カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月でしたがお休みします。

日課。

2017-06-29 12:05:24 | Weblog

 最近はベランダに出るたび、朝顔の緑のカーテンの成長具合を喜んで眺めている。

 まだまだ完成には程遠い緑のカーテンではあるが、今年も順調である、いや、今年は昨年よりも素晴らしくなる期待がどこかにある。

 種類の違う西洋朝顔三本と夕顔の三本で緑のカーテンを形つぐる、朝は朝顔を愛で、夜は夕顔を愛でるのである。

 しかし、夕顔はまだ朝顔に比べ、成長が遅く、まだ二階のベランダまでには顔を見せていない。

 それでも、目には見えぬその成長は確実に進んでいて、また遅いがゆえに私の期待は膨らんだつぼみのままのようになっている。

 ふと思う、私はいつまで経ってもやはり夢見がちであることをそうしたことからも伺えてしまう、自分に笑う。

 遠藤周作氏は大連にいた子供の頃、朝顔を大切に育てていて、毎日水をあげるようにと教わると、雨の日もジョウロで朝顔に水をあげていたらしい。

 朝顔を眺め、そんなことも思い出し笑み、無垢な心とは、私のどこに隠れてしまったのか、朝顔のつぼみのなかまで探しに行きたくなる気持ちになってしまう。
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一冊読むと。

2017-06-28 12:53:10 | Weblog

 昨夜は晩酌後にアマゾンで買い物をした。

 経験者はたくさんいるだろう、飲んだ後にアマゾンなどで買い物をすると、翌朝かなり後悔することもある。

 しかし、昨夜はいたって失敗などはしなかった、と言うか、かなり警戒しながらも、軽快に三つほど購入したものがあった。

 グレアム・グリーンの「ヒューマン・ファクター」を読み終え、その解説のなかにグレアム・グリーンを日本の作家のなかで、もっとも愛し、読み込んだ小説家として遠藤氏が紹介され、遠藤氏が「深い河」を書いていた時に読み返したグレアム・グリーンの本三冊のなかから、とりあえず、「情事の終り」を買い、もう一つ短編集を買ってみた。

 遠藤氏の本はたぶん出版されている7割か8割は読んでいるので、もうなかなか私が読んでいない本を見つけることが難しくなった今、やはりここは掘り下げて遠藤氏が好きだった作家たちの本を読むしかないのである。

 またそこから眺める遠藤氏の小説たちも私の新たな興味をそそぐのである。

 買い物は一つした。

 体幹トレーニング用のチューブを二個買った。

 これが少し失敗をしたと言えば、した感じになった。

 同じものを買ったとしても、アマゾンでは1,622円で、楽天では2,452円だった。

 最初に楽天の方をポチッとしてしまった、そのすぐ後に、アマゾンの方が断然安いことに気が付き、楽天の方をキャンセルした。

 たぶんちゃんとキャンセル出来たと思うが、もし出来ていなくても、それはそれで良しとし、チューブが四つになるだけである。

 使っていたアスリート用のチューブは先日わりと大きな音をたてて切れてしまったので、ここ数日はチューブなしの体幹トレーニングをしていた。

 もうチューブが無くても良いかなとも思ったが、何か物足りなさを感じてしまう身体になっているようで、酔いの深夜にも関わらず、ポチッとした。

 さて、これから体幹トレーニングをしよう。

 飲んだ後のネットでの買い物は注意しなければ行けないと全身に自己に諭しながら。

 
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グレアム・グリーン。

2017-06-27 12:33:15 | Weblog

 スマホを手にして以来、やはりと言うか、分かっていたことだが、本を読むことから、少し離れていた。

 だが、だんだんとスマホにも慣れて来ると、活字への渇望がじわじわとまた押し寄せて来た。

 時間があった時に立ち寄ったブックオフで、たまたま目に入ったグレアム・グリーンの文庫本をいま読んでいる。

 「ヒューマン・ファクター」と言うスパイ小説であるが、実に面白い。

 なぜグレアム・グリーンを選んだかと言えば、それは遠藤周作氏が大好きな作家だからである。

 それを知って以来、読もう読もうと思っていたが、今までなかなか出会わなかったである。

 あと最後の10ページを残している。

 そして解説にはもちろん遠藤周作氏のことも書いてある。

 猫にあげるところもないほどに魚をしっかりと食べしまうようにこの小説も味わいたいと思えた一冊である。


 昨夜クリスからメールがあり、金曜日に会う約束がその次の金曜日になった。

 その日は七夕であるから、それはそれでまた良いのではないかと思った。
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クリスが山谷に。

2017-06-26 11:36:14 | Weblog


 ライブも終わり、仕事に行く前に練習したりしていた日々の慌ただしさがゆっくりと去って行った。

 今朝は涼しく、あんと三沢川まで散歩に行けた。

 もう夏になると、暑さに弱いあんは日中家の外に出ることを好まなくなるから、こうした涼しい日を私にとっては有り難い。

 さて、この写真は先週の土曜日に山谷のMCの前で撮ったものである。

 クリスはもうほんとうに長い間カルカッタでボランティアをしているイギリス人である。

 「もう何回カルカッタに行った?」と聞くと、「もう分からない」と笑っていた。

 10数年前から何度もカルカッタに長期滞在しているカリーガートとハウラーのボランティアである。

 6、7年前に駅の仕事に彼を誘ったことがあったが、その時は「カリーガートが好きだから」と断られたが、その後、彼ははハウラーのボランティアもするようになったが、カルカッタではなかなかゆっくりと話すことは出来なかった。

 カルカッタから遠く離れた東京で彼に会い、二人でゆっくりとカルカッタの話しをすると、二人も話しが止まらない。

 私たちは二人ともたぶんバカが付くほどカルカッタを愛しているからである。

 今週の金曜日は彼がうちに遊びに来る、またゆっくりとカルカッタのことを語り合いたいと思っている。

 
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自分のケツの続き。

2017-06-20 11:38:44 | Weblog

 先日書いた「自分のケツ」のおじさんは三週間ぶりに炊き出しに顔を見せてくれた。

 やはりカレーの列の一番最後に彼は並んだ。

 私が並んでいたおじさんたちに挨拶を終えると、彼はゆっくりと歩いて来た。

 私の彼を迎えるために、手を振りながら、ゆっくりと彼の方に向かった。

 相変わらず、彼は言った「いや、もう痩せちゃって」と。

 「良く来てくれました。待っていましたよ。その後、体調はどうですか?」

 「いや、何も変わらない、食べても戻すようになったよ」そう言って市販されている胃薬を見せてくれた。

 「どこで寝ています?」

 「どこでも寝るよ。ダンボールがあればさ」

 彼は路上生活をしているのであるが、いつも綺麗に身支度をし、彼の無精髭など見たことがなかった。

 「もう覚悟を決めているから、何にも怖くはないんだよ。ただ、どこで行こうか{死のうか}、それをを考えているよ」

 「そうなの、怖くないんだ」

 「うん、もう怖くない。早く地獄に行くよ」

 「おじさんは地獄なんかに行かないよ。天国だよ」

 「いや、さんざん若い時、悪いことをして来たから、地獄だよ」

 「いやいや、天国ですよ」

 そう言うと、また三週間前と同じように、私を見ずにカレーを配っている階段の上の方だけを見て、苦笑いをしているだろう、顔を見せず、右手だけを上げて返答し、カレーをもらいために、階段をゆっくりと上がって行った。

 その彼の後ろ姿に向かって、神さま、どうか彼に心の平安をお与えくださいと祈った。
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ブエノスアイレスでは。

2017-06-19 12:34:29 | Weblog

 アルゼンチンのイネスがカルカッタにいる時に、ブエノスアイレスにMCシスターが五月に新しい施設を作るととても喜んでいた。

 それでボランティアをしに行ったの、とメールをすると、その場所は貧しい人たちの住む危険な場所なのでボランティアが行くにはリスクがあるので、まだ行っていないとのことだった。

 司祭やシスターとその街を歩くことは出来るが、ボランティア一人なのでは到底歩けない場所だと言うことである。

 司祭であれ、初めて、その場所を一人であることは危険とのことであった。

 日本に育った私にはにわかに信じられない話しであるが、イネスは24歳だが、今まで携帯と十回盗まれた{渡さない、その場で刺されるので}と言っていたし、この前山谷で会ったイギリス人のクリスもアルゼンチンには行ったが、ブエノスアイレスには危険だから行かなかったと言っていた。

 そうした危険な場所であれ、MCは神の愛を伝えに歩き回っている。

 私はそのことを思えば思うほど、マザーへの愛は増していき、勇気が与えられる。
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自分のケツ。

2017-06-15 12:33:51 | Weblog

 二週間前、彼は炊き出しに来てくれた。

 その四週間前に炊き出しに来た時に「もうここには来ないよ、死のうと思っていた」と話してくれた彼である。

 私は「ずっと待っているから・・・」とその時、うつむいたままの彼に言った。

 その私の言葉を信じてかは分からないがいつものように炊き出しの列の最期に並ぶようにするために白髭橋の近くで彼は一人で立っていた。

 彼は変わらずに何か重たいものをうちに秘め、独りで苦しんでいるようだった。

 「良く来てくれました。待っていましたよ」

 私がそう言うと、私から目線をそらすように頭をゆっくりとまわし、右手で頭を掻いていた。

 「あとでゆっくりと話しましょう」と伝え、私はカレーの炊き出しが配られれるところに向かい、それから、列に並ぶおじさんたちに挨拶をしていった。

 列の最期には彼がいた。

 私はアメリカ人のケンと一緒にいたが、彼の傍に行き、「どうしていましたか?」と聞いた。

 カレーは配り始められていた。

 私たちは歩きながら話した。

 「いや、もうダメだよ。痩せちゃってさ。あんまり食べられないんだよ」

 「そうなんだ、体調が良くないの?」

 「もうずっとね、分かっているんだよ。もうダメだって・・・」

 「病院には行かないの?」

 「行ってもしょうがない。嫌なんだよ」

 「そうなんだ、でも、ほんとうに辛くなったら、救急車で行った方が良いよ」

 「いや、良いよ。オレさ、ガンなんだよ・・・」

 「えっ、そうだったんだ・・・、いつから?」

 「もう六年前に分かっていたんだよ。検査で分かってね。大腸ガンってさ。だから、もうガリガリになっている」

 そう言って、彼は胸を触り、私にも触ってと欲しいと素振りを見せたので、私も彼の胸を触ると、骨だけであった。

 「ね、ガリガリでしょ。もうダメなんだよ。あっ、そうだ。オレ、ガンのこと、初めて言ったよ。今まで誰にも話していなかった」

 そこで彼はクスッと少し笑った、それは苦笑いだった。

 「自分のケツは自分で拭く覚悟があるから。決めているんだよ。誰の世話にもならないようにするからさ」

 カレーを渡している階段の下まで、もう私たちは歩いていた。

 「でも、いつも待っているからね。また顔を出して」

 彼は階段を昇りながら、私の方を見ずに、片手を上にあげ、返事をした。

 ケンにはそれから私たちが話していたこと、彼がガンだと言うことを教えてあげた。

 彼は本当に律儀な人で、以前もこう言っていた「もし私が生活保護をもらったら、ここには来ない」と。

 だから、彼が自分のケツを拭く覚悟をしているのは嘘ではない。

 だけど、初めて自らがガンだと私に知らせたことの意味は深い。

 私とケンはそれからしばらく彼のガンの一部の重さを自然と味わっていた、それが祈りに変わっていくことをも感じていた。

 彼は今日、いま、どこで何を思っているのか、何を感じているのだろうか、そう思わずにはいられない。

 

 
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スマホにして。

2017-06-13 12:30:59 | Weblog

 そんなことは当たり前だよ、と誰かに言われてしまえば、それは仕方がないことではあるが、私は携帯をスマホに変えてから、海外にいる友達と連絡が簡単に取れるようになったことがやはり嬉しく思っている。

 昨夜はドイツにいる親友のグレッグとタンがビデオ通話を掛けて来てくれた。

 通話の音や画面の状態はあまり良くはなかったが、彼らの笑顔が見れ、私も愛犬あんを紹介したり出来て、通話を切った後もしばらく私から笑みは消えなかった。

 一昨日の夜はカルカッタにいるべティーに「Send me photo」とメッセンジャーで送ると、一分後にべティーは満面の笑みの写真を送って来てくれた。

 その写真の下に「Why?Is terrible?」とあった。

 私はべティーの元気良さような可愛い笑顔に笑った。

 べティーのシムカードは私がカルカッタを去る時に買ってあげた、と言うのも、その数日後には駅のボランティアでケイタイを使えるものが誰も居なくなってしまうので仕事がやりづらくなってしまうために、シアルダー駅のボランティアの寄付と言う形で買ったのであった。

 その時、私はべティーにたまには写真を送るように言っておいたのだが、べティーは一枚も送ってこなかったので、しびれを切らせた私はメッセージを送ったのだった。

 今日は半年カルカッタに滞在した最後のべティーのシアルダーのボランティアである。

 辛いこともたくさん目の当たりにしたと思うが、またこの上なく美しいものも目の当たりにしたと思う。

 べティーは心の底からシアルダーの仕事を愛していると書いてくれていた。

 昨夜私が寝る前にはニューヨークに友達に会いに行ったケンが地下鉄Trade Centerの写真を送って来てくれた。

 スマホと言うものを通して、身近に友達を感じれるようになった気がしている、それだけではない、彼らを思う気持ち、祈りも身近になっている。

 
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あんの爪切りの繋がり。

2017-06-09 17:49:22 | Weblog

 昨日のうちに予約を入れ、朝一番で近所のホームセンターのなかにあるトリミングの店にあんの爪切りに行った。

 もうそこに通い始めてから何年になるだろうか、私があんの爪切りに失敗して以来、あんは私が爪を切ると逃げるようになってからだから、たぶん三年か、四年ぐらい前から通っている。

 そこで働くトリマーさんのなかでとても素敵なトリマーさんがいる。

 以前、激しく泣き叫ぶあんのことを「おしゃべりを良くしますね」と微笑みながら言ってくれたトリマーさんである。

 そういう風に言うものであるか、と私はとても感心したことを忘れない。

 そして、そのトリマーさんがあんの爪切りが一番上手く、あんもだんだんとそのトリマーさんが爪を切っている時はあまり吠えなくなった。

 だから、私はいつもそのトリマーさんがあんの爪切りをしてくるのを期待するようになった。

 私がインドに行く前も、インドから帰って来てからも、運良くそのトリマーさんがあんの爪切りをしてくれた。

 今朝も運良くそのトリマーさんがあんの爪切りをしてくれた。
 
 いつもとても優しく柔らかい態度であんを迎えてくれる、それが私は嬉しく、たぶん、あんも爪切りは嫌だが嬉しいと思っているかも知れない。

 そして、今朝はなんとあんは一度も吠えず、爪切りを終えることが出来た。

 「あん、えらいね~!爪切り、終った!」と言うと、あんはいつもしばらく尻尾を垂らしままなのであるが、すぐに尻尾をくるりとあげた。

 「今日は一度も吠えなかったね、えらいね~!」とトリマーさんも言ってくれた。

 そして、私があんの頭を撫でていると、トリマーさんは話し続けた。

 「私的なことになるんですが・・・」

 私はトリマーさんが何を言い始めるのかとハッとした。

 「オダヨシヒロ、知っていますか?」

 いきなり何だろうと瞬時には何も思いつかなかった。

 「私、オダヨシヒロの娘なんです」

 「えっ、そうの!」

 と言った私の心には、オダにこんなに大きな子がいるのかと驚いたのは言うまでもない。

 オダヨシヒロとは小学校、中学校の同級生でとても仲が良かった友達である。

 トリマーさんは客の私のことを家で話し、黒柴あんのことと私が海外に行っていると言うことで、オダは私だと思ったらしく、娘のトリマーさんに話したと言う。

 トリマーさんは現在同棲中でオダは心配して良くつまらないことをラインしてくるようである。

 最近も娘の仕事場に飼っている犬とともに現れ、「送って行く」と言ったようである。

 「父は心配なんですよ」と照れてニコッとして、トリマーさんは言っていた。

 親との優しい関わりから伝わる愛を私は感じた。

 オダの娘は良い娘さんだとしみじみと思い、私は何だかあたたかな思いに包まれた。

 あんも笑顔だったような気がした。

 あんは爪切りが嫌かも知れないけど、オダの娘さんだったら、また会いたいと思ってくれると、私はニコッとして願う。

 
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べティーから。

2017-06-07 13:28:25 | Weblog

 カルカッタにいるべティーからメールが届いた。

 「HiTetsu! Rina died...」

 短いこれだけのメールのなかにべティーの涙と哀しみ、そして、祈りも私には十二分に読み取れた。

 リナはHIVと結核でシャンティダンで亡くなった。

 私がリナと最後に会ったのは私のカルカッタの最終日のシアルダーであった。

 駅のプラットホームで寝ているリナを起こし、これからのことを話したことをいま思い出している。

 彼女は激しく痛む両足にも関わらず、私に笑みを見せていた。

 私は私がカルカッタから離れることと、これからも私の友達があなたのことをケアすることを告げた。

 そして、持っていたマザーのメダイを彼女が首に掛けていたロザリオにつけると私がつけると、彼女は笑みをたたえ、それにキスをした。

 日本に戻ってからも、リナのことは気になっていた。

 リナの兄は私がプレムダンに運び、そこで亡くなった。

 そのことはリナにはリナの旦那ロビーと話し合い、リナには告げないでいた。

 {つづく}


 今日はリナの冥福を祈りたい。

 
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