カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

憧れの長崎。

2014-05-29 11:51:20 | Weblog

 いつか長崎に行きたいと思い始めてから、もう随分長い時間が経ってしまった。

 この思いは遠藤氏の小説を読み始めて、私のうちの起こった心情なのであるが、しかし、すでにそれだけに留まらず、憧れの長崎は私の好奇心、いや、もっと深い、それ以上のものが私を常に騒がし、導いているとも言えよう。

 「あぁ、、、長崎に行きたい」と呟く次第である。

 昨夜BSで長崎の歴史ミステリーなどと言うような番組があったので録画して、晩酌時に見た。

 期待して見た分、少し残念感が高くなってしまった。

 まず製作費が少ないのだろうと思った。

 出島、島原、唐人屋敷やその他にもいろいろな場所を訪れたのであるが、その撮影は一日で撮ったものであろう、案内人の女性の衣装は最後まで変わることはなかった。

 それ以上に「世界ふしぎ発見」的、いや、そのままのように演出されていたが、それもB級だったと言わざるを得なかった。

 私の大好きな長崎を一日だけの撮影でミステリーがどうのこうの言われ描かれてしまっても、私は勝手に困ったのである。

 しかし、視聴者と言うものはなんとわがままなものであるかと自分に問いたりもした。

 長崎の綺麗な風景を楽しむだけであれば、それはそれで美しい映像はあったが、私のうちの長崎熱にはただ何の反応もしなかっただけで、いや、視聴者である私自身とその番組との温度差があっただけかもしれないが、もっともっと長崎独自の歴史深さをどうしても描いて欲しい衝動がその番組に物足りなさを感じさせてしまった。

 こうした番組の制作とは、日本の歴史教育の中で取り上げていない数々ある世界レベルの長崎の歴史を日本人に教えていない事実が生み出してしまうのだろう。

 もちろん、一時間でまとめなくてならない制作側の苦悩もあるだと思うが、まだまだほとんどの日本人が知らない長崎の歴史はかなりあるのである。

 それらが何故日本人に知らされていないのか、それこそ、歴史ミステリーだと思った。
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やっぱり、寅さん!

2014-05-28 12:53:35 | Weblog

 昨夜は休肝日明けの清々しい夜の晩酌だった。

 缶チューハイを片手にあんの夜の散歩を満喫してから、録画してあった楽しみにしていた寅さん、それも松坂慶子がマドンナ役のものである、それを酒の肴に足し、準備万端で晩酌に進んだ。

 やっぱり、寅さんは凄くイイ、それもこの27作目は特に素晴らしい、傑作中の傑作かも知れないと私は勝手に決めた。

 話しの素晴らしさはもちろんのこと、松坂慶子もほんとうに綺麗だった。

 カメラ割りや演出が熟年の仕事ぶりで何とも言えなかった。

 最後に決まって寅さんはフラれるのであるが、今回のそのシーンはとらやに結婚報告してから、カミナリを伴う激しい雨のなか、マドンナふみがタクシーに乗って帰り、いつの間にかいなくなった傷心の寅さんは電気をつけない真っ暗な二階の部屋のなかで一人佇んでいる、そこにさくらが慰め来るのだが、慰めきれる状態ではないことが沈黙を生み、そのただ中で激しい雨とカミナリで寅さんの深い哀しみが強調され、そこで寅さんの横顔が映る、アップに映った横顔の寅さんは瞬きだけ、そのすべての言い尽くせない哀しみ、己の恋が成就しないこととふみの結婚を祝福したいけど出来ないジレンマやその複雑な心境を実に素晴らしく演技している。

 その演出も素晴らしいが寅さんの演技には感服せざるを得なかった。

 そして、私は松坂慶子を見ると、どうしても遠藤氏のエッセイの一部を思い出してしまう。

 それは遠藤氏と松坂慶子の対談だったと思う、遠藤氏は松坂慶子に「今度私が生まれ変わったら、あなたの子供に生まれ変わりたい。そうなったら、母乳で育ててください」と言ったとか。

 面と向かって大女優松坂慶子にそんなことを言う勇気や洒落けなどないが、遠藤氏の気持ちも分からないでもないと正直思ってしまうのだった。
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同じ道。その7。

2014-05-27 11:53:32 | Weblog

 それは神さまのために美しいことをしている瞬間でもあろう、そして、それをしている時、私はいつも必ず喜んでいる、それは私だけではなく、私の周りのものたちと、きっと私のうちの神さまも同じように喜んでいたことと思えるのである。

 私のうちの神さまのことを書いたが、宗教心を持たない人には分かりづらいかもしれない、やはり多くの人が私がそれを言う意味をつかみかねることとも思う。

 しかし、この逆を、例えば、私のうちの悪魔が何々したと言えば、宗教心のない人でも、それは理解が可能になるのではないだろうか。

 私たちのうちには悪魔もいるだろう、悪魔に支配されている時もあるだろう、ならば、神さまもまた居るとは言えないだろうか。

 そして、悪魔に支配されている時より、もちろん神さまが居てくれた方が幸せではないだろうか。

 私たちは私たちの自身のそれを知る必要があるように思えてならない。

 それは完全には無理かもしれないが、それ故、人は祈るのではないだろうか。

 私たちは負の連鎖を望むのではなく、生きていくために本能的に愛の連鎖を望むのである。

 マザーがいつも言っていたように、神さまのために美しいことをすることこそ、それは愛の連鎖を生み出し、育み、慈しむものではないだろうか。

 私は私の神さまを喜ばさせたい、しかし、私は私の神さまを悲しませることがどうしても多い、弱い人間であることも告解せねばならない。

 そんな私であれ、神さまは愛してくださると感じ、信じることにより、私はどうにか過ちを繰り返しながらも、彼らの前に立ち続けることが出来たのだと思えてならない。

 マリアの少し後に続いて、私もバブルーのところに向かった。

 バブルーは運搬用のベッドに寝ていた。

 マリアの話を聞くと、昼はその前の運搬用ではないベッドに居たのだが、今来ると変わっていたと言う。

 良く話を聞けば、昼にシスターライオニータが勝手にあそこのベッドが空いているからと言って、そこに寝かせたと言う話だった。

 しかし、この病院ではそうしたことは通用しないことを私は知っていた。

 その病室はまずどんなに悲惨な状態であれ、最初は運搬用のベッド、収容されたままの状態で過ごさなくてならないのである。

 そこまでマザーのシスターであるからと言って優遇はされないのである、それはバブルーを最初入院させようとして、何人も医者たちに診られるだけ診られ、何時間も掛けたが結局入院させることが出来なかったことを彼女が忘れたのであろうか。

 いや、彼女はただ諦めない強く深い意志を持つ快活なシスターでもあることがそうさせたのかもしれないと私は感じた。

 {つづく}
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謝れば謝るほど。

2014-05-26 12:54:37 | Weblog

 土曜日の山谷は月末も近くなっていたこともあり、おじさんたちは多かった。

 カレーを417個用意して向かったが、40人ぐらいのおじさんたちには足らず、何ももらえずに苦痛の胸のまま、無言でまたカレーをもらった人と同じようにクモの子を散らすように、その場から離れていった。

 その中にはいつも配る寸前に来る男性もいた、彼は一時間かけて白髭橋の炊き出しにやってくる、月末になる前にいつも生保のお金を使い果たし、困窮しながら月の半分以上を生活しなくてはならないのである。

 彼はいつも言っていた、「もう最悪ですよ、落ちるところまで真っ逆さまに落ちていく感じで、どうにもなりません・・・」。

 その彼もその日は、私に一言も話さず、すぐに去って行ってしまった。

 会えば会うだけ辛かったのかもしれない、私がカレーが足らなくて申し訳なかったと謝る、その言葉がかえって自分の至らなさを認めざるを得ない痛むを生むことが感じ、逃げるようにして帰って行ったのかもしれない。

 彼だけではなく、私が誠心誠意謝れば謝るほど、彼と同じように彼らのうちのそれを味あわせることになるかもしれないことを知りつつも、私は謝らざるをえなかった。

 いづれにしろ、私たちはカレーをもらえれなかった人たちを傷付けたことに違いはなかった。

 カレーをもらえなかった人たちの中には疲れ切り、近くでしゃがみこんでいた人もいた。

 その人には丁寧に謝り、施設の方まで来てくれれば、何かを渡すことが出来ると約束した。

 来週の土曜日は今週よりも多くのおじさんたちが来ることが予想される、ブラザーたちは必ず今週よりも多くカレーを用意してくれるだろう。

 ブラザーたちも同じように胸を痛めていたに違いなかった。
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あん、病院に行く。

2014-05-23 13:09:34 | Weblog

 今朝はあんのワクチン注射を打つためにあんの病院に行った。

 やはり病院までの道のりは、すでにあんは学習済みの「この道は病院に行く道なり」と言う形式があんの頭の中で成り立っているので、どうしても嫌がり、また緊張しながら歩いていた。

 そんなあんに細心の注意をしていて、前回は狂犬病を打ちに行く時に私は表札に激突したのである、ここは私も学習済みにし、その表札には今回無事に当たらずに済んだ。

 前回の病院同様、あんはブルブルブルブル震え、怯えはしてたものの、案外大人しく注射を受けてくれた。

 注射を打つ前に「あんちゃん、良い子だね~」と言って、アヤコ先生はあんの背中を消毒し、いざ打とうとして、あやまって自分の指に注射を指してしまった。

 「痛い!あら、私の指に刺しちゃった・・・」と言って、注射を別のものに変えてから、またあんの背中に注射をしてくれた。

 あんは泣き声も出さずに、痛いことが済んだと分かったのであろう、あんの身体からブルブルは消えていた。

 私もあんも一安心した。

 アヤコ先生の母親とうちの母親は従妹同士なので、アヤコ先生はうちの母親のことを聞いたり、自分の母親のことを話したりして、しばらく、フィラリアの薬を用意している間、お話をしてから、「ありがとうございます」と挨拶して病院を出た。

 それから、三沢川沿いを歩いて、天神山の方へ向かった。

 三沢川を覗けば、まだとっても小さい鮎の群れがあり、シロサギがそれを狙っていた。

 あのタケノコ、私が名付けたタケノ兄さんはもう10メートルぐらいになっていて、枝を出し始めていた。

 タケノ兄さんは首を柔軟していないと痛めそうになるくらいに上を見なくてはならないほどに成長していた、やはりタケの成長は目にみはるものがあり、その勢いの良さに人は願いを重ねるのも分からなくはないと思った。

 香りのとても良い白い花が咲いていた。

 その花の名前は知らないが、私はあんとこの季節、この道を歩くようになり、知り合いになり、そして、好きになったのである。

 「良い香りだね」と言って、私は顔をその白い花に寄せた。
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その手に握られた。

2014-05-21 12:46:33 | Weblog

 先週の山谷はブラザービクトリアの語った「貧しい人の中にいる神さまに会いに行きましょう」、その言葉が私のうちにこだましていた。

 一人のおじさんが公園の木の下でカレーを肩をすくめ食べていた。

 私は挨拶をし、彼の傍に腰を降ろし、彼の身体の調子などを聞くと、血圧がかなり高いので薬をずっと飲んでいるとぼそぼそと話してくれた。

 その彼と話をするのはかなり久しぶりのことだったと思う、もしかすれば一年か二年ぶりかもしれないが、彼はいろいろと彼自身のことを語ってくれた。

 爽やかな良い陽気だったが、彼は冬の厚い毛糸のセーターを着ていた。

 生保を受け、仕事も月に四日している彼であるが、着るものがあまりないのだろうと思った。

 私はしばらく話してから、彼の傍を離れ、また近くにいたおじさんに声を掛けて回った。

 そして、また彼の傍を通ると、カレーを食べ終わったにも関わらず、まだ彼がその場に何をすることもなく、ただタバコを吸い終わってからも座っていた。

 私は彼の傍にもう一度腰を降ろし、話しかけると、彼はバッグからタバコを取り出し、二本を私に差し出した。

 私はそれを一度断ったのだが、それでも彼はくれようとするので一本だけ頂き、ポケットにそれを収めた。

 すると、彼はまたバッグの中に手を入れ、ライターを探し出し、手に握っていた。

 私はまだ他のおじさんたちがいるので、その場ではタバコを吸うのは控えようとしていたが、彼は「ライターをどうぞ」となど言わずに、ただその手にライターを握りしめて待っていた。

 私が彼のタバコを味わうのを待っていたのである。

 それに気付くと、私はすぐに私もライターを持っていたが、彼のその手に握られたライターを借り、もらったタバコに火をつけた。

 一本のタバコを吸い終わるまで、私は彼と話しをしていた。

 そして、吸い終わり、「タバコ、ありがとう」と言うと、彼はとっても嬉しそうな顔を見せ、照れ笑った。

 貧しい生活をしているがカレーの炊き出しをいつも感謝している、私もあなたに何かをいつも差し上げたいと思っていた・・・、そんな言葉がその照れ笑ったしわくちゃな笑顔から聞こえてきたように思えた。

 私はあなたのその優しさをずっと分かっていると、私は私のうちで返事をしたように思えた。

 
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同じ道。その6。

2014-05-20 13:02:35 | Weblog

 病院内は朝の慌ただしい様相とは違い、暗く静かだった。

 死するものが夜の闇に命を途絶え、苦しみからの解放と家族の嘆きの絶え間ない繰り返しから来る重苦しい空気にも夜の静かさの幕は覆っているようだった。

 ここでは常に死臭が漂っている、だが、それは朝のそれよりも音の少ない夜に哀しみを倍増させていくように感じられた。

 その雰囲気に呑み込まれないように襟を正して、暗い階段を上がっていく。

 重たい脚は変わることがなかったが、その時の私の意志はすでに感情に左右されることのない状態であった。

 胸に手を当て、心の在り処を知るとともに祈りをともにして、病室に入った。

 患者たちと始終患者の付き添いをしている家族たちは思わぬ時間に現れた私に驚きもしたが喜んでくれた。

 その日の朝と同じように患者たちの手を取り、挨拶をし、付き添いの家族にも同じように声を掛け、どうしてこんな時間に来たのかと聞く彼らの質問に答えて行った。

 「今日、シスターたちが運んだ患者のためにシスターから頼まれて、ここに来た」と言うと、彼らは一同に納得してくれた。

 私の悩みだった問題が解決していく、私は彼らに嘘を付かずにありのままに答えたことにより、彼らは私がただMCシスターの患者のサポートをして、こんな時間まで病院に来るのだと受け入れてくれたのであった。

 私は神さまに感謝した、私の弱さ迷いを一瞬して払拭してくれたこと、しかし、それはいつものことであることに気付き直し、胸と目頭が熱くなることを感じた。

 私は朝と変わらぬように患者たちに言葉を交わして行き、午後にシスターと一緒に来たマリアには、その時ベンガル語で患者たちと私が話していることが分からなかったのと、たぶん、マリアは私が朝と変わらぬように全員に挨拶するのではないか、バブルーのことはどうするのかとも一瞬思わせてしまったかもしれない、それに彼女はまだ心落ち着かずにいたのかも知れない、しばらく私の傍にもいたが、先にバブルーのところに向かっていた。

 MCのシスターの姿はほとんどのカルカッタのインド人ならマザーテレサのところのシスターだと言うことが分かる、あのサリーは目立つのである。

 それ故に私の患者ではなく、シスターの患者と言う形式が彼らの中にすでに整っていたのだ。

 私はただバブルーを特別扱いせずにいれば良いと確信を得た。

 ただシスターから言われたことをサポートするに過ぎない者である、となれば、患者たちからお金の苦心を頼まれることはなく、それを断ることによって相手を傷つける心配もなくなった。

 患者たちの手や身体、笑顔に触れていく内に、私は私になっていく、それは私の中の神さまが活き活きとしていく感覚なのであろう、私の悩みは軽くなっていった。

 {つづく}
 
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ブラザービクトリア。

2014-05-19 12:47:10 | Weblog

 山谷のブラザーたちは月ごとに施設内の仕事の役割が変わる。

 炊事、掃除、祈り、ボランティアたちの祈りの挨拶などがある。

 今月は新しい韓国人のブラザービクトリアが土曜日のボランティアの挨拶の当番だった。

 彼がカレーを配りに行く前の祈りの場でどの歌を歌うかや祈りの先導をした。

 この挨拶はブラザージョジョやブラザーノアスが山谷に帰ってきた時から、とても雰囲気が良くなった。

 ブラザーたちは必ず初めの挨拶でボランティアたちがおじさんたちのために時間を割いてカレーを作りに来ていることへの感謝の思いを告げてくれるようになった。

 以前には無かったことのように思う、ブラザーたちのそうした謙虚な態度と言葉に私たちボランティアは救われ、神さまの指針を改めて感じなおしていく、それが孤独の生活をせざるを得ないおじさんたちへ愛を運ぶものになれるようにとの意識と意味を深めていく、これはマザーの心に他ならない。

 私はそれを喜ぶ、きっと私の他にも喜んでいるボランティアはたくさんいるであろう。

 土曜日ブラザービクトリアはまだうまくない日本語であるが、メモも読まずに、「これからおじさんたちにカレーを配りに行きます。貧しいひとたちの中にいる神さま、おじさんたちの中にいるイエス様に会いに行きましょう」と言った。

 ボランティアたちはその言葉に拍手喝采した。

 マザーテレサのボランティアと言うものは、貧しく孤独の人たちに愛を運び、かれらの中にいる神さまに会いに行くことである。

 そこにこの上ない喜びと感謝を感じることである。
 
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同じ道。その5。

2014-05-16 11:43:24 | Weblog

 私は時々後ろを振り向きながら、しかし、マリアと顔を合わせようとはせず、歩き続けた。

 マリアはただ転ばぬように下を向いて、私に付いてきていた。

 その時マリアに私の感情を知られないように出来る唯一のことは顔を合わせないことだけだった。

 しかし、私の全身からはどうしても負の感情が拭い切れず、マリアは間違えなく、私のそれを感じていたであろう。

 私はイライラしていた、どうしようもなくイライラしていた。

 しかし、同時にこのイライラしている自分を激しく嫌ってもいた。

 マリアだって疲れ切り辛いだろうに、そのことを思いやりもせずに、私は私の感情にすっかり呑み込まれていた。

 今までも何度も感じきたであろう、身体が疲れている時や体調の良くない時に私が私の感情を乗り越えられない弱さ、それをどうにかしたくて、どれだけ祈ってきたことであろうか、だが、私は何も変わっていない、私は心の狭き男である、そのことを認めざるを得なかった。

 目も回るような雑踏の中、私は私の弱さと戦い、敗れ、また戦い、そうした葛藤の連続、ただひたすらに自己からの解放を願いながら、どうすことも出来ずにただ足を動かし続け、身体は吐きそうなほど疲れ、息は上がっていた。

 やっと店に着き、一枚のモーフを買う。

 買い物を済ませると、ほんの少しだけ心は落ち着き始めた。

 そこはマリアが初めてくる店だったので、彼女にこの店でクリスマスの時にモーフを1000枚買ったことを伝えると、彼女は驚いていた。

 会話をすることによって、私は私を取り戻していくことを感じていた。

 そして、病院のバブルーに会いに向かった。

 私にはバブルーに会う前に考えなければならないことがあった。

 それはバブルーが私が毎朝訪問をしに行く病室に入院したからであった、そこで彼だけを特別扱いすれば、私は他の貧しい患者たちから、どう思われるかが心配だった。

 病院では誰もがお金を必要とし、一人に何かをすれば、私にもと言う患者や患者の家族たちがいるのである、そこで私は彼らにどう説明をすれば良いのであろうか、と胸を痛めたこのことも私が私の感情を乗り切ることが出来ないことに発射をかけていた。

 しかし、私にはもうどうすることも出来なかった、誰かを傷付けることになるであろうと、半ば諦めていた、もうどうにでもなれと思ったことも確かにあったと同時にすべてを神さまに委ねるしかないと言う結論にたどり着いた。

 聖書を思い出していた、イエスは一匹の羊を探した男であること、私にとってバブルーがそうであることを決心した。

 門番の警備員に挨拶して、薄暗い広間を歩き、毎朝私が訪問している二階の病室に向かった。

 {つづく}
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新芽。

2014-05-15 13:26:37 | Weblog

 私は新芽を見るのが好きである。

 今部屋の中にある観葉植物はすべて新芽を見せ始めている。

 私は飽きずにそれをよく眺めている。

 そこに私の目に映らないであろうが、命の息吹きを見ようとして見ているのかもしれない。

 見ようとして見ているものは、すでに感覚的であり、視覚以外の心、そして、願いを伴い、見守るように期待を込めて見ているのである。

 見えない何かを純粋に見ているのである。

 これも愛であろう。

 私は祝福を贈り、祝福を頂いている、その見ていると言う、また私も見られていると言う、生命の息吹きのうちに。

 私が見ているものはすべての極一部に過ぎないことを何度も何度も確かめながら、新芽の成長を喜ぶのであった。
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