カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月でしたがお休みします。

福音の受け取り方。

2015-04-30 12:28:08 | Weblog

 私たちの周りにはきっと多くの福音が注がれている。

 しかし、その福音をどう私たちが受け容れ、また見逃しているのかは分かりきることはないだろう。

 私自身を振り返れば、洗礼を受けるまで20年以上掛かった。

 その間にどれだけの福音を耳にしたか、また素知らぬふりをしたことか。

 ただ私はその時間が無駄であったとは到底考えられない、その声の届く場所に留まり続けていたことにより、生涯における大いなる福音を授かることが出来たのだと思う。

 しかし、福音のうちに生きているのかと問われれば、はいとすぐに返事を出来ないことも知っている。

 福音をほんとうの意味で身に刻み、その中に生きることはやはり容易ではない。

 話しは少し福音の形を変えるが、私は多くの友達に体幹トレーニングは良いからやってみるようにと勧めるのだが、やはり続けられる友達は少ない。

 しかし、それは私の洗礼までの道のりに照らし合わせれば、それも分からないでもない。

 私たちは良いことと知りつつも何かが足りず、福音を十二分に活かすことが出来ない日常を生きているのかも知れない。

 しかし、ニヒリズムに生きているのではない、だからこそ福音はあり続けている。

 また私には合うが他の人には合わないものもあることを知りつつも強引に良いことを伝えようとすれば、それはその時点ですでに福音ではなく、暴力、脅しになり変わり、終いには見下しになっていることが少なくない。

 正義の仮面は剥がしようが難しく厄介なものである。

 健康のレベルで言えば、医者からこれこれした方が良いですよと言われる福音にも耳を貸さない患者も少なくないでしょう。

 またその逆もあり、それだけに固執してしまえば、何かがギクシャクしてしまうようになりかねない。

 福音をより良く身にするのもしないのも実は私たち自身に関わっている。

 そして、福音をうまく伝えられないのも実は私たち自身に関わっている。
 
 相手にとってちょうど良い福音を伝えられるようにし続けることが神さまのお望みのようである。

 それこそ、神さまのために美しいことをしなさいと言うマザーの願いそのものである。

 より良く福音をあなたが受け容れられるように祈り願わずにはいられない。

 福音とは祈りとともやってくるものではないかと私は思うのである。

 それはどこにやって来るのかと言えば、柔和な心にやって来やすいのであろう。

 そして、苦しむ者のもとにも。
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福音の形。

2015-04-29 12:21:53 | Weblog

 昨日仕事場に行くとNさんが満面の笑みで私の大好きな作家先生の奥さんに会ったことを話してくれた。

 奥さんはもう90歳になり、杖を突いて歩いているが変わらずに元気でいることを知り、私を喜ばせた。

 Nさんは奥さんにどうぞお茶でもと誘われ、先生の家にあがったそうだ。

 先生の家のピアノを上には私の手紙{たぶんマザーの葉書}とマザーのカードが未だ置かれていて、私のことをとても褒めてくださっていたと教えてくれた。

 先生の家のピアノの上とは先生の家の神棚のような場所であり、先生の小説にはそのことも良く出てくる。

 ここには花を飾り、知人からの頂き物はまず奥さんはニコニコしながらそこに有り難くお供えするのである。

 その大切な場所にマザーをいて、奥さんが毎日手を合わせている。

 きっとその時には私のことも少し思い出してくれていると思うと、私の記憶のなかにはっきりとある奥さんの優しさ、愛情深さに私の胸はじんわりと満たされた。

 私に福音は届けられた。

 福音とは良いニュースのことである。

 福音の形とは多種多様に私たちに日々届けられているそのことに心を向けるように感謝の今日を生きよう。
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シュワシュワと。

2015-04-28 12:14:37 | Weblog

 最近本を読むこと、ものを書くことに何だか少し気が抜けているような感じがしている。

 気の抜けたビールのような、炭酸がシュワシュワと空気に混ざった後の苦味だけが残ったような集中力しかないような気がしているのだ。

 しかし、このような時も必要であるとも思える。

 誰もが全速力で走り続けることなど出来る訳でもないし、小休憩は次へ向かうのための貯めであり、跳躍状態になっていることもウソではないだろう。

 いま本はアンデルセンの童話と他にもう一冊{山谷へ向かう電車の中用のもの}、そして昨夜は夢に入る前にヨブ記を読んでいた。

 その本たちは私をどうしたいのだろうか。

 その本たちは私に何を伝えたがっているのだろうか。

 その本たちからの問いに、さて、私はどう答えるのだろうか。

 その私に私が興味を持っている。

 はじけた炭酸の泡が交わったその場所で。
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花咲き、花散る。

2015-04-27 12:37:21 | Weblog

 最近ベランダを出るとジャスミンの香りをしてくる。

 そのジャスミンを見ようとすると、ベランダから首を出すとみかんの木も見え、そのみかんの花も白い蕾が膨らんでいる。

 ならば、畑の方にあるシークワーサーもそうであろうと見に行くとみかんとは少し違った小さく丸い蕾があちらこちらに付いていた。

 今年は鈴生りに身を付けてくれるのだろうと嬉しくなった。

 今から収穫時には自慢げにシークワーサーを家に来た友達にあげることを考えると含み笑いとともに二度美味しいのであるが、きっとそれはこれから三度四度と美味しいと思う私がいることに違いないことも容易に想像できてしまう。

 小さい畑にではあるがそこにはえんどう豆の白い花とのらぼうの黄色い花が風に気持ち良さそうに揺れている。

 温かな陽射しに祝福されながら、平安の時がそこに流れているようで私はぼんやりとそれに魅了された。

 

 土曜日と日曜日、私は近所の山口のおばあちゃんの通夜と告別式の手伝いを石坂に頼まれてした。

 山口のおばあちゃんはあっと言う間に散った桜のように、元気だった記憶だけを私たちに残して旅立ったようである。

 十分に生きた死はそれだけで尊い、しかし、それは生の長さには関係がない、どの死も尊きものである、花は散らなければ、また咲くこともないのだから。

 そう思えない人たちもいるだろう、ならば、どうすれば良いのだろうか。

 マザーは言っている「苦しみや困難がやって来るのは、あなたが誠実に生きていることの証しです」と。

 フランクルは言っている「人間にとって重要なこと、人生においてとても重要なことは正しく悩むことである」と。

 私は思う、祝福は常に与えたくてしょうがないとあり続けていると。

 

 
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桜散り、目に青葉。

2015-04-24 12:46:51 | Weblog

 この時期のあんとの散歩は格別に気持ちが良い。

 私は新緑を眺めたり、それに触れたりするのが好きだからであり、その森林浴は温泉と似たような効能をきっと私に与えているようだ。

 あんなに待っていたのにあっと言う間に逃げ足早く花吹雪となった桜が舞う頃、三沢川には海から遥々登ってきたマルタウグイが現れる。

 いつもいないマルタウグイの姿を確認すると自然と私の口角があがり、あんにはちょっと待っていてもらってしばらく川の中を眺めるのである。

 最近は浅瀬で田をならすように砂場を全身でならし、二匹寄り添い産卵をする姿も嬉しくなって眺めている。

 彼らは産卵を終えるとさよならも言わず、いつの間にか姿を消すのである。

 そして、次に海からやって来るのはアユである。

 これも私にとって楽しみの一つである。

 今日もホトトギスの声を聴いた。

 実は恥ずかしい話ではあるが、私はホトトギスとはキリギリスの仲間でないかとずっと思っていた。

 鳴かずなら鳴くまで待とうとか言うのだから、籠の中のキリギリスらしきホトトギスが鳴くのを見ながらじっと待っているのだと勝手に思い込んでいた。

 なぜなら敵対する武将を追い込み、落城をするのを眺めながらうたったものなのだから、春先から山のどこかで鳴く鳥ではないと思い込んでいたのである。

 でも、今ではその鳴き声も分かるようになると古の人たちから愛されていたさえずりを私も愛する一体感を味わう楽しみが生まれて来た。

 私はまだまだであり、まだまだ知らないことが多い、きっとまだまだのうちに人生を終えるのかも知れないが、それまで知る楽しみを持ち続けあること、成長し続ける喜びは無くなることはないと言う明日を知るとまたほっとするのである。

 知らなかったことを知った私はそれ以前の私と同じではない、でも、いつかそれを忘れることもあり、また忘れることも必要であり、そんな曖昧なことをも私が私であることを成しているのだとつくづく思うのである。
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ルイス・デ・アルメイダ。その3。

2015-04-23 12:16:51 | Weblog

 ウルガンさまは織田信長や豊臣秀吉のドラマがあれば出てくることがあるので知っている人もいるだろうが、アルメーさまはほとんどドラマなどには出ていない。

 身体が弱く、寒さにも弱かったアルメーさまは京都の冬には身体を壊し、主に九州での宣教活動だったこともあり、ウルガンさまのように近畿中心の宣教師よりも有名ではなかったのかも知れない。

 だが、現代の日本人にとって彼が有名無名かなどは関係はない、ただ私が心を奪われるのは彼がヴィヴァローダ{生ける車輪}となり、福音を述べ伝え歩き続け、貧しい人たちを救い続けた事実に、なぜ?どこからそのような力を生み出したのか、と言う神秘に私の胸は熱くなるのである。

 彼はどのように日本人を愛したのか、患者の病気を癒しながら、どのようにその患者の心も癒していったのか、彼がそこに何を見い出していたのか、実際に私が彼を見たのなら、どんな思いに包まれるのか、多重の苦しみを背負い味わいながらも、彼はどんな歩き方をし、どんな笑顔を持っていたのか、与え与えられた信仰の神秘にどんな喜びを味わったのか、私は問わずには居られない。

 またそう問わざるを得ない私の内にあるものは何か、救い主メシアを待ち焦がれていると言うことか、我が身の信仰のか弱さゆえか、カルワリオを歩く聖人への憧れか、そこにマザーの面影を探しているのか・・・、そのすべてかも知れない、がしかし、分からない、分かりきらない、ただただ心が彼の信仰の輝きに惹かれていることだけは確かである。

 たかが本一冊でアルメーさまの何が分かるのかと言うことはもちろんのことであるが、こうも言える、私の知っているMCに最初に入会した日本人のシスターラファエルやマザーとともにMCの神父の会を作ったFrジョセフもマザーのある一冊の本を読み、それまでの人生を生まれ変わるようにして新しい道へと導かれたのである。

 だからという訳でもないが、一冊の本をどう読むかと言う可能性は常に無限であり、またその時期もあり、神さまの導きもあるのである。

 マザーも忙しい生活の中であれ、本は読み続けた。

 マザー自身も本を読む時間を持ちなさいと言っていた。

 そして、そこから自らの信仰、日々の営みの糧となり得るものをマザーも見い出し続けたである。

 私もそれにならいたく、こうしてアルメーさまの生涯を心に留めるにいたった。

 

 
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ルイス・デ・アルメイダ。その2。

2015-04-22 11:48:42 | Weblog

 アルメイダはこのゴアで父親の友人の娘マダレイナと出会う。

 三年後彼女はナースとなり、船内医としてアルメイダととも貿易船に乗る。

 そこで二人は恋に落ちるのであるが、彼女は病気になり死んでしまうのである。

 内科医ではないが医師であったに関わらず、愛する者を助けることが出来なかった悔恨の念にかられ、アルメイダは医師を辞め、彼女の父親の仕事を手伝うようになり、優れた貿易商となり、その手腕を振るうようになった。

 数年後難破船に出会い、多くの負傷者を前にして治療せずには居られなくなり、彼は治療し始めた。

 それを見ていたイエスズ会インド管区長ヌニエス司教がアルメイダに懇々とカトリックの愛の実践に語った。

 そこから一年も満たない内に彼はイエスズ会に入り、イルマン{修道士}となり、宣教医として豊後で活躍するのである。

 私はここからのアルメイダの活躍は遠藤氏の小説や他の本などから知っていたが、素晴らしい人格者であった彼のルーツとも言うべきイエズス会入会までの史実を知ると、私の中で物語るアルメイダはその息吹をもっと鮮やかにして語り始めるのであった。

 日本のキリシタン時代の神父のうちにヒーローにように多大な活躍した神父はアルメーさまこと、このアルメイダとウルガンさまこと、オルガンティーノである。

 {つづく}

 
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ルイス・デ・アルメイダ。

2015-04-21 12:28:10 | Weblog

 カトリックでもない人ではきっとアルメイダのことを知っている人は少ないだろう。

 もしかしたら遠藤氏の小説を読んで、彼の名を覚えた人もいるかも知れない、なぜなら私もその一人であるからである。

 ただ遠藤氏の小説の中ではアルメイダは貿易商からイエズス会に入った後のことだけが書かれていた。

 遠藤氏の小説を読んでとてもこのアルメイダと言う人に惹かれたことので、私は「ルイス・デ・アルメイダ」と言う本を買い、先日読み得たばかりである。

 このアルメイダは遠藤氏の小説に描かれる以前の彼の人生も深い意味を成している。

 彼はポルトガル・リスボンで1548年3月外科医になるのだが祖母がマラーノ{スペイン・ポルトガルで,カトリックに強制改宗させられたユダヤ人に対する蔑称}であると言うことで結婚を誓いあっていた彼女{のちに父親の反対を押し切り修道女になる}の父親の反対を受ける。

 彼女の父親は異端審問所の審問官をしていたのでアルメイダも目を付けられ、本国での医師開業すら無理な状態になり、失意のうちに失意を重ねる苦汁をなめる羽目になった。

 ちなみにこの異端審問所では隠れユダヤ教徒を見つけ出しては裁判に掛け、改宗しなければ火あぶりで処刑された。

 この辺りのことは私も知らなかったが、またゆっくりと調べてみたいとも思った。

 アルメイダはマラーノの疑いが掛かっている本国では医師として働けない現状を知ると、父親のアドバイスに従い、父親の貿易商の友人がいるインド・ゴアにある王立病院で働くためにゴアに渡るのだが、この同じ船にフロイスも乗っていたのである。

 フロイスはアルメイダより7つ年下であった、彼らの出会いはそれ以前にあり、アルメイダが医師免許を国王陛下から下付してもらうために王室秘書室に行った時にまだ15歳のフロイスはそこで給仕をしていたである。

 この二人の出会いなどはたぶん遠藤氏ならこう書くだろうと思いながら、その本を読んだ。

 と言うのは、この本は史実だけが書いてある本だと思って買ったのだが、内容は小説の形をとっており、それが私には残念な形に映ってしまったのである。

 その話はさておき、新天地での希望に光りを見い出そうとするアルメイダはゴアにてフランシスコ・ザビエルとアンジローに会うのである。

 アルメイダが初めて会った日本人がアンジローとなったのである。

 このザビエルとアンジローとの出会いがもしなかったらザビエルは日本には来なかったかも知れないし、私がザビエルと言う洗礼名など付けることはなかっただろう。

 日本のカトリック教会にとってはこの二人の出会いはかけがえのないものであり、比類ない喜びとして賛美し続けることに値するのであろうなどと私は郷愁の思いに包まれ、当時の二人を脳裏から胸の奥深くまで漂わせ感じてみれば、すべて神さまの計らいであることに気付かずには居られなかった。

 当時、また彼らもそう感じ、ひたすらに祈ったのではないだろうか。

 {つづく}
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インドカリー。

2015-04-20 12:31:59 | Weblog

 土曜日の夜に巣鴨にインドカリーを食べる会に参加した。

 インドで会った麻美ちゃんと千代子も行くと言うのでとりあえず行って見た。

 インドカリーを食べてワイワイと話したりする会なのかと思っていたが、ブッタガヤーで青空学校を開いている人たちの活動報告だった。

 実はこの活動はインドいる時にちらっと聞いたことがあったが誰がどのようにやっているかは知れなかった。

 「楽しくやる、楽しみにながら自分の出来ることを何かする」と言う主催者の姿勢に多くのインドに行ったことのない参加者とは違う感覚を私は感じていた。

 ポジティブな姿勢に一見何の疑いもないように思われる、それにブッタガヤーがあるビハール州は最貧の州でもあるから、教育は何よりも大切であろうと思うのだが、その実態は楽しくやれるレベルを必ず超えてしまうことがあるように思えてならなかった。

 なので、私が知っているカルカッタのことを話してみた。

 すると、私の話すカルカッタの深刻な状況を知ると主催者も参加者も向かい風でも一瞬に浴びたようになり、それまでの明るい会ではなくなってしまった。

 少ししおれたようになってしまったので、私は話さなければ良かったかと思うほどであった。

 私はカルカッタで失敗に終わったNGOを何個か知っている。

 そこに何が足らなかったかと言えば、本気度であろう、いや、命がけとでも言って良いかも知れない熱意が無かったために失敗しているように思うのである。

 誰かに何かすると言うことの難しさとその責任、また思うようにならないことの方が多いことであれ続けていく姿勢とその意志を高めてほしいと私は思った。

 そこで久しぶりに手で食べたインドカリーは美味しかったが何かが足りない気がした。
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オヤジ会。

2015-04-16 12:18:49 | Weblog

 昨夜は月一でやっているオヤジ会だった。

 小学校から同級生の石坂、和田、カズヤ、片ちゃんとカズキの焼き肉屋で焼き肉を食べる会であった。

 ニカウのことが心配で始まった会であったが、ニカウは相変わらずメールをしても返信もなく、さて、元気でいるのだろうか。

 そのうちあんと遠乗りの散歩でニカウの家に行って見ようと思っている。

 オヤジたちの会話と言えば、固定資産税がどうのこうの、イータックスがどうのこうの、子供の学費がどうのこうのと汗じみた生活の話しが溢れ出る。

 前回のオヤジ会の帰りに和田には体幹トレーニングの本を貸したが、まったくしていないとのことだった。

 体幹トレーニングは腰が痛いのであれば、やった方が絶対良い{腰が痛い時には無理はしてはいけないが}と和田には言ったが、どうなのだろうか、なかなか続けることは難しいのかもしれない。

 和田の日々の話しを聞くとその内容は書けないが腹の底からため息が出るような感じで「和田、がんばってるんだなぁ」と思えた。

 石坂はキャベツダイエットに始まり、腹筋とか筋トレをしているがいっこうに痩せない。

 「お前は痩せる気があるのか?レスポールが重たくなったんだろ?」と石坂に言うと。

 「あるよ!あるけど痩せないんだよ。ここ一ヶ月ギターは弾いていない・・・」

 きっと「レスポールが重たくなった」とは私たちの間でどんな意味を持つのかを知らないと思うので説明すれば、これはキヨシロウの歌詞に出てくる一部であり、バンドを辞める相手に対しての皮肉である。

 オールドのレスポールを持っている石坂に私がいつも言うセリフである。

 「ギターも弾かないのなら、ただのデブのオヤジなっちゃうぞ!」と茶化してみるのである。

 そして石坂のお腹に指で突っつき、「フーセンみたいだな、お前はいつゴムゴムの実を食べたんだよ」と付け加えた。
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