私はコルカタのマザーテレサのボランティアの登録時、そこに来た日本人に対してオリエンテーションをしていた。
その時、私は私の初めてのボランティアの時の経験したことを良く話した。
これが私のボランティアの始まりだった。
「初めてのボランティア」
私は1993年3月の終り、コルカタ{当時カルカッタ}に行くまで、マザーテレサやキリスト教のことなどは何一つと言っていいほど何も知らなかった。
ボランティアなどからは縁遠い男だった。
今も私の見た目はボランティアしているとは到底見えないでしょう。
偶然飛行機の機内で知り合った人たちがマザーテレサのところでボランティアをしに行くと言うので、はっきりとした計画を立てていなかった私は何も出来ないけど掃除ぐらいは出来るだろうと思い、彼らに付いて行った。
この時、私はこんな思いをした。
生まれて初めて見る喧騒の街並みに圧倒されながら、訳も判らず、浮足立った足つきでマザーハウスに行き、プレンダンと言う施設に向かった。
施設の大きな鉄の門をくぐると、初めに体が細く老いた老人たちと出会った。
満面の笑みを浮かべながら、おはようと言われ、握手を求められ、私は握手をした。
「どうして初めて出会った私に、そんな素敵な笑顔が出来るのか?」私は不思議に思うほかなかった。
それと同時に、その時、何か、病気はうつりはしないかと不安な気持ちを持った。
しかし、一日一日とボランティアをして行く内に、私はそんな自分の愚かさに気付き始めた。
私はそれまで自分は愛をしっかりと持っている者だと思っていた。
しかしそれは飛んだ間違いであり、過信に過ぎないものだと知った。
私は人の好意をしっかりと受けとめる事が出来ない人間であったのであり、弱い人を思いやる心などはまったく無かったことを自覚せずには居られなかった。
満面の笑みを持って迎えてくれる患者に対して、病気がうつるかもしれない、そんな風に思った自分が次第にどうしても許せなくなっていった、恥ずかしさを通り越して悔しかった。
私は愚かな自分を許してもらうために、彼らの愛に、心に入り込めるためであったら、病気がうつっても構わない,そう本気で思い、一生懸命に働いた。
ある時から私は一人の痩せ細った老人の食事介助をするようになった。
老人は数日飲み物をしか飲まなかった。
しかしある日は老人は私の差し出したスプーンを口に入れ、ゆっくりと食べてくれた。
私は老人が一口食べてくれたことに胸を熱くし歓喜に溢れるほどに喜んだ。
そして瞬時に私は問うた「オマエはいったい誰なんだ」と思ったほどだった。
こんなことで私は喜ぶのか、喜べるのか、それは私のまったく知らなかった私であった。
私はそれまで好きになると言えば、可愛い女の子だけだと思っていた。
しかし私は目の前の痩せ細った老人のことも大切に思えることを生まれて初めて知った。
私は私の知らなかった私に出会えた、その喜びは計り知れなかった。
この気付きから新しい世界が広がっていくように笑顔が増えて行った。
痛み苦しむ人達を自然と慈しみ、喜びを覚えながらボランティアをしていた。
それまで想像すら出来なかった、私にこんなことが出来るとは、私がボランティアを通して、こんなにも喜び溢れる日々を過ごせるとは。
今思えば、ほんとうに不思議である、私はこの時から25年以上、今もなおマザーテレサのボランティアを続けられている。
私の知らなかった私に導かれて。
それはほんとうに有り難いことである。