カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

「今度はいつ行くんですか?」

2009-07-31 10:11:00 | Weblog

 この前、さつきちゃんからメール来た。

 「9月から、半年間カルカッタ中心にインドに滞在します。Tetsuさんは今度はいつ行くんですか?」

 さつきちゃんとは一番最初に会ったのはもう十年以上前だった。自分の知人と一緒のツアーで参加していたので、そのときに会った。
 しかし、あまりにも前だったので自分は覚えていなかった。

 2004~2005年に滞在したとき、初めてその時のことを彼女は話してくれた。やっぱりTetsuさんは覚えていなかったって笑われた。

 なぜ、その時、彼女と話すこととなったと言うと、1995年の時に良くお話しをした女性と仲良くしていたからだ。

 長く行くとそうしたことがあるから面白い。そうしているから、自分が次はいつと良く聞かれる。

 これで最後と言いながら、それからも何度かカルカッタに行っている。だから、聞かれるのはしょうがない。

 さつきちゃんも今度で5回目か、6回目のインドになるだろう。なぜ、そこまで行くのかは一人ひとり違うが、その意味を深く自己に問えることが良いだろうと最近は思うようになってきた。そこには分かりきらない自分がいる。

 そして、それはどこに向かっているのか、何に向かっているのか、曖昧なものですらも、そのまま、ありのままにあたためるように大切に持ち続けていくことが人生にとっていいものになりえるのだろう。

 何をしていても不必要なことはない。何かに繋がり、何かに向かっている。それは分からない。分からないのであれば、要らぬことを悩まなくてもいい。しかし、だからと言って、投げやりになるのでは、もちろんない。

 心を大切にして、丁寧に今日を生きていけばいい。そのなかで失敗もするだろう。したらまた、そこで謙虚さを学びえるようにしていけばいい。

 無理にせず、そうしていきたいものである。

 さつきちゃんには山谷来るように伝えた。インドに行く前に久しぶりに会えるといい。彼女の話しを聞いてみたい。

 次に自分がいつカルカッタに行くかはまだ分からない。分からないが、いつも胸のなかにちゃんとある。かなりのリアリティーを持って。

 
 今朝、夕顔は自分の手と同じ大きさまでつぼみを伸ばしている。今夜咲くだろう。この瞬間から楽しみでしょうがない。仕事に行っても何度も思い出すだろう。すでに自分の心は花開きかけている。

 昨日は休肝日だったので、今夜飲みながらゆっくりと眺めよう。

 すでにいま自分の心は花開きかけている。
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畑で。

2009-07-29 10:28:56 | Weblog

 部屋に飾る花を畑に探しに行くと、近所のおばさんがオクラの花を眺めていた。

 「オクラの花はきれいね。実も良くなったわね。」

 「まだもっとオクラは大きくなるんですけど、まだ土が良くないようで伸びませんね。」

 「それでも、オクラの花はきれいだわ。」

 「そうですね。花としてもオクラはきれいですね。」

 オクラは食べるので、その花は活けることはないが、活けてもきれいな花だと改めて思った。いつか活けてみるのもいいと思ったが、食べることと、きっとそのとき悩むだろうとも思った。
 花も良い、実も良い、それが無くなっていくのも当たり前で良い、抱きかかえられるよう土に戻るのが良い。すべては優しいものとしてありがたくある。

 そして、今日、おばさんを喜ばしていた。その想いは暫しの間、自分をも喜ばせる。

 風や雨で倒れても陽のあたる方へ向かって咲いている花があった。ガラスの器に水を入れて浮かべてみるのにちょうど良い花だった。

 活けてみると、ほんとうに可愛い。

 ありがたいことである。あたたかな優しい想いを与えてくれている。

 それにまた感動する。

 のんびり、のんびりと。
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つぼみ。

2009-07-28 09:37:40 | Weblog

 少し二日酔いで起き、窓を開け、外の風を部屋に入れる。

 夕顔を見ながら、タバコを一本吸う。

 夕顔のつぼみが膨らんできた。現れたねじれ長く伸び始めているつぼみは、今夜花開くのか、明日の夜花開くのか。ねじれたつぼみが解かれるのを夢見ている。

 酔いを醒ます朝の涼しい風を浴びながら、つぼみは自分の頬をあげさせた。
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今日から。

2009-07-25 07:55:15 | Weblog

 自分は夏休みです。

 天気は良くないですが、三日ほど海に行って来ます。のんびりとします。

 夕顔はあと少しで咲きそうです。

 いま、ビートルズのLet it beを聞いている。良いですね。

 と言うことで、今日を楽しみます。

 
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枯れるから。

2009-07-24 13:14:50 | Weblog

 奥さんは言う。

 「花は枯れるから良いのよ。」

 花瓶のなかでしおれ枯れ行く花に触りながら微笑んでいた。

 自分は感覚的にそうだと思った。

 この世のなかで移り変わらないものはない。常に何かは変っていく。

 美しさはその過程のなかにもしっかりとある。老いていくことが醜いことではない。ゆっくりと姿を消していくことですら美しさをなくすことでもない。必ず何かは残されていく。

 美しかった花への感謝は、その枯れた花に注がれる。

 「それで良い。それが良い。」

 ありのままの姿が美しい。何かは大きな円のような繋がりのなかにあり、縁を与えられ、出会って別れる。自分がどうのこうの出来るのではない。すでに何かに委ねられながら存在している。

 焦ることもない、怯えることもない、ありのままで良い。

 今を喜び生きて欲しい。

 思いの限りに。
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負の連鎖。

2009-07-23 12:33:32 | Weblog

 まさみちゃんは北朝鮮から2年前に来た明るく元気な21歳の女の子。今では日本語もほんとうにうまくなった。

 先週の土曜、MCの食事の時に席が近かったこともあり、話しをした。彼女は言う。もっと何でも良いから話しをしたい、会話をすることによって、もっと日本語がうまくなりたいと言っていた。

 話しを聞いていると焦っていることが分かった。彼女は夜間中学を卒業し、今は夜間高校に通っている。夜間なので4年通わなくてはならない。そして、ナースになりたいと話した。その時間のことも悩んでいた。

 悩んでいると言うよりは苦しんでいた。その苦しみが次から次へと語られた。誰も話す人がいなくて苦しくてしょうがなかったと語られた。

 自分は真面目に冷静に話しを聞いた。彼女が自己の本意に立ち戻れるように願いながら、励ましたり、指示したりしないように心掛けながら、お願いするように彼女に言った。

 「自分で自分を追い込み、苦しめたりしないようにするんだよ。苦しめていたら、そのことに気付くようにあるんだよ。先のことは誰にも分からないからね。今、あなたがあなたを大切にしていくんだよ。」

 負の連鎖から解き放ってあげたかった。一つの悩みが次から次へと悩みを引き出し、引き連れ、悩みのなかに陥っていく。自分のすべてが悩みで出来ているような錯覚に陥っていた。

 今の彼女の思考では、これからも苦しむことはあるだろうことを感じながらも、今は何よりも話しをさせてあげることだと考えていた。

 彼女は話しをしていくなかでいろいろと気付くだろう。そこで表に出された言葉は何かにゆっくりと変っていく。無理をしてきた彼女がその無理と対面し、その意味を自らが問えるようになり、そして、和解出来るように願いながら話しを聞き続けた。

 食事の終わりの祈りを終えると、彼女は「話せてすっきりとした。」と言い、表情からもその思いは表れていた。

 その思いは自分の内側にも移されていた。

 
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一日一日。

2009-07-22 12:53:11 | Weblog

 仕事を終えて帰ってくるときに考えることがある。

 今日も無事に一日を終えることが出来たと。

 感謝の想いを身体の内側で感じる。

 その日に辛いことがあろうと、楽しいことがあろうと、雨が降っていようと、夜空がきれいだろうと、呼吸を続けることの身体を労わる。

 この身体が今日このように動いているのは自分だけの力ではないことを感じる。目には見えぬものをもが自分を動かしてくれている。そのものたちに支えながらあることを感じ、感謝する。

 小さいものとしてあり、あらゆるものたちの力を借りて存在している今日を感謝する。

 先のことは分からない。先のことは見守ってくれている御方に御任せする。自分はただ一日一日を大切にしていく。今日を生きる。ありがたいときを生きる。
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心のなかに。

2009-07-21 14:24:19 | Weblog
 隅田川は今、25日の花火の用意のため、いたるところに柵が作られている。先週の土曜は、まだおじさんたちはいつもの場所でカレーを配ることが出来た。

 25はMCの施設の前で配ることにしている。その日、自分は山谷に用事があり、行くことは出来ないが、どのようになるのかは心配している。苦情などが出ないことを祈る。

 毎年隅田川の花火は多くのボランティアが集まり、屋上で見ることになっていたが、今年から、それも無くなった。

 MCのなかでも、いろいろと問題はある。ブラザーたちが決めたことに従わなくてはならないのが現実である。その現実を受け容れるだけである。

 出会うおじさんたちと自分の間、その瞬間がすべてである。そこに限りなく思い込めて行く、ただそれだけある。

 あの喋れないおじさんには二週間会えなかった。今はどこで何をしているのだろう。どうにかしているだろうか。

 ナンクルナイサーおじさんには、あの日だけしか会っていない。大勢の人たちがいる場所には、やはりまだ来れないのだろうか。少しでも楽になるために酒を飲んでいるのだろうか。

 二ヵ月半入院していたおじさんは、やはり、その一日だけだった。振るえる手でお弁当を食べていたその姿が脳裏に焼き付いている。あからさまに無理をして来ていた。また入院しているのだろうか。

 よしこちゃんは楽しそうに男と話していた。また「きれいになったでしょ。」と笑いながら話していた。

 先々週、ライオンの旅に参加したあやちゃんとちづさんを山谷に連れて行った。先週一人のおじさんがあやちゃんのことを話していた。
 「あの子、医者になりたいって言っていたんだ。新聞配達までしていて、ガッツのある子だよね。ほんとにさ。」一週間前のことを思い出しては楽しそうに話していた。

 あやちゃんはおじさんにそんなことを話していたのかと初めて知った。それが一人のおじさんのなかで何かを生んでいることを感じていた。

 心のなかに。自分の心のなかだけではないなかにも。
 
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花火は。

2009-07-19 13:01:29 | Weblog
 多摩川のグランドはあまり混んでいなく、ゆっくりと花火を見るのにはやっぱり良かった。観に来ている人たちは密接することなく、のんびりとしていた。

 自分たちの近くに赤いワンピースを着たおばちゃんが前と後ろにかごのある自転車をその場まで乗ってきて、独りで花火を見ていた。

 周りを見回しても、そこまで自転車を乗ってくる人はいなく、コントのような現れ方をした。

 花火も気になるが、そのおばちゃんも気になった。気になることの理由をおばちゃんは次々発信してきた。

 両足を伸ばして、扇子を振りながら、周りのことお構いなしに独りでずっと歌っていた。シャンソンを歌っているみたいだった。まるでコントのような一場面だった。彼女は彼女の世界に酔いしれ、気分がとても良さそうだった。

 自分たちはそのBGMを聞きながら、酒を飲み、話しが盛り上がり、花火を見上げていた。

 雨もやっぱり降った。しかし、運良くぽつぽつとだけだった。終わってから、少し音を立てて降って来た。慌てて片づけを急いでいると、そのおばちゃんが自分たちに話しかけてきた。

 「もう花火はお終いなの?昔はもっとやったのにね。9時半ぐらいまでやっていたのにね。もう終わったの。」

 まだシャンソンを歌い足らないのか。雨が嫌だったのか。もっと花火を見たかったのか。

 夜空に描かれていた花が消え、気持ち良い時間に終わりが告げられ、物足りぬ顔をして話していた。そこで彼女は記憶を変えた。花火は九時半頃までやっていたことはない。九時までも、今までやったことはない。

 しかし、彼女の満足が満たされない気持ちから、勝手に自分の都合の良いように記憶を変えていた。それを口にすることで家まで帰る気持ちを整えていたのかもしれない。

 花火よりインパクトのある赤いワンピースを着たおばちゃんだった。コントは現実から生まれる。面白かった。 
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夕焼けが始まった。

2009-07-18 18:28:07 | Weblog
 今日は調布の花火大会。毎年天気が良くなくて、川原まで行かず、いつも家で飲んで、音だけ聞いていることがここ何年か続いていた。だから、天気が気になっていたこともあったが、どうにか今年は無事に花火が見れそうだ。

 色付く空をベランダから眺めていると、向かいの家の屋根に黒白の猫が寝ていた。

 どこから上がったのだろうか、一目には分からないが、屋根で悠々と寝そべっている猫は何か幸せそうだ。

 あの猫はチビと呼ばれている。
 夜10時半頃になると近所のおばさんが「チビー、チビー」と呼んでいる。きっと夜の食事をあげているんだろう。

 たまにおばさんのその声に「ニャー」と甘えた声で返事をするのを何度か聞いたことがある。

 やはり、あの猫は幸せそうだ。

 家の前の駐車場に車が入ると、顔を上げて、その猫は人を観察している。何を思っているのだろうか。

 やはり、あの猫は幸せそうだ。

 窓を開け、タバコを吸いながら、猫を見た。直線距離20メートル。近そうで案外ある。そうしてら、こっちが見られた。気負いすることなく、猫は尻尾と足を少し伸ばした。

 あの猫の幸せそうな感じが移った。夕焼けはまだまだきれいに続きそうだ。

 花火を見に行く。多摩川の川原は風が気持ち良いだろう。一瞬にして、空に描かれる花たちを見に行こう。

 そして、今日は地元のお祭り。みこしが今通ったその音に猫は腰を上げた。自分も腰を上げた。
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