カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月でしたがお休みします。

雨が降っている。

2008-02-19 22:08:01 | Weblog

 また今、外では雨が降っている。今日は雲の流れがとても速かった。夕方になって夕闇の間を黒い雲が行き来している。この雨はすぐに止む感じだ。

 今日、病院では火傷の患者が一人亡くなっていた。彼は二十歳ぐらいだった。全身が丸こげ、肌は剥けはがれていた。

 何を思う?自分にそう問う。何を感じる?自分にそう問う。

 答えはないまま、その場で祈る。ただ安らかなところへ彼が行くように。そうあれるように祈る。

 答えも問いも感じきれるだけ感じていたい。この胸のなかに留めていたい。深いところに留めておきたい。そう願う。その瞬間にそう願う。そして、次に会う患者の前では今まで以上に心を落ち着かせて笑顔で向かう。痛み悲しみは引きずらないように、次の人に与えないように、常に新しいドアを開け続けながら、また患者に会い、話しをしていく。彼らに触れていく。

 彼らの前から離れると足が震えるようなときもある。涙が溢れてくるときもある。

 それはそれでいいと思っている。空を見上げたり、風を感じたり、少し座ったりして、息と呼吸を整えるように心も整え、駅に向かう。

 今日、駅からカーリーガートに若い男の患者を運んだ。たぶん、十代だろう。運ぶ前に彼は「カーリーガートに運ぶの?」そう聞いた。自分は彼に「カーリーガートに行ったことはあるか?」そう聞くと、彼は「ない」そう答えた。

 彼はブラウンシュガーをしている。しかし、かなりやせ細り、そのままだと、あと、一日か二日で死んでしまうほど弱っていた。両手両足にはかなり浮腫があった。結核も持っている感じだった。

 タクシーのなかでは何度も吐いた。その度、新聞紙でそれを取り続けた。終いには新聞がなくなり、ビニール袋でその嘔吐を取っていた。シラミが自分の腕に付いていた。とりあえず、取り、外に捨てた。

 カーリーガートではシスターもそのやせ細った体に少し驚いていた。

 イタリア人のボランティアのテレサが来た。彼女は笑いながら彼を見つけた。彼は以前カーリーガートに居たことがあったからだ。ハウラーから患者を運んできたマーティンも彼を知っていた。

 彼は自分に嘘を付いていた。そのことはちゃんと叱った。なぜ、彼がカーリーガートを知っているかが可笑しいとは思ったが、何よりも話しをたくさん出来る状態ではなかったので、そのまま運んだ。

 彼はカーリーガートに以前居たことを自分が知る前にこう言った。

 「体が良くなったら、ここを出て行きたい。出て行ける?」そう聞いた。自分は「元気になったらいいよ」そう言った。そう言いながら、そうなることはかなり難しいことを思っていた。

 結核患者はこうして最期には死を迎えることが多い。それは団体行動が取れなかったり、またドラックをしたくなったり、酒を飲みたくなったりする。ほんとうに体が弱りきることへの恐れもきっとドラックによって消えさせるのだろう。

 しかし、彼は常に今を生きている。未来を生きるのでなく、その時、その瞬間を生きているから、そうするのであろうし、そうしてしまうのだろう。死する未来よりも生きる今を何よりも思うのであろう。

 そんなことも考えた。

 雨が止めば、自分の好きな雨上がりが待っている。それを楽しもう。

 
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