していくものとの狭間を否応なく生きざるを得なかった少年の心とは復興・復活に向けてどういったものであったのか、この日本には多くの「少年H」がいただろう、そこに「もし私が生きたのならば」と私の存在を考えざるを得なく映画を見た。

 大人への不信は拭いきれず、しかし、その少年も忌み嫌う大人へとなっていく過程とは如何なるものなのか。

 戦争によって破壊されたのは街だけではなく、信じる心も破壊された、そこに両親の愛と信仰は間違えなく深く意味を落としていく様は切なる祈りのようであった。

 いつか原作を読んでみたくなった。

 面従腹背で生きるしかなかったキリスト教徒の戦争時代、遠藤氏のそれと妹尾氏のそれに違いはあるが苦しみの違いはないように思えた。
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「悩む力」

2014-08-22 13:11:43 | Weblog

 たぶん、もう一年ぐらい前に買った姜尚中氏の「悩む力」と「続・悩む力」を読み終えた。

 姜氏の人柄やマジメさ、その深い生命力に生きる悩む力が切々と書かれていた。

 私としては人間の全体性を総合的に研究することへの何かしっくりと来ない部分もあるのだが、そのしっくりと来ないと感じながら読むこともまた意味深いと思い、最後まで読んでみた。

 私には少しだけ分かっていたその「しっくりと来ない部分」とは私には到底手につけられない長い夜のような奥深い場所であり、安易な否定や肯定ではどうにもならず、陳腐な洞察力では太刀打ち出来ず、死力を尽くさねば何もなされぬ恐怖すら感じることであると同時に私も間違えなくその一部であるという矛盾を感じるがゆえに途中で逃げることは避けた。

 好きなものだけを読んでいるだけではなく、そうでないものも読むことによって、私のなかの未だ発掘されていない何かが分かっていくようになるものである。

 そして、それは繋がりを見せる。

 私はこの本のなかで紹介された漱石の本をさておき、デンマークの児童文学作家のヤンネ・テラーの「人生なんて無意味だ」とトルストイの「イワン・イリイチの死」が読みたくなった。

 早速に手に入れることにしよう。

 姜氏のこの本たちは私のなかでもう少し熟成させる必要があるように思えた。

 今日から遠藤氏の読みかけの三冊の本のうち、まずすでに半分読み終えた「怪奇小説集」を読み終えようと思う。

 この本には私の母校の文化学院の学生の話が出てきて、新たな発見だと喜んだりした。

 
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ヤマメの話。

2014-08-20 13:02:04 | Weblog

 「ヤマメをオレより、うまく釣れるヤツはいないだろうな~。いや、いるかもしれないけど、会ったことがない・・・」

 「へぇ~、そうなんじゃないの・・・」

 「クモで釣るのが一番いい、このケースはオレが作ったんだよ。最初一つの箱に入れたら、クモのヤツらすぐに共食いしちゃうからさ・・・」

 小さな長方形のケースを出し、自ら発明したそれを自慢げに手にしながら、酔っぱらったオジさんは話し続けた。

 そのケースがクモが一匹一匹ずつ入れらるようになっている。

 オジさんは渓流の沢を登っていく道すがら、クモを取るのである。

 クモの巣があると言うことはまだ誰もその日その道を歩いていない証拠であり、釣り場が荒らされていないと言うこと、警戒心の強いヤマメではあるが釣れる可能性が存在していることを現していると言う話であるが、これはもう何年前から、いや、私が子供のころからオジさんは酔えば、この話を耳にタコができるほど聞かされているので私はすっかり暗記している。

 しかし、このオジさんのヤマメの話といい、酔っ払いの話と言うものは何度も繰り返される。

 それゆえ、聞いている方はあまり重要視しないで話を空に逃がすように聞いてしまう。

 だが、話している方は何か獣のような鋭敏な感覚で話を相手がしっかりと聞いていないことを察知する。

 すると、また同じ話を始める次第になり、立派な酔っぱらいとしてのスパイラルを完成させていく。

 実はこれは知っている人ももちろんいることであろう、酔っ払いだけに関わる話ではない。

 人は話をする時、相手がしっかりと聞いてくれていないと感じる場合、同じ話を無意識に繰り返していく傾向がある。

 そして、オジさんと私のように身内ほど、相手の話をなかなかしっかりと聞かないものように思われる。

 しかし、それを意識化していけば、コミュニケーション能力は上昇するだろう、そして、ストレスの一部は確実に減少していく。

 まず自身を客観的に捉える必要があり、瞬時にいま自分は何を話そうとしているか、そのため何を聞かないようにしているか、何を相手に伝えたいと思っているのかを知り、それを抑えられるようにならなくてはならない。

 そして、その自分の意思を意識的に捨て、相手の意識に集中する、相手がいま何を伝えたいと思っているかをしっかり観察し、肯定的な態度を持って、内容がどうあれ、ありのままに受け容れていく覚悟と準備して備える。

 それを楽しむように自己に向かって実験するように働きかけるのである。

 出来なくっても実験し続ければいいのであり、それを静かに喜びを持って行い続けることが何よりである。

 いつかあなたはマザーの望む平和の道具のようになり、あなたの目の前の相手も喜び、あなたも喜びようになるかもしれない。

 その可能性はあなたのなかに間違えなくあるのである。

 さて、私もいつかオジさんのヤマメの話を一回でピシッとしっかり聞いて終わらせたいと思う。

 しかし、何度も好きなヤマメの話をさせてあげることもそんなに悪いことでもないと思ってもしまうのであるが・・・。
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夜と霧の隅で。

2014-08-14 13:06:14 | Weblog

 先週の土曜に北杜夫氏の「夜と霧の隅で」を読み始めた。

 すると、今週になり、BSのドキュメンタリーで「ヒトラー・権力掌握への道」をやっていた。

 北氏の小説をより良く読み込むためにも、その当時のドイツの政治状況や国民意識、ヒトラーの野望への道行などを知る必要があった。

 第一次世界大戦からドイツが置かれた社会状況の流れを知ることにより、以前読んでいたフランクルの「夜と霧」の価値をまたいっそう深くするように思えた。

 そして、今日は昨夜録画しておいた「迫害に立ち向かったユダヤ人教師」を見た。

 緊迫感を否応なしに感じながら、そこに映し出された当時は私の味わう緊迫感の何万倍で時が流れている。

 このドキュメンタリーの迫害に立ち向かった女性教師はまさにヒレルの言葉通りに行動した。

 「もし私がそれをしなければ、ほかの誰がするのだろうか。しかし、もし私が自分のためだけにそれをするならば、私は何だろうか。そしてもし私が今しなければ、いったい、いつすべきだろうか」

 そして、そこには神さまの存在があったように思えてならない、現実に彼女はホロコーストから子供たちを救ったのであった。

 1938年11月9日夜の「水晶の夜」から、彼女の毎日がどんな日々だったかを思うと、胸が張り裂けそうになる。

 だが、彼女は常に生徒を命がけで守ろうとし続け諦めなかった。

 
 
 残念ながら、仕事に行く時間になってしまった、心のうちをもっと書きたい気持ちがあるがまたの機会とする。

 
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愛犬との別れ。

2014-08-13 13:12:18 | Weblog

 昨夜はあんに久しぶりにリンゴをあげた。

 あんは美味しいリンゴだったので左前脚を私の膝にあげ、リンゴの催促をする。

 「ダメ、もうちょっとゆっくりだよ、待てだよ」とあんには分からぬ私の晩酌ペース配分を言い渡し、それに付き合ってもらった。

 そして、最後にはリンゴを乗せた小皿を出し、「これでもうお終い」とあんには伝える。

 「ふん!もうないの!」とばかり、それを食べ終わり、小皿までぺろぺろしてから身体をぶるぶるさせ、一階のあんの寝床に去って行った。

 それから、フェイスブックのチェックをすると、知人が愛犬との別れを載せていた。

 綺麗な花たちに飾られたもう動くことのないその愛犬の写真と知人の文章を読むと、胸が一瞬にして締め付けられ涙が出てきた。

 私は私のそれ、その時を否応なしに想像してしまった。

 それをなかなか拭い去ることは出来なかった。

 その私と知人を励ます思いでしんみりしながらもコメントを書いた「愛犬ベッキーと一緒に生きた日々はもう何一つ変えることがない、それは変わらない感謝の日々であり、かけがえのない日々。言葉の向こうにあるベッキーの言葉がずっと聞こえるように。「ありがとう」って。それはなくなることなど、この先決してないんだよ」

 哀しみは書くことにより、少し落ち着きをそこに見出せもする、愛犬との物語りを語ることにより、もう一度まとまりをもった形で内生していく、そして、その作業と過程では同時にどうにもならぬことをしっかりと哀しむことの大切な意味を感じ通して、新たな成長と新たな感謝へと導いていく。

 知人がそうあれるように思わざるを得ない。

 精一杯生きた死は生の意味をより深くし味わいを持たせ、愛の意味も輝かすものとなりえる。

 何か感じたのか分からぬが、明け方あんは涼しくなってきたからであろう、私のベッドに来て、久しぶりに私の足元で寝ていた。

 

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後輩。

2014-08-12 13:29:54 | Weblog
 
 何か焼き魚を食べたいと思っていた。

 ぷりっと肥えた刺身用のアジを焼くのも良いが、いや、それでは平凡すぎる、もう少し芸のあるものをと。

 アジが決して悪いのではない、新鮮なアジをこんがり焼き、レモンを絞って食べる幸せを私は知らない訳ではないが、少し前に見たあるもう一つの干物が私に何かを言っているように思えてならなかった。

 その干物は今までそこに居たことがない、ちょっと珍しかったのである。

 体の割にグロテスクで大きな顔とその目に私の興味がすでにそそられてしまっていたのだ。

 それはタラの干物であった。

 新し物好きと言うようなところもあるが、食べたことのないものを食べてみたいと言う好奇心と不思議と目と目が合ったと言うお茶目な理由を通して買い物籠のなかに入れてみた。

 日曜日、文化学院の後輩のシミズ君が家に来てくれるので、その前に少し駅前のスーパーで買い物をしたのであった。

 そのタラの干物の味のことはさておき、久しぶりに会うシミズ君とはいろいろと話が弾んだ。

 私のブログをいつも好意的に読んでくれている彼はブログに出てきたサドゥーのことやその神秘、そんな人間がほんとうに存在すのかと目を丸くして聞いてくれた。

 私は少し照れながら答えるが、滑らかな口調になるように芋焼酎をぐいっと忙しく口に運んだ。

 話は文学や事件といろいろと広がり、深みを増していったその会話は文化学院的会話と言っていいだろう。

 この世の中に飽くなき好奇心と苦悩をもって理解に向かい、また分かりきらないことを分かりきった素振りを見せず、ひたすらにうちに感じながら迷走の中にある答えを見出そうとすることに諦めを覚えない志しはやはり私とどこか似ているのである。

 不運なことに失業中の彼ではあるが、私の駄文に興味を持ってくれ、私をとても励まして帰って行った。

 今は降参のように白旗をあげているかもしれない彼であるが、不運を乗り越えてきた彼である、きっと良くなっていく。

 彼の中にはそうしたものがあるのだ。

 また飲みに来るといい、タラの干物よりももう少しいいものを用意しておこう。

 
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