カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月でしたがお休みします。

知らせ。

2008-02-16 20:02:51 | Weblog

 昨日、アドレーションに行くと二階の御堂に入る前にベンチに座っていたジムに呼ばれた。

 その前にボードがあり、それを指差した。そこにはグレッグの父親の死が書かれていた。そのボードにはMCに関わる者や家族の死が書かれている。

 いつも見ない、今回は一度も目にしなったが不思議だ。その大切な知らせをちゃんと自分に知らせてくれた。

 グレッグ{ドイツ人}は無二の親友と言っていいだろう。兄弟のように仲がよく、そのことを互いに知っていた。奥さんのタン{シンガポール人}とも、」もちろん、親友であるし、三人の子供とも会っている。前回、カルカッタから日本に帰る途中に、ダッカに住んでいた彼らのところに会いに行ったほどだ。ジュリアンの死のときも、彼らはドイツから電話をくれた。
 自分たちの間と、心の中には素晴らしい思い出や愛情が今もあり、これからも、それは終わることなく続くことであることは、自分は判っている。今でもシアルダーで仕事をしているときには彼の思い出をほんとうによく思い出しては暖かな思いに包まれ、微笑み、笑顔になり、勇気付けてくれる。

 その大切な友達の父親の死をちゃんと知らせてくれたことは偶然とは到底思えない、必然であるだろう。昨日はアドレーション中、ずっと彼らのことを思い祈った。

 彼の父親がガンだったことは知っていた。それが良い方向に行けば、彼らは八月に子供を連れてカルカッタに来るとのことだった。タンは、グレッグがほんとうに父親を慕っているので、彼を見ているのがつらいともメールに書いてあった。そのことを思えば、今、彼がどうしているかがほんとうに気になる。彼の痛みを感じる。一緒に呑んで話をしたい。痛みを分けてほしい。そう思っている。

 今日、病院では旦那がぜんぜん回復しないと涙を流す奥さんの肩を抱いた。旦那の手を握り締める彼女の手のうえに自分の手を合わせた。
 言葉ではいくら慰めてもいいだろう、だが、それが自己のなかにある苦しみから逃れるようなものであってはならない。

 心深いところに置いて、ただ静かにどうしようもない痛み、苦しみを分けてもらった。それはグレッグの痛み悲しみをも貰い受けるような思いもあっただろう。
 奥さんは涙を流し続けた。自分は彼女に「泣いて良いんだよ」そう話した。

 駅ではサウスステーションに事故によっての死体があった。
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ステーションボランティア。

2008-02-15 20:39:48 | Weblog

 そろそろ、シアルダーのボランティアが必要になってきた。
 バーニーもあと二週間ぐらいで帰るし、バーバラも三月中頃には帰る。自分もあと一ヵ月半で日本に帰る。その前に新しくボランティアを入れなくてはならない。

 何人か、ステーションのボランティアをしたいという人もいるが、決めるまでには自分達で話し合いをよく持たなくてはならない。その人がどのくらいここにいるのか、どのくらいどの場所で働いていたかは重要になる。

 ステーションに来ても、すぐに辞めてしまう人もいるし、病気をもらう可能性はいつでも高い。そして、そのことをあまりにも気にするがために仕事にならない人もいるし、路上で働くということはとっても難しい問題がかなりある。そして、何よりも、その人自身の人格や人間性が大切だと自分は考える。

 変えられないものを必死に変えようとする者や、自分がどういう影響を回りに与えているかを考えない者はチームワークを壊して行くばかりでなく、自分自身を激しく傷付けていき、路上の人達も傷付けていく。

 誰に食べ物をあげるか、誰をどのように助けるか、どのようなことが自分に出来るのか、そのことは今の自分にもほんとうに難しい。知れば知るほど、難しくなっていくし、その問いに当たる。

 そして、自分の意思を表に出すことがうまくない人、助けてほしいときに助けてほしいといえる勇気を持たないものも、結果として、自分を苦しめていくことになるだろう。

 それでも、誰でも初めからうまく仕事は出来るものではない。その人柄がやはり大切になっていく。そして、仕事を教える自分たちにも常に問題はある。その人が判りえるように丁寧に教えていきたいと思っている。

 今日はマーティンを病院の訪問に連れて行った。彼は二年ぶりの訪問だった。自分がいなくなったあと、どうするか?その前に誰をどのようなことをするか、もし患者を運ぶ出すのであれば、どこの施設にするかなどを話し合いたいがために彼を病院に連れてきた。マーティンはもう何年もここでボランティアをしている者だ。もうそのことを考えなくてはならない。

 病院では一人亡くなっていた。駅はとても静かだった。

 
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マザーに

2008-02-14 15:59:31 | Weblog

 昨日の朝、セントメリーのミサから、ジョアンと二人でマザーハウスに行くと、小さな子ども抱いたシスターがマザーに笑顔で話しかけていた。

 その姿ですぐに判った。この子は海外に行くと。

 自分達は笑顔でその姿を覗いていた。シスターが子ども抱いて出てきたので、どこに行くかを聞いてみた。

 スイスにいくとこのことだった。子どもは女の子、とってもおしゃれな服を着ていた。
 子どもと少し話した。とてもナーバスになっていて笑顔は見られなかった。涙は流していなかった。彼女からの声は聞けなかったが握手はした。小さな指が自分の手と重なると、少し彼女の思いが伝わるようだった。

 彼女は全部判っていた。ここから離れること、それはシスターも言っていた。だから、とってもノーティーになっていた。それがなおさら愛らしかった。

 30歳くらいの若い夫婦がそばに来た。彼らのところに彼女は行く。

 母親になる女性の瞳には愛情と喜び、幸せで満ち溢れていた。彼女が女の子に話しかけて、女の子はシスターの体から離れようとせずにいた。

 言葉では到底言い尽くせない暖かな思いが漂っていた。ジョアンも自分も心をふるわせていた。

 喜び。命。それらすべてを神から授かるその瞬間に立ち会ったような感覚を味わった。
 笑顔に満ち溢れた母親とジョアンは何も言わずに抱きしめあった。自分は旦那さんと強く握手をした。

 言葉なんていらなかった。胸が熱くなった。とっても暖かくなった。

 その子の未来を夢見た。その子の幸せを祈った。その家族の幸せを祈った。そこには愛という言葉では説明がつかない、それは光を話し続けているもののように見えた。その光景を見れて幸せだった。

 昨日、一人プレムダンに患者を運んだ。今日は駅のボランティアが全員揃ったので仕事を丸一日休んだ。
 部屋の掃除、洗濯して、モーフを干した。帰ったら観葉植物の手入れもしよう。のんびりとしよう。

 いま、そとは心地良い風が吹いている。

 
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ここに

2008-02-12 20:54:43 | Weblog

 ここに来たくて来たくてしょうがなかった日々をときどき思い出す。その思いがまた少しの力をここにいる自分に与えてくれる。

 今日はここに来たくてしょうがなかった女性、ここに来てボランティアをしたくてしょうがなかった女性を思い、仕事をした。

 その女性はここに来れなかった。彼女は自殺をしてしまった。

 彼女はどんなにこの街を思い描いたのか?マザーに何の救いを求めたのか?彼女は何から逃れたかったのか?彼女はどう生まれ変わりたかったのか?マザーの愛がどう欲しかったのか?マザーに何を求めたのか?

 あらゆる問いが巡りめぐる。彼女の思いを自分のなかに生かして仕事をした。そうしようと決めた今朝、歯を磨いていると涙がぼろぼろと流れた。

 涙は流れる必要があるため流れる。それを無理やり押さえつけることはしなかった。一人だったから、そのままにした。あらゆるもの、感じきれるもの、判っているもの、それ以上のものから、何かしらの影響を受け、その涙は流れた。

 涙は流れるだけ流れれば、いつかは止まる。そこまで出してあげたい、そうした方が次に向ける。

 無理やりの押さえ込んだものは、何であれ、いつかは飛び出してしまう。

 自分はここでこのカラダを使って働いているが、魂は自分だけのものからではない。ここに来たくてしょうがない人や来れない人、永遠の別れをした人・・・いろいろな人たちの思いものせて、このカラダを動かしている。決して、自分だけの力ではない。そのことをいつもしっかり判っていたい。

 昨日はハウラーまで友達を見送った。
 帰りのフェリーから見る夕日がとてもきれいだった。風がとても優しかった。バブーガートまで着くまでに、その夕日は夕焼けを残して沈んでいった。

 ふと思った。ほんとうにこの街は美しい。生きていることがうれしい。いま、あることがうれしい。そう思った。言葉にならない思いもすべてあたたかく感じた。
 
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自慢。

2008-02-10 15:55:37 | Weblog

 昨日、カーリーガートに患者を一人運んだ。

 朝からの雨で、その彼は病院のなかにある砂場に濡れたままで横たわっていた。
 彼の顔を見れば、もうすぐ息絶えるような感じがした。彼の右足のすねは腐りきっていて骨も見え、蛆虫が流れ落ちていた。

 その場でバーニーと二人で洋服を着替えさせ、彼の右足を新聞でくるみ、そして、ビニール袋をかぶせ、タクシーに乗せ、カーリーガートに自分一人で運んだ。バーニーたちは駅を行った。

 カーリーガートではこんなことがあった。
 日本人のボランティアとアイルランドの神父のボランティアに彼を洗ってもらおうと頼み、そうしてもらっているとイタリア人の年をとったボランティアが何も言わずに手伝い始めた。

 三人は患者の体を洗うのに必要ではないので、神父のボランティアは静かに身を引いていた。
 イタリア人の彼もしっかりと患者の体を洗っていた。その姿にほっとしていた。しかし、彼は患者を荒い終え、裸のまま、服を着せる前に、日本人のボランティアに、この患者と一緒に写真を撮ってくれと、デジカメを出し、ポーズまで決め、その足が写るように撮ってくれと言った。

 日本人のボランティアは「この心理が判らない」そう嘆いた。

 きっとかなりの人がそう思うだろう。しかし、こうしたことはかなりあるのも事実だ。あるものは足いる蛆虫を見て、悲鳴を上げながらさったりした人もいた。

 自分がその相手にどんな影響を与えているかなどは何も考えていない行為だ。そして、人の中には「怖いもの見たさ」そうした影がある。自分ではない他人の不幸や不運などを見て、何かを誤魔化していくことを自然としてしまうこともあるのではないかと思う。

 自分はイタリア人の彼を注意したりはしなかった。

 彼はきっとその写真を誰かに見せ、こんなにも酷い状況の中で働いてた自分を他人に知って欲しい、判って欲しい、自慢したかったのだろう。

 自分のなかにもほんとうによく何かを他人に自慢したくなったりする。実際、そうしていることが多いだろう。恥ずかしいことだがないとは到底いえない。

 形は違うだけだと思った。心苦しかったが、そこから学びえることはあった。

 今朝もすこし雨が降ったが、今は晴れ渡り良い風が吹いている。今日は自分はダムダムに行った。とてもいい気分転換にもなった。
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昨日、今日と。

2008-02-08 21:04:54 | Weblog

 ほんとうに暑くなってきた。冬の終わり、夏の到来である。

 いきなり来るので、しっかり対処しないと体調を悪くする可能性がある。ゆっくりとする時間と祈りが必要なことは変わりはない。

 病院ではもう許可を得て訪問しているような感じだ。誰もが自分達の存在を知り、受け容れてくれる。見舞いの人を外に出し、自分達だけ中に入れて、あとは鍵をしていたりもする。自分達が部屋を出るときには誰かが鍵を開け、自分達を見送ってくれる。

 以前、自分が一人で行っているときに、ナースの婦長らしき人と話をした。ベンガル語がかなり判らなかったが、終始穏やかな感じで彼女は自分に話をしてくれた。そのときに「明日も来て良いか?」と聞くと、彼女は承諾してくれた。それが許可だったように思う。

 今日も、これからオペにいく患者に「心配しないように。大丈夫だよ」そう話しかけたり、何日か前にオペが終わったばかりの患者が激しい痛みを感じていたが、その後、回復していくのをお互いに喜んだり、また、やけどの患者がトイレに行っているので、「また明日来るよ」そう伝えれば、「待って、待って、もう終わったから、いま、行くから、待って」と言い、トイレが終わり、マーシーが彼のズボンをあげ、彼がトイレからニコニコしながら出てくるのを見たり、彼らが自分達に与えてくれるものは愛以上の物のように思える。

 この訪問をしていると神さまを見ているような気がする。いや、ほんとうに彼らが自分達に神さまを教えてくれている。彼らは素晴らしい。ほんとうに素晴らしい。

 今日、駅は静かだった。

 バーニーは一昨日自分がプレムダンに運んだ彼女がまだ駅にいると勘違いをしていた。彼女は忙しすぎる。もう少し怠ける勇気を持って欲しい。その勇気が足らない。

 忙しすぎれば、自身にも、彼らにも良くないことになりかねないからだ。

 それでも、彼女は素敵だ。いつも頭の中は苦しむ彼らのことで一杯なのだろう。そのことは容易に判る。彼女から学ぶことはほんとうに多い。有り難いことだ。

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日曜には。

2008-02-07 21:25:41 | Weblog

 マザーハウスのシスターたちは街に出る。

 この前、白人のシスターとノビスが歩いていた。その横を物乞いの女性達がついて歩いていた。シスターは早足で顔をしかめ、祈りながら歩いていた。その後ろの方から笑いながら物乞いが赤ちゃんを抱いて走り近づいていた。

 そのシスターの気持ちはどうだったんだろう?インド人のシスターなら声を上げてしかりつけたろう。もちろん、それは人による。

 物乞いは人にもよるが、相手の善意と悪意の狭間を刺激する。それにうまく対処できなければ、ほんとうに心が壊れんばかりに痛む。

 そのシスターの痛み、苦悩を感じた。

 駅では今日、口が聞けない少しメンタルな女性が男達に水をかけられ、馬鹿にされ、いじめられていた。

 彼女は大声で泣き叫び、物を投げ、抵抗していた。

 自分とバーニーがそれを止めた。

 胸が痛んだ。ほんとうに痛んだ。彼女はそうされながら日々をおくるしかないと思えば、誰もが胸を痛めるだろう。

 彼女をディスペンサリーにまで連れてきて慰めた。

 今日は病院では一人亡くなっていた。
 
 今日はジョンのアイデアでMCファーザーズとボランティアのサッカーの試合があったが疲れているのでお休みした。
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Ash Wednesday

2008-02-06 20:30:10 | Weblog

 今日は灰の水曜日、四旬節の始まりということで、前々からタバコとお酒を一日だけ控えるということをしていた。

 大したことはないと考えていた。しかし、そうした日に、誰かに試されているのかのようにいろんなことが重なる。

 まず、駅では死体を置き場から死体が出されていた。その死体は両目が抉り取られていた。

 運んでいたインド人が「見ろ、見ろ」というだけはあった。度が過ぎている。彼は何の罪を犯したのか?誰が裁いたのか?考えることさえ拒否をしているところがあった。

 目をくり抜く制裁は、昨年八月ビハールで一般市民によって捕らえれた窃盗団を一般市民のリンチによって10人殺した。その中には目をくり抜かれた者もいれば、首に縄をくくられてバイクによって引きずり回された者もあった。

 インドにはこういう顔もある。しかし、集団心理とはこうした影をもその瞬時に正当化してしまう。人間の弱さである。

 今日はそしてタクシー、バスがストライキだった。患者をプレムダンに列車で運んだ。歩くこともできない患者を列車で運ぶことは簡単なことではない。

 普段と違うことで、いつもよりもタバコを吸いたくなっていた。タクシーのドライバーが何人も「どうする?どこに行くんだ?」何度も声をかけてくるのにも疲れていた。彼らもストライキをしたい訳ではなく、出来れば、仕事をして稼ぎたいから、何度でも来た。そうしたことも精神的にも身体的にも疲れを倍増させ、一服したい思いを積み上げていく。

 彼はどうにか2,3メートルは支えがあれば歩けた。運良くすぐに列車に乗ることができ、つぎの駅、プレムダンのあるパークサーカスに着いた。すぐに彼は歩けなくなり、自分達は担架で運びことにした。
 自分がプレムダンに担架を取って、マーシーと戻ってくると子供達が20人くらいいた。

 怒った。息をするのもままならない、ほんとうに弱り苦しんでいる患者のそばで子供達と遊んでいたボランティアに怒りを覚えた。

 自分とマーシーは患者を担架に乗せるとそのボランティアを置いて、プレムダンに向った。

 誰にでも優しいのはとっても良いが、何が大切で、今、何をした方が良いかと考えない者は、自分は正しいと思ってしていることでさえ、その相手に苦しみを与えていることがある。そうしたことをボランティアをしていると見ることがある。

 しかし、何よりも、自分は自分のことで精一杯になっていたのも事実。もし、彼が日本人なら、必ずはっきりと自分の意思を声にして伝えただろうと思う。そして、そのとき、自分は彼を見下していた。彼の側には何一つ立たずにいた。

 そうした事実が自分のなかで渦を巻くように荒れていた。

 そうした灰の水曜日だった。でも、患者に暖かな場所が与えられたことが嬉しい、そのことに偽りはない。
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アンタッチャブル。

2008-02-05 20:17:29 | Weblog

 駅で麻薬をやる人たちにもルールがある。誰も来ない、来れないような汚い場所でブラウンシュガーをしなくてはならない。

 この前、こんなことがあった。
 シアルダーのサウスステーションに向う道、ディスペンサリーの横、路上生活者の女性たちの生活している横で三人の麻薬中毒者がドラックを始めようとしていた。

 すると、いきなり大声で女性達が怒り始めた。
 「ここでするな!何してんだ!どっかに行け!」激しい怒鳴り散らし、洗濯していたたらいの水はそのままかけ、そのたらいで彼らのなかの一人の頭を殴りつけていた。

 彼ら三人は何の抵抗も出来ず、ぼそぼそを声を出しながら足を引きずるようにして、その場を離れていった。

 アンタッチャブルの彼らは人として認められず、生きられず、ゴミのように生きている。恋も出来ず、異性と暖かなときも持てず、人から愛を受けられるような生活とは無縁のところで生きている。それが彼らの一生でもある。

 人はときに他人を見下し、馬鹿にして、自己の優越感、存在感を味わう。そうした弱さがある。

 自分自身にもそうした弱さがある。見たくはない、認めたくはない弱さがある。その意味を何度も感じ考える。

 マザーは「あなたは神に愛されている」そのことを伝えるために彼女の一生を費やした。

 どんな罪を犯そうとも、どんな過ちを犯そうとも、どんな失敗を犯そうとも、その向こう側にあるものを思いやること、思い描くこと、想像しえること、それが思いやりになり、愛になる。そうせざるを得ないものがあり、そうしたことをしてしまう。

 自分にどれだけ他人のそうしたものが見れるだろうかは判らない。にもかかわらず、ずっと、それを抱きかかえるようにしていく意思がある。そして、いつも、それを邪魔するのは判ったつもりでいる自分であることも知っている。

 自分を捨てていかなくてはならない。その自分も判っている自分があって欲しい。ゆえに祈る。

 今日、病院では二人亡くなっていた。三人、死にそうである。骨と皮だけのようなカラダで胸を動かせ呼吸をしている。何がそこにあるのか、胸を熱くする。そして、その場を離れ、涙を流す。思い直す。感じ直す。祈り直す。何度も神に話しかける。散らばった自分を取り戻す。

 周りを見渡し、空を見上げて呼吸をする。何かを何度も確認していく。

 今日はプレンダムに女性を一人運んだ。
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病気。

2008-02-03 14:44:41 | Weblog

 ボランティアはほんとうにたくさんの人が病気になる。いや、ボランティアだけではなく、インド旅行者もそうだろう。

 いま、肝炎になっている人もいれば、下痢や吐き気、発熱、いろんなものがいろんな原因から起こり始める。

 長く何年もいるボランティアでさえ、下痢や嘔吐はする。長くいるボランティアの方が食べ物にほんとうに気をつけながら毎日を過ごしている。

 病気になり、不安や恐怖を感じながら、そして、学びながら、今まで来たからである。

 話をする機会のある人にはいろいろと話もするが、やっぱりかなりの人が日本へ病気を持ち込んだりしているのだと思う。

 長くいるボランティアは毎日の食事はだいたい同じものを同じ場所で食べることが多い。自分も食べるものは作りたて時間をみて食べにいく。そして、そのバランスもつねに考えながら食べる。日本ではそうしている人も多いだろうが、初めてインドに来る人たちはやはり珍しいものが目に付くのだろう。カラダのバランスや安全な食事のことも考えずにいてしまう。

 ある人は大丈夫でも、ある人にはまったく大丈夫ではないものもたくさんある。

 毎日、きちんとした生活をし、身だしなみを整え、仕事をするのが何よりだが、なかなかそうしたことまで気が回らない人が多いのだろう。

 残念なことであるが、傷つきながら学びしかないのかも知れない。ここで毎日ボランティアをすることは簡単なことでは決してない。

 そして、ボランティアとは放れたところでの感覚をも、ここのでの思い出になるのだろう。しかし、それをしっかりと区別し、判っているの者がどれだけいるのだろう。そんなことをよく考える。

 二月になり、日本人も増えてきたから、なおさら、そんなことを考えたりしている。

 今日はとってもいい天気。駅も静かだった。少しゆっくり休んで部屋の掃除でもしよう。
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