気が付けば、山谷にボランティアに行くようになってから25年以上になっていた。
この25年で山谷はかなり変わった。
もう昼間から酔っぱらって暴れるおじさんも居なくなった。
以前MC{マザーテレサの修道会の略}の施設で炊き出しをしていた頃は、炊き出しが無くなり、カレーをもらえなかったおじさんが怒り、良くこう言われたことがあった。
「こんなところ、火を点けてやるからな!こんな炊き出し辞めちまえ!」
今ではそんな元気なおじさんは居なくなった。
以前は通りに犬の糞より人間の糞の方が多かったが街並みもどんどん綺麗になり、春になると通りでシラミを潰している人もあまり見なくなった。
サッカーの日韓ワールドカップ以来、ゲストハウスが建てられるようになり、外国人観光客が増えて行った。
派遣村があった時期には700人以上炊き出しに来ることもあったが現在では多くても250~300人くらいである。
あの時、炊き出しに並んだ人たちはどこに行ったのだろうか。
それから生活保護を受ける人が増え、自暴自棄な生活をしていた人たちは死に、炊き出しに来る人たちは気付かぬうちにゆっくりと減って行った。
私はもう何年も炊き出しに並ぶおじさんたちがケンカし、それを止めるようなことをしていない、怒り抑えられず、辺り構わずケンカするような人はもう亡くなったかも知れない。
だが、人の痛みが無くなった訳ではない、痛みをうちに隠し持ちながら、まだ炊き出しに来る人は孤独であり、その日、生きるのに精一杯な人たちである。
先週土曜日、あるおじさんが私にこんなことを教えてくれた。
「先生、アルミをやっているアライが酔ってさ、車に引かれて死んだよ」
それを聞いた周りのおじさんは皆驚いていた。
死ぬような人ではなかったようだ。
私は25年経って、どう変わったのだろうか。
細やかな心配りが出来るようになったのか。
出会う人たちを元気付けられるようになったか。
それは分からない、きっと出来ていない、まだまだであり、マザーのボランティアはただやればやるほど難しくなった、と同時に、私が確かに豊かに与えられるようになったかも知れない。
何度でも私自身に言い聞かせたいマザーの言葉がある。
「親切で慈しみ深くありなさい、あなたに出会った人が誰でも前よりも、もっと気持ちよく明るくなって帰るようになさい。
親切があなたの表情にまなざしに、微笑みに温かく声をかける言葉に表すように。
子供にも、貧しい人にも、苦しんでいる孤独な人すべてにいつも喜びにあふれた笑顔をむけなさい。
世話するだけでなくあなたの心をあたえなさい」