カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

やはりキチジローは・・・。

2012-06-29 12:38:11 | Weblog

 「沈黙」の話であるが、やはりキチジローはユダだった。

 銀300枚で司祭を売った。

 どきどきしながら、司祭の気持ちになり、長崎の山中はすでに素晴らしく描かれているがまた以上に想像しようと好奇心を高め、その場の緊張感と同一化しながら小説を読んでいた。

 汚く、弱き、裏切り、救いようのないキチジローを司祭はこれからどう許すのか、それはイエスがユダに「汝のなすことをなせ」と言い放った意味、その心境、司祭が今までどうしても分からなかったことをどう解釈していくのかが楽しみでならない。

 それと同時にもしこの「沈黙」が映画であったのなら、誰の配役で、どんな映像で撮影されるのかまでも想像して、小説にのめり込んでいた。

 と言うのは先週カマラーゾフの兄弟の映画を1部2部3部と見たからであろう。

 初めて見るはずのカマラーゾフの兄弟の映画ではあったが、それが以前見たことがあったかのように思えたからである。

 配役が自分の想像とほんとうに一致していた。

 もちろん、実際の小説の方が素晴らしいのであることは確かだが、映像でそれを補いつつ、また役者の力量にも魅了された。

 特にスメルジャコフは良かった。

 動物虐待していたなどの詳細は描かれていなかったが、彼が不気味さ、不愉快なインテリさ、てんかんを発病してからの縁起などには目に見張るものがあった。

 そこでもし「沈黙」のキチジローはどんな役者がやるのかを想像するとまた深く遠藤氏の意図するところに手足を縛られていくように捕まってしまった。

 良い小説は後半になると、もう終わってしまうのかと言う惜しさと寂しさにも似た感情が生まれてくるが、あと少しまたじっくりと読んでみたいと思う。

 長崎に思いを馳せ。

 いつか行って見たい長崎になった、まず家の近所にある好きなリンガーハットの長崎ちゃんぽんを食べてみよう。

 
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沈黙。

2012-06-28 12:07:34 | Weblog

 いま、遠藤周作氏の「沈黙」を読んでいる。

 これがとても面白い。

 隠れキリシタンの居た長崎が舞台であるが、そこに行ってみたい気持ちになりながら、ページをめくっている。

 「イエスの生涯」「キリストの誕生」そして、この「沈黙」と読んできたが、カトリックの彼ゆえの作品に魅了されてならない。

 「沈黙」は三分の一ほど、吸い込まれるようにして読んだ。

 きっと電車の中でこれを読めば、降りるはずの駅も乗り越してしまうだろうことも予想されるほどだ。

 遠藤氏が神の沈黙を題材にしたものを読めば読むほど、自分はマザーが神の現存を伝えようとした生涯に思いを馳せる。

 しかし、激しい苦しみのなかで、神の現存と沈黙とをどう理解し、どう解釈し、どう受け容れるのだろうと終わりない問いに包まれていくのも確かである。

 そして、ここに光りを与えてくれるのがフランクルでもありえる。

 「それでも、人生にイエスと言う」彼の確信が光りを与えてくれる。

 そんなことを身体を通してぼんやりと感じ考えている。

 さて、今日も仕事の合間に黙って「沈黙」を読むのが楽しみである。
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彼にまた会えた。

2012-06-27 12:30:57 | Weblog

 二週続き雨だった土曜日も先週は晴れた。

 ずっとHIVの彼を探していたが、カレーを並ぶ列のなかから見つけることは出来なかった。

 それでも、探し続けた。

 以前彼がカレーを食べていたところに行ってみると、彼は一人でカレーを食べていた。

 この日は500人以上のおじさんたちがカレーを食べに来てくれたが、カレーは足りず、車一台がMCに戻り、ビスケットも持ってきたが、何ももらえない人を五人作ってしまった。

 500人が来ていようと彼を見つけられると自負していたが、その甘さを知るに至った。

 もっと丁寧に彼らを見るように心した。

 下を向いている人、違う方向を向いている人、寝ている人、顔を合わそうとしない人たちにも声を届くように、心が届くようにしなくてはならないと誓うようにその思いを胸であたためた。

 彼の姿を見るけると傍に行き、彼の肩に手を置き挨拶した。

 まだ食べている途中だったので、またあとで来るからと言い、その場を一度離れた。

 それから、しばらく経って彼のところに行くと、彼は風邪を引いてしまったと言い苦笑いして話し始めた。

 「免疫力が低く、風邪を引きやすくて・・・」

 「そうだよね、大事にしないと」

 「はい、この前も埼玉の友達のところに行ったんだけど、泊まっちゃって。看護婦さんが来る日だったから、自分が居なくて看護婦さんに怒られたよ」

 「コスモスのYさん?」

 「そう、怒られた・・・」

 「薬は持っていったの?」

 「一日分しか持っていなかったから飲めなかった」

 「そうか、それは良くないね・・・」

 「うん、以前も一週間ドヤを空けたことがあって、Yさん、休みなのに浅草の馬券場とか、いろいろと自分の行きそうなところを探してくれたんだって・・・」

 「どこに泊まったりしていたの?」

 「ネットカフェに泊まったりしていた」

 「そうか、Yさんに怒られたでしょ?心配しているんだよ」

 「うん、でも、いまのドヤが嫌でね。夜中に警察が来るし、酔っ払いが騒ぐし、きっと知っていると思うけど、赤いジャンバーを着た奴を。彼は飲んで死んだよ・・・」

 「そうか、それは酷いね・・・、どうにかしないとね」

 「うん、そうなんだ」

 彼は前回初めて会った時とは違う痛みの話しをしていた。

 前回は路上生活から発病し、死に対する今までの恐怖を話したが、今回は身近な出来事を話してくれたのと同時に自分を心配してくれている人がいる、か細い安堵感をにじませながら、どうしようもない自分の弱さと混ぜ、にもかかわらず、自分に対してそうしたことをしてくれる、自分を見捨てない人がいることにしがみついているようにも思えた。

 彼は彼を見捨てようとしながらも、彼は彼を見捨てない。

 諦めの気持ちもあるが、諦めていない気持ちも共有し、その諦めていない気持ちが勝つことを誰かの力を必要としながらも切に望んでいるようにも思えた。

 またゆっくりと話をしようと言い、彼はボランティアの伊藤さんの車に乗る自分を見送ってくれた。

 すでに周りには誰一人いなく、ただ彼と話をしている自分を待っている伊藤さんの車で来たボランティアだけがいた。

 
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再びコージー山谷に。

2012-06-26 12:29:19 | Weblog

 4月に消化器内科の医師となってから、コージーは二度目の山谷に来てくれた。

 とても書けないような酷い状況を苦笑いしながら会うなり、コージーは話すが、またきっとそれはそれだけではなく、心ある瞬間をも含んでいると思った。

 実際彼は悩みながらもそのような行動を取っていた。

 忙しいなか、何の見返りも期待せず、山谷のおじさんたちのために時間を割いてくれることは嬉しいことである。

 これはマザーも喜んでいることと思う。

 そして、コージー自身も与えられていたと思う。

 コージーは愚痴をいろいろと話してくれたが、決して言葉に出すだけの酷い医療現場ではなく、またそうしたくはない、心ある現場を望んでいることは感じた。

 昼食後のロザリオの祈りを真面目に祈っている姿を見ても、自分はそう感じた。

 それは普段の生活から離れたところでまた自分を見つめなおすように祈っていたのかもしれない。

 彼がそれを大切にしていたことも感じた。

 ドラマのような心ある医師はほんの少しかも知れないが、ゼロではないだろう。

 傷付くことも多いが、その色に染まらず、名声や評価を望まず、神さまのために美しいことを地道にし続けてほしいと願わずにはいられない。

 自分の想像などを超えた厳しい状況であろうが、どうかカルカッタで感じたことを生涯忘れないでいて欲しいと願っている。

 
 マザーの言葉。

 「私は、親切にしすぎて間違いを犯すことの方が、親切と無関係に奇跡を行うことより、好きです」

 「もし過ちを犯すとしたら、愛が原因で間違った方がいいと思っています」

 
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家族で山谷MCに。

2012-06-25 12:50:15 | Weblog

 山谷のおじさんたちのために家族でボランティアをしに来る人たちもいる。

 家族が同じ話題、その会話、その意味を深く出来ること、そうある家族であることが想像される。

 もちろん、子供がそれをどう解釈しているかは別問題であるかもしれないが、にしても家族が一緒に祈り、共に奉仕することは何かしらの肯定的な意味を見出していく良い機会になりえるだろう。

 この前は伊藤さんは次男のロマンを連れ、韓国人お母さんは子供二人を連れ、日本のグッチの社長さんは小さな男の子と女の子の子供たちを連れてきていた。

 彼は日本語で行われる祈りのとき、一生懸命になって子供たちにどこを祈り、また歌っているのかを指で指しながら優しく教えていた、その姿は愛らしかった。

 また彼は下駄を履いた自分の姿を見ると、「うちの家族は昔から、あなたが下駄を履いているのが好きなんです」と言って微笑む姿もまた愛らしかった。

 他にも家族で来る人たちがいる。

 医療刑務所で働いている小林医師なども家族全員で山谷に来ている。

 元MCブラザーのニルマルも子供シンギ、タラ、シオンも連れてくる。

 他にもフランス人の家族やまた韓国の人も家族で来ることが多い。

 そうした姿はすべて微笑ましい。

 これもマザーの望むところだと思う。

 家族が共に祈り、愛ある会話がすること、神さまのために美しいことをすること。

 これはほんとうに大切である。

 忙し過ぎることは大切な何かを簡単に見失ってしまいかねない。

 またそれを言い訳に使い、思い通りにならなければ怒りを生み、自己の甘えの歪んだ正当性を盾に相手を激しく傷付けてしまいかねない。

 それで良い筈、それで解決ではないことをうすうす知りながらもそうせざるを得ないでいる。

 それが負の連鎖を終わることなく続けていまう破壊の原因の一つであろう。

 どうかそうならないように勇気を持って、自己を見詰めなおして欲しいと願わずにはいられない。

 

 マザーは言う。

 「今や、皆が忙しそうにしています。他の人に与える時間がないみたいです。親は子に、子は親に。そして、夫婦同士。世界の平和は、まず家庭の平和から始まります」

 「平和はほほえみから始まります」

 

 
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仕事の合間に。

2012-06-22 12:33:38 | Weblog

 昨日も仕事の合間にケイタイに入れてあるマザーの祈りを読んでいた。

 
 「自分より他人を」
 
 主よ、私が空腹を覚えるとき、
 パンを分ける相手を出会わさせてください。
 
 のどが渇くとき、
 飲み物を分ける相手を出会えますように。
 
 寒さを感じるとき、
 暖めてあげる相手に出会わさせてください。
 
 不愉快になるとき、
 喜ばせる相手に出会えますように。
 
 私の十字架が重く感じられるとき、
 だれかの重荷を背負ってあげられますように。
 
 貧しくなるとき、
 貧しい人に出会わさせてください。
 
 暇がなくなるとき、
 時間を割いてあげる相手に出会えますように。
 
 私が侮辱を味わうとき、
 だれかを褒めてあげられますように。
 
 気が滅入るとき、
 だれかを力づけてあげられますように。
 
 理解してもらいたいとき、
 理解してあげる相手に出会えますように。
 
 かまってもらいたいとき、
 かまってあげる相手に出会わさせてください。
 
 私が自分のことしか頭にないとき、
 私の関心が他人にも向きますように。
 
 空腹と貧困のなかに生き、そして死んでいく世の兄弟姉妹に
 奉仕するに値する者となれますように。
 主よ、私をお助けください。


 以前にも書いたように、自分はこのマザーの祈りの「奉仕するに値する者となれますように。主よ、私をお助けください」のところに惹かれてならない。

 「奉仕するに値する者」にはなれない自己の弱さ、人間の負の部分をマザーは認め、周知していたのだろうと同時に比類ない謙虚さを持って、彼女は祈ったに違いない。

 そして、どうすることも出来ない自己の弱さを神さまに告解し、その罪を捧げていたのだろうと思う。

 どうしも神さまの力なしに、そうした者になりえなかったことへの不安を拭いきれなかったと感じたかもしれない。

 その意味を深く感じ観るたび、胸をなで下ろすかのように、この祈りを祈り受け止める。

 しかし、自分は到底「奉仕するに値する者」ではないことを感じてならない、だが、またそれをほんとうに知っているのだろうか。

 その許しを請うことさえ忘れてはいないだろうか。

 にも関わらず、「奉仕するに値する者」にありたいと望むその心は、自分のうちにある。

 これはマザーによって、自分のうちで色濃くされ、育てられ、成長を待ち続けるものとして形作られたものであろう。

 それを意識するたび、祈り、許しを請い、呼吸を続けている。

 そして、意識を超えた向こうへ続くように願いを込めて。

 
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あんの縄張り拡大。

2012-06-21 12:50:42 | Weblog

 日曜日は雨がどうにか止んでくれて、その前の週に行けなかった野川公園にあんを連れて行った。

 早く行けば駐車場も開いているだろうと、10時過ぎに家を出ると、30分掛からないで野川公園に着いた。

 駐車場を待つ車もなく、入ってみれば車もまばら、かなり空いていた。

 大きな木がはくさんあり、芝生の広場もとっても気持ちが良い、そして、やはり思っていたよりも野川公園を大きかった。

 車で来る必要がないのなら、ビールでも飲んで寝転んでいたい気がした。

 あんは湧き水の湧いている傍で、大はしゃぎして走り回り、終いには吐いてしまった。

 それでも、良く歩いた。

 まだ全体は把握しきれていないが、二時間は歩き回ったので大満足だった。

 あんの縄張り拡大は成功と言えよう。

 あんと歩いていると、一人のお年寄りをすれ違った。

 彼は右手にトランジスタラジオと左手に納豆のパックを持って休憩所から歩いて来た。

 彼のピクニックに持参するものは納豆なのか、と思い、あれこれ想像してニコッとした。

 あっ、いま思い出した。

 彼は箸を持って居なかった。

 どうやって納豆を食べたのだろうか。

 ミステリーだ。

 いろんな人がいろんな形で公園を楽しんでいるのであろう。

 十人十色、人はそれぞれ素晴らしいのである。

 彼の右手にあったトランジスタラジオを目に入ったので、それから、しばらく、キヨシロウのトランジスタ・ラジオを歌いながら、あんと陽のあたる場所を歩いた。

 
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恩返し。その3。

2012-06-20 12:14:03 | Weblog

 「どうしたの?カレー食べに来ないじゃない?お腹空いていない?」

 彼がどうしてカレーを食べに来れないことも分かっていたが、そう声を掛けた。

 彼は約束を守り、自分の空腹をどうやって満たしていくか、路上で生きていくために通常の人が考えるような生活は到底無理、行き当たりばったりのように食べ物を接種しているのだろう、拾い食いもするだろうし、ゴミもあさって食べているだろう。

 顔も洗うことなく、歯などは磨かない、統合失調症すら発病しているかのようにも思われた。

 「ちょっとここで待っていて、いま食べ物を持ってくるからね。良い?」

 彼は頷くだけだった。

 そこにブラザートーマスも来て、彼と少し話していた。

 自分は先にMCに戻り、彼のためにジャンバーとシャツ、バナナや少しの食べ物を用意した。

 それを持って出かけようとすると、トーマスが帰ってきて、こう言った。

 「彼にはあげたくないです。彼は何も答えないし・・・」

 「いや、トーマス、彼は知的障害でね。それに何も持っていないんだよ」

 そう自分が言うと、広瀬さんもこう言った。

 「人が変われば話すかも知れないから」

 トーマスはそれを受け容れてくれ、「自分も一緒に行きます」と言い、自分と一緒におじさんのところに向かった。

 そこでトーマスには以前の彼のことも話した。

 とても陽気だったことや、彼の心はとても幼い子のようであること、そして、いまはとても心を塞いでしまっていることなど話した。

 彼のもとにつき、自分は彼に食べ物を見せながら、ちゃんと食べるように優しく話した。

 彼がどんな風に食べるかを少し待ったが、自分に出来ることを少ししてみた。

 それはカルカッタで行うこととまったく同じようなことをした。

 バナナをむいて、彼に渡した。

 「美味しいでしょ?」

 「うん」

 彼はひたすらバナナをほお張った。

 トーマスは先週の火曜日のMCでの炊き出しで彼に会い、そこでいろいろと話しかけたのだが、たぶん無視されたのだろう、だから、彼には何もあげたくないと言ったのだと思う。

 だが、彼は無視したのだろうけど、そうせざるを得ない心持ちだっただけである、そのことをその瞬間にトーマスは気が付いたことだろう。

 トーマスは彼に「また火曜日に味噌汁を食べに来てください」と丁寧に話しかけてくれた。

 もちろん、その約束も果たされるかは分からないが、これからはブラザーたちも彼を十分に気を掛けてくれることを感じた。

 彼のすぐ隣に寝ているおじさんにもバナナを渡し、彼にはカレーを食べに来るように、そして、何より、「あなたを心配しているよ」と伝え、MCに戻った。

 MCの二階で午後のカレーを配り終えるとお茶を飲む。

 そこで彼のことをみんなに話した。

 「ここ一ヶ月間二度ほど、彼に会い、ずっと心配した。それが今日会えてほんとうに良かった。彼は知的障害を持っている。何も荷物なく、友達もいない。そして、いまはあまりにも汚れている。平日にチャンスがあればシャワーを浴びさせてほしい。

 もう何ヶ月も前になるけど、カレーを食べに来て、その次の週も来るように言ったけど、彼は来なくて、それで、山谷掘で会い、どうしてカレーを食べに来なかったの?と聞くと、彼はこう答えたんです。

 「鳥にね、助けられたから、恩返しをしていたんだ。うん、鳥に恩返ししていたんだ」って言ったんですよ。

 彼の心は小さな幼子のようで・・・」

 そう話すと、そこにいたみんなは彼を思い、胸を痛めてくれたような表情になった。

 自分たちに何が出来るわけでもない、大海の一滴のような仕事である。

 だが、やはり、一滴のない大海するのではなく、意味深い、愛情深いその一滴であるように心掛ける。

 マザーの言いつけを守れるように、そのなかにある愛を感じられるようにありたい。

 小さな恩返しのなかに生きる糧となりえる大きな愛の花を見たようである。

 雨降る隅田川沿いにはアジサイがきれいに咲いていた。


 
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恩返し。その2。

2012-06-19 12:52:31 | Weblog

 まず浅草にいるおばちゃんに会いに行った。

 観光客が行き交う大通りを曲がると、小さなお稲荷様があり、その前に壊れかけたビニール傘を三つ開き、彼女の持ち物である何かが入っているビニール袋を覆い、そのなかに彼女もいた。

 食べ物などは持っていなそうだったのでカレーを二つあげた。

 すると、彼女は友達であろうハトを呼び寄せ、「この子もお腹が空いているからね」とニコニコして話した。

 彼女にはハトとお稲荷様が見守っているのであろう、行くといつも笑顔を見せる。

 彼女のすぐ近くに住んでいた猫と暮らしていたおばちゃんは、猫が心配で身体の様態が悪いにも関わらず、入院することを拒んだ。

 説得には女性が良いだろうと、MCにボランティアに来ていたクリストファーのシスターにも行ってもらったりもしたが無理だった。

 猫が亡くなる前、この冬に路上で彼女が亡くなった。

 猫は彼女を看取ったのであろう。

 その思いを胸に、それから、東橋、言問橋、山谷掘を通り、いろは商店街を通り、MCに帰ってきた。

 最後に通ったいろは商店街でカレーは終わった。

 そして、あの彼に会った。

 彼はダンボールを敷いただけのところに持ち物は何もなく、何もかけずに丸くなり、自分の腕を枕に大きな身体を小さくして寝ていた。

 それは孤独を絵に描いたような姿であった。

 その姿がすぐに目に留まり、自分は自転車を降り、彼に声を掛けた。

 {つづく}
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恩返し。

2012-06-18 11:37:42 | Weblog

 山谷にはカレーを食べに来ない人も多い。

 そこにはいろいろと理由はあるが、毎週食べに来れない人のなかには知的障害を持っていることが多いだろう。

 この一ヶ月間、何年も前から知っている知的障害を持つおじさんに二度MCの傍で会った。

 おじさんと言っても彼は40代ぐらいの背の高い彼である。

 この二回とも、カレーを配りに行く途中だったので、立ち話するだけで終わってしまった。

 もちろん、そこではあとでMCに来るように話したが、彼にはその約束を守る術を持たなかった。

 彼には友達などはいない、荷物を何も持たず、身体はやせ細り、顔は何ヶ月も洗っていないようで真っ黒、そこに不精髭があり、足と手は皮膚がただれ赤くなっている。

 着ている服は汚れきったジャージの上下、きっと何ヶ月も同じ服であろう。

 何年か前は福祉を受けていて、冗談を言ったりして良く笑顔を見せ、洗い立てのきれい服も着ていたことがあった。

 しかし、最近は福祉を何らかの理由で打ち切られたのだろう、路上で生活をするようになっていた。

 この一ヶ月前に会ったのは、実はもう何ヶ月ぶりになるのか、分からないほど久しぶりに彼の姿を見て声を掛けた。

 そこには以前の明るさもなく、目もあまり合わせることが出来なくなっているほど、何かに脅えている様子も伺えた。

 彼は言葉を出すこともせず、ただ自分の声を聞いていた。

 どこにいく約束も予定もないだろうことは明らかなのに、誰とも関わりを持ちたくないかのように、すぐにその場を離れたがっている感じをかもし出しながらいた。

 彼に路上で二度も会っているのに、何もせずにいたことに後悔をしていた。

 カレーを配りに行くことを諦め、そこでもっと何かが出来てであろうことを感じていたからだ。

 そんな彼に会うことが出来た。

 先週の土曜は最近毎週祈っているロザリオの祈りのあと、午後自転車で配りに行くボランティアは少なく、三人だけだった。

 ブラザージョジョ、トーマス、広瀬さん、里野さんと自分で浅草まで自転車のカゴに午後に作ったカレーを入れ、合羽を着て配りに行った。

 {つづく}
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