カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

準備中。

2016-12-30 16:39:53 | Weblog

 

 もうインドに行くための買い物は終わったと思う、と言うのは、大丈夫と思っていても、いつも何かしら忘れていたりするもので、一昨日もダイソーに行って、しっかり買い物をしたつもりが、アロンアルファを買い忘れていた。

 このアロンアルファは指先の傷などに使用したり、サンダルが壊れた時にも使用したりと、何かと勝手が良い。

 あまり荷物が増えるのも困るのだが、やはり毎回持って行くものはちゃんと持って行かないと未だに不安になる。

 いろいろと準備をしながらも、FBを覗けば、カルカッタに誰がいるかが分かり、緊張と不安のなかに再会を喜ぶ暖かさが胸に溢れる、いまバーニーがいて、ジューンがいて、バーバラがいて、再会の喜びを瞳を閉じて、祈りのなかに感じてみると、やっと帰れるんだ、みんな待っていてくれる、とじわじわと熱い思いがたぎってくる。

 バーニーは比類ないほど素晴らしいボランティアであり、私は尊敬している。

 そのバーニーが、今日何をしているのだろうか、どんな患者のケアをしているのだろうか、思い浮かべるだけで、また一緒に働ける幸せを感じている。

 インドに持って行くギターの弦を張り替え、三年ぶりにならしてみた、音は良好だった。

 昨日はあんの爪切りに行った。

 緊張するあんと一緒に緊張していたが、救いは一番上手いトリマーさんが爪を切ってくれた。

 あんと私が一番信頼してるトリマーさんなので一安心した。

 そんなことで良い年を向かられると思ってしまう次第であった。

 あんの三ヶ月分のご飯とおやつもちゃんと用意した。

 あとは考えたくはないが、あんと別れの朝のことである。

 考えたくないが、衝撃を抑えたいと思い、ちょっとシュミレーションをするのだが、何だか涙が出そうになったりするので、すぐに辞めた。

 こうして書くことも辛いので、このことはもう辞めておこう。

 だが、そうだ、もう一つ、上記のこと、バカだと思われるかも知れないが、この思いが私を救うのである。

 私が日本に帰って来て、精神的に不安定にならず、日本の生活に合うようにしてくれるのは、あんだと思っている。

 さて、今日は地元の同級生たちと焼き肉忘年会である。

 これもインドに行く準備の大事な一工程である。

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パーティーの後で。その2。

2016-12-28 17:50:19 | Weblog

 

 冷たい風は容赦なく吹き付けるベンチに背中を丸め、どこを見るでもなく、仕方なく地面を眺めつづけ、その先はない、瞳を閉じるだけ、用事もなければ、約束もない、暖かなところへは行けず、暖かな食事は取れず、空腹だけが汚れきった身体にまとわりつく、誰かと話すこともせず、せめて独り言を呟くだけ、誰かに愛を乞う訳でもなく、誰かを怨む訳でもなく、嘆き疲れたのか、ただじっと耐えている、ただじっと孤独に耐えている姿を幾度となく目の当たりにしていくと、胸が熱くなっていった。

 あのクリスマスのパーティーにいた人たちは、この孤独を知っているのだろうか、身を引き裂かれんばかりの寒さと空腹に耐えている人たちをほんとうに知っているのだろうか。

 「しかし知っていれば、どうなると言うことだ」もう一人の私が呟く。

 「お前、何を裁いている?他人を裁く前に、お前に出来ることをただ丁寧に行え。そして、忘れるな、この孤独を・・・。お前もこの孤独を分かっていない、そのことは忘れるな・・・」

 私も分かっていない、誰かの孤独を。

 私は誰かの孤独を比べるようなことはしてはいけない、そこから祈りは溢れ出してきた。

 ただ目の前の人に愛を届けることにのみ、私を使えばいいことを身に刻み込むように学び直した気がした。

 愛を出し惜しみすることなく、神さまのために美しいことをするように誓う、ボランティアだった。

 

 

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パーティーの後で。

2016-12-27 17:29:05 | Weblog

 

 おじさんたちにプレゼントを配り終えた後、司教と10人司祭たちによって、クリスマスのミサが行われた。

 参加した老年のイタリア人司祭も、その司祭の人数の多さから「カテドラルみたいだ」と退出時に笑みを浮かべて言っていた。

 ミサを授かったボランティアも多かった、席に座れない人が20人くらいは居たかも知れない。

 その後のパーティーも人の多さから、あっという間に食事が無くなった。

 そして、それぞれ笑みを浮かべ、年末の挨拶をして去って行った。

 この日470人のおじさんたちが来てくれた、550人分用意していたので、余ったものを上野、浅草に分かれて自転車で配りに行った。

 この時になると、いつものボランティアと数人の残ったボランティアしか居なかった。

 私は久しぶりに浅草に向かった。

 午後になって降った雨により、風は冷たく、辺りはもう薄暗くなってきていた。

 {つづく}

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オカマの日。

2016-12-26 18:32:43 | Weblog

 

 山谷のクリスマスは雨上がりの暖かな快晴に恵まれた。

 おじさんたちはクリスマスを特に祝うと言う訳ではないが、ちょっとしたお祭りのような陽気と暖かな陽光のためか、おじさんたちの表情はいつもより明るく柔らかく見えた。

 クリスマスは毎年MCの施設で行われ、いつもよりたくさんのボランティアが集まる。

 私は外でいつもよりゆっくりとおじさんたちと話しが出来ることが、私のクリスマスプレゼントになっている。

 また香咲姉さんの話しになるが、この日、姉さんはプレゼントを待つ列の前の方にいた。

 相変わらず、私と握手をすると「放しなさいよ~、放しなさいよ~」と言って、私の手を放さず、「あっ、ワタシが放してなかった・・・」と言う、お決まりのツカミで、私を笑わせた。

 そして、姉さんは携帯にある女装の写メを見せてくれた。

 それはオイラン姿の美しい写メだった。

 この日、姉さんはいろんな人たちと良く話しをしていた。

 姉さんはタイで下半身の工事を終え、胸も膨らませ、女性になり、「ワタシは日本とタイのハーフ」と言って、クスッと笑い、次に胸の大きくない女性のボランティアの前で胸を張り、その大きさを自慢し、周りの人たちを笑わせ、胸の大きくない彼女に「スズメバチに刺されれば」と言っていた。

 私は内心、スズメバチに二度刺されると死んでしまう、美と取るか、生を取るか、などと、バカなことを勝手に思い浮かべ、クスッとしていた。

 私がしばらくインドに行くことを伝え、「4月4日に帰って来る」と言うと、「まぁ、やっぱり先生はオカマの日なのね、4月4日はオカマの日なの!」

 「えっ、そうなの?何でオカマの日なの?」

 「3月3日がお雛様でしょ、5月5日が子供の日。その真ん中だから、4月4日は。だから、オカマの日」

 「へぇー、そうなんだ。初めて知ったよ。何か少し利口になった気がする。ありがとう!」と言うと、周りのおじさんたちはニコニコしていた。

 この日、香咲姉さんはいろんなボランティアと話し、とてもはしゃいでいて楽しそうだった。

 私の名前をボランティアから聞いたようで、終いには「てっちゃんが一番カッコいい!」と満面の笑みではしゃいでいた。

 私は照れながらも、満面の笑みのクリスマスプレゼントを頂いた。

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ご褒美。

2016-12-24 17:58:12 | Weblog

 

 夢から覚めて、夢のことを思いだし、夢のなかで、今日はカーテンを洗おうと思っていたことを現実にした。

 イブだけれど、教会に行く他は何の用事もない、だから、カーテンを洗濯機に入れ、回している間に大掃除となった。

 年に一度掃除するか、また二年に一度掃除するのか、分からないくらい、前回はいつ掃除をしたのか、と言うその場所、CDデッキとDVDデッキの間のホコリの溜まっているところを拭いていると、勝手にCDデッキが動き始めた。

 このCDデッキにはダブルカセットが入るもので、そのカセットが動き始めたのだった。

 聞こえ出した音はベンガル語の教本Teach yourselfだった。

 教本自体は使いに使い込んで、もうボロボロになっている、何度も何度も聞いて大切にしていたテープであったが、新しいベンガル語のCD付きの教本を買って以来、どこへ行ってしまったのかも忘れていたテープだった。

 何年ぶりにこのテープを聞くのだろうか、10数年ぶりであろう、懐かしい音が流れて来た。

 それと同時に、これは「さぁ、カルカッタに行く準備をするんだよ。待っているよ。」と言う啓示のようにも思えた。

 忘れていたことを思い出し、埋もれていたものが再度発見されたかのように、私はあの学びの日々、カルカッタの毎日を思い出しながら、ひたすら丁寧に掃除をし続けた。

 テープは全部を聞いた。

 もう一度テープを聞こうと思い、早送りをしたが、一向に音が出ない、これは一回だけのチャンス、ご褒美だったのか、と言う思いがした。

 デッキからテープを出してみた、あまりにも古く、劣化していたに違いないので、切れてしまっていた。

 もう一度どうしても聞きたくなり、切れているところが運良く初めの所だったので、これは修繕可能だと思い、ダメかも知れないと思いながらも、掃除を一時止め、テープの修繕を行った。

 ひらひらと勝手に伸びて行くテープはくるくるとすぐに丸くなり、ぐしゃぐしゃになってしまいそうだったが、ここは細心の注意をし、諦めずに、大事に、丁寧にしていくと、どうにかテープは繋がった。

 デッキに戻し、また懐かしい音が流れて来た。

 テープの修繕、そんなことを生れて初めてだった。

 心を落ち着かせ、諦めずに、大事に、丁寧にすれば、切れたものも、また繋がると言うこと、それはもう一つご褒美を頂いた気がした。

 イブに私に与えられた、ものを大切にすると言う、ご褒美となった。

 メリークリスマス。

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新しい祈り。

2016-12-22 12:39:13 | Weblog

 

 先週の土曜日の午後、MCのキッチンでブラザートーマスと二人でみかんを食べていた。

 その時、トーマスはインドから届いたクリスマスカードを見ていた。

 その中にマザーの祈りのカードがあった。

 それは列聖式で使われたマザーの絵のカードで、後ろには新しいマザーの祈りがあった。

 「これは新しい祈りです。私、この祈りが好きです」とトーマスは嬉しそうに言った。

 そしてマザーが福者の時の列聖のための祈りと見比べて、ここが新しくなったんだと、祈りの言葉の違いをチェックしていた。

 「この祈りをいつも祈るんです。身体の調子の良くない時に祈ると、身体が良くなるんです。咳をして、薬を飲んでも、咳はもっと出てしまいますが、この祈りを祈ると治るんです。マザーが憐れんでくれるのです」

 トーマスは何の疑いもなく、真面目に話してくれた。

 それは信じるものは救われる真実を生きている幼子そのもののようだった。

 

 明日は山谷のクリスマスです。550人分のプレゼントを用意しています。おじさんたちに愛を届けに来ませんか?

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イレーネとは。

2016-12-20 13:22:29 | Weblog

 

 イレーネはクリスマス休暇の二週間のカルカッタ滞在だった。

 私と逢えるのは二日のみになる。

 それでも、やはり嬉しい。

 彼女と働いたのはもう6年前になるが、その日々は今もなお美しい思い出として色褪せることはない。

 きっと彼女もそうだろう、ずっとカルカッタに帰って来たかったのだろう、その思いは私と同じかも知れない。

 二日であれ、時間は関係ない、これは奇跡であり、有り難いことである。

 私たちはいつか必ずものが見えなくなり、歩けなくなり、話すことも出来なくなる時が来るだろう。

 その時になって、その有り難味とその奇跡を知るかもしれない、だが、その前に今、その有り難味とその奇跡を知って良いはずである。

 惜しみなく感じようではないか、今があるという、その有り難味とその奇跡を。

 そこから、微笑みが生まれ、愛に満ちて行くのではないだろうか。

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シークワーサーの消毒。

2016-12-19 12:49:14 | Weblog

 

 数日前から天気予報を気にしていた。

 というもの、12月終わりから一月の中頃までの暖かい日にシークワーサーの消毒をするのが良いとの記事を読んだからである。

 この準備は一ヶ月前ぐらいからしていた。

 まず剪定をした、これはかなり切った、スキンヘッドが10割だとすれば、三分刈りの丸坊主くらい切り込んだ。

 枝と枝とが重なることがないように、幹の中心部分には十分に風が通るようにしっかりと剪定した。

 それからネットであれこれ調べに調べ、消毒液、それを散布するポンプも購入していた。

 そして、今朝、絶好のチャンス、風もなく、暖かだったので、私は合羽を着用し、生れて初めてポンプを使ったシークワーサーの消毒を行った。

 何事も知らないことをやることは常に新鮮であり、まだまだ知らないことが山ほどあることを感じる。

 そして、この消毒と言う過程は期待を込めて行うものであり、それを感じ楽しみながら丁寧に行えた。

 これも私がインドへ向かう準備の一つであった。

 

 昨夜フェイスブックにスペイン人イレーネからメールがあった。

 「来週にカルカッタに行く!Tetsuもいるの?」

 六年ぶりにイレーネにも逢えるかも知れない、彼女も私に会いたがっていることを感じると、喜びに満たされた。

 

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可愛いあん。

2016-12-16 12:10:52 | Weblog

 

 今日も愛犬あんと三沢川に散歩に行った。

 もうすぐインドに行くため、あんとは三ヶ月間会えなくなる、そう思うと、もう堪らなく寂しくなり、また心から愛おしく思えてならない。

 この前、あんの成長した姿を見た。

 いつも散歩から帰って来ると、お風呂場であんの足を洗う。

 あんにお風呂場のドアを開け、「入って!」と言うと、ここのところ、あんは自ら入っていく、その姿に私は大満足し嬉しがっていた。

 足を洗い終わった後、私があんの足を拭くためのタオルを取るのだが、その時、あんはお風呂場から出ないでちゃんと待っている。

 たまに一歩二歩出てしまうことがあるのだが、この前、あんは片足だけお風呂場の外に出てしまっていたので、「あん、足が出てるよ!」と言うと、なんとあんは私の言葉が分かったのだろう、足をお風呂場内に戻したのであった。

 あんと出会って7年になるが、これは初めてのことであった。

 「あん、えらいね!えらいね!」と何度も褒めてあげ、私自身もとても喜んだ。

 何気ない日々のなかであるが、それは思い込みに過ぎない、何気ない訳ではない、有り難い瞬間がそこに待っている、そのなかで宝物を発見した思いになった。

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ユーモア。

2016-12-14 13:38:55 | Weblog

 

 香咲姉さんは綺麗に着飾って、白髭橋の炊き出しに現れるようになった。

 流石にもうビーサンは履いてない、私が下駄からブーツに変えてから、姉さんも靴になった。

 先週カレーの列の最初の方にいて、周りのおじさんたちと楽しく会話をしていた。

 「姉さん、おはよう」と私が挨拶をし、握手をしようと手を差し伸べると、姉さんは私の顔を見ず、恥ずかしそうに下を向いたまま、握手をした。

 それから、姉さんはまだ私と顔を合わさず、「放しなさいよ。放しなさいよ」と言いながら、私の手を放さなかった。

 私が少し後方に下がっても、「放さしなさいよ。放しなさいよ」と言い続けた。

 しばらくして、「あっ、ワタシだったわ」とチラッと私を見て笑い、ようやく私の手を放してくれた。

 周りのおじさんたちはニコニコしていた。

 姉さんらしいユーモアに私たちは癒された。

 マザーは言う、「小さなことに大きな愛を込めるように」と。

 この言葉と同じように、「誰かの小さなことに大きな愛を感じれるように」ありたいものだと私は思うのである。

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