カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

しばらく休みます。

2012-02-27 12:46:17 | Weblog

 昨日深夜に相模湖の叔父さんから電話があった。

 「良くない知らせだけど・・・、あっこが亡くなった」と泣きながら話していた。

 とても悲しい形でいとこのあっこちゃんは昨日亡くなった。

 今は否認と怒りの間を行き来し、たまにすべてが抜けてしまうような脱力感に襲われている。

 これから何日かはあまりにも悲しいことを目の当たりにするだろう、そんなことは書きたくないのでブログはしばらくお休みします。

 こんなときであれ、フランチェスコの平和の祈りのように生きれるのか?

 それが問われている。

 だが、こんなときだからこそである、そう生きるのは。

 この否認と怒りの苦しみのなか、自分は神さまの愛を必死に感じようとする。

 だが、神さまを探してはいけない。

 神さまはこの内に居られるのである。

 
 

あんのハゲ。

2012-02-24 11:53:13 | Weblog

 あんの頭に小さなハゲが出来ていた。

 ハゲの真ん中に傷が出来ていて、どこかでぶつけたらしい。

 ここには前にも同じような傷が出来て治ったところだったが、また同じ場所に出来ていた。

 あんは家のなかをもうダッシュで走り回ったりするので、すぐにぶつけてしまったのだろう。

 でも、その二度目の傷も毎日消毒をし、ゲンタシンを塗布して、もう治った。

 いまももう赤みもなく、あるのはハゲだけ、それもあまり目立たない、すぐに新しい毛が生えてくるだろう。

 いつも女に磨きを掛けているあんにハゲは可哀想で、ハゲは自分だけで・・・。

 小さなハゲのあるあんは今自分のベッドの上で一番ゆっくりな呼吸しながら、気持ち良さそうに寝ている。

 その間あんの寝る座布団は干し、観葉植物たちも水を上げ、日光浴させている。

 あたたかな陽射しに春が近づいていることを期待する。

 あなたの微笑みも同じように。

マザーの遺言。

2012-02-23 12:50:19 | Weblog

 昨日はマザーの書簡集を読んでいた。

 「秘められた炎」にもある、MCシスターやブラザー、ファザーたちに宛てた「ベナレスから手紙」のすべてが書簡集にはあり、それを読み出すと涙が止まらなくなった。

 マザーの修道会の唯一のタブーが、マザーに9月10日のダージリンに向かう列車のなかで起きた神さまの啓示について聞くことであった。

 マザーも長い間このことは語ろうとはあまりしなかったが、90年代に入り、やっとこのことをMCファザーに話すようになり、自分が亡くなったあとのことをも含め、書き上げたこの手紙はまさにマザーの遺言である。

 何度も何度も書き直したが最後には神経痛で書ききれなくなったらしい、この「ベナレスから手紙」は1993年3月25日の日付になっている。

 実はこの時、自分はカルカッタにいた。

 まだマザーのことも良く知りもせず、生まれて初めてのボランティアをただひたすら汗をかき、プレムダンで働いていた。

 無であったが、純粋でもあった気がする。

 今思えば、そこから生まれ直した気がしている。

 その時の思い、それからの思いも、すべてを重ね、読む「ベナレスの手紙」は物凄い迫力と愛の力、神の愛を伝えようとするマザーの揺るがない力を圧倒的に感じ、もう涙が止まらなくなった。

 そして、思った、思い始めてことを改めて言葉にするように意識した。

 「洗礼を受けたい。」

 何のためらいもなく、喜びのなかにそれを選びたいと思った。

 今まで感じていた洗礼への壁が一気になくなった。

 神さまの愛に包まれていることを疑いなく感じられた。

 溢れる感情は物体として現れ、この頬を通り、感謝の地に落ちた。

 マザーはこのことを物凄く喜んでいると思う。

 それをこの内にあたたかな塊としてあるのを感じる。

 「ありがとう、マザー。」

この寒さが。その3。

2012-02-22 12:53:19 | Weblog

 ダニエルは彼を連れてきた時に、「このおじさんはほんとうに優しい人、とても良い人。凄く謙虚な人です」と言って、発見すること、出会えたことを神さまに感謝するように自分に語った。

 和田さんと大迫さんは彼が宿泊するところを探しに何件かのドヤ{旅館}を回ってくれたが、一日や二日の短い期間の宿泊はまず受け入れないとのことで断れて帰って来た。

 MCの委員長のノアスを彼の二日間の滞在を認めてくれ、彼はMCに少し滞在することが出来るようになった。

 だが、これはある意味たいへんな決断とも言える。

 外には同じように寒さに震えるおじさんたちがいるのである、彼を助けず、一人だけを助ける。

 それをどう周りのおじさんに説明するのか・・・。

 彼自身の依存心を育ててしまう可能性もある。

 しかし、彼らは良き牧者である。

 その選択に間違えはない。

 今必要なこと、大切なこと、その最良のことを死のうしていた彼に捧げるのである。

 彼はボランティアたちに優しく接しられ、だんだん心と身体が温まってくると緊張も解けてきた。

 そして、辛かったこと、悔しかったことを話し始めた。

 癒されながらである。

 この日はダニエルとマザーの秘められた炎についての分かち合いをしようと思っていたが、すでに夕方になってしまったので来週にした。

 ダニエルは「ごめんね、ごめんね。来週しましょう。いろいろ教えてください。楽しみです」と言って微笑んだ。

 教えてもらうのは自分の方で、彼の謙虚さと純粋な笑顔には圧倒される。

 ちょうど片柳君に頼んでいた絶版になっているマザーの書簡集を彼が山谷のMCに届けてくれたので、それを読み、マザーの秘められた炎とも照らし合わせながら読めるのが楽しみで、来週の分かち合いの準備が深まるのが嬉しい。

 この日はマザーの秘められた炎についての分かち合いが出来なかったが、また違った形の素晴らしい命の分かち合いが出来たと思う。

 ブラザーセバスチャンが言った。

 「カルカッタみたいだって」。

 世界中にカルカッタはある。

 この胸のうちにもカルカッタはあり、イエスの乾きもある。

 自分はセバスチャンの言葉を喜んで聞いた。

 そして、こう言った。

 「ここは日本のカルカッタ」。

  

この寒さが。その2。

2012-02-21 12:49:32 | Weblog

 この日午後は2グループに分かれて、カレーとお弁当を配りに行った。

 自分や広瀬さん、佳苗ちゃんのグループは浅草を回り、隅田川から山谷掘りを通り、MCに戻ってきたが、最初に玉姫公園に向かった神父のダニエル、大迫さんのグループは遅れていた。

 それも一時間半以上遅れていたと思う、連絡があった。

 山谷掘りで状態の良くないおじさんを見つけたから、とりあえず、MCに連れて行くとのことだった。

 MCでは、そのおじさんのために食べ物や服、モーフなどを用意した。

 部屋を暖めて、足浴も出来るようにバケツも用意して待っていた。

 全員不自由に歩くおじさんのペースに合わして、ゆっくりと歩きながら山谷掘りから来たようでかなり時間が掛かったようだ。

 そのおじさんは身体半分は感覚があまりなく、最初は起き上がることも困難だったと言う。

 新聞もダンボールも何も敷くことをせず、冷たいコンクリートの上で寝ていたとのことだった。

 それを聞いて、はっとした。

 自分はそのおじさんを確かに見ていた。

 彼は何も敷いてなく仰向けに寝ていたので酔って少し寝ているものだと勝手決め込んで、そこを通り過ぎた。

 通りの反対側だったからなのか、近くに行き、声を掛けることすらせずにだ。

 カルカッタで何度もこのような場合は必ずチェックするようにしていたのに、それを怠り、助けることの出来る命を死なせた可能性を自らが作り出していたことに罪を感じずにはいられなかった。

 それと同時に神さまの素晴らしさを感じにはいられなかった。

 自分が何かしているのではない、すべては神さまがしていることである。

 自分の愚かさも不甲斐なさも修正点もすべて提示し、そこを補い、救ってくれている。

 自分はほんとうに喜んだ。

 そして、彼に接した。

 彼は三日何も食べていなかった。

 だが、午前中に辛そうな彼の姿を見たおじさんがお酒をくれたそうだ。

 おじさんは「ボランティアですか?」とその人に聞いたそうだ。

 「ボランティアがお酒まで出さないだろ」と言って笑っていたと。

 「優しい人がいるね」。

 彼は静かに頷いた。

 確かに少し酔ってしたかも知れないが、彼は死のうとしていた。

 「もう寒くて空腹で何も出来なくて、もう死にたいとずっと考えていた」と話した。

 「どこか高いところから飛び降りようとずっと考えていた」と話した。

 泣きながら話していた。

 彼はMCに入るとすぐにヒーターの前に座らされ、両足を足浴してもらい、まず温かいお茶を出してもらっていた。

 彼はずっと泣いていた。

 人の愛に、優しさに、心をふるわせ涙を流していた。

 命の光りがどんどん明るくなり、周りを照らし出していく神秘の美しいさをみせていただいた。

 {つづく}

この寒さが。

2012-02-20 12:27:32 | Weblog

 土曜日はほんとうに寒かった。

 午後また自転車でカレーとお弁当を配りに行った。

 少し陽射しの下は暖かい、それを有り難く受けるようにベンチでうとうとしているおじさんに声を掛ける。

 この時期夜は寒くて寝れなく、夜中はただひたすら歩くという人もいるくらいである。

 「いやー、今年はほんとうに寒い、辛いね・・・」。

 「そうだね、昨日雪も降ったし、物凄く寒いだろうね」。

 「今年はあのガード下で1月と2月で4人死んだよ・・・」。

 「そうなんだ、そんなに亡くなった・・・」。

 「あぁ、ほんとうに寒いもんね」。

 「ここでそれだけ亡くなったのだから、他でももっと亡くなっているだろうね」。

 「うん、そうだと思う」。

 そのガード下は言問橋の下のガード、いつも3人から5人くらいのおじさんたちは寝ている。

 寒さに耐える力のない者は亡くなっていく。

 この寒さが人を殺していく。

 この厳しい現実のなかにある彼らにどんな態度で、どんな言葉を用いて、何を伝えていかなくてならないか、それは自ずと分かるだろう。

 「あなたは愛されている」そのことを目の前の一人に伝える必要を感じない者があるのだろうか。

 「神の渇き」が潤うように。

 深く深くそうあるように。

 {つづく}

マザーが伝えたかったこと。

2012-02-17 12:57:31 | Weblog

 明日はザビエル会の神父ダニエルとMCファーザーが書いた「マザーテレサの秘められた炎」について分かち合いをする。

 ずっと楽しみにしてきた。

 今週はこの本を読み直している。

 黙想するように、丁寧に心と記憶に刻み込むように集中し、または緊張しながら読んでいる。

 マザーが伝えたかったことを深く語り合いえたらと思っている。

 そして、マザーの実際の行動、その謙虚さ、ダライラマが比類ない謙虚な人だったとマザーに会った印象を語るほどのその謙虚さ、愛の証しである謙遜がただ一つの呼吸をするが如く普通であったマザーである。

 そして、マザーがどうしても伝えたかった神の愛についても語り合いたい。

 深い闇のなかにあっても、そこから揺るぎない信仰心と変容、それは新たな復活へと導いていく、生まれ変わりのような新鮮さでマザーは人々に微笑んだ。

 彼女は「闇の聖人」になるでしょうと自ら語った。

 どうしようもない苦しみ・嘆き・痛みのなかにあるとき、必ず彼女はいると言うことである。

 自分は罪人である、そんな資格など無い、救われることなどない、などと自己を裁き、否定的に扱う扱わないなどまったく関係のない神の愛をマザーは「わたしは渇く」と言う言葉から理解するように語り続けた。

 三月でマザーに初めて会ってから20年になる。

 生まれて初めてプレムダンでボランティアしたあの日々の感動が色鮮やかにある。

 生きてきて良かったと自分の今までのすべてに感謝した、その思いが溢れ出して止まらなかった真新しい日々だった。

 それから、マザーのことなど何も知らなかった男を神さまはこうして導いてくれている。

 

おめでとう!

2012-02-16 12:44:52 | Weblog

 一昨日れいこちゃんが興奮気味に電話をしてきた。

 「Tetsuさん、ビッグニュースですよ!ひとみさんが結婚したんですよ!」

 と言うことで一言。

 ひぃーちゃん、結婚おめでとう!どうぞ幸せに。

 幸せになろうと努力するのではなく、小さな幸せ、またはその種に気付く人になれるように、いつも内省することを忘れないように。

 そうすれば、いつでも、あなたは幸せであれる。

 あなたのうちにはそうしたものがちゃんとあるんです。

 胸が動く、呼吸することにすら、感謝し、何もなくても生きていることに無性に嬉しくなったことの喜びの記憶がきっとあなたを手助けし、あなたを守る。

 だから、不安がることもない、いまのままで良い、ありのままで良い。

 弱いとか強いとかは関係がない、すべて、あなたは愛されている。

 愛し愛されるようにあるよう。

 もし辛いことに出会い、誰にも言えないようなことがあったら、いつでも話しを聞きます。

 この命が終わるまで。

 微笑みの多い、穏やかな優しい日々のなかにあるように。

 ひぃーちゃん、結婚おめでとう!

 とっても美人さんな花嫁さんになるんだろうな。

登場人物紹介。

2012-02-15 13:03:52 | Weblog

 人物の紹介なしに昨日のブログは書いたので、その付け足しのように人物紹介をしよう。

 まずイナイの旦那さん以外はみんな文化学院の出身、しげちゃんと優子ちゃんは夫婦、ヒロは結婚していて二児の母、ピーも結婚しているが子供はいない。

 ちなみにピーはアサダと付き合っていたときがあり、アサダはそのずっと前イナイのことを少し良いように思っていた節もあるが、それは確かではない。

 ここで自分のことを「テツアニィ」と呼ぶのはアサダ、ミエコ、ピー、そして、昨日のブログには書ききれなかったが、夜になって帰って来たアサダの妹トモコと夕方から参加したむっちゃんである。

 このむっちゃんは結婚していて女優をしている。

 まぁ、口から生まれたような子で良く話す、結婚式の司会を五組やり、そのなかの三組は離婚したと言う悪名高き司会者であるとのことで笑いをとっていた。

 ツヨシとヒロは自分のことを「てっちゃん」と呼び、イナイと優子ちゃんは「野田さん」と呼び、同級生のしげちゃんは「野田ちゃん」と呼んでいる。

 ちなみにトモコはツヨシ、ミエコと呼んでいる。

 みんなもうすぐ出会ってから20年くらいになる。

 そんなになるのだが、ほとんど何も変わっていないような間柄で、みんな若いと言うか、あまり老けていない。

 だから、学生のときとまったく変わらないような話し振りになり、それは心地良い退行のようでもある。

 アサダが命の代わりに残したものは愛の繋がりであり、それはこの命ある限り感じられるかけがえのないもの、有り難きものである。

 

結婚40周年のツヨシとミエコ。

2012-02-14 12:42:10 | Weblog

 日曜日はアサダの両親ツヨシ、ミエコの結婚40周年を祝うために上尾のアサダ宅に行った。

 まず自分がピーと一緒に先に着いた。

 後から優子ちゃん、しげちゃん、ヒロが来た。

 ヒロは来るなり、自分の子供がアサダ両親のために色紙で作った結婚40周年を祝うメダルをツヨシにあげ始めた。

 「この子は何をやってくれているのか」と思った。

 思っただけでなく、声に出したと思う。

 自分もピーもサプライズパーティーにするということで結婚記念日のことは何も触れていなかった。

 増してや、まだ彼らが来る前にツヨシが「昨日結婚記念日で40年になるんだよ」と話していたのを、「すごい、そうなんだ」と軽く流していたのに、この子は・・・。

 優子ちゃんがヒロのフライングに突っ込みを入れた。

 それは当然であり、まだイナイとイナイの旦那と子供も来ていないし、全員揃っていなかったである。

 自分の仕出かした失敗に赤面なり、「みんな忘れて!」と必死に言うヒロだが、そんことは容赦せず、みんなに突付かれていた。

 それから、またしばらくしてイナイ家族が来た。

 イナイの旦那さん大ちゃんに会うのは初めてだったが、もう良い調子に酒を飲んでいたので、随分楽しい感じで話をした。

 そこで仕切りなおし、イナイが持ってきた手作りケーキには「祝40年」と書いてあった。

 それがあまりにもダサくて、ダサすぎて、それがかえって、あたたかくて、優子ちゃんとしげちゃんが持ってきたお店のケーキより、光りを放った。

 部屋にも飾り付けをして、イナイの手作りくす玉も用意され、ここでやっとヒロの子供が作ったメダルの登場、ツヨシとミエコの首に掛けられる。

 二つのケーキのローソクには火が点けられ、部屋のカーテンを閉める。

 ツヨシにローソクを消してもらい、音の出ないクラッカーのようなものを二人に注がれて、ちょっとした罰ゲームのような二人が照れながら、みんなの前に立っていた。

 二人から言葉をもらった。

 息子が亡くなって10年以上経つのにこんなにみんなが来てくれること、結婚記念日を祝ってくれるなど、そんな日が来るなど想像もしていなかったこと、メガネを外し、目にハンカチをあてながら話した。

 あまりにもダサくて、グダグダなサプライズパーティーだったが、笑顔が溢れて、とても優しい一日だった。

 そして、ほんとうに楽しい一日だった。

 弟のように可愛がり、仲が良かったアサダが天国に行って、もう十年以上になる、今だ寂しい気もするがあたたかい思いにもなってきた。

 もしアサダを思い、涙が出てくるようなことがあれば、それは寂しいだけだからではない、感謝と愛も混じっている。

 そこにアサダは自分の内に一緒に生きていることに違いないとも感じれるんだと思う。

 ツヨシもミエコもほんとうに嬉しそうだった。

 帰り際にミエコが言った。

 「今日は楽しいハプニングだった」。

 隣にいたピーがクスッと笑いながら、「サプライズだから」と小さな声で自分に伝言を回すように言った。