カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月でしたがお休みします。

まだ歌いたい。

2020-09-14 12:33:51 | Weblog

 先週水曜日のアピア40のライブも無事に終わった。

 アピアには山谷のボランティアの和田さんだけが来てくれた。

 まだコロナが落ち着いていない状況のなか、ほんとうに有り難いことである。

 生配信のライブは23人ほどの人たちが見てくれた。

 その全員は分からないが、ライブ生配信中にチャットに書き込みしてくれた友達や終わってからメールをくれた友達には礼を伝えた。

 さて、歌の方はと言えば、まだまだだと私は思っている。

 もちろん、ギターもほんとうに上手くはない。

 だけど、そんなことはないと言ってくれる人も出てきた。

 「今までのライブのなかで一番良かったです」「最高でしたー!すごい迫力でした」「一緒にやれて、Tetsuさんのライブが見れて良かったです」とか、私の鼻をピノキオの鼻のように勢いよく伸ばしてくれる言葉も聞けた。

 ほんとうなのかな、どうかな、と思いながらも鼻だけは伸びきっていた。

 少しずつギターも歌も上手くなっているのかな。

 もっともっと上手くなりたいと思っているが、練習を怠ける私がいけないのである。

 練習を怠ける私とさよならをしようと思う。

 特にライブの終わった後は。

 だが、知らない間にまた奴はやってくる。

 練習を怠ける私と言う奴である。

 さて、私はどうするのか、奴と仲良くするのか、それとも、さよならをするのか。

 乞うご期待と私に向かって言うのである。

 なぜなら、私はこれでも私に期待しているのである。

 そう言えば、2014年にコルカタで会ったドバイにいるロッコがこんなことを書いてくれた。

 ロッコはイタリア人の飛行機のファーストクラスのシェフをしているが、コロナの影響で5ヶ月間空を飛んでいない。

 「Tetsuが売れたら、私をプライベートシェフとして雇って欲しい」と。

 私は「もう年だから遅すぎる」と返信すると、案の定すぐに「遅すぎることは何もない」と帰って着た。

 確かにそうかも知れない、未来を勝手に決めてしまうことはない、私らしくない発言であった。

 可能性はあるのだから。

 今回のライブは全部日本語の私の歌であったため、あまり外国の友達には連絡しなかった。

 だが、ロッコはこんな嬉しいことを書いてくれた。

 「言葉が分からない分、とても伝わってくるものがあった」と。

 私はまだ歌える。

 私はまだ歌いたい。
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アピア40から。

2020-09-09 19:11:55 | Weblog

 もう少しで一番最初の方が歌い始めます。

 私は一番最後九時くらいから歌います。

 無料でも見れますので良かったら見てください。

 アピア40のユーチューブチャンネルで見れます。
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マザーハウスからの生配信。

2020-09-08 13:47:59 | Weblog

 新宿駅に着くと、第一朗読が始まった。

 マザーハウスで行われている聖人となったマザーの記念日のミサである。

 イヤホンを持ち合わせていない私はスマホを大事に手を合わせるようにして両手で持ち、画像だけを目で追った。

 サイレントにしていなかったので電車が駅で止まった時、静かになった瞬間にインド人シスターのインドなまりの英語が耳に伝わると懐かしさも一緒に届いた。

 山手線に乗りながら、マザーハウスからの生配信のミサを見る時が来るのなど、想像すらしなかったが、やはり見れて、私の心はとても喜んでいた。

 いつものマザーの記念日のミサであれば、司教を始め、司祭は10人くらいで行われるだろうが、コロナの影響であろう、この日は3人で行われた。

 その一人に私と同じ年の高塚神父がいた。

 その姿を見るのも嬉しかった。

 もう何百回、何千回と見てきたマザーハウスのイエスの銅像とその横に書いてある言葉「I Thirst」に心を奪われた。

 私は山手線のなかにいながらも私の心はマザーハウスにいた。

 胸が熱くなった。

 瞳も汗をかきそうになっていた。

 カメラは一台だけであったろう。

 シスターたちの意向かも知れない、やはりシスターの姿などはあまり映らなかった。

 聖体拝領の時、少し映ったシスターはマスクしていて、聖体を手でもらっていた。

 これもコロナの影響であろう、以前であれば、シスターたちは聖体を口でもらっていた。

 マザーは聖体を口でもらうことを好んでいた。

 手でもらうと聖体が削れたり、少し散ってしまったりすると言う理由からだそうだ。

 私はマザーハウスで洗礼を受ける前にシスターから、それを聞いて以来、聖体は口でもらうことにしてきたが、コロナ禍になってからは手で聖体をもらうようにしていた。

 だから、マザーハウスのシスターたちが聖体を手でもらっている姿を見て、私は勝手に嬉しかったのだった。

 私はほんとうにたくさんの友達にこのミサのことを知らせた。

 一緒に祈りたかった。

 みんなはどんなことをマザーに祈ったのだろうか。

 何を思い、何を感じたにしても、そのすべてが愛のなかにあってほしいと思った。
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明日はマザーテレサの記念日。

2020-09-04 19:49:32 | Weblog

 明日はカトリックの聖人となったマザーテレサの命日であり、記念日である。

 その記念日のミサ、マザーハウスで行われるミサがYouTubeでライブ配信されます。

 こんなことは想像もしなかったが、これはコロナの影響に他ならない。

 何事にも感謝する心を思い出させるようにマザーは今もなお私たちに神の愛を教えようとしているのか。

 明日は一緒に祈りましょう。

 https://youtu.be/K0jqBK7eI74

 日本時間は9:30からです。

 私は山谷に向かう電車のなかで祈りながら見る予定です。
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失明。

2020-09-03 12:15:25 | Weblog

 炊き出しの列に並んでいた彼は医者から今年中には視力ある片目も失明すると言われたようだ。

 耳は随分前から悪く、以前は補聴器も使っていたことがあった。

 彼は自転車に乗っていたが、流石に目も耳も悪くなると怖いのだろう、台車に集めたアルミ缶を載せていた。

 医者からは「楽観的だね」と言われたと彼は苦笑いしながら私に言った。

 そうしたことを話すのは楽観的ではないことを私に知って欲しい証拠に違いなかった。

 私は彼の話しを聞き、「大事にして」としか言えなかった。

 炊き出しの終り頃、ボランティアの広瀬さんが私を呼び、彼が失明することを伝えてきた。

 さっき聞きましたと私は答えたが、私の聴き方が足りなかったのか、彼はまた同じ話を広瀬さんにも話したようだった。

 人は受け容れられない話しなどは他人に話すことによって、どうにか受け容れられるように試みる。

 それは何度も話さずにはいられない場合もある。

 私は彼の苦しさはまた痛感した。

 彼は以前騙されて戸籍を売っていた。

 新しい戸籍は麻布十番にするらしい、ほんとうかどうかは分からない。

 私は彼のために祈る。

 彼はほんとうに傷付きやすい人だからである。

 どうか優しい人が彼の周りに現れますようにと。

 
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