カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

キャロル・キング。

2008-07-31 12:09:31 | Weblog

 文章を書くときに、よくキャロル・キングを聴いている。

 彼女の声は心を静かに落ち着かせる。そのメロディーは何度も聴いても飽きることがない。説得力のあり、表現力豊かである。一曲が映画一本を見るような価値すら感じることもある。

 最近は1971年のカーネギーホールでのピアノの弾き語りのライブを聴いている。素晴らしいライブであり、名盤だと思う。

 そして、心に向き合える準備が整え、頭に思い浮かぶものを心と統合させながら、文章を書いていく。

 頭だけではあんまり良くない、身体に感じ聴いて、心を観ていくことをしている。

 今日は朝から家の前の板金屋で働いている幼なじみの石坂から電話があり、エンジンをミッションと繋げるのに、人手が欲しいと電話があり、とりあえず、行ってきた。

 エンジンを押さえていたら、蚊に四ヶ所刺された。汗は下に落ちた。
 
 今日も暑い。

 さて、仕事に行こう。
 
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傷つける人は。

2008-07-29 12:54:22 | Weblog
 ユングの言葉。
 「傷つける人が自分自身を傷つけるように、癒す人は自分自身を癒すのである」

 この言葉の前に、否応なしに傷つける人と付け足したい。自分の意としていないところでも人は人を傷つけてしまうことがある。

 そして、それ以上に傷つくことを恐れないでほしい。
 傷つくことを恐れる人は気付かないうちに他者と自身をそれ以上に傷つけてしまう。

 傷ついた心と向き合える勇気を持ってほしい。

 あなたの心の声をあなたが聴けるようになってほしい。

 そうしていけば、いつか、あなたは癒す人になるだろう。
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隅田川の花火。

2008-07-28 11:46:16 | Weblog

 とっても綺麗だった。
 MCの屋上から桜橋の会場の花火をよく見えるが、東橋の方はビルがあり、よくは見えない。

 それでも、十分、空に描かれた一瞬の光の絵は自分を魅了した。ビールもいい香辛料にもなっただろう。

 都内での用事を済ませ、六時ぐらいにMCに着いた。
 MCの前では見慣れたおじさんたちが酔って路上でたむろしていた。

 道の向こうから、よしこちゃんがビールを持って歩いてきた。
 よしこちゃんはオカマで60過ぎ。

 少し酔っている感じだった。
 「あら、よしこちゃん、元気にしていた?久しぶりだね」
 「元気にしてたわ。今日は飲んじゃっているの。ごめんね。。」
 「いいよ、いいよ。今日は花火だから楽しもうね。あれっ、よしこちゃん、チャック開いているよ」
 「ごめんなさい~。酔っているのよ。今日は綺麗でしょ?」
 「うん、綺麗だよ。ヒゲもあんまり伸びていないしね」
 「もう~!」
 「それじゃ、またね。花火、楽しんでね!」
 ふらふらとよしこちゃんは歩いていった。

 MCのドアの前に座っていたおじさんには言った。
 「先生、痩せたんじゃない。痩せたよ。痩せたよ!」
 「そうかな、ちゃんとご飯は食べているし、まぁ、暑いしね」
 自分の身体のことを心配してくれた。

 花火には毎年のように見慣れたボランティアがたくさん集まった。

 久しぶりに少しゆっくりとフランチェスコ会の神父の中谷さんに会った。
 カルカッタにまた行っていたことを話した。
 だんだんといろんなことが分かってきたことを話した。
 中谷さんにも長い間神父をしてきて何か変わってきてことがあったかを聞いてみた。

 年相応にいろんなことがあり、いろんなものが浮かんで消えていく。そのなかに自分たちはあり続け、生き続ける。
 一つのものを乗り越えれば、また次には何かが生まれてくる。こうしたものをどう受け容れていくか、問われていく。その繰り返しのように思える。
 あたふたしながらも、そこに楽しみを見出し、喜びを感じ、あたたかな思いをまた蓄える。

 花火を見ながら、そんなことをお互いに話していた。

 聖心会のシスターも来ていた。
 お互いに長い間、ここに来ていることに「あっと言う間ですね」ということで笑い合っていた。

 山谷のMCでCome and seeをしていた北海道から来た男性とも、いろいろとマザーのことや山谷のこと、カルカッタのことを話した。
 彼もいろいろと気付き、マザーに魅了され、感じ考えてきたことをこれから日本でどうしようかと思っていた。
 ジュリアンのことを彼も知っていた。ジュリアンのことがまた話せて嬉しかった。

 花火を見ながら、またカルカッタのことを夢見ていた。
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笑っちゃうほど。

2008-07-26 11:36:06 | Weblog
 昨日は笑っちゃうほど暑かった。
 だから、笑っちゃうほど暑い、そう言って笑っていた。

 三の倍数を言わなくてもアホになれる感じはあった。頭がぼぅーっとしていた。

 もう自然の前では仕方がない。あたふたしても受け容れるしかない。だから、また笑っていた。

 暑い最中から、この暑さに仕返しをしてやろうとビールを飲む企てを考えては、もう笑うしかなかった。

 しかし、いつかはこの暑さも終わる。暑さの最中では考えることをなかなかしないものだが、事実はそうしたものだ。

 夕方にはなり、雨雲が頭上を覆いだし、「いつでも、どうぞ。庭の水まきは、あなたがしてください」そう言っても、いたずら好きな雨雲は降ってはくれなかった。

 思う通りにはいつもなかなかいかないもの。それはそれでいいもの。

 公園に寄ってみた。
 ヒグラシが鳴いていた。

 いい感じに鳴いていた。

 気が付けば、この暑さがあったから、その次の涼しさに感謝が増す。ビールが美味しい。それが嬉しい。

 今日は山谷のMCのボランティアには行けないが、夜には隅田川の花火を見に行く。
 MCの屋上でボランティアたちと一年に一度隅田川の花火を楽しむ。

 昨日の朝、MCでお世話になっている大沼さんから電話があった。
 「Tetsuさん、明日、MCに来ます?」
 「ボランティアには行けないんですが、花火には行きますよ」
 「そうですか、自分も行きますから、お酒は買っておきますよ」
 「ありがとうございます。久しぶりに飲みましょう」

 そんな会話を今日を夢見てしていた。
 今日は楽しみである。

 雨が降らないといいけど、それは自分が決められることではないことも分かっている。

 ただ希望を持つことは自由である。

 もし雨なら、また笑えばいい。今はそう思っている。
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洗礼。

2008-07-25 11:50:29 | Weblog

 自分はまだカトリック信者ではない。
 カトリックにとても近いところにいると思うが、洗礼となると、その問いは深くなっていく。

 カルカッタでも日本でもよく分からないが、「あたなはカトリックよりカトリックです」言われることがある。

 日本人だけはなく、海外の一緒に働いた友達、出会った人たちから言われることがある。

 自分はただマザー好きな男です。いつもそう答える。事実、そうだと思っている。

 そして、神さまがいることを信じている。

 誰もがいろんなものを信じて良いと思っている。しかし、自分以外は違う、自分が必ず正しい、自分の信じているもの以外は救われない。
 そうした意識を作り上げ、他人を見下すことによって、自己の正当性を保つものにはなりたくはない。

 なぜなら、そこには愛はない。

 マザーは宗教が生活のなかにありありとあるインドで、他者を認める、他宗教を認めることをしてきた。

 自分だけが絶対に間違っていないとは、彼女は言わなかった。彼女は自分から離れることによって、その身を神に委ねてきた。
 何より彼女は自分が目の前の人に与える影響を常に考えていたと思う。それは人間の弱さをほんとうに理解していた。そして、その人へ最良のものを与えようと努めてきた。そうすることが彼女の幸せであった。

 自分たちの毎日の生活のなかでも同じようなことが言える。
 自分が正しい、間違っていないと思い込み、他者を認めることもせず、ましてや、バカにし、見下し、歪んだ優越感に偽りの安堵感にしがみついている人もいるだろう。

 そうした人の奥底には認めてほしいという影があるだろう。それは自分にもある。誰もが、一人ひとり違う形のその影をどう乗り越えていくかは、その人次第であろう。そして、その人の人生であろう。

 子供だって、弱い人だって、患者だって、罪人だって、自分より正しいことを言うし、教えてくれる。

 反対に何もかもを受け容れてしまうのも、もちろん、怖いことである。そこにはかけがえのない自分というものが無くなってしまっている。

 こうしたことを考えていくと、やはり難しい。しかし、それだけ意味深く大切なことであるからだろう。バランスを保てるようになってほしい。

 そこには、マザーの「最良のものを」の祈りをただしていくことでも何かは変わっていくだろうと思う。

 「最後に振り返ると、あなたにもわかるはず
 結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです
 あなたと他の人の間であったことは一度もなかったのです」

 この最後の三行の意味を味わえるようになると思います。ここがマザーが幸せであったことの証しのようにも思えます。

 自分もいつか洗礼を受けるときが来るかもしれないが、それは一つの答えのない問いとして、あたためていこうと思っています。

 
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そろそろ、うたを。

2008-07-23 11:29:32 | Weblog

 ライブが八月十三日に決まったので、そろそろ、うたを少しずつうたっていこうと思っている。

 そう心掛けないとすぐにこの暑さにやられ、ビールを楽しんでしまう。飲んだら、なかなかギターを弾く気にもならなくなってしまう。

 新しいうたも、また今回のライブまでは作り上げたいと思っている。

 いいうたが出来るのか、それもその瞬間まで分からない。耐えられるぎりぎりのところまで頭をしぼり、そのメロディーに歌詞を当てていく。
 
 手紙を書くように、うたを書き上げていく。

 何も浮かばないときは、そのまま、そっとしておく。

 うまく言葉が見つかれば喜びに、うまく言葉が見つからなければ苦痛に、そのどちらも必要であって、うたがいい具合に出来上がっていけば何より。

 現在の等身大のうたを。

 そう思えば、うたの作り方や、その姿勢もだんだんと変わってきたと感じる。簡単に作り上げることが出来なくなったのも、その意味はあるだろう。

 しかし、ふと短い時間で出来上がったりもする。

 そのタイミングは不思議なものだ。自分ひとりで作っているはずだが、そうではないのかもしれないと思えたりもする。

 さてさて、この暑さに負けず、うたっていこう。

 愛のうたを。
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一粒の麦。

2008-07-22 11:37:18 | Weblog
 昨日はお酒の休刊日にした。
 寝る前に二時間ほど、読みかけになったままの本を読んだ。

 ずっと、カマラーゾフの兄弟の最初の聖書の言葉を感じ考えていた。

 「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」

 姿を変えて、その意味を増す。
 しかし、そこには流れていくときがあり、その過程は止まることなくあり続ける。多くの実を結ぶまで、実はすべての人たちに、それはすでに用意されている。
 
 一粒の麦であることの大切さ、地に落ちることの意味、一粒のままでいる瞬間、そして、すべてを明け渡し、その姿を変えることによって、新しい生命が生まれ行く。その繋がりには終わりはない。

 あなたのどんな瞬間もかけがえのないときである。その意味は向こうから、いつも問われている。そして、見守られている。

 その言葉から、こうしたことを思い描いていた。

 また何ヵ月後にこの本を読み終えたとき、また読んでいる最中に何かが変わって行くかもしれない。それはそれで楽しみでもある。

 マザーは言う。
 「人生は成就です。そして、死は、その成就の一部なのです。死にゆく人たちが必要としているのは思いやりと愛のあるケアだけで、それ以外には何もありません」

 あなたは何を思うだろうか?何を感じるのだろうか?何をあたためて行くのだろうか?

 
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読書。

2008-07-21 11:50:57 | Weblog

 久しぶりに本を買った。

 歎異抄を勉強したいと思っていたが、地元の本屋にはあまりいいものがなかった。

 家にもまだ読んでいない本も何冊かある。別にあえて買う必要もないかと思っていた。

 何気なく本屋のなかを歩き回った。
 すると、ずっと読もうかどうか迷っていた本があった。

 「カマラーゾフの兄弟」だ。

 以前、新聞にも載っていたが、最近よく読まれていると言う。その新訳も出ていたので、数分迷ったが、最後には最初の一冊のにレジに持っていった。

 自分は本を読むのがとても遅い。いつも、切れ切れに意識を飛ばし、感じ考え、胸のなかで味わったりしながら読む。だから、かなり時間はかかる。

 この本を実はインドへ持っていこうと思っていた。向こうでゆっくりと読んでみようかと思っていた。

 しかし、持ってはいかなった本だ。結局、カルカッタでは日本語の本はまったくというほど読まなかった。

 レジに行く前に少し本を開いてみた。

 アンナ・グレゴーリエビナ・ドストエフカスヤに捧ぐ

 「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」{ヨハネの福音書、十二章二十四節}

 この聖書の言葉を読んで買うことを決めたようなものだった。

 さて、ちゃんと読み終えるか?いつ頃、読み始めるかは、まだ先のようにも思える。

 その前に読み終えていない本を何冊かしっかりと読みたい思いにもなっている。

 読書は秋だが、夏に読む本は、なにか感想文を書かなくてはいけない感じもする。書かなくいいのに、そんな気がしてしまう。

 まぁ、焦らずに本を読んでみようと思っているところです。
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六年前の今日。その2。

2008-07-18 12:12:51 | Weblog

 アサダは自分の友達のほとんど会った。
 文化学院の共通の友達はもちろん、自分の小中の地元の友達、高校の友達、山谷のボランティアの友達、カルカッタで会った友達。

 そして、多いに飲み笑った。

 アサダが亡くなった病院には不思議なことに、アサダの命日が誕生日の自分の友達の医者がアサダが亡くなってから、沖縄の孤島で仕事を終えてから、仕事をするようになった。

 今はガン患者も看ている。

 もちろん、その友達もアサダには会っている。だから、その病院で働くときは「アサダさんのことを思い、働かせてもらいます」と言っていた。

 アサダの病室では彼の中高の友達に一度会った。
 薬の副作用で顔は晴れ上がってうまく喋れないアサダに少し引いていたようだった。
 なので、自分はおもしろトークをしては、ドッカンドッカン、笑いを取った。あのときのトークはきれていた。初対面なアサダの友達もかなり笑っていた。

 そのときのことがあり、葬式会場から、火葬場まで行くのに文化の友達やアサダの会社の人たちはバスに乗れたが、アサダの中高の友達はバスに乗れず、どうしようか迷っていた。

 自分は彼らに声をかけた。「あとからおいで。行こう。」

 地元の彼らは車で来ていたから、あとから来れた。

 彼らも最後までアサダを見送りたかった。骨を拾い上げたあと、「声をかけてくれてありがと」彼らは言ってきた。

 これはアサダが仕組んだことだろうと思っている。一つひとつが何か繋がっていたように思える。

 「Tetsuアニィ、よろしく!」そんな言葉を感じたのかも知れない。

 自分はアサダの死に目には間に合わなかった。
 あの雨が上がるのを待っていたからだ。空を何度も見上げて待っていたからだ。

 雨が上がるのを待たずに行けば、死に目には間に合った。

 しかし、自分は雨が上がるのを待った。

 アサダは「それは勘弁してくれよ。恥ずかしいしよ。これが最後じゃないだろ」って思ってたのかな。

 死に目に間に合わなかったことは、なんとなく受け容れられていた。しかし、なんとなく心残りにもなっていた。

 自分が病院に着く10分ちょっと前にアサダは息を引き取っていた。病棟に行くと、ナースも何人か涙を流していた。

 息をしていないアサダがその場の時間を止めているかのように、とても静かだった。

 終わったんだ。戦いは終わったんだ。痛み苦しむことはもう無いんだ。そう思った。

 最後は家族と彼女に見守られて息を静かに引き取った。

 それで良かったな。アサダ。そう思った。

 アサダが望んでいるように毎年、みんな集まり、馬鹿笑いをする。お前がいつでも一つにしてくれる。
 自分たちの命がある限りそうしてくれる。

 理想ではない最後の状態だったかもしれない。それでも、それは誰の理想なのか?お前は孤独だったかもしれない。しかし、自分は思う。お前はお前自身をお前らしく最後まで立派に生き抜いた。それは言葉で表せば、どうしても安くなってしまうものであり、自分の内側にはっきりと在り続ける。それをこれからも出来るだけ輝かしていく。

 お前との出会いはすべて良かったよ。アサダ、ありがと。

 アサダと自分の物語りは、いつまでも続く。終わりはない。新しく描き始めることもあるだろう。まだまだ楽しみはある。

 夏はまだこれから。そんな思いでいる。そんな思いで今を自分は生きている。
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六年前の今日。

2008-07-17 12:26:43 | Weblog

 朝から雨降ったり止んだりしていた。しかし、空の一部には青空が見えていた。

 自分は空の色を見て、この雨が止んだら病院に行こうと決めた。

 その三日前夕方にアサダの状態が急変した。妹のともこから電話が入り、残っていた仕事を変わってもらい、病院に駆けつけた。

 どうにか、その日が山になることはなかった。その次の日と次の日、自分は仕事で病院には行けなかった。

 文化学院の友達は「自分がいない間も自分がアサケンをちゃんと看るから心配しないで」と言われた。

 その少し前からアサダの父親は来る見舞い客の一部にアサダがもうすぐに亡くなることを伝え始めていた。

 そして、病院は見舞い客で一杯になっていった。「アサケン、がんばれ!がんばれ!」の声が上がっていた。

 以前、相談した尼さんには「最悪になるよ」と言われていた。
 死に行く患者は本心を言えず、我慢したまま、気を擦り切れるほど、命がけで気を使い、伝えたい思いも伝えられない最悪の状態になると言われていた。

 実際、そうなった。
 それでも、ずっと最悪だとは言いたくはなかった。思いたくはなかった。ホスピスなど何も知らなければ、この痛みは味わうことがなかった。そうまで考えた。

 それでも、考えてほしい。
 「あなたが死ぬと分かったときに、誰かに何かを伝えたいとは思わないだろうか?」

 自分は今回のカルカッタでも何度も自分の死ぬその瞬間を思い浮かべた。死に行くその人のそばでよく思い浮かべた。

 それゆえに今、現在の大切さ、かけがえのなさを全身全霊で学んだように思う。

 アサダの死に対しては、マザーのところで働いてきた自分はこうしたことを一人物語った。
 シスターのなかでガンで亡くなった人もいる。
 あるシスターはガンの末期、激しい痛みに耐えていた。それを見ていたシスターが「痛みはほんとうに苦しいでしょう」そう聞くと、そのシスターは「それは神さまと私との内緒です」微笑みながら話したと言う。

 アサダはこのシスターにとても近い心境であったことを想い帰した。アサダは神さまのところに行ったのだから・・・。
 
 大好きな友達に慕われ、囲まれながら、最後の時を持てたその時は最悪ではない。そう物語った。

 {つづく}
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