カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月でしたがお休みします。

「喜んでいなさい」

2019-05-30 12:05:46 | Weblog

 土曜日の白髭橋のカレーの炊き出しに40代ぐらいに見える男性が来た。

 私は彼を以前見たことがあると思い、「久しぶりだね」と声を掛けると「二年ぶりぐらいに来ました」と彼は言った。

 彼は今まで横浜の方に居て、久しぶりに山谷に戻って来たとのことだった。

 薄汚れた服を着て、目の周りには目ヤニが酷くついていた。

 「目をしっかりと水で洗い直すんだよ。痛くはない?」と彼に聞くと「痛くはありません」と答えた。

 その次の土曜日、彼はまた炊き出しに来てくれた。

 今度は目の周りには目ヤニ全くなく、綺麗だった。

 私が「目は良くなったね」と言うと、彼は微笑んだ。

 私はこのくらいのことしかしていない、ただ声を掛けるだけ、何もしていないに等しい。

 日本人の教区司祭が書いたマザーテレサの本にこう書いてあった。

 {マザーテレサはよく、「自分は、自分の今日やったことに対して満足感などいだいたことはなく、いつもどうしてあそこまでしか出来なかったのかと言う劣等感がむしろ残って、後悔をし、反省する」と言っている}

 私も同感である、上記のマザーの言葉の繰り返しである。

 しかしマザーはこうも言う「自分の出来る最良のことをし続けなさい」と。

 いつも最良のことをしようと試み、行った行いを省みることも、私たちには必要なことであり、大切なことである、そこから謙虚さが育まれるのだろう。

 そしてそれらの底辺にいつもあるのは「喜んでいなさい」との言葉がある。

 
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神風のお姉さん。

2019-05-29 12:10:41 | Weblog

 最近白髭橋のカレーの炊き出しに来るようになった面白いおじさんがいる。

 先週の土曜日は珍しく来なかったが、彼は口紅をいつも差してきていた。

 その口紅の差し方も大胆で唇から大きくはみ出し差していた、彼いわく、大きく塗った方が綺麗に見えるとのことだったが、私は「少し大きすぎるね」とだけ微笑みながら伝えた。

 彼は同じドヤに住む住人とあまりうまく行っていないらしく、彼独自の試行錯誤の上、神風の鉢巻きをした女の子のアニメのキャラクターを真似するようになり、この姿で戦うと言っていた。

 何回か会った時に私は彼に「おじさんと呼べば良い?それともお姉さんと呼べば良い?」と聞くと、「お姉さんが良い」と言うので、それからは私は「神風のお姉さん」と彼、いや、彼女を呼ぶようになった。

 彼女は炊き出しに原付バイクで来る、その容姿はとてもユニークである。

 彼は散切り頭のような白髪交じりのヘアースタイルで少し紫色に髪を染め、メガネも二つ重ねていたこともあった。

 私は彼女の話しにいつも魅了されてしまう。

 彼女がどんな人生を生きて来たかなど、私は知る由もないが、彼女は彼女の人生を時に苦しみを乗り越えるために敵と戦い、防御もし、また楽しんでいるように思えた。

 私も私の人生を楽しみたいといつも思っている、私の人生に私は微笑み、人生からの問いに丁寧に答えていきたいものである。

 あなたもどうかあなたの人生を楽しんでほしい、辛いこともあるでしょうが、どんなに小さなことでも、他人から笑われるような形で構わない、あなたの人生です、あなたの人生に微笑み返してほしい。
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イングリッシュフード。

2019-05-27 18:53:23 | Weblog

 イギリス人のクリスが先週の金曜日、自宅に私を招待してくれた。

 自宅と言ってもクリスの自宅ではなく、日本人の彼女の家である。

 クリスはイングリッシュフードを作ってくれるとのことだったが、以前料理は得意ではないと聞いていた私はクリスがどんなものを食べさせてくれるのか、あまり期待はしていなかったが楽しみにしていた。
 
 クリスはこれだけは作れると言うマッシュポテトと白いクリームソースがかかったグリルチキンとあとは煮た野菜だったがとても優しい味がして美味しかった。

 イギリスの料理と言えば、日本人はあまり知らないと思う、私はイギリス料理の店など聞いたこともない、知っているのは有名な魚フライぐらいではないだろうか、こう言っては何だがイギリスはあまり料理は美味しくないと言う風聞を知人たちから聞かされてきたからだろう、実際にイギリスに行ったこともないのに勝手に私もそう思い込んでいた。

 しかしイギリスにも地方によってはいろんな料理があるのは当たり前である、クリスの作った料理は私はとても気に入った。

 私はクリスに聞きたいことがあった。

 それはマザーハウスに防犯カメラが入った経緯を知りたかった。

 クリスは言った、いまはサダルストリートや安宿にも防犯カメラがあり、たぶん国の政策の一環で至る所に防犯カメラを付けることが義務化されているらしい。

 サダルストリートでは若いギャングたちは防犯カメラを恐れ、そこから離れたと言うことだった。

 安宿では働くインド人にとってはもう何も盗むことは出来なくなるだろうとも言っていた。

 どこの安宿でも注意していなければ、すぐに何かを盗まれてしまっていたが防犯カメラの設置でそうは行かなくなるだろうことはインドが監視社会になりつつあるのだが旅行者にとっては良いことだとも思った。

 あとはもっぱらマザーハウスのことやボランティアのことで話しは盛り上がり、気が付けば、私の最終電車の時間になっていた。

 楽しい一時だった、カルカッタに帰りたくなった。
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オリーブの花。

2019-05-23 12:00:46 | Weblog

 グーグルでオリーブの花の開花時期などを検索していた。

 三月に玄関に二本植えたオリーブがたくさんの蕾を付けたので、いつ咲くのだろうと思い、きっともう蕾なのであるから、間もなく咲くことは分かっているのであったが、どんな花が咲くのかも気になり調べてみた。

 オリーブの蕾は白い小さな花になるようだ、その花に出会えるのを楽しみに一日何度もオリーブを眺めて来た。

 すると、いくつかの小さなオリーブの蕾はパカッと割れ始め、それからたぶん一日か二日以上掛けて白い花になった。

 ほんとうに小さな白い花びらが落ちると、緑色の小さな点が中心に残っていた、これがオリーブの実になるのだろうと今朝も感慨深げに見惚れていた。

 私は今まで知らなかったがグーグルでオリーブのことを調べて行くとなんと風水ではオリーブを玄関に植えるのは最適な場所だと知った。

 普段風水などは知らないし、風水の本なども買ったことはないが、最適と言われば、やはり素直に嬉しかった。

 オリーブは「邪気を払う」効果があるとともに、瑞々しい葉は「幸せ」をもたらす、「平和」の象徴であり、成長の早さから「再生」の象徴でもあるらしい。

 まったくどこをとっても素敵なオリーブだと知り、やっぱり植えて良かったと心から思った。

 と言うことで、私は毎日オリーブたちに「ありがとう」と言うことにした。

 私は何かに依存するのは好きではないが、これは依存の関係ではなく、共存の関係と言えよう、私としても、オリーブが雨風に負けないように支え木を付けたり、肥料をあげたり、水をあげたり、話しかけたり、オリーブの世話を楽しんでやるのである。

 さて、これからは実際に実になったオリーブをどう食せば良いかを検索してみようと思っている。
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私の知らなかった私。

2019-05-21 12:02:13 | Weblog

 私はコルカタのマザーテレサのボランティアの登録時、そこに来た日本人に対してオリエンテーションをしていた。

 その時、私は私の初めてのボランティアの時の経験したことを良く話した。

 これが私のボランティアの始まりだった。
 

 「初めてのボランティア」

 私は1993年3月の終り、コルカタ{当時カルカッタ}に行くまで、マザーテレサやキリスト教のことなどは何一つと言っていいほど何も知らなかった。

 ボランティアなどからは縁遠い男だった。

 今も私の見た目はボランティアしているとは到底見えないでしょう。

 偶然飛行機の機内で知り合った人たちがマザーテレサのところでボランティアをしに行くと言うので、はっきりとした計画を立てていなかった私は何も出来ないけど掃除ぐらいは出来るだろうと思い、彼らに付いて行った。

 この時、私はこんな思いをした。

 生まれて初めて見る喧騒の街並みに圧倒されながら、訳も判らず、浮足立った足つきでマザーハウスに行き、プレンダンと言う施設に向かった。

 施設の大きな鉄の門をくぐると、初めに体が細く老いた老人たちと出会った。

 満面の笑みを浮かべながら、おはようと言われ、握手を求められ、私は握手をした。

 「どうして初めて出会った私に、そんな素敵な笑顔が出来るのか?」私は不思議に思うほかなかった。

 それと同時に、その時、何か、病気はうつりはしないかと不安な気持ちを持った。
 
 しかし、一日一日とボランティアをして行く内に、私はそんな自分の愚かさに気付き始めた。

 私はそれまで自分は愛をしっかりと持っている者だと思っていた。

 しかしそれは飛んだ間違いであり、過信に過ぎないものだと知った。

 私は人の好意をしっかりと受けとめる事が出来ない人間であったのであり、弱い人を思いやる心などはまったく無かったことを自覚せずには居られなかった。
 
 満面の笑みを持って迎えてくれる患者に対して、病気がうつるかもしれない、そんな風に思った自分が次第にどうしても許せなくなっていった、恥ずかしさを通り越して悔しかった。

 私は愚かな自分を許してもらうために、彼らの愛に、心に入り込めるためであったら、病気がうつっても構わない,そう本気で思い、一生懸命に働いた。

 ある時から私は一人の痩せ細った老人の食事介助をするようになった。

 老人は数日飲み物をしか飲まなかった。

 しかしある日は老人は私の差し出したスプーンを口に入れ、ゆっくりと食べてくれた。

 私は老人が一口食べてくれたことに胸を熱くし歓喜に溢れるほどに喜んだ。

 そして瞬時に私は問うた「オマエはいったい誰なんだ」と思ったほどだった。

 こんなことで私は喜ぶのか、喜べるのか、それは私のまったく知らなかった私であった。

 私はそれまで好きになると言えば、可愛い女の子だけだと思っていた。

 しかし私は目の前の痩せ細った老人のことも大切に思えることを生まれて初めて知った。

 私は私の知らなかった私に出会えた、その喜びは計り知れなかった。

 この気付きから新しい世界が広がっていくように笑顔が増えて行った。

 痛み苦しむ人達を自然と慈しみ、喜びを覚えながらボランティアをしていた。

 それまで想像すら出来なかった、私にこんなことが出来るとは、私がボランティアを通して、こんなにも喜び溢れる日々を過ごせるとは。


 今思えば、ほんとうに不思議である、私はこの時から25年以上、今もなおマザーテレサのボランティアを続けられている。

 私の知らなかった私に導かれて。

 それはほんとうに有り難いことである。
 
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あんの新しいおやつ。

2019-05-16 12:01:32 | Weblog

 私はこの一年ぐらい前から身体に良いとのことでアーモンドを毎日20粒ぐらい食べている。

 仕事の合間、車での移動中に間食として食べるのにはアーモンドは最高である。

 もちろん塩分の付いていないアーモンドである。

 ラップに包み、持って行っているのだが、ある日、私は油断していた。

 まさか、愛犬あんがアーモンドを食べるなど考えてもいず、私の部屋のテーブルの上にラップに包んだアーモンドを置いておいた、それを気付いた時にはガリガリとすでに半分ぐらい食べていた。

 「コラッ!」とあんを叱り、あんは尻尾を垂らし、反省の表情で後退、だが、私の感情はすぐに怒りより心配に変わった。

 アーモンドは犬にとって大丈夫なのか、毒ではないのか、すぐにネット調べてみると、人間の身体に良いものが犬にも良いものだとは限らないがアーモンドは犬が食べても大丈夫らしいことが分かった。

 食べたあんもその後、嘔吐などせず、いたって元気だったので私の心配は消えて行った。

 ただ丸飲みしてしまっては、そのまま便として出てしまうだけなので、慣れないうちは小さくして食べさせると良いとのことだった。

 それから、あんは私が仕事に行く直前、アーモンドをラップに包む時間を野生の感か、日々の習慣からか、一階に居ても気が付き、階段を勢いよく上がってきて、ラップに包まれるアーモンドに凝視し、必ずもらおう、絶対ちょうだいと口のなかにヨダレをためて待つようになった。

 「あん、あんは小さいからアーモンド一個ね」と言って、アーモンドを一粒あげる。

 あんにケチと思われても、それは譲れない、あげすぎは良くない、と私は私に言い聞かせる。

 あんはちゃんとアーモンドをガリガリと噛んで食べ、その後、辺りをペロペロする、その姿はとても愛らしい、そう思う心を与えられているのが私の新しいおやつにもなった。

 
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感情を超えて行く。

2019-05-14 12:02:43 | Weblog

 私たちは自分の感情を超えて行く必要がある。

 マザーはいつも自分の感情を超えるようにと言っていた。

 では、自分の感情を超えた先には誰が居るのだろうか。

 それまで出会うことがなかった新たな自分がそこには居て、両手を広げ、喜んで待っているのではないだろうか。

 失敗や過ちの向こう側には行く、その過程にすら、心の成長は伴うのだろう。

 いま「アンネの日記」を読んでいる、あと数ページで終わってしまうところまで来た。

 当たり前のことであるが、日記の終りはアンネたちが捕まり、連行されたことを意味する、それを知っていても、やはりどうしてももう少し見つからないで居て欲しいと読んでいる者は思わずには居られないのではないか。

 アンネはつねに物事をキティーやもう一人のアンネを通して客観的に観続け問い、そして何が良いのか、何が正しいのか、何が間違っていくのかを考え抜き、気付いていく、自分をより良くするため、磨くために、まだ15歳の女の子にも関わらず、その考えは時に真理の的を得ている。

 アンネの日記を読んだ人なら、こう思うのは私だけではないだろう。

 「アンネ、あなたの夢は叶っています。永遠に。あなたの想像を遥かに超えて、多くの人たちを幸せにしています」と。

 不平不満を言っていても何も良いことはない、だが、如何なる場所でも良いことはその先で待っている。

 あなたがそれを選ぶだけのことです。
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せっちゃんのこと。

2019-05-13 12:06:11 | Weblog

 先週の土曜日、山谷に久しぶりに中谷神父がミサをあげに来てくれた。

 中谷神父は2011年まで山谷に23年間居たフランチェスコ会の司祭であり、おじさんたちへの炊き出しやミサ、死刑囚の訪問などをしていた、私が日本で一番最初に親しくなった司祭でもある。

 約8年ぶりに私は中谷神父と会い、山谷の昔話に花を咲かせた。

 せっちゃんと言う老女のことを中谷神父はとても懐かしそうに話していた。

 もう20年ぐらい前に山谷に居た老女であるが、私もせっちゃんのことはよく覚えていた。

 せっちゃんは背が小さいにも関わらず、気が強く、男性とも口ケンカではあるが平気でしていた。

 私が覚えているのはせっちゃんがアイスを食べていた時、そのアイスをくれと言ったおじさんと大ケンカをしているのを思い出した、と言うか、それはケンカではなく、ただせっちゃんが怒りまくっていただけのことで、最期にはおじさんは謝り、また笑っていた。

 そんなケンカ早いせっちゃんであったから、冬場、今では考えられないが当時は公園や福祉センターの前では焚き火をしていたおじさんたちがいた。

 ある時、ケンカからだろう、せっちゃんは焚き火のなかへ男性に放り込まれ、一命は取り止めたが上半身と顔に大ヤケドをおった。

 それからせっちゃんはいつもマスクするようになった。

 そんなことがあっても、せっちゃんは相変わらずだった、女性だけど、着物を着ていたので可能だった立ちションベンもしていた。

 もうそうした豪快な女性は山谷のどこを探しても見られない。

 せっちゃんは二人の娘がいたそうだが、その関係は複雑であった、最期は施設で死を迎えたとのことで、中谷神父は安堵したと教えてくれた。

 現在の山谷はとても綺麗になった。

 ゲストハウスも増え、海外の旅行者も多い、昔の面影などは想像すら付かなく、無くなってきている。

 路上生活者の人たちも一見見た目では分からないほど小奇麗にしている人が多い、そうしなければ路上でも生き続けて行けなくなってきているのだろう。

 だが、孤独の人が居なくなった訳ではない、生きることに必死な人たちは炊き出しに来る。

 目に見える様相が変わったとしても、私たちは愛情深く彼らと接する必要があり、それを無くしては暴力にはなり得、大切な意味がなくなってしまう。

 彼ら、貧しい人たちはマザーテレサが言う神さまだからである。

 
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奇跡の脳。

2019-05-09 12:03:34 | Weblog

 盛岡に行った時に知り合った男性からジル・ボルト・テイラーの「奇跡の脳」を勧められたので読みかけの本が三冊あったが早速読んでみた。

 私にその本を紹介してくれた男性は私と同い年で脳出血から一年で立ち直った。

 彼はこの本にとても助けられたようだったので、私は興味を抱いた。

 気が付けば、心については今までいろいろと考えたり、調べたりしてきたが、そのもととなる脳についてはほとんど何も知らなかった、敢えて知ろうとしなかった、そのことがたぶん私の興味を生んだのであろう。

 脳科学者であるジルが脳卒中を起こし、自らがその内側、病気を体験しながら観察することから生まれた発見には目にみはるものがあった。

 ジルは新たに脳を作る、左脳はコントロール出来るものであることを発見する。

 その過程はとても心理療法に似ているような気がした。

 左脳から生まれる否定的な感じや怒りなどは90秒経つと消失されるゆえ、その時間を待つこと、そして、どうありたいか、どうしたいかを新たに左脳に優しく教えてあげ、プログラミングをし直してあげることなどは客観的に自己を観ることの大切さと意味深さ、自分の知っている自分を乗り越えて行く知恵を教えてくれた。

 再読の価値が十分ある本であった。

 それは私のような脳に対して何も知らない者は何度か読む必要性も感じた。

 ドッグイヤーは何か所にも及び、再読しなければ、もったいない気がした本であった。

 今日、あなたも実験してみてはどうだろう、何か嫌なことがあった時にでも、その感情を見つけ、90秒待ち、あなたの望む所まで優しく導いてあげることを。

 
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私を捨てる。

2019-05-07 12:21:20 | Weblog

 私は普段在宅の介護士の仕事をしている。

 日曜日にケアに入る老女の家でこんなことがあった。

 それまで二度、私は洗濯機の洗濯槽の糸くずフィルターを掃除したことがあった。

 最初は本人から頼まれて、フィルターを掃除し、二度目は洗濯を終えたばかりだと言うので、フィルターを掃除していないかを聞いてから掃除をした。

 私はフィルターを開け、ゴミを流し、ネットのところを水を流しながら、たわしで少しこすり、そのまま洗濯槽に戻していた。

 しかし先日、風呂場を見ると、そこには洗面器にフィルターの蓋が開けて有り、乾かされていた。

 「あぁ・・・」と私はため息を漏らした。

 私は私の考えだけで掃除をしていた、いや、それで十分だと勝手に思い込んでいた。

 そして老女は何も言わず、私のしたことを受け容れていた、私は受け容れさせていたことを知った。

 「ごめんね、ちゃんとこうしたフィルターも乾かした方が良いもんね。すごい」と私は老女に言った。

 老女はニコッとしていた。

 老女は歩くのもゆっくりで背中は90度くらい曲がっている。

 ちょっとした縁に足を詰まらせ、持ち上げるのにも時に身体が固まって一分以上も掛かる時がある。

 そんな身体の状態にも関わらず、きちんとした生活をしている、その生き様と心に感服した。

 ほんの小さなことではあるが面倒がらずにしている、私は頭が下がる思いだった。

 私はいつも最良のことをしようと心しているが、やはりそれはただ心しているだけで、まだまだである。

 私は私を捨てること、それは私の思い込みを捨てること、もっと分かっていることを捨てることの必要性を老女は私に教えてくれた。

 やはり私はいつも与えられていた、とても有り難いことであった。
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