この前、さつきちゃんからメール来た。
「9月から、半年間カルカッタ中心にインドに滞在します。Tetsuさんは今度はいつ行くんですか?」
さつきちゃんとは一番最初に会ったのはもう十年以上前だった。自分の知人と一緒のツアーで参加していたので、そのときに会った。
しかし、あまりにも前だったので自分は覚えていなかった。
2004~2005年に滞在したとき、初めてその時のことを彼女は話してくれた。やっぱりTetsuさんは覚えていなかったって笑われた。
なぜ、その時、彼女と話すこととなったと言うと、1995年の時に良くお話しをした女性と仲良くしていたからだ。
長く行くとそうしたことがあるから面白い。そうしているから、自分が次はいつと良く聞かれる。
これで最後と言いながら、それからも何度かカルカッタに行っている。だから、聞かれるのはしょうがない。
さつきちゃんも今度で5回目か、6回目のインドになるだろう。なぜ、そこまで行くのかは一人ひとり違うが、その意味を深く自己に問えることが良いだろうと最近は思うようになってきた。そこには分かりきらない自分がいる。
そして、それはどこに向かっているのか、何に向かっているのか、曖昧なものですらも、そのまま、ありのままにあたためるように大切に持ち続けていくことが人生にとっていいものになりえるのだろう。
何をしていても不必要なことはない。何かに繋がり、何かに向かっている。それは分からない。分からないのであれば、要らぬことを悩まなくてもいい。しかし、だからと言って、投げやりになるのでは、もちろんない。
心を大切にして、丁寧に今日を生きていけばいい。そのなかで失敗もするだろう。したらまた、そこで謙虚さを学びえるようにしていけばいい。
無理にせず、そうしていきたいものである。
さつきちゃんには山谷来るように伝えた。インドに行く前に久しぶりに会えるといい。彼女の話しを聞いてみたい。
次に自分がいつカルカッタに行くかはまだ分からない。分からないが、いつも胸のなかにちゃんとある。かなりのリアリティーを持って。
今朝、夕顔は自分の手と同じ大きさまでつぼみを伸ばしている。今夜咲くだろう。この瞬間から楽しみでしょうがない。仕事に行っても何度も思い出すだろう。すでに自分の心は花開きかけている。
昨日は休肝日だったので、今夜飲みながらゆっくりと眺めよう。
すでにいま自分の心は花開きかけている。