カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月でしたがお休みします。

今日も暖かだった。

2018-02-28 12:09:02 | Weblog

 昨日の緊急事態の対処として排泄をしっかりとして、今日はあんと三沢川に散歩に行った。

 もう道端で見かけるアンズのつぼみが大きくなっていた。

 ウメの次はアンズ、そして、サクラである。

 順に春を増してくる。

 ここでまた子供の頃のことが顔を出す、私の家にも当時アンズの木があり、赤黄色くなった実を探して食べたことを思い出した。

 何気なく歩きながらも、いつでも時間旅行をしていることに気が付くと、私の好きな季節、春が私とあんを抱擁しているだとも感じた。

 散歩から帰って来て、あんを風呂場でブラッシングしていると、「プゥープゥ」と澄まして顔をして、あんがオナラをした。

 私の波動砲のような音のそれより、なんと愛らしい音だろうと、私は笑った。

 あんは何のことかしらと、そのまま澄ました顔をして、私に全身清拭されていた。

 さて、明日はアピア40でライブです。

 ほんとに久しぶりにやっと新しい曲を作りました。

 ロックです。

 自分でも、まだこんな曲を作るのかと思うような気もしているが、それは私のなかにまだ何かがあることを私は知らないでいることの発見のような気がした。

 さて、少し練習に行ってきます。
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「あぁ、怖かった・・・」

2018-02-27 11:58:23 | Weblog

 「今日は暖かいね、あん」と私は愛犬あんに声を掛け、多摩川まで春の陽射しが潤いだした風を浴び、散歩に行った。

 「今日は多摩川に行こう」と言うと、あんはちゃんとそれが分かり、多摩川までの道をトコトコと歩き出す、その後ろ姿を眺めながら、もうあんが家に来てから八年になるが、今もなお、あんが来てくれて良かったとしみじみと思った。

 多摩川にも春の風が吹いていた、水色の小さな花が咲き始め、その傍にはヨモギの子供が顔を出していた、昔、ばぁーちゃんが草餅を作るのに、このヨモギを良く取っていたな、と思い出し懐かしく、それを眺めた。

 だが、突然の出来事だった。

 いや、突然ではなかったかも知れない、お腹が何かを語り始めた。

 いやいや、私はその声は聞きたくないと思った。

 お腹はグルグルと言い始めた。

 「待て、今じゃない、家まで持つのか、持たないのか?」

 「グルグル、グルグル、どうだろうね、でも、始まったよ・・・そろそろだよ」

 「いやいや、待て、待てよ」

 「あそこにトイレがあるじゃないか」

 「そうだけど、そうだけど、あんもいるし、出来たら家が良い」

 こんなおじさんになってから漏らしながら家に帰ることになったら、それはたいへんだと思いながら、私はお腹の声に言い聞かされ、トイレに向かった。

 「でも、待てよ。トイレットペーパーがなかったら、それこそ、絶体絶命だ」

 「良いじゃないか、葉っぱがそこら中にあるじゃないか」

 あらゆる可能性を考慮し、対処出来るような心構えをして、のんびりと楽しそうに辺りをクンクンしている、あんに「緊急事態だ、トイレに行く」と言い、小走りにトイレに向かった。
 
 多摩川にあんと来てから辺りには誰も見えず、それは確実にトイレが誰も使っていないだろうことは分かったいた、後はトイレットペーパーがあるかないかの問題だった。

 油断を許さない状態になっていた。

 急いでトイレの前まで行き、近くの小さな木にあんのリードを繋ぎ、「あん、待ってって」と言い、願いを込めながら、トイレのドアノブを右に回した。

 「良かった!あった!」と呟き、心のなかでも「あぁ、怖かった・・・」と安堵のうちに呟いた。

 

 
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「マリアが好きなんです」その2。

2018-02-22 11:36:44 | Weblog

 彼とはMCの施設までの距離の中間点ぐらいにあるセブンイレブンの所で別れた。

 トイレを借りたいとのことだったが、もしかすると私と話すのが好まなかったのか、または長い時間、寒いなかをカレーをもらうために待っていたのでお腹が冷えたのか、どうかは分からないが彼は確かに薄着だった、疲れたスウェットの上下を着ているだけ、ジャンバーなどの上着を着ていなかった。

 施設に戻り、私はブラザートーマスに「刺青の彼にロザリオをあげていないの?」と聞いた。

 刺青の彼と言うだけでブラザーも彼だと言うことが分かった。

 「いま彼と一緒に帰って来たんだよ」

 「そうですか、今日会ったんですけど、ロザリオを持っていなくてあげれなかったんです。彼にもロザリオの祈りを一緒に祈りたいんですが、院長がダメだって言うんですよ」

 「そうなんだ、うん、自分もまだ彼には早いと言うか、難しいと思うよ。他人とうまく関わることが出来ないかも知れないね」

 「そうですか」

 「なんかマリア様のカードでもあったら、それも彼にあげてね」

 「分かりました」

 ブラザーは彼がマリア様が好きなのであれば、彼にもロザリオの祈りを一緒に祈って欲しいと考えていたが、私はまだ難しいのではないかと感じていた。

 私は彼がマリア様が好きなのと、私たちと一緒にロザリオの祈りをすることが彼の同一の望み、救いになるようには思えなかった。

 彼がほんとうに祈りたいと思うようになった時まで待っても良いのではないかと考えていた。

 それからもしかするとMCの前を彼が通るのではないか、そうすればロザリオをいま渡すことが出来ると私は思い、外の喫煙所の所で彼を待っていた。

 そこにはマリア様の像がある、「たまに見に行くんですよ」と彼が言っていたマリアである。

 このマリア像は一度誰かに壊されたことがある、治された傷が残っているマリア像であるからこそ、誰よりも優しく癒し、許すこと、を深く強く伝えているような気がする。

 そしてこのマリア様は彼の痛み、苦しみを知っている、私もマリア様のように彼を見守っていき、祈りたいと思った。

 しばらく待ったが、彼の姿をまた見ることは出来なかった。

 すべてはマリア様に委ね、私には祈りだけが残された。


 
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「マリアが好きなんです」

2018-02-20 12:05:57 | Weblog

 「オレ、マリアが好きなんです」と話してくれたのは、昨年クリスマス頃、10ヶ月間の刑期を終えて山谷に帰って来た頭と顔を含め全身に刺青を入れた40ぐらいの男性であった。

 彼は今年になって土曜日の白髭橋の炊き出しにまた顔を出すようになった。

 先週土曜日、炊き出しの後、私がMC{マザーテレサの修道会の略}ブラザーの施設に戻ろうと歩いていると、白髭橋の信号の所で彼は警察の職務質問を受けていた。

 赤信号に捕まった私は道路越しにその光景を見ていた、何か困ったことになっていたら話しをしに行こうと思ったが、青信号になり、その場に近づくと、二人居た警官も穏やかな表情で「すいません、見た目で引き留めてしまって」と彼に謝っていた。

 私は警官二人に会釈をし、彼を向か入れるように彼の肩に手を伸ばし、一緒に歩き出だした。

 私は以前彼がMCの前の道路で行きかう人すべてにケンカを売っているのを見たことがあった、それは常軌を逸していた。

 だが、今はその気配は彼には見当たらなかった。

 彼はアル中だったが、もう酒は止めたことや仕事をどうにか探そうとしていることを話してくれた。

 その口調はまだどこかぎこちなく落ち着きがない感じを私に与えたが、彼としては他人と関わることの違和感を必死に超えようとしていたのかも知れない。

 彼の眉間には十字架の刺青がある、聖書も好きで若い時から読んでいたと言う、そして、やはりマリア様が好きで両手を広げたマリア様の刺青も身体に入れたらしい。

 彼がマリア様が好きなことはブラザーたちも知っていて、一週間前のロザリオの祈りの時には、彼にロザリオをあげようと用意してあることをブラザートーマスは話していたので、私は彼に「ブラザーからロザリオをもらった?」と聞いた。

 「いえ、もらっていません。オレ、ロザリオは首にしないんです」

 「うん、そうだよね」

 「マリアのペンダントみたいのがあったら欲しくて。なかったら作ってもらおうと思っているんです」

 「そうか、それは良いね」

 私は彼の話しを聞きながら、彼がなぜマリア様を好きなのかを聞こうとはしなかった、それはきっと言葉を超えるものであるに違いないと思えたし、彼の心の深いところにまだ深く介入してはいけないのではないかとも思ったからだ。

 しかし何よりマリア様は確実に彼を癒い救っているのだと思った。

 比べるものではないことを承知しているが、彼の方が私よりもマリア様を切実に愛しているのではないかと思ったくらいだった。


 {つづく}

 
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四旬節。

2018-02-15 12:04:47 | Weblog

 昨日の灰の水曜日から四旬節{カトリック教会などの西方教会において、復活祭の46日前(四旬とは40日のことであるが、日曜日を除いて40日を数えるので46日前からとなる)の水曜日(灰の水曜日)から復活祭の前日(聖土曜日)までの期間}に入った。

 昨年の四旬節はカルカッタにいた、その時、アメリカ人のケンは四旬節の間、甘いものを一切食べないことをし、アルゼンチン人のイネスは大好きなコーラを飲まないことにしていた。

 他のボランティアも公言するかしないかに関わらず、きっと何かしらを控えていたと思う。

 イタリア人のファビオは彼の姉の四旬節のことを教えてくれた、彼の姉はヘビースモーカーであるにも関わらず、四旬節の間は一切タバコを吸わないと、彼自身も改めて、姉の信仰に感心しながら話してくれた。

 私はこれと言って食べ物を控えたりはしていなかったが、マザーハウスで日本人のシスタークリスティーにパパ様{教皇}の四旬節の対しての言葉を教えてくれ、それを参考に四旬節を過ごした。

 いまそれをすべては覚えていないが、いまも心に残っているのは、この期間に日々の生活のなかで人に悪口を言わない、心から回心する、自己の罪を認める、などがあったと思う。

 今年もそれを行おうと思う、人の悪口を言わない、人を非難し始めた時にはすぐにそれに気が付くようにし、自分の罪と弱さを認め、祈り、回心するようにありたい。

 信仰に深く立ち戻る期間にし、喜びを持って、それを行いたいと考えている。

 昨夜みんなは今年はどうしているのだろうかと思いながら、私は今年は何か控えようと思い、食べ物は何を我慢しようかといろいろと考えもした。

 とりあえず、頭に浮かんだのは大好きなビールを控えることであったので、それをしてみようと思う。

 さて、出来るのであろうか、と自分に呟いたが。
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視点。

2018-02-14 13:25:18 | Weblog

 夜とその次の日の朝、BSでインドのドキュメンタリーを少し見た。

 インドの光景を見ることは私の心を郷愁にかられもするが、それは一瞬にして時間を飛び越え、現在に実感しているに等しく、私が経験した音や匂い、空気の淀み、埃まで感じる気がしてならなくなった。

 同じものを見たとしても、誰もが、その感じ方、解釈の仕方、受け取り方は様々であり、一人ひとり変わるのであろう、と私は思う。

 そのドキュメンタリーが嘘だとは言っていない、私の知っているインドはもちろんそのドキュメンタリーのようなところもあるが、決してインドはそれだけではないと言いたくなってしまったのである。

 逆説的ではあるが、好きな人に対して、良くない時の自分を見られ、それを自分自身のすべてだと思われたくないと思うことと似ているような気がした。

 昨日カルカッタでステーションワーク{路上から患者を施設に運んだりする}しているイタリア人のファビオに日々の駅の状況を聞いて見ると「警察との問題があり、シリアスな患者を駅のプラットホームで見つけても運ぶことが出来ない」と返信があった。

 これがどんなことであるかは上記の文章だけでは分からないであろう。

 簡単に言うと、激しい雑踏のなか、汚れにまみれきり、苦しみに苦しみに抜いた挙句、息絶え絶えの死に行く人をその場で看取らなくてはならないと言うことである。

 だが、もちろん、何も出来ないと言うことではない、その場で祈り、愛し、顔だけを綺麗にしてあげたりすることは可能である。

 「あなたは愛されている」とその人に伝えることが出来ないと誰が言えよう、マザーテレサはそうしなさいと言い続け、そうしてきた人である。

 祈りと行いを一つにして生きた聖女であった。

 どんなことがあっても微笑みを忘れずに、神さまが、マザーがいつも一緒にいると、後でファビオにメッセージを送るつもりである。
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ロザリオの祈りを。

2018-02-12 11:48:00 | Weblog

 土曜日の山谷のMC{マザーの男子修道会}の炊き出しは白髭橋で配るのと、同じ時間に浅草方面に数人が自転車に乗って30個ぐらいのカレーを配りに行く。

 これは路上生活をし、場所をあまり動かない人たちにカレーを配りに行き、時には行き倒れになりつつある人{私は以前三日間何も食べていない人に会ったこともある}にも出会うこともある。

 私はいつも白髭橋の方に行くので、浅草方面にはしばらく行っていない。

 三週間ぐらい前から浅草方面に行くボランティアたちが心配していたおじさんが居た、彼はもう何も食べることが出来ないが病院に行くのはずっと拒んでいた。

 しかし先週の中頃、救急車で病院に運ばれたとのことだった、にもかかわらず、どうしても悲観的なことを私たちは今までの経験から感じてしまう。

 二年前も同じようなケースのおじさんが入院し、ガンの末期であることが分かり、一ヶ月半でそのまま病院で亡くなった。

 浅草方面に行っているボランティアは、私もその人を知っていると言う、良くノートに詩を書いていたおじさんであると。

 私は詩を書いていた人のことは微かに覚えているが、彼の顔まで脳裏に浮かび上がらなかった。

 だが、何を書いていたのだろうかと思わずにはいられなかった。

 何のために、誰に何を知らせるために、詩を書き続けていたのだろうか、きっと誰に見せる、読ませるものではない、ならば、あの方との、それは会話ではなかったのだろうか、そんなことをどうしても考えてしまう、救いがそこにあったことをどうしても願ってしまった。

 土曜日は食事の後、ロザリオの祈りを祈る。

 ブラザーたちと一緒に祈るが、ここまでいるボランティアは四五人である。

 この日「入院したTさんのために祈りましょう」とロザリオの祈りは始まった。
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ライブの前は。

2018-02-08 11:55:46 | Weblog

 3月1日にアピア40のライブが決まったので、ぼちぼちギターを弾き、歌う必要があり、普段の一日のルーティンから、その時間を捻出すると、どこかを削らなかくてはならなくなるが、観葉植物に水をあげたり、掃除をしたり、愛犬あんをこねくり回したりする時間は削れない。

 今朝は一階のドアが重たくなったと、最近母親がずっと言っていたので、ドアを外し、二つある車輪の高さをあげ、少しグリスをさしたりしていた。

 明日の休みにはシークアーサーの剪定と肥料をあげ、お風呂掃除、トイレ掃除も、今から予定している。

 それとエアープラントのソーイングもしなくてならない、知っている人もいると思うが、このソーイングとはエアープラントを水のなかに長時間浸けることである、明日は八時間ぐらいは浸けておきたいと考えている。

 これにプラス、あんとゆっくりと散歩、ヨガ、体幹トレーニング、歌の練習となると、あっという間に晩酌の時間になるのが、私の金曜日である。

 こうしてつれづれに何かを書いているが、この後、少しヨガをして、身体をほぐしてから仕事に向かいたいとも思っている。

 そうそう、今読んでいる本はグレアム・グリーンの「大人しいアメリカ人」、これもなかなか面白い。

 次に待っている本たちはモーリヤックの「蝮のからみあい」とベルナノスの「田舎司祭の日記」である、この二冊は遠藤周作の愛読書であった。

 遠藤氏の本はもうほとんど読んでしまっているので、遠藤氏が好きだった本を読むしかなく、そこから遠藤氏がどうこの本を読んでいたかを感じ想像する楽しみはまだ残されている。

 今日もつつがない一日をと静かに願っている。

 

 
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アキラ姉さんの事情。

2018-02-07 12:51:45 | Weblog

 「この兄さんが酎ハイをおごってくれたの~」とねっとりとした酔いに包まれながら、両肩をゆっくりと左右に振りながら、アキラ姉さんは言った。

 私がMCの施設の外にある喫煙所でタバコを吸っている、その前にアキラ姉さんは男友達と二人でちょうど現れた。

 年末のクリスマスの時に会って以来、アキラ姉さんには会っていなかった。

 クリスマスの時には酔って階段から落ち、腕を折り、三角巾で吊っていたが、その三角巾はすでに取れていた。

 私はしばらくアキラ姉さんには会っていなかったので、また入院しているのではないかと心配していた。

 「また入院しているんじゃないかって心配していたよ。まだボルト{骨折のために入れたボルト}は入っているの?」

 「まだ入っているわ、嫌なっちゃう」

 「でも、元気そうで良かった。金髪のカツラはしないの?」

 アキラ姉さんはその日は黒のボブのカツラをしていた、それは決して綺麗とは言えない、櫛が通らないようなカツラだった。

 「あれね、あるわよ。でも、ずれちゃうのよ。だから、しまっているの」と照れながら言った。

 私は金髪のカルラの方がパンチが効いてて勝手に好きだったので聞いて見た。

 この時、少し時間があったので、いつもよりもゆっくりと話すことが出来た。

 アキラ姉さんは、二十四の時に結婚して、なんと子供が四人いて、孫も二人いるとの事であった。

 奥さんが亡くなってから、その道、女道とでも言えば良いのか、好きだった女装を花開かせたらしい、子どもたちの事は詳しくは聞かなかったが、年金をもらいながら、上野で路上生活をしているようである。

 隣にいた男友達はアキラ姉さんの「あれがちっちゃい」と何度も言った、その度にアキラ姉さんはねっとりと照れ笑った。

 その彼は「きったねぇ~、きったねぇ~」とアキラ姉さんの顔を見ては、これも何度も言った、その度にアキラ姉さんはまたねっとりと照れ笑った。

 私はその事については「ノーコメント」と言って笑いのなかに逃げ込んだ。

 二人は仲良く、またどこかへ向かって歩き出した。

 山谷で出会う人たちにはほんとうにいろいろと複雑な事情を持っている、その一人ひとり特有の事情を深く深く想像することを忘れてはならない、この当たり前のことを忘れがちになってしまう私はやはり祈らなければならないのである。


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先週の土曜日は。

2018-02-05 12:30:58 | Weblog

 先週の土曜日は昨年カルカッタで会った二人の大学生を山谷に連れて行った。

 昨年のカルカッタの滞在中で会ったボランティアのなかで、昨年四月一人来て、これで三人が山谷に来てくれた。

 日本に帰って来ると、普段の生活が忙しいのだろう、カルカッタの日本人ボランティアのオリエンテーションでは日本にあるMC{マザーテレサの修道会の略}を紹介したが、なかなか来てくれる人はいない。

 カルカッタに行く日本人のボランティアもかなり減っている。
 
 インドに行くブームが落ち着き、インドのレイプの問題もあったが、やはり震災により日本でボランティアをする人たちもあるのではないかとも思う。

 だが、山谷のMCの場合、日本人のボランティアよりは外国人のボランティアの方が多いことがある。

 ここには簡単に語れない深い問題があるようである。

 どうか世間から見捨てられた人たちに愛を運びに来てください。

 どうぞマザーが愛した人たちに会いに来てください。

 その恵みは双方向にありますから、かじかんだ手からも愛を感じられるくらいに。
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