カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

飼いならされた「癒し」その2。

2020-06-30 13:04:27 | Weblog

 飼いならされるとはどういう意味であろうか。

 誰かの思う通りとか、その逆、自分の意思がない状態を示すものであろう。

 そして飼いならされた「癒し」とは、ある意味、とてもショッキングな言葉のように思う。

 それが流行っていると言う河合氏の言葉が胸に突き刺さった。

 さて、私はどういった「癒し」を求めているのか、内省して見た。

 山谷からの帰りと言うこともあったのだろう。

 私には、このボランティアが「癒し」となっているのだと思った。

 それは飼いならされた「癒し」ではないとも思った。

 ここではっきりと言っておくが、河合氏は温泉とか良い音楽とか、森林浴とかが「癒し」にならないとは言っていないのである。

 ただ気を付けなければレベルの浅いものになってしまう可能性があると言っているのである。

 私はこのことを考えてみる価値があると思った。

 そして、私は私の飼いならされない「癒し」について、思いを寄せた。

 河合氏の言う、ほんとうの「癒し」とは命との関わりが必要となるのではないか。

 その「癒し」とは復活、または生まれ変わりに繋がっていくのではないだろうか。

 それに触れられるか、どうか分からないが、そこに向かいつつも、その周りをまわっているのが私の飼いならされない「癒し」、マザーテレサのボランティアではないだろうか。

 なぜなら、私はいつも与えられているのである、これを「癒し」と言わず、何と言おう。

 あなたの「癒し」はどうだろうか。

 そのレベルをあなたが測ってみてはどうだろうか。

 

飼いならされた「癒し」。

2020-06-29 15:17:55 | Weblog
 土曜日、山谷に行く電車のなかで河合隼雄氏と中沢新一氏の対談「仏教が好き!」を読んでいた。

 そのなかの「安易な癒しと深い否定」と言うところがあり、しっかりと解釈したかったのだろう、その箇所を二度読んだ。

 そこで河合氏は最後にこう言っている。

 「何となく漠然と否定観みたいなものを持っているけど、強い「否定」を体験する人は、かえって日本では少ないかもしれません。漠然と否定的で、どこかで何か探している。そうすると漠然とした「肯定」でも「癒し」を感じると言う、下手をしたら本当にレベルの浅いものになってしまう。たとえば気持ちのええ音楽が流れてきたり、温泉へ行ったり、森の上から木漏れ日が降りてきたり。「そんなものやないぞ」と僕は言いたいですね。深く傷ついた人、つまり深い「否定」を体験した人は、そんなことでは絶対に癒されませんよ。何だか飼いならされた「癒し」が、現在は流行っている感じもしますね」

 山谷のボランティアの帰り、行きに二度読んだからだろうか、飼いならされた「癒し」と「そんなものやないぞ」と言う言葉が、私の脳裏に陣を取り始めていた。

 「癒し」とは何か、電車の窓から流れる景色を眺め、私は静かに内省して見た。

 {つづく}

Flowinが。

2020-06-25 11:50:30 | Weblog

 最近フェイスブックを見ていると、長友選手がFlowinと言うものを使って体幹トレーニングしている動画が流れてくる。

 そのFlowinと言うものは簡単に言うと、マットとその上を滑るパットを使い、運動する器具のことである。

 例えば腕立てをする時、片手にパットを持ち、そのパットの方を腕立てする度に前方へ滑り延ばしたり、または真横に滑り延ばしたり
して、普段掛からない負荷を身体に掛けながら鍛えるのである。

 肘を伸ばしたプランクの状態から両足の下にパットを入れ、腹筋を使い、腕に足を近づけるトレーニングなどはやってみたいと思っている。

 しかし、このFlowinはちょっとした値段がする。

 公式のサイトを「良いな~良いな~」と思いながら何度も眺めたりもした。

 そうこうして熟考した結果、清水の舞台から飛び降りることはしない決断に至った。

 このFlowinのトレーニングはあるもので代用が出来るのである。

 タオルで良いのである。

 実際のFlowinを使ったことがないので、どのような滑り方をするのかが分からないが、私の家の床はフローリングなのでタオルを代用して、床を磨きながらFlowin類似の体幹トレーニングをしているのである。

 このトレーニングのイメージは何と言っても映画ベストキッドのワックスがけのようなものであり、それを思うと勝手に楽しみながら出来るのである。

 週三回の筋トレは変わらずに続いているが、最近は一時間以内に終わらずようにしている。

 無理は続かないからである。

 そして、何よりも楽しんでやると続くのである。

 

三年目のパッションフルーツ。

2020-06-23 13:22:49 | Weblog

 私が育てているパッションフルーツはすでに立派な緑のカーテンとなっている。

 昨年の冬が暖冬だったためであろう、外に冬を越すことが出来たのである。

 そのお蔭で伸びるのが早かった。

 緑のカーテンのレギュラーであるゴーヤはまだまだ二階までも達していないのである。

 そして年に二度、花を咲かせると言うパッションフルーツはすでに大方の花を咲かせ実を付けているのである。

 三年目にして初めて六月に咲くパッションフルーツの花と出会ったが、付き合い始めた相手のことを少しずつ知るのと同じように、私は学ばなければならなかった。

 パッションフルーツは受粉させないと実がならないことは知っていた。

 しかし、陽射しがしっかりと照っていないと、おしべ、めしべが綺麗に育っていなく、受粉すら出来なかった。

 それにおしべがあったとしても花粉が開いていない場合もあったりもした。

 雨の日には花粉が流れてしまうので受粉が出来ないが、雨の日には例え咲いたとしても、その花は寒さも関わるのだろう、綺麗には咲かないことが分かった。

 どうにか受粉に成功し、小さな実を付け始めても、それが枯れてしまうこともあった。

 たぶん、花自体がしっかりと育っていないとそうなるのかも知れないと思った。

 今は綺麗な実が二十個ぐらいは付いているが、それは不遇を乗り越えて奇跡的に残ったもののようにも思えてくる。

 植物を育ててみて分かる、植物は祝物であり、有り難いものである。

 当たり前のことであるが、苦労をして初めて分かった。

 それはまだきっと「分かったつもり」であるかも知れないが、私が普段何気なく口にするものをやはり有り難く頂くことにしようと思った。

 

山谷のソーシャルディスタンス。

2020-06-22 11:58:03 | Weblog

 コロナ禍の今ではソーシャルディスタンスを取ることが必要とされている。

 白髭橋のカレーライスの炊き出しでもソーシャルディスタンスを取らなければならないのだろうが、なかなか上手くいかない。

 しかし、ソーシャルディスタンスと言う言葉を誰もが知るようになる前から、山谷では炊き出しに来ても可能であれば、他人との距離を保とうとする人たちがいた。

 彼らは他人との関わりを上手く取れず、他人との関わりを拒絶する人たちである。

 その理由は様々だろう。

 私はそうした彼らの意に反しないように彼らと接し、にもかかわらず、人間としての心のふれあいを持てればと努めている。

 先週の土曜日、久しぶりに顔を見せておじさんがいた。

 彼もカレーの列には並べないおじさんだった。

 列より少し離れたところで一人でいた。

 彼は大柄な男性で刺青を全身に入れている。

 彼と話しをすると、彼の体調はあまり良くなく、入院して手術しなくてはならないと言うことだけは私は理解出来た。

 会話のなかで彼のつじつまの合わない言動に私は理解出来ないところもあった。

 それでも、彼は「また来ます」と言って、カレーを受け取り帰って行った。

 炊き出しも配り終え、ゴミになった容器を集め終わってから、私は自転車に乗った。

 すると、白髭橋の近くで、彼は地面に座っていた。

 「先生、ケイタイ、持っているでしょ。もう足が痛くてさ。歩けないから救急車を呼んでよ」と彼は言った。

 「そうなの?痛む?ここまで歩いてきたんだからさ。少し休んでから帰ることにしようよ」

 山谷に限らないことかも知れないが、救急車をタクシー代わりに使ってしまう人もいるだろう。

 私はその時、彼のことをそう思った。

 彼の足はほんとうに痛むのだろうが、私にはすぐに救急車を呼ぶことは出来なかった。

 私はしばらく彼を説得すると、彼はふらつきながらも立ち上がり歩いて行った。

 その彼は見えなくなると、すぐ近くにいて一部始終を見ていたおじさんがこう言った。

 「あんな奴と関わらない方が良い。あいつはどこでも問題を起こしてさ。救急車もタクシー代わりに使うんだよ」

 「そうだね。でも、足は痛いんだろうね」

 「オレだって痛いよ」とそのおじさんが紫色の棒のようになった足を私に見せた。

 そのおじさんは山谷での生き方においてソーシャルディスタンスを普通に取っていた。

 私の胸に残る言葉があった。

 「あんな奴と関わらない方が良い」と言う言葉だった。

 誰からもそう思われる人がいたのなら、私は見捨ててはいけないと、私の矛盾した心のうちに思わずにはいられなかった。

 そうは思っていてもやはりカッコだけの粗末な自分ではあるが、私は居心地の悪い矛盾した私と出会いたいとも思っている。

 
 

洗濯物。

2020-06-21 17:10:41 | Weblog

 先週の土曜日、私はまた山谷に行った。

 白鬚橋のカレーライスの炊き出しを再開してから三週目だった。

 MC{マザーテレサの修道会の略}の施設の近くには城北福祉センターがある。

 そこの生垣のかどに一人のおじさんがおじさんが座っていた。

 「おはよう。カレーを食べに来ない?11時から配るから、まだ間に合うよ」

 「おはよう。いや、洗濯したからさ」

 「そうか、離れられないか。でも、良かったら来てね」

 「はい、ありがとう」

 しかし、彼はその場から私が炊き出しを終えて帰る時間になるまで動かなかった。

 彼は生垣にシャツや靴下、ズボンを干していた。

 誰かに盗まれるかも知れないと思ってしまうのだろう。

 そんなことを心配するよりは空腹を我慢した方がマシなのかもしれない。

 彼はパンを持っているから大丈夫だと言っていた。

 私はやはりカレーを持っていけば良かったと思わずにはいられなかった。

 しかし、相手の望まぬことを無理やりに善意だと思い、行ってしまうことと、行わない狭間で私は悩む。

 私は洗濯物を干していた彼と出会ったのではなく、思いやりの足らない私と出会ったのだった。

山谷の炊き出し再開。

2020-06-19 17:25:59 | Weblog
 6月6日の土曜日から午前11時からのカレーの炊き出しが再開された。

 ボランティアは山谷のMC{マザーテレサの修道会の略}の施設に入る時、検温し、マスク、手袋をしてボランティアをすることになった。

 私は三ヵ月ぶりに山谷に向かった。

 MCの近くにある福祉センターのところに行くと、顔なじみの人たちがいた。

 「あっ、タカフミ君、元気だった?やはり大変だった?」

 「はい、もう大変でしたよ。でも、どうにか生きています」

 「うん、そうか、それは良かった」

 他の人たちにも挨拶をし、私は一人勝手に彼らとの再会を喜んでいた。

 MCの施設に入ると、ほんとうであれば、再会を祝して握手やハグをしたいところだが、そうもいかず、道の譲り合いをするようにしながら、軽く挨拶をするくらいだった。

 6日の土曜日はおじさんたちにまだあまり知られていなかったか、炊き出しに来た人は少なかった。

 来た人たちはみんな知っている顔ばかりだった。

 「二月の半ばから何にも仕事が無くなり、どうしようかと思ったよ」と笑いながら話してくれたおじさんもいた。

 やはり彼は強いと思った。

 他にもじっと耐えていたと話してくれたおじさんもいた。

 私は彼らを前にして頭が下がる思いにならざるを得なかった。

 13日は知らない顔がちらほらと見えた。

 一人のおじさんが私に言った。

 「コロナで仕事が無くなったよ。二週間運転手をしていて、急に仕事が休止と言われ、そのまま連絡が来ないんだよ」

 想像は容易にしていたが、やはりコロナの影響で炊き出しに来る人は増えていた。

 私は身を引き締める必要がある、思いやりのある態度、言葉遣い、ほんとうに気を付けなければいけないと思った。

 いつもカレーの列の一番前の方にいるおじさんが教えてくれた。

 池袋の隔週である炊き出しはその半分ぐらいがコロナの影響で来ているみたいで、人数も相当増えてきたと。

世界中のボランティア。その2。

2020-06-17 12:13:44 | Weblog
 シスターメルシーマリアはもう回復していることだろう。

 ケンの後にもスペインのマリオが電話でシスターメルシーマリアと話し、とても元気だったと教えてくれた。

 このシスターメルシーマリアがいるニューヨークのマザーテレサの施設では二人シスターが亡くなった。

 そのうちの一人がマザーのファーストグループのシスターフランチェスカだった。

 マザーのファーストグループと書いても、何のことだが分からない人たちがほとんどだろう。

 マザーのファーストグループとは1950年、マザーを含めた最初の12人、修道会・ミッショナリーズ オブ チャリティーの始まりのグループである。

 シスターフランチェスカはナンバー8だと聞いている{マザーはナンバー1である}。

 11人すべてマザーのロレット修道会の教え子だったと言われている。

 ほんとうかどうかは分からないが、友達のボランティアから聞いた話しによると、シスターフランチェスカはマザーが貧しい人のなかのもっとも貧しいひとたちのために活動を始めたことを知り、クリークレーンのマザーが滞在していたゴメス宅に行くと、マザーは「お腹が空いているんでしょ?パンならあるわ」と言い、部屋に通したと言うことだった。

 このことがきっかけになり、マザーと一緒に働くことをシスターフランチェスカが決めたのかどうかは分からない。

 きっとすでにマザーと一緒に貧しい人たちのために働くことを決めてはいたのだろう。

 私はこの頃のマザーと教え子たちの生活を想像すると、勇気を与えられる。

 この12人はとても明るく、マザーは正しく彼女たちを導く師であり、母親であっただろう。

 厳しい現実を毎日のように否応なしに彼女たちは目の当たりしただろう、にもかかわらず、神さまを信頼し、祈りに祈り、何事にも喜んでいた、そうするようにマザーはいつも教えていたことが容易に想像が付く、すると、私も教え子の一人になったような心持ちになり、勇気付けられるのである。

 私はマザーのファーストグループがあと何人いるのかは知らない、もう健全な人はいないのかも知れないが、シスターフランチェスカは天国でまたマザーの教え子になっているのかも知れないと思わずにはいられない。

 きっと喜んでいると思わずにはいられない。



 シスターメルシーマリアを知る人は安心してください。

 それでも、インドのボランティアはまだまだ再会が難しいようです。

 シャンティダンのシスター一人はコロナで亡くなり、また二人のシスターはコロナに掛かっています。

 今はインドでは毎日1万人以上コロナ患者が増えています。

 検査を受けることが出来ない人たちもいますので、この数は倍以上はいると言っても過言ではありません。

 祈りましょう。

無観客・生配信ライブ。

2020-06-15 10:55:46 | Weblog

 木曜日はアピア40で私自身が初めての無観客・生配信ライブだった。

 海外の友達には前日にメールをし、生配信ライブをすることを伝えた。

 滅多にアップしないフェイスブックでもアピア40のライブのことを日本語と英語の二つでアップした。

 あまり前もって伝えても、ライブの日時を忘れたりして見れなくなることもあると思い、急遽と言う形で報告した。

 それを見ていないだろう、友達にはアピアへ向かう電車のなかでイタリアのマッセンシア、ロッコ、ニュージーランドのジョアン、イギリスのジェイソン、スペインのマリオにも
連絡するとすぐに返信が着て、私のライブを見てくれるとのことだった。

 ライブは固定カメラ二つ、手持ちカメラの一つで撮影された。

 ライブを見たほとんどの友達がその画像の良さとアングル、カット割りの良さをライブ後に私に伝えてくれた。

 リハを終え、いつもとは違う緊張感のなか、私は私の出番を待った。

 リハの時から、私はスマホを見ながらライブをしようと思っていた。

 というのは、ライブ配信中の書き込みを読みながら、ライブを進めて行きたいと思っていたからだった。

 曲の間に誰かが書き込んでくれたら、それに答えながら行こうと思っていた。

 実際やってみると、これはとても面白かった。

 書き込みのやり方が分からない人もいたが、それでもそこに書き込んでくれ応援してくれる人たちもいた。

 それが嬉しかった。

 繋がっているんだと思えた。

 この繋がりを有り難く思った。

 ここに載せた写真はドバイに住むイタリア人のロッコ、飛行機のファーストクラスでコックをしているが、二ヶ月と二週間、ずっと家にいると言っていた。

 他にはドイツの二十数年来の古い友達タンがメッセージを書き込んでくれた。

 後は日本の友達も、インドにいる日本の友達もたぶん楽しみながら書き込みをしてくれたと思う。

 夫婦で見てくれたり、友達同士でチャットをしながら見てくれた友達も二組、母親と娘で見てくれた友達三組もいた。

 ほんとうに有り難かった。

 新しいライブの楽しみ形の一つだと思った。

 書き込みが出来なかったが、イギリス、イタリア、スペイン、アイルランド、ドイツ、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、ホンジャラス、マレーシアの友達がライブを見てくれた。

 すべては神さまの計らいの有り難い「繋がり」である。

 私のライブを初めて見た人も、もう何年ぶりに見た人もいただろう、楽しんでくれたのだろうか、微笑んでくれただろうか。

 

もうすぐです!

2020-06-11 17:43:11 | Weblog

 もうアピア40に来てリハーサルを終えました。

 いつも違うアピアですが、無観客生配信ライブのお陰で遠くの友達にも歌声を届けられることは嬉しい。

 http://www.youtube/user/APIA40

 良かったら、あなたも聞いてください。

 投げ銭なしでも見れます。

 ちなみに投げ銭は半額アピア、半額自分となります。