いつか長崎に行きたいと思い始めてから、もう随分長い時間が経ってしまった。
この思いは遠藤氏の小説を読み始めて、私のうちの起こった心情なのであるが、しかし、すでにそれだけに留まらず、憧れの長崎は私の好奇心、いや、もっと深い、それ以上のものが私を常に騒がし、導いているとも言えよう。
「あぁ、、、長崎に行きたい」と呟く次第である。
昨夜BSで長崎の歴史ミステリーなどと言うような番組があったので録画して、晩酌時に見た。
期待して見た分、少し残念感が高くなってしまった。
まず製作費が少ないのだろうと思った。
出島、島原、唐人屋敷やその他にもいろいろな場所を訪れたのであるが、その撮影は一日で撮ったものであろう、案内人の女性の衣装は最後まで変わることはなかった。
それ以上に「世界ふしぎ発見」的、いや、そのままのように演出されていたが、それもB級だったと言わざるを得なかった。
私の大好きな長崎を一日だけの撮影でミステリーがどうのこうの言われ描かれてしまっても、私は勝手に困ったのである。
しかし、視聴者と言うものはなんとわがままなものであるかと自分に問いたりもした。
長崎の綺麗な風景を楽しむだけであれば、それはそれで美しい映像はあったが、私のうちの長崎熱にはただ何の反応もしなかっただけで、いや、視聴者である私自身とその番組との温度差があっただけかもしれないが、もっともっと長崎独自の歴史深さをどうしても描いて欲しい衝動がその番組に物足りなさを感じさせてしまった。
こうした番組の制作とは、日本の歴史教育の中で取り上げていない数々ある世界レベルの長崎の歴史を日本人に教えていない事実が生み出してしまうのだろう。
もちろん、一時間でまとめなくてならない制作側の苦悩もあるだと思うが、まだまだほとんどの日本人が知らない長崎の歴史はかなりあるのである。
それらが何故日本人に知らされていないのか、それこそ、歴史ミステリーだと思った。