カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

ベンガル語の勉強。

2016-08-30 12:42:47 | Weblog

 この前の土曜日は山谷の炊き出しを終え、昼食後、ブラザーバルナバスにベンガル語を教えてもらった。

 私はネットで購入したベンガル語の単語帳{カタカナ発音付き}を持って行った。

 私はこうした発音表記には問題があると以前から思っていた。

 ベンガル語ではなくても、英語でもそうだが、発音のカタカナ表記には限界がある。

 もちろん、正しいものもあるが、まったくと言って違うものもあり、またバングラディッシュで使うベンガル語とコルカタで使うベンガル語にはやはり違いがあることは多くの人が想像しやすいことであろう。

 だから、一つひとつの単語をバルナバスに聞きながら、その発音をしっかりと聞き、もう一度私がその発音が正しく出来るように、またどんな場合に、どのように使うかを聞きながらノートに書き込みながら勉強した。

 言葉と言うものはこれくらい話せれば良いと満足するものではない、それは欲望の如く、際限がないように思てならない。

 だが、辞めてしまったら、諦めてしまったら、それ以上の成長はまず望まれない、もしかしたら、一つの単語を覚えたがために誰かの笑顔を生むことも可能になる可能性が含まれている。

 私は私がコルカタの路上や病院で患者たちと接している姿を浮かび上がらせ、その私に対面し、その私に教えるようにし、勉強しようと自然としていた。

 だが、まだそこにある壁があり、迷いがある。

 それはベンガル語の文字が読めるようになることが一番だと気付いていることである。

 文字が読めるようになれば、勉強の域は必ず広がり、カタカナ表記などの問題は無くなるのである。

 さて、もう少し頑張ってみようかと思いもする。

 壁の向こうの私が待っているような気もする。

 誰のためにそうするのか、もっと祈りの内に内省しよう。

 

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共労者会の集まり。

2016-08-29 11:48:45 | Weblog

 昨日は西新井のMCシスターのところで月に一回、月末の日曜に行われる、マザーテレサの共労者会の集まりに参加した。

 9月4日バチカンでマザーテレサが列聖される前の最期の集まりだったので、是非とも一度伺ってみたかった。

 アドレーションから始まり、祈りのなかでマザーを思い続けた。

 それから、東京カテドラルで19日に行われるマザーの列聖の祝いのミサを行うためのミーティングをした。

 ミサのためのボランティアは10時にカテドラルに集合する予定だったが、3時から始まるミサなのに、それでは早すぎると言うことで11時になった。

 ミサのなかでの朗読や共同祈願を誰が行うかなども決めた。

 細々なことはまだ決めれなかったが、当日になれば、どうにかなるだろうと、皆は考えていた。

 私はどんな思いで当日を迎えるのだろう、また来週の日曜、マザーが列聖される日はどんな喜びに包まれるのだろうか。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の宿題。

2016-08-25 12:57:45 | Weblog

 私はこの夏にどうしてもと言うまでではないがやりたいことがある。

 それは柚子コショウを作ってみたいのである。

 だが、問題は青い柚子が私の家にはないのである。

 柚子の木はあるが、実が足らない、と言うか、今年は一個しか実をつけていない。

 若い柚子の木であるから仕方ないのかも知れないが、これはたぶん母親の大胆な剪定の結果、このような事態になったように思われる。

 なぜなら、昨年はこの柚子の木も10数個実をつけたのである。

 だが、今年は不作なのだ。

 だから、母親に近所の人に青い柚子をわけてくれる人はいないかと聞いている。

 毎年近所の人が黄色になった柚子をわけてくれているので、それを少し前もってわかてくれる人もいるのではないかと淡く期待しているのだ。

 スーパーで買えるのであれば買ってもいいのだが、近所のスーパーでは青い柚子は見ることは出来ない。

 来年の夏まで待つことになることも覚悟しながら、私は自作した柚子コショウの味とその味わい方を想像する。

 豆腐に少しのせてみたり、刺身に少しのせてみたり、焼き鳥に少しのせてみたりして頂き、そして、そのあと、割り水しておいた冷たい芋焼酎をきゅうっと頂く、思わず生つばを飲みこんでしまうほど、口の中まで条件反射するほど、柚子コショウの爽快な香りが広がっていく、そう、それは今日のような青空と白い雲の気持ち良さに似ているように思うのだ。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大雨のなか。

2016-08-23 12:59:53 | Weblog

 土曜日は南千住の駅を降りるとカミナリがなり、踊り狂った大雨が激しくアスファルトを洗い流していた。

 覚悟を決めてMCに向かった。

 だが、すぐにその覚悟を増さなくてならず、ジーパンを膝下までまくり上げた。

 この大雨のなか、彼らはどうしているんだろうかと心配せずには居られなかった。

 ちょうど今読んでいる、キャサリン・スピンクが書いた「マザーテレサ」に出て来る物語りを思い出していた。

 それは1986年インド北西部のMCでのこと、豪雨の季節だった。

 豪雨のために外出はしなくて良かったが、その施設の院長のシスターともう一人のシスターは診療所でシスターたちを待ちわびているだろう人たちに無駄足をさせたくないと思い、外出した。

 帰りがけ、木の橋が突然崩れ、MCの救急車は川に投げ出され、その二人のシスターは亡くなってしまった。

 この悲劇をマザーはきっと激しく胸を痛めながらもこう言った。

 「貧しい人や病人に仕えるために出て行き、その報酬として、神が彼女たちの努力を大変気に入られ、その手元に連れて行った」と。

 「庭師が花を摘むとき、一番きれいなものを摘もうとします。キリストが彼女たちをお召しになったのも、これと同じことなのです」と。

 このような悲しい出来事はこれだけはない、マザーは何度も何度も味わってきた。

 そして、こうした激しい苦しみに意味を見い出そうと、そこに神の愛を見い出そうと祈りに祈りながらあり、また喜びを持とうと努めたその姿は、まさにキリストの姿ではないだろうか。

 私は雨にびしょびしょに濡れながら、当時のマザーの心を内省し、祈りの内に、同じように濡れているおじさんたちのことを思わずには居られなかった。


 
 このキャサリン・スピンクの「マザーテレサ」はマザーの幼少期や両親のこと、兄弟のことから書かれている。

 この前、片柳君のイグナチオでしてマザーの列聖のための講演の一部はたぶんこの本からの抜粋を語っていた。

 この本はやはり誤訳や読みずらさ、作者自身の間違えと考えらえれるところもかなり見受けられるが、マザーがどのようにマザーテレサになり、MCがどのように生まれ、神の保護のもと、育ってきたが感じられる貴重な一冊だと思うので、興味のある方は読まれると良いだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カミナリとあん。

2016-08-19 11:55:25 | Weblog

 昨日のこと。

 「ゴロッ、ゴロッ、ゴロゥ~!」とカミナリが鳴ると、あんは自慢の尻尾を垂らしながら、冷蔵庫の前のあんの避難所におっかなびっくり逃げ込んだ。

 そこでブルブルブルブル震えるあんに「大丈夫だよ、あんにはカミナリは落ちないよ。怖くないよ」と優しく撫でながら言っても、あんの不安な顔色はいっこうに変わらない。

 尻尾を垂らしながら、「怖いよ~、怖いよ~」と心の声を発しているあんを私は見守り、その愛らしさを私は生涯忘れないだろうと思わずには居られなかった。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

移転。その3。

2016-08-18 13:00:01 | Weblog

 白い夏雲が太陽の光線をさえぎれば、暑さを風が心地よく流してくれ、酒盛りとしては場違いであろうが、菊正宗を涼し気にロックで飲めば、その場違いさは無くなった。

 私たちはそこに遠藤氏のお墓はないが、遠藤氏の話しをして盛り上がった。

 頭上に白い夏雲しか太陽をさえぎるもののない場所で酒盛りをしている私たちを管理人さんは気にしてくれ、「向こうに涼しい部屋もあるので、良かったら使ってください」と暑さに目を細めながら微笑み、言ってくれた。

 その優しさも嬉しかった。

 この日、岡さんにはあまり時間が無かった。

 岡さんは五時から池袋の公園でホームレスのための医療相談に行かなくてならなかった。

 私は流石に冗談でもお腹痛くなって休んじゃえばとは言えなかった。

 ヒデ君が「じゃ、一緒に府中まで帰りましょう」と言うので、もう少しその場で菊正宗のロックを楽しんでも良かったのだが、一緒に府中まで行くことにした。

 私とヒデ君にはそれから二人だけの二次会が待っていた。

 以前、岡さんとカオルコ、和田さんと遠藤氏のお墓参りの後に偶然立ち寄った居酒屋が吉田類氏の立ち寄った居酒屋で何とも言えぬ良い居酒屋だったので、そこに行くことに決めていた。

 しかしたぶんこの辺にあったであろうと記憶に残る場所を歩いても、いっこうにその居酒屋はなかった。

 ヒデ君がすぐにスマホで吉田類、居酒屋、府中と検索してくれ、その居酒屋は移転していたことを知った。

 ここでもまた移転かと私たちは笑ったのであった。

 その時すでにヒデ君の顔は菊正宗で赤かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

移転。その2。

2016-08-16 12:47:01 | Weblog

 「いや、大先生、ありがとうございます!」と「コンビニでの支払いは私が出します」と言った岡さんに私がニコッとして言うと、「いつも、こういう時だけ、言うんですよ・・・」と苦笑いをしながら、岡さんはヒデ君に言った。

 ヒデ君は苦笑していた。

 これはいつもの冗談であり、しかし日々病院では先生と呼ばれていながら、さっきのバス停でのことと良い、良く財布を忘れて外出してしまう、どこか抜けている、岡さんをちょっぴりからかって、私は良く言うのであった。

 しかし全額払わすのは良くないと思い、ちゃんと半額ぐらいの1000円札を岡さんに渡した。

 久しぶりに来た府中カトリック墓地は夏の陽射しを浴びていた所為か、以前に来たよりは清々しく綺麗な感じがした。

 たぶん、そう思わせたのは芝生が以前よりしっかりと生えそろっていたからかもしれない、この暑い日に肌が真っ黒に焼けた庭師のおじさんが汗を流しながら働いていた。

 いや、違うかもしれない、そう言えば夏に来るのが初めてだったからかもしれない、芝生の緑が夏の陽射しに照らされて鮮やかであった。

 私たちは早速遠藤氏のお墓を向かった。

 まずゼノ修道士のお墓を見つけ、そこで手を合わせ一礼し、そこから少し進んだ右手在ったはずであるが、どうも見つからない。

 私たちは違うと思いながらも、先に進み、一レーンごとに手分けして、遠藤氏のお墓を探したが、やはり無かった。

 円谷さんのお墓には相変わらず、コジラやウルトラマンのフィギアが飾ってあった。

 遠藤氏のお墓は円谷さんのところまで行かず、その手前にあったのだが、これはどうしてだろう、おかしいと思った。

 私は仕方なく、管理人に聞いて見ることにした。

 しかし守秘義務とかあるから、教えてはくれないかもしれない、いや、遠藤氏は公人だし、教えてくれるだろうなど考えながら向かい、墓地の入り口近くにあるクーラーの効いた管理人室の窓を軽くノックした。

 管理人は「去年の11月にイグナチオの方に移転したんですよ」と、せっかく来たのにその甲斐がなく申し訳ないと言わんばかりに、私たちを思いやり、優しく教えてくれた。

 それを聞くと暑さが倍増した感じになったが、もう仕方がない、ビールと菊正宗があるので、ちょうど墓地の中央にテーブルが一つ、椅子が三つあったので、そこで酒盛りをすることにした。

 ヒデ君は「ちょうど三つの椅子があるなんて、自分たちの席みたいですね」とポジティブさを爽快な夏風に合わせるように言った。

 {つづく}

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

移転。

2016-08-15 12:50:18 | Weblog

 土曜日は午前中に最近調子の良くなかったミニの調子を石坂に見てもらった。

 キャブにゴミか、何かが詰まっていたらしく、ガソリンの供給が片方うまく行っていなかったらしく、そのため調子が悪かったことが分かった。

 またキャブを取り外さなくてはいけないことになった。
 
 だが、午後に遠藤氏のお墓参りの用事があるので、その作業はまたの機会にし、石坂と別れた。

 そして私はシャワーを浴び、部屋を掃除し、洗い立てのシャツとリーバイスを履き、新しい下駄を履いて、ヒデ君と岡さんと待ち合わせている府中に向かった。

 遠藤氏のお墓参りに行くので、もちろん、ポケットにはロザリオと遠藤氏の文庫本を持って行った。

 夏の空模様は、太陽は出たり、白い雲に隠れたりして、汗がじんわりと出て来るような暑さではなく、風も心地良く吹いていた。

 その心地良い風に乗って向かったようになり、文庫本に目を下ろしながら府中にはすぐに着いた。

 沖縄の病院でインターンをしていた岡さんを来年から沖縄でインターンをするであろうヒデ君に会わせたかったので、ようやくこの日はそれが達成された。

 初対面の二人ではあるが、いろいろと話していた。

 小金井行きのバスはすぐに来た。

 普段バスに乗り慣れていない私は小銭を片手に持ったまま、お金の払い方など、岡さんとヒデ君に聞いた。

 私はパスモを持っていなかったが、二人は持っているので、余裕しゃくしゃくで、私の緊張などは軽く笑っているようだった。

 さて、これもすぐに下車するバス停に着いた。

 200円を両替機に入れ、両替し、運賃180円を入れた。

 今思えば、100円だけ両替すれば良かったのだが、やはり先を急ぐ乗客を待たしていけないと思っていたので焦っていたのであろう。

 最後に岡さんが下車しようとしたのだが、なんとパスモがチャージされてなく、しどろもどろになっていた。

 私が不安に思っていたことがそのまま岡さんに移ったようであり、私とヒデ君は笑った。

 それから遠藤氏のお墓参りで必要とする菊正宗を買うために近くのコンビニに向かった。

 遠藤氏の奥さん順子氏の記述によると辛口を好む遠藤氏は菊正宗には何の文句をつけなかったこととあったので、遠藤氏のお墓参りに行く時は、いつも菊正宗を買うことにしていた。

 {つづく}
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スッキリした。

2016-08-12 12:07:28 | Weblog

 IHは石坂の言うように簡単に交換できた。

 石坂に少し手伝ってもらったが、装着する時間は10分ぐらいで終わる。

 ただ古いIHを外した後、その周りの汚れを掃除したくなるので、それに15分くらい掛かるだけであった。

 ただそれだけなのにネットでの工賃は2~3万ぐらい掛かってしまい、最初から業者に頼めば、20~30万ぐらい掛かってしまうのである。

 IH本体は重いので力仕事にはなるが、本体価格だけで済むので、やはり自分でやった方が断然お得であった。

 IHも無事に交換出来て、今はスッキリした思いである。

 明日は山谷はお盆でお休みなので、ヒデ君、岡さんと一緒に遠藤氏のお墓参りに行く。

 ヒデ君が私が勧めた「おバカさん」を読んでいたため、私もまた「おバカさん」を読んでいたが、昨夜読み終わった。

 やはり読後、スッキリした思いになった。

 今朝は録画しておいた「はじめまして、愛しています」を見て、涙し、スッキリした思いになった。

 このドラマはこの前四谷のインドの会で会った菜穂子ちゃんも良いと言っていたし、養護施設で働いている清水君もドラマは見ていないが職場での評判は良いと言っていた。

 自分は何者であるか、どのようにして育ったか、愛は何か、幸せは何か、その「はじめ」から、迷いながらも、感じ直し、考え直そうと奮闘する家族の感動のドラマである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

IHが届いた。

2016-08-11 13:06:05 | Weblog

 さっきIHが届いた。

 さてどうしたのかと石坂に電話しても、「こちらはNTTドコモです・・・」が聞こえて来るばかりである。

 今朝壊れたIHを外すために一本ネジをゆるめようとしたら、なんとたいへん、ネジをなめてしまった・・・。

 まぁ、これはどうにかなるだろうと思うが、流石にIH本体がかなり重いのでやはり石坂の手助けが必要である。

 また後で電話して、夜にでもちょっと手伝ってもらおうと思う。

 

 再読している「おバカさん」はやはり面白い。

 再読して気付いたことは、遠藤氏はドストエフスキーの「白痴」を遠藤氏特有のユーモアとコミカルさを使い、モデルにしているのではないかと思った。

 以前「おバカさん」を読んだときは、私はまだ「白痴」を読んでいなかったので気付かないのは当たり前であるが、やはり作家の好きな作家の作品を読むことはその作品のなかにあるナラティブを豊かにするものである。

 ドストエフスキーは「白痴」で完全に美しい人間を描こうとし、ムイシュキン公爵を登場させ、遠藤氏は「おバカさん」でガストン・ボナパルトを登場させた。

 遠藤氏は69年8月に「ドストエフスキーと私」という題名のコラムを書いている。

 そこで「白痴」をヒントに「おバカさん」という題名にしたと書いてあった。

 「おバカさん」はもう後半、最後の50ページになり、確実に来る読破の寂しさも感じている。

 だが、それだけではない、再読しての新たな気付きがまだまだ待っていると思うと、ワクワクもしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする