カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

冬のビールの美味しい飲み方。

2015-12-31 13:03:00 | Weblog

 年末年始とお酒を飲むことが多いでしょう。

 昨夜は地元の同級生と忘年会だった。

 オヤジになった私たちだが集まれば子供っぽいバカな話しばかりで盛り上がる。

 その話など子供のいる者たちは到底自らの子供たちには聞かせられないような話しである。

 だが大いに笑った。

 オヤジになっても、きっと老人になっても、私たちは子供時代を忘れない、その時代を生きた子供を自らのうちに分身のように生きさせながら歳を重ねて行くのだろう。

 さて題名に書いたように冬のビールの美味しい飲み方を紹介しよう。

 私は芋焼酎ラブな男だが、その前にどうしてもビールを口にしたいタイプである。

 そうしたことは日々何気なく繰り返しているうちにもっとこのビールを美味しく飲める方法はないかとふと考えた。

 夏の暑さは今なく、喉の渇きもあまりない、ならばどうしたものだろうかと考えた挙句、ひらめいたことがあった。

 それはビールを美味しく飲んでいる人の真似をすれば良いと言うことだった。

 そこで思い出されたのは「幸せの黄色いハンカチ」に出て来る健さんであった。

 出所したばかりの島勇作{健さん}が食堂でビールを飲むシーンがある。

 まず左手でビールを注がれたグラスを握り、待ち焦がれたようにじんわりと触れ、そこに右手を合わせグラスを包み込む。

 健さんはそのグラスを一点集中し、そこで祈りの間のような沈黙がある。

 この沈黙の間にある健さんの気持ちを思うと、こうして書きながらも生唾を呑み込み、ビールが欲しくなってしまう。

 この沈黙の間を破り、健さんはグラスを少し持ち上げ、今度は顔全体をグラスに近づけ、ビールを吸い込むようにすするようにして一気に飲み干すのである。

 出所後の初めてビールはどんな味がするのだろうか、いや、別に出所後でなくても良い、待ちに待ち焦がれたビールの味、飲みたくても飲めなかった長い年月を掛けて作り上げた目には見えないツマミがビールをどんな味にするのだろうか、普段何気なく飲んでしまうビールを目の前にして、健さんのその瞬間の気持ちになって今宵のビールを飲んでみてはどうだろうか。

 健さんのように演技がうまくなくたっていい、大根役者でも構わない、その心その思いを深く思い巡らすことによって、今宵、あなたの飲むビールの味は必ず変わるだろう。

 本格的に美味しいビールの美味しく飲みたい方はまず「幸せの黄色いハンカチ」を観ることをお勧めします。

 そしてまたあなたの生涯のなかで最後の一杯のビールと思い、ビールをほお張るのもいいかも知れない。

 大人になっても子供心を大切に。

 それでは善いお歳を。


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドストエフスキーはダメだ。

2015-12-29 12:36:55 | Weblog

 何を言い出すのか、と思われる人も多いだろうが、まぁ、話しを聞いてください。

 先日山谷MC{マザーテレサの修道会}のクリスマスの日のことです。

 私は毎年この日をいつもの白髭橋の炊き出しよりもゆっくりとおじさんたちと会話が出来るので楽しみにしていた。

 可能であれば一分一秒でもひとりでも多くのおじさんと話しをしたいと考えていた。

 毎週土曜日の炊き出しに行くために起きる一時間前にこの日の朝は起きられた。

 用意の無事整え、いつもよりも早い電車に乗り込むと私はこの車中の時間を楽しむための読書にこの日ドストエフスキーの処女作「貧しい人びと」を開いた。

 最初は私の苦手な長い手紙のやり取りに嫌気も差してきた、私はどうもこういった手紙のやり取りの小説に現実味を感じず、どうも苦手なのだ。

 だがドストエフスキーは違った。

 処女作とはいえ、十二分にドストエフスキーらしいダイナミックな文章とその文面から溢れ出す息遣いに魅了された。

 そうなると新宿まであっという間だった。

 山手線のなかでも同じことが続いた。

 「あっ、、、」と思った。

 降りなければいけなかった日暮里から電車はすでに鶯谷に向かってしまっていた・・・。

 数日前から楽しみにしていたおじさんたちの会話、今朝もあまり寝ないで早く起きして、ここまで来たのに、少しでも早く山谷に生きたかったのに・・・。

 自らの吐き出すため息にどっぷり包まれるように、そのなかからもまたため息を吐いた。

 私はすっかりドストエフスキーにやられてしまった。

 私は「カマラーゾフの兄弟」を読んでいた時も下車しなくてはいけない駅を三度乗りこし、今回もまたやられてしまったのだ。

 ドストエフスキーはもちろんダメではない、素晴らしい作家だ。

 そしてまた降りなければいけない駅を降りれなかった私も案外ダメではない。

 なぜなら無我夢中になって本を読める喜びと楽しみを知っているからだ。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Holy Night。

2015-12-25 12:43:51 | Weblog

 昨夜は仕事を終え、あんの散歩をしてから、調布教会の深夜0時のミサに行ってきた。

 いつも満席に近い形で行われるミサではあるが、この日三回目のミサということもあり、人もまばらなチャペルのなかはとても静かで神性さが漂っていた。

 私は仕事の疲れもすっかり忘れ、神さまの愛のうちに祈りに祈った。

 この喜びに沈黙を持って感謝した。

 やはり私はカトリック信者になって良かったと心底から思い、その思いは私の身体から溢れ出し、静かなチャペルのなかに漂う神性さと交わり、それまでの長い道のりをゆっくりと思い出さていき、マザーの面影をたどって行った。

 ミサが終ると教会の仕事を手伝っている女性が私のところに来て「浦田神父からです」と預かっていた私への浦田神父からのドン・ボスコの本をくれた。

 その本はドン・ボスコの研究者である浦田神父が編訳した「オラトリオ回想録」だった。

 私にとって、それはとても素敵なクリスマスプレゼントになった。

 自転車に乗って帰る帰り道、お月さまがとても綺麗だった。

 柔らかく優しい光りを放つお月さまを信号待ちの度に見上げては、その美しさに祝福された思いに満たされた。

 これもとても素敵なクリスマスプレゼントであった。

 深夜一時を過ぎた道路に行きかう車はもう少なく、その静けさは私のうちにある比類ない喜びを感じさせるのに有り余り、教会のなかから繋がった神性さのように在り続け、Holy Nightそのものだった。
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マザーテレサの二度目の奇跡。

2015-12-22 18:57:31 | Weblog

 土曜日にブラザーノアスにマザーの二度目の奇跡について聞いたが、まだマザーハウス本部から届いた手紙を途中までしか読んでいなかったが、それがブラジルで起きた奇跡であることは知っていた。

 もう知っている方もおられると思うが、ここに載せてみよう。

 「2008年9月10日、重い脳の病気に犯されたブラジル人技師の男性が絶望的な手術を受けるために手術室に運ばれていった.その時、彼の妻は一人の司祭と何人かの家族たちと共に聖堂で待機していた。 彼女は前晩からマザー・テレサに夫の病気を治してくれるよう熱心に祈っていた。

 全ては一瞬にして起こった。担当外科医は手術を少し延期するために手術室を30分ほど後にした。そしてしばらくして手術室に戻った外科医は、そこにベットの上にきちんと腰掛けている病人の姿を発見した。つい数分前まで意識もなく生死の境をさまよっていた瀕死の患者が完全に意識を取り戻し,医師に何のために自分はここにいるのかと尋ねるのだった。

 脳細胞に見られた欠陥が瞬時にして完全に消え去っていたのである。その後、この奇跡的治癒は専門家たちにより,医学的には説明不可能な完全な治癒として確認された。病魔によって破壊臓器が完全な状態に戻されるというこのような奇跡は「第一級の奇跡」として承認される。
 
 この奇跡によって、貧しい人々,疎外された人々の友,天使であったマザー・テレサの列聖への扉は大きく開かれたのである。」

 このような奇跡は絶対にないとは言えないだろう、医学・科学では証明し切れない現実は確かにあると私は思う。

 ドラマ「ドクターコトー」のなかでさえ、記憶は定かではないが末期のガン患者のガン細胞が消えたことがドラマのなかで描かれいた。

 私は奇跡が起こる起らない云々ではなく、マザーが聖人として認められたことが何よりも嬉しい。

 もしマザーが生きていたら、このようなことはノーベル平和賞をうけた時と同じように、貧しい人たちの代表としてうけると思う。

 マザーを愛する人たちは素晴らしい福音を与えられたこの意味を現実化してほしいと私は願う。

 それは簡単ではないことは百も承知であるが、マザーが愛した人たちを愛せるように、その人たちに無関心にならないようにあってほしいと願う。

 マザーはそのために死後も魂を活き活きとさせていた証しがこの列聖ではないだろうか。

 マザーは彼女自身が愛したもの{自らの修道会はもちろんのこと}をどうにかしても守ろうと未だ神さまとともに働きを止めず、マザーの神父への手紙にあったように苦しむ人といつもともにいる暗闇の聖人として生きているように思えてならない。

 私たちは何も出来ないと諦めてはなりません、マザーの言うように小さなことからで良いでしょう、そこに愛を込めて行うのであれば、あなたのそばであなたを見守っている方とともにマザーは微笑んでいるでしょう。

 喜びと微笑みのクリスマスを。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とうとうヤフーニュースにまで。

2015-12-19 01:03:46 | Weblog

 マザーが列聖され、聖人になることがヤフーニュースに出ていた。

 そうしたことがヤフーニュースになるだと少し驚いたが、それを見て嬉しくなった。

 カトリック信者ではない日本人にとってはその意味はあまり分からないだろうが、世界的に見れば、やはりニュースに違いない。

 二度目の奇跡はまた明日ブラザーに聞いてみよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の山谷の炊き出し。

2015-12-18 12:27:59 | Weblog

 今年の山谷の炊き出しもあと二回になった。

 特に何をしている訳でもないが時間だけは間違えなく進んでいく、泣いても笑っても進んでいく。

 12月23日は毎年恒例の山谷のMCの施設で行われるクリスマスです。

 8時半からお弁当を550個作り出し、10時からお弁当とクリスマスプレゼントを配る予定、その後ミサとパーティーになります。

 私も23日は遅れないようにいつもよりも早起きをして山谷に向かう予定です。

 この日はいつもよりもゆっくりとおじさんたちと話しが出来るので楽しみにしている。

 新年の白髭橋でのカレーの炊き出しは1月9日からになります。

 お時間のある方はどうぞ山谷のクリスマスに来てください。

 それがあなたへのクリスマスプレゼントになるように思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

粋とは。

2015-12-17 12:57:07 | Weblog

 私は4月から10月まではだいたい下駄を履いて過ごし、それ以降はブーツになる。

 山谷ではこの下駄からブーツになる季節に、私がブーツを履いていくと多くのおじさんたちは私の足元を見て「あれ、下駄じゃないんだ」と突っ込む。

 その度、私は「もう寒くて下駄を履けないよ。風邪引いちゃうし」と笑いながら言いかえす。

 今年のこの時期にあるおじさんからあることを教わった。

 そのおじさんは体格は良く、洒落た帽子をかぶり、首から金色の鎖をまき、グラサンをして作務衣を来ていた。

 そのおじさんの足元は素足に蛇柄の雪駄だった。

 彼は私に言った。

 「向島では粋な男は冬でも素足に雪駄を履くんだよ。それが粋なんだよ」

 それもブーツを履き始めた私の足元を見ながら言うから、私は恥ずかしくもなった。

 恥ずかしくなるその心とは私も粋に憧れ、真冬でも素足に雪駄を履く寅さんに憧れているからである。

 「そうなんだ。いや、自分はもう寒くなると下駄は履けないんですよ。おじさんは寅さんみたいだね」と苦々しい思いや恥ずかしい思い、そのもろもろが混じりながらもやはり冬に素足に雪駄を履く粋がない自分を結局恥じた。

 面白いのがそれからしばらくして、またそのおじさんに会うと、なんと今度は普通の洋服を着てスニーカーを履いて現れた。

 今度は立場が逆転とは行かないまでも、以前の私のようにそのおじさんはなっていて、ニコニコ笑いながら照れを誤魔化していた。

 それからおじさんは何週間かスニーカーでカレーの炊き出しに現れた。

 がしかし、先週の土曜日だった。

 そのおじさんはまた作務衣に雪駄で現れた。

 寒さをやせ我慢していることは明らかだが粋だった。

 そこでまたおじさんの粋の饒舌を私は賜わった。

 でも、おじさんは言った。

 「今日でここに来るのは最後なんだよ。引っ越すんだよ」

 「えぇ、そうなの・・・。それじゃ」と私は言いながらおじさんに右手を差し出し、握手を求めた。

 「またいつか遊びに来てね」と言うと粋なおじさんの顔に少し寂しさが表れたように思えた。

 このおじさんがどんな人生を歩んで来て、どんな毎日を暮し生きているのかは分からない、きっと私の想像以上にドラマチックな人生を生きて来たのだと思う。

 どうしても外見などで何かを判断しがちになってしまうことがあるが、私はその出会いに意味と価値をいつでも見い出し、愛を持って目の前のその人に接することがいつも、いつまでも出来るように願わずにはいられない。

 粋なおじさんがいつまでも粋であることを願いながら。

 おじさんは最後のはなむけに私と別れるためにやせ我慢をしてまでもその粋な姿を見せたかったのだろう、その心がやはり粋でカッコ良かった。

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神さまの目。

2015-12-14 12:24:16 | Weblog

 浦田神父は三ヶ月に一度カトリック信者の若い子たちを山谷に連れて来る。

 先日の土曜日も二人の女の子を山谷に連れてきた。

 彼女らが山谷に来るのはたぶん三回目ぐらいだろうか、話す機会があれば、私は彼女らに声を掛ける。

 カレーを配り終わったところで「今日はどうだった?」と聞いて見た。

 「この前よりはおじさんたちと話せました」とのことだった。

 私はいつも思うことであるが同じ風景、同じ場面を見たとしてもその見方は一人ひとり独自のものであり、感じ方も様々である。

 そのまだ若いボランティア初心者である子たちの見方を深くするために私はこう言った。

 「神さまの目でおじさんたちを見るんだよ」

 すると彼女らの表情は即座に深く考えるような真剣な顔になった。

 「神さまの目」で見ると言うことは、瞬時に彼女らの神さまとの対話が始まり、育ってきた環境と信仰そのもののなかの彼女らの神さまがそこに現存してくるような感覚になるのではないだろうか。

 またその目はそれまでどういった風におじさんたちを見てきたかを気付かせるものに変化するのではないだろうか。

 「この前よりはおじさんたちと話せました」と言う自分発信の感覚ではなく、自分を超えたものを生み育む作用が彼女らの内に流れ込んだように思えた。

 言葉では言い表すことの出来ぬその意味さえも感じずには居られなくする、その意識の変容とともに、自身の存在の意味を深くしていく。

 同じ風景、同じ場面にいても、「神さまの目で見ること」により自己を超えた深い愛情を感じずにはいられなくなる特別な祝福が与えられるのではないだろうか。

 もしあなたが何かに疲れ、何かに困り、そこに価値を見い出せない時には「神さまの目」をお借りしてはどうだろうか。

 慈しみ深くこの世界を観れるようになるかもしれない。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トレーニング。

2015-12-13 18:16:31 | Weblog

 今日はやっとゆっくりと体幹トレーニングが出来た。

 やはりトレーニングをしないと何か足らないような感じが付きまとい、日々の生活のルーティーンが整わなくなっている。

 身体の調子もどうにか元に戻ったようだ。

 
 昨日ミニがやっと動いた。

 昨日は朝から石坂と片ちゃんが私が山谷に行っている間もうちに来て、ミニを直してくれていた。

 ミニの心臓部分と言っていいキャブをSUからウェーバーにしたのである。

 週末に何週間か掛けて作業してきたミニのエンジンが掛かるとあんは「ヒューン、ヒューン」と寂しい時に出す声を出した。

 あんは車に乗せてほしい、ドライブに行くなら連れて行って、と思ったのである。

 母親がそんなあんを連れてきた。

 あんはまだミニが動かないと分かると一通り石坂、片ちゃんに挨拶をして、そそくさと家のなかに帰って行った。

 まだ細かいウェーバーのセッティングやオイルキャッチャータンクの取り付けなどするのであるがとりあえずミニが動く状態になって良かった。

 
 昨日遠藤周作氏の「第二怪奇小説集」を読み終えた。

 遠藤氏がまだインドに行っていない1960年9月、結核の再発中病床で書いたであろう、インドが舞台になっている「人食い虎」と言う短編などがあり、遠藤氏のインドへの憧れをうかがい知ることが出来た。

 病床であったなど感じさせることはなく、作家として生きて行く決心が漂う初期から安定期に入っていく遠藤氏の瑞々しい勢いのある文体には感心せざるを得なかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あんは避難所に。

2015-12-11 12:31:15 | Weblog

 雨雲が強い南風に運ばれていったその音に私と一緒に寝ころんでいたあんはビクッとした。

 そして辺りを確認し、立ち上がった。

 自慢の尻尾は垂れてままうろうろし、部屋を出てあんの避難所に行こうとする。

 しかし部屋はしっかりとしまっていて出れない。

 すると寝ている私の頭にあんは前足を置く。

 その置き方はオシッコやウンチに行きたいときの勢い良い足の置き方ではなく、どこか怯えたような感じでそっと置くのである。

 私は一度それを無視すると、あんはまた私の頭に「ねぇ、ねぇ・・・怖いの・・・」とまた前足を置く。

 「大丈夫だよ。ただの風だよ」と言っても、地表を駆け抜けて行く強い南風の音はあんには目に見えぬ大敵のように感じているのだろう、あんの尻尾がそれを物語っていた。

 しかたなく部屋のドアを開けてあげる。

 部屋の外の寒さと一人で避難所に向かう心細さから、私の方を少し振り向く。

 あんの頭のなかでは計算中、どこに行けば怖くないのか、はじき出された答えはやはり暖かい部屋より、あんの狭い避難所に行くことだった。

 しばらくして避難所にいるあんを見舞いに行く。

 「大丈夫だよ。あん。ただの風の音だよ」と言ってこねくり回してあげた。

 それからあんの髪の毛をとかしてあげた。

 でもまだ強い南風の音のなかにあんは見えぬ大敵を感じ、すぐにビクッとしていた。

 そんな小心者のあんだが、私には愛おしくてならないのである。

 「あん、笑顔の青空がもう顔をだしているよ!」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする