カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

今日は。

2018-01-30 11:44:37 | Weblog

 今日はガンディーの命日です。

 1948年1月30日インド首相ネルーの言葉。

 「・・・この国を照らしていたその光りは、ありきたりの光りではなかった。この光りは、今後も千年はこの国を照らし続け、世界もまたそれを見るであろう」

 ネルーは当時こう言ったが、現在のインドはこの光りを必要としているように思われる。

 アインシュタインはガンディーのことをこう言った。

 「今後の世代の人たちは、おそらく、このような人物が実際にこの地球上に生きていたとはほとんど信じがたいであろう」

 そうかも知れない、ならば、思い出そう。

 今日はガンディーを思い、祈ろうと思う。

読み終えたので。

2018-01-29 11:58:09 | Weblog

 「あるヨギの自叙伝」を読み終えたので、この著者ヨガナンダのドキュメンタリー「永遠のヨギー」をTSUTAYAで借りて来た。

 おまけにアマゾンでアイアンガーの「ハタヨガの真髄」なる本も買ってしまい、ヨガにはまっている。

 と同時にカニグスバーグの「ジョコンダ夫人の肖像」も読み始めた。

 この本はダヴィンチとその徒弟サライのことを書いた児童文学であるが、まだ読み始めにも関わらず、私の興味をぐいぐいと引いた。

 ライブが3月1日になったので、またゆっくりとブログを書くしばらく無くなってしまう。

 今日はヨガナンダの本で紹介されていたガンディーの祈りについての語ったことを紹介したい、私はヨガナンダがガンディーと会った時のことを書いた章がとても気に入った。

 「祈りはわれわれに、もし神の支えがなかったら、われわれは全く無力である、と言うことを思い出させてくれる。どんなに努力しても、もし祈りを怠ったら、もし自分の背後にある神の恵みなしにはどんな努力も役に立たぬと言う明確な認識を忘れたら、その努力は完全とは言えない。祈りは謙譲への呼びかけであり、また、自己純化や内的探求への呼びかけである」

 あなたはこのガンディーの言葉をどう読み取るだろうか、どう解釈するだろうか、どう活かすだろうか。

 自己を深めて行く過程のなかでこの言葉は深み意味を成すと、私は感じにはいられない。

小さな棺桶。

2018-01-25 11:39:24 | Weblog

 カルカッタで私の隣の部屋に住んでいたアメリカ人のケンはいまシカゴにある神学校に通っている。

 彼は先週末アイオワにあるニューメレレー修道院に黙想をしに行った。

 この男子修道会は祈りのうちに素朴な田舎の生活をし、棺桶を作っている。

 ケンは「小さな棺桶を見るのは辛かった」とメールで教えてくれた。

 私も「カルカッタで小さな棺桶を見るのがとても辛かった」と返した。

 ケンはこの修道会の生活がとても気に入ったらしく、6月には体験コースを過ごすらしい。

 生活のすべてが神への祈りのうちにあり、俗世間とは離れた場所で魂の行いを糧にしているような修道会だと私は思った。

 この修道会の近くにはケビン・コスナーの「フィールド・オブ・ドリームス」の撮影現場がある。

 私がこの映画を好きなことを知っているケンは修道士にその場所のことを聞くと、修道士は「日本人がその撮影現場を良く見に来ている」と教えてくれたとのことだった。


 先週土曜の朝のこと、私は「今日は何事も起こりませんように」とその前の週に起こったことに未だ癒えていない弱さから祈った。

 だが、すぐに「そうではない」との声が私の心のなかに浮かんで来た。

 その声が続けてこう言った「何事も起こりませんようにではない、それではお前のことしか考えていないではないか。お前は寒さのなか、空腹でカレーをもらいに来る人たちのことを忘れているのか」と。

 私は自分の未熟さを振り払うように頭を振り、「そうです。彼らのことをもっと思わなくては。自分のことよりも彼らのことを。彼らに愛を」と。

 カレーの炊き出しの場では先週ケンカを売られたメガネのおじさんが私の前に来て律儀に「先週はご迷惑を掛け、どうもすいませんでした」と頭を下げて言った。

 私は「たいへんだったね。だけど迷惑なんかじゃないからね。これからもよろしく」と答えた。

 彼は数秒間私から目を逸らさずに心のなかで何かを言ってから、もう一度頭を頭を下げてから去って行った。

ボランティアとは。

2018-01-24 13:15:51 | Weblog

 私はマザーテレサのボランティアを長年続けてくることが出来た。

 それは決して私一人の意志によるものではない、私以外のものの力が働いていることを感じずには居られない。

 ボランティアという言葉などは私にはもうどうでも良いのである。

 愛の仕事という言葉の方がしっくりくる。

 だが、これは白状しなくてはならないことであるが、続ければ続けるほど、自身の愛の無さを感じずには居られなくなってくる。

 続けれて行けば、愛が増すように比例するのではなく、愛の無いことに気が付くようになり、反比例するのである。

 それは細かく自身のことを分析できるようになるとも言えるが、試練でもあり、認めて行く勇気が必要になっていく。

 そして祈りなくては続けていけず、祈りとともの仕事になっていく。

 それは簡単ではない、そう、マザーは簡単なことをして来たのではない、ということを身に沁みて全身全霊で知るようになるのである。

 神への深い愛がなければ、生きて行くことすら出来なかったマザーである。

 そのマザーを深く思うことにより、非力な私は非力なりに彼らの前に立つ資格が与えられるように祈るだけである。

 微笑みとともに。

 微笑むことが難しい時にも、いつでも、どこでも。

 「喜んでいなさい」という声が聞くことが出来るように。

橋の下の事件。

2018-01-22 12:03:00 | Weblog

 11月のことである、私はニュースを見ていると、荒川の橋の下でホームレスの殺人事件があったとの報道がされていた。

 私はきっと山谷のおじさんたちの誰かはこの事件を知っているだろうと思っていたが、誰からも何も耳にせず、すでに忘れかけていた。

 先週の土曜日、山谷のMCブラザー{マザーテレサの男子修道会}の施設から帰ろうとすると、福祉センターのところに顔見知りのおじさんが居た。

 彼は私に気が付くと勢い良く帽子を取り、頭を下げ、近づいて来た。

 「久しぶりですね」彼は毎週ではないが、たまにカレーを食べに白髭橋に来ている、MCブラザーのところの自転車もパンクすると彼がいつも修理してくれていた。

 「先生、荒川に行ったんですよ。そしたら、もう預けていた物が何も無くなってしました」

 彼は何の前置きもなく、話し始めたが、すぐにあの事件に関わることだと気が付いた。

 「彼{容疑者A}はさ、酒はまったく飲まないんだよ。電気のことに詳しくて、何を持って行っても直してくれたんです。彼に預けて置いた物はもう何も無くなっていましたよ。自分も新聞で知って、驚きましたよ。彼がそんなことをするなんて・・・」

 「そうなんだ。大人しい人だったんだ」

 「ハンマーで殴って殺しちゃったらしいけど。彼は普通の人でしたよ。奴{殺されたおじさん}の方が何か変な奴でさ。奴と初対面の時、オレにシャケを焼いてくれたんだけど、それも両面焼かずに生のまま出してきて、オレ、唖然としてさ。初対面だったし、何も言わなかった。前から飲んでは暴れる奴だったよ」

 「そうだったんだ。お酒も飲まない人だったんだ」

 「もう10年の刑が確定したみたいでさ。オレ、知り合いの警官に会った時に聞いたんだよ。彼はまたきっと戻ってくる。10年だからね」

 10年ぐらいはもしかしたらあっという間かも知れない、ただこのおじさんはまた彼に会いたいと思っていた、彼のことをおじさんなりに擁護したいと思っていたことは私にも伝わった。

 どうしようもないことをしても、そこには必ず理由があるんだと、彼は私に伝えたかったのである。

 私には見えないAとの思い出を彼は思い出しながら、罪を背負ったAを通して、きっと彼自身も癒されたいと願っていたように思えてならなかった。

 

雨上がりの散歩。

2018-01-18 11:56:14 | Weblog

 昨日のうちから天気予報を見て、雨上がりになる暖かい今朝の散歩を楽しみにしていた。

 朝食を取ってから、すぐに愛犬あんと散歩に出かけた。

 あんはうちの近くのお地蔵さんの近くの草むらでオシッコとウンチをすると、「さぁ、帰ろう」と言いたげにうちの方に身体を向けたが、「あん、散歩、散歩」と言ってリード言う手綱を逆方向に向けて引き、私が歩き出すと、「えぇー仕方がない」と言わんばかりの様相で私のあとをあんはとことことついて来た。

 三沢川まで行った。

 この川は多摩丘陵沿いに流れている小さな川であり、多摩川に繋がっている。

 この川の山沿いを歩くのが今日の私の楽しみだった。

 と言うのは、雨上がりの木々の匂いが私は好きだからである。

 乾燥していた木々や草たち、土、枯れ葉たちがいっせいに十分に水を吸い上げ呼吸している喜びが目に見えるように漂い、そこには安堵感と癒しの香りがし、空気が美味しかった。

 だが、あんは数年前、たぶん、もう3、4年前の節分の日に近くにある穴澤天神社があげた節分を知らせる花火の空砲の音の恐怖のトラウマが残っているらしく、ここはかなりのハイペースで未だに歩くのでゆっくりと山を見ることも出来なかった。

 小さな橋を渡り、山の反対側に行くと、人家が立ち並ぶ、あんの安全地帯なのだろう、そこからゆっくりと辺りをクンクンしながら歩き始めた。

 そこで私はのんびりと山を眺め、時に三沢川の見ては浮かび上がってくるコイを見たりして、心から気持ち良いと思った。

 とても良い散歩だった。

 帰り道、あんは何故かは知らないがいつもと違う遠回りの道を選び帰って来た。

 きっとあんにとってもとても気持ちの良い散歩だったのかも知れない。

 大嫌いな花火の空砲もなかったことだし。

 

 

ヨガについて。

2018-01-17 12:53:12 | Weblog

 「あるヨギの自叙伝」は順調に読み進めている。

 500ページ少しあるこの本の後半になり、350ページを過ぎた。

 これでヨガについてはだんだんと少し理解も深まり、普段のトレーニング{ハタ・ヨガ}のなかでも、それを活用していけると期待している。

 しかし、まだまだ私の身体は硬い。

 前屈などはわりと柔らかく、座って両足を伸ばし、前屈すると、その両足の裏で手首を持つことも出来るが、まだ股割りは出来ないでいるし、一番問題なのは膝が硬い。

 男性はやはり膝が硬いと言われるが、女子であれば女の子座りはとても楽であろうが、その座りですら、私はまだ膝がかなり痛むのである。

 しかしお尻の下にブロックを入れ、女の子座りをし、いつかはこの膝は伸びると信じ、伸びろ伸びろと膝に向かって言い続けている。

 ずっと前から股割りはお相撲さんのようにしたかった、これを今年中には出来るようにしたい。

 今年の身体的目標は膝を柔らかくすることと股割りが出来るようになることである。

 これはきっと植物の成長を見ているのと同じようなものかも知れないが、それでも地道にやると言う水をあげ続ければ、いつかふとその変化に気付き喜ぶことを期待する、そこに花は咲かないが、私の心のなかに花は咲くだろう。

 咲かないものとして、私は先週末エアープラントを買った。

 私は以前二度枯らしてしまったことがあったが、今回は失敗しないようにしたい。

 育て方を詳しく調べると月に二度ほど水にかなり長い時間浸けるらしいことを恥ずかしいことに初めて知った。

 まずはうちに来たらゆっくりと風呂に浸かってもらうと言うおもてなしをし、テーブルの上で水を入れたグラスのなかに入ってもらった。

 気を付けて見ていれば変化にも気が付くと説明してあったが、ほんとうだろうかと思ってしまうほど、エアープラントは沈黙を頑なに守っているようだった、だが、諦めてはならないのだろう、信じ世話をすることにより、何かが変わっていく、私の身体もそうなのだろうと思った。

 さて、これからトレーニングしよう。

 エアープラントに見られながら。

 

7の70倍、1日に5回。その2。

2018-01-16 12:10:51 | Weblog

 彼は私には手を出そうとはしなかった。

 しかし、私が居るためにどうにもならないことに腹を立て、「お前、ちょっと来い」と言い、私をその場から遠ざけた。

 私はいよいよ殴られるかどうかされるか、または少し彼が落ち着てくれることを願って彼について行った。

 すると、彼は行き成りこう言い始めた。

 「お前、事務所に来いよ!事務所に来い!」

 彼はどうにも治まらない怒りの感情から、怒りの矛先を変え、私をどうにかして傷付けようとしていた。

 それも仕方がないと思った、なぜなら、メガネのおじさんの代わりになれればと思っていたこと、それは私の心のどこかでは望んでいたことだった。

 しかし、私としてもこの場を離れ、彼の言う事務所などには行きたくはなかったので「仕事がまだあるんだよ」と言うと、彼は持っていたカレーとふりかけ弁当のうち、河の方にカレーを放り投げ、「こんなもん、食いたくねぇんだよ!」と怒鳴った。

 散らばったカレーにすぐに鳩の群れが集まって来た。

 「そうか」とだけ静かに私は言った。

 流石に投げたカレーへの罪悪感からか、また一緒に何か怒りも投げたのか、私には分からないが少し彼は落ち着きを持ち始めたように見えた。

 それから彼は私から離れて行った。

 その間に狙われていたメガネのおじさんはどこかへ居なくなっていた。

 彼も言い争ってはいたが、私がその場を離れる前に「ごめんね、ちょっと離れてね」と言うと頷いてくれていたので、その約束を守り、離れていてくれた。

 それから、私は彼ら二人を気にしながらも、カレーを食べている他のおじさんたちにいつものように声を掛けて行った。

 公園の方に行き、近くにいた彼をふと見ると投げ捨てなかったふりかけ弁当を立ちながら食べ、ケンカのいっさいを知らないであろう、ボランティアと話していた。

 そうすることで怒りの心と空腹を静めているのだろうと思った。

 私はまた新たなに怒りに油を注がないように彼の傍に行かず、その話していたボランティアに任せた。

 帰り際、ちょうど彼が一人のおじさんと私が自転車に乗るところに近づいて来た。

 話そうかどうか、私は考えていた。

 すると、「1日に5回」と言う言葉が私の心に何度も浮かんで来た。

 私は内心、それにこう答えた。

 {そうすれば喜んでくれるのですよね。マザー}

 「1日に5回」とはマザーテレサのこの言葉から来ている「平和は微笑みから始まります。1日5回あなたが本当は笑顔を見せたくない人に微笑みかけなさい。それを平和のためにするのです。わたしもシスターたちにすら微笑めない日があります。そんな日は祈ります。」

 私の心には人を見下し馬鹿にし否定してしまう、どうしようもない弱さがある、そうした時には神の愛は遠のいていく、しかし、またそのどうしようもない弱さを自覚し、反省することにより、神の愛を私のうちに復活させることが可能になっていく。

 「7の70倍、1日に5回」その言葉は迷いの内からまた神の愛へと私を導いてくれる言葉である。

 どうしようもない弱さのあるこの私を。

 私は近くに来た彼に「じゃ、またね」と言うと「おう」と彼は返事をした。

 {それで良いんだよ}とその「おう」が私には聞こえた。


 

7の70倍、1日に5回。

2018-01-15 11:45:50 | Weblog

 「てっちゃん、おじさんが蹴ったよ!」カレーを食べているおじさんたちに声を掛けている私に血相を変えて一人のボランティアが私を呼んだ。

 その彼は昨年暮れのクリスマス会の時も私をケンカを止めて欲しいと呼んだ彼であった。

 カレーを配っている場所で一人のおじさんがいきり立って、メガネを掛けたおじさんに怒鳴り散らしていた。

 その彼はカレーをもらうために並ぶ列のことで注意されたらしく、それがどうにも気に入らなくそのメガネをかけたおじさんに殴りかかろうとしていた。

 私はまずその間に入り、私自身を楯にしてメガネをおじさんをかばった。

 「お前は関係ないだろ!どけ!オレはこいつに言っているんだ!」いきり立っている彼はもうどうにも自分の感情を押さえられず、今にも殴りかかって来そうだった。

 私は内心、{これは私が殴られてもしょうがないな、でも、痛いのは嫌だな。それでも、仕方ない、覚悟しないと}と思い、二人の間に入り続けた。

 怒りの感情をどうにもすることが出来ない彼は辺り構わず、ケンカを止めようと自分に近寄って来るボランティアにも怒鳴り散らしていた。

 私の心には「7の70倍」と言う言葉が繰り返し浮かび上がり続けていた。

 「7の70倍」とは何か聖書を読んでいない人は知らないかも知れない、それは(マタイによる福音書18章)「ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。7回どころか7の70倍までも赦しなさい。」と言ったイエスの言葉である。

 私までもが怒り狂った彼の感情にのみ込まれぬようにしなさいと言われている気がしていた。

 「7の70倍」だから、許しなさい、そうせざるを得ない彼を許しなさい、愛したいのであれば許しなさい、私は殴られることを恐れながらも覚悟し、その言葉が私に勇気を与えていたことは確かであった。

 {つづく}

読み始めて。

2018-01-10 13:01:24 | Weblog

 「あるヨギの自叙伝」は順調に読み進んでいる。

 そこにはヨガナンダの瑞々しい生命の息吹と神の愛が満ち溢れている。

 少し驚いたことにはかなり聖書の言葉も出てくることである。

 ヨガナンダの師スリ・ユクテスワが聖書にも精通していたことはヨガナンダにとっても素晴らしい恵みだったと感じざるを得ない。

 こんな読み方は変かも知れないが、例えば注釈のなかにドストエフスキーの「悪霊」の一文などが出てくると、これはヨガナンダはどこで読んだのであろうかと思いを巡らしてしまう。

 私の読んでいる箇所ではまだ海外には出ていない青年期のヨガナンダなので、どうしてもそんなことが気になり、ヨガナンダは「悪霊」をどう読んだのかも気になってしまう。

 まだまだ先の長いこの本をたまにペラペラとめくると、私の大好きなガンディーとタゴールの写真も出てくる、はやくそこを読みたい気持ちもあるのだが、ここはやはり著者であるヨガナンダの意志に敬意を払い大切にし、順を追って読んでいこうと思う、好きなところはまた再読と言う形にしようとまだ読んでいないうちから考えてしまう。

 ガンディーやタゴールが出てくるのなら、マザーも出てきてほしいと、私は勝手に思ってしまうが、1945年に書かれたこの本の時点ではマザーは無名であり、時代が少し違うが、そこは私がヨガナンダになってマザーのことを勝手に心のなかで書いてしまうかもしれないと、こうした変な私独自の読み方をしてしまう。

 今まで読んできた部分からですら、素晴らしい恵みは十二分に与えられている。

 私のなかのそれは祈りのうちの自己分析である。

 私の意志と行動、考え、そのなかに渦巻く思い込み、悩み、痛みに対する対処と神への揺ぎ無い信頼などを日々の小さな行いのなかにでも見い出せるように導かれている。

 急ぐ必要はない、今日も全身全霊に沁みわたるように、全身全霊で解釈し、受肉出来るように、この本と向かい合いたいと思うのである。