カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

Tough love. その2。

2014-10-31 13:03:37 | Weblog

 それ以前シアルダーの仕事の後にシスターニルマラの姿を見れればと思い、私は何度かセント・ジョン教会に行ったがそのチャンスはなく、いつも教会内にある墓地に眠っているシスターアグネス{マザーの仕事に一番最初に参加したシスター}やシスターデイミア{アフリカに初めてMCを作った時の責任者のシスター。私はこの二人のシスターの葬式のミサに参加した}、他のMCシスターのお墓参りをしてからチャペルで心を整えるように少し祈り帰宅することがあった。

 疲れ切った身体と心をこの場所は外部の雑踏から切り離し、しばしの非現実の空間のようにあり、安らぎの沈黙を私に与えてくれた。

 帰国をまじかになった時、私はミスを犯した。

 私の判断の甘さ、いや、まったくの愛の無さで路上で患者を亡くしてしまった。

 それはその前日に麻薬中毒者からある患者を助けてほしいと言われたが、私はその患者がすぐに亡くならないだろうと判断した。

 国の病院から何らかの理由で出された患者であった。

 そうした患者の場合、MCの施設には運ぶことが出来ないケースである、喉元にあったガーゼには膿があったが過度の悪臭はなく、患者は激しく苦しんでいたが歩くことも可能であった、まだ危険な状態ではないだろう、と私は思った。

 私たちは駅の仕事を終えてディスペンサリーで集まった時に何度かアイルランドのNGO「Hope」の病院のケースワーカーに電話もしたが日曜日だったこともあり出なかったので時間を置いて連絡を付け、翌日その患者を病院に搬送することを決めた。

 {つづく}

 

 

マザーの孤独。

2014-10-28 12:17:33 | Weblog

 土曜日山谷から帰って来ると、注文していたマザーの本が届いていた。

 身体は少し疲れていたがすぐにその本を手にした「マザーテレサ 来て、私の光になりなさい!」は分厚く見るからに重厚感があった。

 大切な宝物を手にしたように丁寧に開くとまずマザーの言葉があった。

 「もし、わたくしが聖人になるとしたら、きっと{暗闇}の聖人になります。地上で闇の中に住む人たちに光を灯すために、いつも天国を留守にすることになります」

 マザーの言葉を深く感じるために、いつも私はマザーがなぜこの言葉を言わざるを得なかったのか、どのようなことがそこに起因しているのか、など内省してみる。

 それは私なりの内省による完璧ではない私自身の固有の解釈を呼び起こすに過ぎない、しかし、そこに何重にも重ねていくようにマザーの呼吸、血の流れ、目線の先、マザーが受けている視線、そこに熱や埃や雑踏の音、そして、漂い吹く風にも思いを可能な限り巡らせる。

 上記のマザーの言葉の誕生を解き明かすように文章をつづられていた。

 読みながら私は時に自分の呼吸の荒さに気が付いた、ほんとうに息を切らしながら読んでいた。

 マザーの比類ないイエスへの愛情の深さが熱すぎるほど熱い、その熱が私の息を上がらせ、その本は持っているだけで火傷しそうな気がしたくらいだった。

 瞬間に私はマザーハウスでの洗礼の準備として、今はMCブラザーに入会したダニエルにカテキズムを教えてもらっていた時のことを思い出した。

 彼はいつも聖書を通してイエスの愛を教えてくれた。

 ある日彼はある聖人が聖書のことをこう言ったと教えてくれた。

 「聖書とはイエスの愛で熱すぎる熱い、持っていると火傷しようなほどだ」と。

 ダニエルにそう教えてもらった時、そういう風に感じられる人もいるんだと私はただ思ったが、このマザーの本を読んでいると、その聖人が聖書のことをそういうように、私もこのマザーの本を同じように思えてならなかった。

 まだ三分の一ぐらいしか読んでいないが、マザーが啓示を受け、イエスの声に従いその働きをするためにロレット修道会を出ることが認められるまでの二年間のマザーの激しい苦悩、その時の孤独はまさにマザーのカルワリオではないだろうか。

 しかし、そのカルワリオこそイエスの愛をマザーが強靭な誓いによって確信していく強力な礎になったことであろう。

 その過程のマザーの一日一日の祈りの深さは想像し切れるものではない、私はただ追いかけても追いつけぬ者を息を切らして見ているだけのように、またただ止まらない時が止まったかのような沈黙のなかでマザーがイエスと完全なる一致をしていく様を恐れおののくようにひれ伏すようにしながら自己の内に思い巡らせ、咀嚼を繰り返し感じいるように感じ、祈りとともにページをめくっている。

Tough Love.

2014-10-23 13:20:28 | Weblog

 この言葉は私が今年のカルカッタの滞在中一番苦しかった時にシスターニルマラから教えてもらった言葉である。

 シスターニルマラとはマザーが1965年2月一番最初インド外のベネズエラに施設を作るために責任者として派遣したしたシスターであり、1976年に作られた観想会の最初の責任者でもあり、そして、マザーの次の総長になったシスターである。

 マザーがシスターニルマラをどれだけ信頼していたかが容易に想像できるだろう。

 現在彼女はシアルダーにあるセント・ジョン教会のなかにある観想会で祈りの生活をしている。

 体調が良い時には庭を付き添いのシスターに手を引かれ散歩をしているが、そうでない時はベッドにいることが多い毎日を過ごしている。

 私は彼女に聞きたいことがあった。

 それはマザーはカルカッタの路上でどうしても手助けが出来ない人たちをたくさん見て来ただろう、手助けしたくても出来ない、そんな時シスターたちに何を話していたかを知りたかった。

 祈ることはもちろんであるし、マザーがよく言っていたことは「目の前の一人のなかのイエスに接すること、それは一対一であり、そして一人ひとりであること」ではあるが、カルカッタの路上では不条理な現状に苦しむ者は絶えないのであり、否応なしに目の前の一人の他に目に映る苦しむ者が間違えなくあったであろう。

 時にその人から怒涛のように「どうか助けてください」と懇願されながらも、それに応えられなかったことも幾度となくあったであろう。

 その時に受ける激しい胸の痛みをどうシスターたちに克服するように語っていたかが知りたかった。

 {つづく}

お知らせ。

2014-10-22 12:54:09 | Weblog

 マザーテレサを愛するあなたへ。

 待ちに待った2007年に出版されていた「Come be my light」が翻訳され、月曜より女子パウロ会のオンラインショッヒングで予約を始めました。

 邦題は「マザーテレサ 来て、私の光になりなさい」です。

 もちろん、私は昨日予約しました。

 25日出版なので25日に届けてくれるそうです。

 訳者は少し誤訳や間違いが目立った「マザーテレサの秘められた炎」を訳された方ですが、マザーの修道会の二人の日本人シスターも手助けに行っていたので誤訳などはないことを期待しています。

 しかし、三月にカルカッタでマザーの修道会に一番最初に入会したシスターラファエルに「日本人のシスターも翻訳に行っているみたいですよ」と伝えたところ、「今、日本人にシスターのなかで文才のある人はいないでしょう。翻訳は大切だからね」と言っていました。

 それでも、やはりマザーの列聖会から出された一番最初の本ですし、翻訳を手伝いに行っていたシスター二人はカルカッタには行ったことのないシスターですが、それこそ敬愛の念に溢れるマザーの言葉たちを心を込めて慎重に丁寧に訳されていることと思います。

 英語の翻訳など到底出来ない私が訳者の誤訳を責めるなど本末転倒の生意気な者であるのは違いありませんが、どうしてもマザーのことに関しては、それを目の当たりにした時に本当に残念に心苦しく思いました。

 きっとその誤訳に気付かない人の方が多いかも知れませんが、今の私にはそれは叶いませんでした。

 マザーハウスにはいるシスタークリスティーもその間違いに残念がっていましたし、それをラファエルには教えませんでしたが、彼女も知れば私と同じように残念がったことでしょう。

 しかし、マザーはきっと「そんなことを気にすることはありません」と言うに違いないことも、また改めて思うと、それはそれで仕方がなかったと思います、他人の過ちを責めるようなマザーでは決してありませんでしたから。

 ただ「マザーテレサの秘められた炎」が増刷される折には誤訳を直して頂きたいと願っています。

 何はともあれ「マザーテレサ 来て、私の光になりなさい」をマザーを深く知りたい、深く感じたいと思うあなたではあれば、どうぞ読んでみてください。

 出版当初はある一文のみを取り上げられたりして、マザーの誤解を生むことになっていましたが、その誤解も無くなることと思います。

 マザーのカルワリオ、信仰の深さ、愛の深さがあなたが身近に感じるようになることを祈ります。


 
 ちなみに今はまだネットオンライショップのみの販売です。一般書店に並ぶのは11月30日です。
 

 

風邪を引いた男。

2014-10-21 13:07:44 | Weblog

 「今日は二個カレーもらえましたよ。風邪が治ったから走れました」

 彼はニコニコしながら、私に頭を下げた。

 一週間前彼は風邪を引いていた。

 ぜんぜん風邪が治らなくて二個カレーが欲しかったんだけど走れないからと背中を丸くして小さな彼は寂しそうに笑っていた。

 ちょうどその日はセカンドハーベストが午後に食べ物を配りに来る日だった。

 彼はセカンドハーベストに登録していて、パウチしてある彼のカードを私に見せてくれた。

 「今日は自分の番号近くから配るから、ちゃんと良いものがもらえる」とカレーは一個しか貰えなかったけど、それで食い繋げると言う安堵の表情を風邪のため具合の悪い表情の上に重ね見せた。

 セカンドハーベストとはまだ食べれるものをスーパーマーケットや有名どころではコストコからももらい集め、それを上手く活用してくる場所やオジさんたちに白髭橋では二週目と四週目に来て食べ物を配っている、もちろん、MCにも彼らは食べ物を回してくれている。

 この団体の素晴らしいところはオジさんたちが登録するとパウチしたカードを渡し、そのカードの裏にはその日配り始める番号も記載されていて、例えば持ってくる食べ物はいつもきまっている訳ではないし、その量なども決まっていない、前回食べ物をあまりもらえなかった人も出て来る、しかし、そのごとに配り始める番号を変えているため、必ず次の時にはしっかりともらえるようになっているから、何時間も前から列を作り並ぶ必要がないようにしている。

 しかし、やはりオジさんたちはカレーを食べ終わると何人かの人たちはどこかで拾った新聞や雑誌の上に飛ばないように小石を置いて二時間ぐらい前から場所を取り列を作っている、そして、ここでは150人ほどに食べ物が配られるのである。

 セカンドハーベストはほんとうに素晴らしい行いをしていると思う、がしかし、問題がないこともない、いや、団体に問題があるのではない、オジさんたちの方に一人ひとり特有の問題は有り得てしまう、例えば登録をすたるためにはどうしても他人と言葉を交わさなくてはならない、それが出来ない人や嫌がる人はいくら食べ物が欲しくてもそこには行かないのである。

 本名を明かしたくない人もいるだろう、登録しているには偽名を使っている人もいるかもしれない、偽名を語る勇気がなくそこに行けない人もいるだろう、その理由は様々であろう。

 素晴らしい行いがあってもしても、やはり完璧なことなどはあり得ないかも知れない。

 それは一生懸命に手を合わせ、水をこぼさないようにしても、どこからかは水はこぼれてしまうようなものである。
 
 しかし、それでも水をすくおうとし続けていくことの大切さを知るものは、手からこぼれ落ちた水は誰かかが見守っていてくれることを信じれる人でもあり得よう。

 その人は傷付く決意と覚悟を持ったものであり、自分の出来ることの可能不可能を神さまにすべてを委ねていて、神さまのために美しいことをしようと試み続け、痛みも味わうだろうがそれだけではない喜びのうちにも愛を運ぶものである。

 その愛を感謝とともに健気に受け取るのは私の目の前にいる風邪を引いた貧しい小さな男性であった。

 そして、その男性は元気になり、私に微笑んだ。

 愛の繋がりの光りを私はそこに見ていた。

 

 

祝福。

2014-10-20 12:59:01 | Weblog

 昨日は山谷のボランティアの伊藤さんの奥さんクロードアンヌの誕生日パーティーに行った。

 伊藤さんは今の言葉で言えば、国際結婚と言うことでマッサンです。

 パーティーには伊藤夫妻の友達が40人以上集まり、賑やかで笑顔が絶えず、他にもマッサンスタイルの方たちもいてパーフの可愛い子供たちが飾られたフーセンを持ってあちこち走り回っていた。

 クロードアンヌはフランス人、フランスでは50歳の誕生日を盛大に行うらしい、ここで必ず書いておかなくてはならないことはクロードアンヌは50歳にはまず見えず、若くて可愛い女性です。

 皆に囲まれて祝福を受ける彼女は言いすぎかもしれぬが結婚式の花嫁のように幸せそうだった。

 次男のロマンが司会進行を仕切り、長男の二コラが写真を撮りまくっていたその家族の愛は私の望むところであり、残念ながら私の家族にはまったくなかった姿だった。

 だから、私はそこに居たのかもしれないとぼんやりと酒の酔いを借りて味わっていた。

 その場所は決してクロードアンヌの一人の幸せの場所ではなく、来た人のすべてが祝福された空間になっていた。

 愛も喜びもその場に蔓延し、良き伝染病のように感染していた。

 私は私自身を顧みながら、羨ましいと思わずにはいらなかった。

 しかし、そこに根暗さはなかった。

 現実をありのままに受け容れることへの肯定感が素直に他人の幸せを祝福出来るようになっていたその自分をもあたたかく見詰められたように気がしていた。

 クロードアンヌのアメリカ人の友達スーザン{ちなみにここもマッサン}と一緒に飲んでいるところに、クロードアンヌから何か歌ってと言われた。

 スーザンは「あと一時間後に」と少しおどけまだ酒が足りぬとばかりにビールを自ら注いでいた。

 私も右に同じくとばかり、芋焼酎を注ぎに行った。

 

善魔。その3。

2014-10-17 13:02:11 | Weblog

 人は自身のうちにある善魔を見た時、自己嫌悪、ジレンマに陥り、惨めな自分をあがくようになめまわし、哀しみの渦に吸い込まれる、その弱さ、その様を遠藤氏は物語りたかったように私には思えるのだ。

 それは遠藤氏の心の奥底の底にあるどうにもならぬ誰にも言えぬ哀しみに起因していることであろう。

 小説家遠藤周作はそれに対面し、作中人物に細々と投影し、何かを熟させるかのように自己の言葉にならなかった言葉を語らすことにより、自己の成長過程の糧にし、それはため息をつくことから楽な呼吸に変えていくようなものであったのか。

 善魔とは誰にでもあるものだろう、しかし、善魔を見た時から、その自身の善魔の容姿は変わるのではないだろうか。

 私には善魔を見る者は祝福がすでに用意された者であるように思えてならない、遠藤氏も同じように思っていたであろう。

 遠藤氏は晩年よく言っていたことの中にはマイナスの中にもプラスがあり、もちろん、その反対も同じくそうである。

 これは善悪不二と言えよう、遠藤氏の好きな言葉であった。

 私には遠藤氏が善魔と言うことを語りたかったのは、やはりカトリック信者として「悔い改めよ」とのイエスの福音を遠藤氏の心の根底に流れる深い河になっていたように思えてならない。

 遠藤氏は「人間の哀しみ」を生涯描きたかったとぽつりと編集者にもらしたと言う、それは「哀しむ者」には必ず神さまが傍に居てくださるからと言いたかったのではないだろうか。

 私には遠藤氏のそれを分かりきることなど到底出来ないが、にも関わらず、私は色のはっきりせぬグレーなその部分に人間の健気さとある種の逞しさを見るのである。

 まだまだであるが、そこを深めていきたいと思えてならないのだ。

 最後にあなたがもしあなたの善魔に出会ったのであれば、それは神さまからの使いの如く、丁重にお迎えすることを私はお勧めしたい。

 遠藤氏も笑って、右に同じくと言うかもしれない。
 

善魔。その2。

2014-10-16 12:53:14 | Weblog

 なぜ遠藤氏が書けなかったのか、いや、書けなかった訳ではないだろう、表現は違えど、こうして善魔のことは何度も書いて来たのである。

 ただボランティアの中にある善魔の存在の記述は他のそれに対して、カトリック信者故だろうか、やはり少なかったように思える。

 それは遠藤氏はボランティアと言う言葉の中に生涯聖人と崇めたマザーテレサの無償の愛を理想のイメージとして祈りのごとく片時も離すことなく持っていたように思う。

 それ故、最後の長編小説「深い河」の中に自らの人生の終焉へのはなむけのように、それは小説家として命がけの作業であり、叡智への導き、人間を超えたものへの十全なる信頼を願い、畏敬の念を持ち、マザーのことを小説に添えたことからも伺えた。

 遠藤氏の細君純子氏の語る、遠藤は身体がもっと丈夫であったのあれば、「深い河」の大津のように仕事をしたかったのではないかと言う記述を思い出す度、私は遠藤氏のそうできなかった哀しみに胸が締め付けられる思いになるし、私がそのような仕事をしてきた喜びをも感じ直すのである。

 実際カルカッタや山谷でのボランティアは続けたくても続けられない人たちを私は多く知っているのだ。

 カルカッタに行く時には必ずその友たちとの思い出とともに彼らの愛を自らの勇気に変えて持っていくのである。

 そして、彼らに支えられていることを感じながら愛の行いをしてきた。

 今こうして遠藤氏の作品を読み漁り、遠藤周作と言う一人の人間を知るようになったと言うことは、もしかしたら遠藤氏の魂がそうさせたことかも知れない「あなたの手を通して、私が出来なかったこと、私の愛を貧しい人たちに与えてほしい」との切なる願いが私の中に復活のように再生されたのではないかと思うほどである。

 それは私の空想妄想かも知れないが、いや、それはまた神さまの計らいかも知れないのである。

 {つづく}

 

善魔。

2014-10-14 13:25:35 | Weblog

 遠藤周作氏はこの世に悪魔がいるように善魔もいると言う。

 私も右にならえでそうだと思う。

 彼の言う善魔とは簡単に言えば自分が正しいことをしていると思い込み、それによって周りが迷惑していることに一切気付かない人のことを言う。

 例えば、それは河合隼雄氏がよく言ってた「相手が受け容れられないようなことを言ったりする大馬鹿野郎」とでも言えよう。

 遠藤氏がこの善魔のことを取り上げるようになったのは80年代に入ってからだと思う。

 エッセイには何度かこの善魔のことを書いてきたが、小説には私が読んだ内ではたぶん昨日読み終えた「父親」だけであろう。

 遠藤氏は小説内で娘純子の不倫に対して、父菊次にこう言わせている「俺はいつも考えるのだが、人間には善魔というものがある・・・自分の考えだけが何時も正しいと信じている者、自分の思想や行動が決して間違っていないと信じている者、そしてそのために周りへの影響や迷惑に気付けぬ者、そのために他人を不幸にしているのに一向に無頓着な者・・・、それ善魔という」と。

 私にはキリスト教徒のなかにも、この善魔はいると思うし、そして、キリスト教徒に限らず、ボランティアの中でも随分こうした人に出会ってきたし、そうした人に傷付けられてた人もたくさん見てきた。

 遠藤氏も母親により少年期より無理矢理にカトリックされ生きてきた中でこの善魔にたくさん出会ってきたことと思う。

 しかし、母親の中には一切この善魔を見なかったように思う、いや、書けなかったのかもしれないし、また良き母として彼は彼の母親像を物語り直したのかもしれないと私には思える。

 遠藤氏はボランティアに対して十全の肯定的態度で見てきたのだと私は思っていたが、やはりあるエッセイではいま詳しく内容を書かないが精神薄弱者の大学生のボランティアの問題などを書いてあるのを読むと、これも書かざるを得なかっただろうし、それはそれで当たり前だと思った、完璧な人間などいないだからである。

 それはもちろん遠藤氏も骨身にしみるように知っていただろうがそれまで書くに書けないところだったのかもしれない。

 {つづく}

ブルブルブルブル。

2014-10-10 13:26:17 | Weblog

 「すいません、柴犬の爪切りをお願いしたいんですけど・・・」

 「時間はいつが良いですか?」

 「10時ぐらいが良いんですが・・・」

 「それでしたら、10時少し前でお願いします」

 時計はすでに9時40分だった。

 「そうですか、では急いで行きます」

 家の近くのホームセンターの中にあるあんの美容院は爪切りだけだと当日の予約になる、あんは爪切りだけしかしないので、いつもこうしたやり取りをした後、美容院に向かうのである。

 急いで仕度をし、ミニのエンジンをかけ、あんを乗せて美容院に向かった。

 爪切りに行くと言うことを察知したあんは妙に緊張している様子だったので、「あん~!ドライブ楽しいね~!」と私は少しハイテンションであんに声を掛ける。

 多摩川沿線道路では秋の光線が気持ちよく多摩川に注がれている。

 そこに吹く風も気持ち良かった。

 すぐにホームセンターに到着、あんの緊張は山なり高まっていった。

 あんをカートに乗せ、時間がなかったので一直線に美容院に直行していると「ヒュ~ん」と情けない声をあんをだし、ブルブルブルブル震えはじめた。

 「あん、大丈夫だよ!怖くないよ!」と言いながらも私もあんの緊張が移り始め、何かこわばりを感じてしまっていた。

 美容院の前に行くと、あんはもうブルブルブルブルが頂点に達し、近くにいた女性には「怖いのね~、でも可愛い~」など言われても、あんはそれどころではない。

 すぐに店員のお姉さんに抱っこされて連れていかれた。

 台の上に置かれたあんは遠目に見てもはっきりとブルブルしているのが分かった。

 それから、あんを抱えるようにして、お姉さんが爪切りを開始すると同時に「キャンキャンキャンキャン・・・・」とあんの鳴き声があたりに響き渡った。

 「あぁ・・・、でも、ガンバレ・・・」と祈るようにしてあんを私は眺めてた。

 私はあんからもらった緊張を誤魔化すために店内をウロウロ歩き、10分ほどして、お姉さんがあんを抱っこして戻ってきた。

 もう終わったと分かったあんはブルブルしなくなっていたが尻尾だけはだらんと下がっていた。

 「ありがとうございます」と丁寧にお姉さんに礼を言い、あんには「あん、よく頑張った!尻尾をあげて!」と全身ブルブルを一回するとにょきっとあんの尻尾があがった。

 こんな小心者のあんではあるが次の日曜日で五歳になる。

 いつも傍にしてくれることが信じられないほど感動と安らぎを与えてくれている。

 初めてあんと出会った感動と喜びは今もなお不思議なほど薄れないのである。